三 フィリエリナと「姉」と呼ばれる娘
半時ほど小走りで進むと、遠くに娘の影が見えた。
これ以上近づくと警戒されそうなので今の距離を保ちつつ後をつけていく。
やがて陽が沈む頃、フィリエリナは娘の周りに小さなムカデがついていることに気がついた。
まるで娘を守るかのように周囲に目を配り、危険な蛇や害虫を排除しているのを目撃していた。
異様な光景にフィリエリナは驚きつぶさに観察することにした。
大きな赤い目が特徴的なムカデは小さくても目立つため、フィリエリナは容易に見つけることができた。
一日ほど娘の後をつけつつ観察したフィリエリナは、赤目のムカデについてある程度推測していた。
どうやら赤目のムカデは娘が使役しているわけでなないようだ。娘はムカデについては無関心で、ひたすら前に進んでいる。
娘はどこか怪我で痛めているのか歩みが遅く、途中で何度も休憩をとっていた。その度に赤目のムカデが娘の元へ近寄り、先に進めとうながすような行動をとっている。
娘は重そうに立ち上がり歩き出していた。そうすると赤目のムカデは娘のそばから離れていった。
二日目の昼には腹をすかせた野犬のような魔獣が娘の匂いにつられ近づいてきた。娘は気がついていないようで、ひたすら前へと進んでいる。
すると赤目のムカデがするすると魔獣に接近する。死角へ回り尾から出ている針を魔獣の後ろ足へ素早く突き刺した。
魔獣は叫び声をあげる暇もなく痙攣すると、その場に倒れた。赤目のムカデは魔獣にすがりつくと小さな口をつかってガツガツと食べ始めた。
その光景を観察していたフィリエリナは確信した。警戒すべきは娘ではなく赤目のムカデだ。
理由はわからないが娘は赤目のムカデに導かれているようだ。その先には黒い塔があるに違いない。
どうやら娘についているのは一匹だけのようだ。一日観察して他にムカデの影がないと確信が持てた。
塔には赤目のムカデを操る者がいるのは確実だろう。あと何匹いるのかは不明だが、よく見ていれば倒すのに難しい相手ではない。
フィリエリナは夜に赤目のムカデを排除することを決意した。
やがて夜が訪れると三つの月が輝き荒野を照らしている。
雲が出ていたら難しかったかもしれないが、今はフィリエリナに運が向いている。
疲れ果てたのか娘は毛布にくるまって無防備に寝ていた。荒野の真ん中でもかまわないようなそぶりは旅の常識から外れていて、フィリエリナを戸惑いさせた。
荷物を置いて弓と矢筒を取ると赤目のムカデに向かい、発見されないようそっと近づく。赤目のムカデの警戒範囲は思ったより狭いことは観察してわかっている。
ちょろちょろと岩を縫って動く赤目のムカデ。
夜間は娘の近くで警戒をしているようだ。娘を中心に円を描くように赤目のムカデが動いている。
十分近づき、息を殺したフィリエリナは矢をつがえると狙いを定めた。
ヒュッ──
放物線を描いた矢は狙いを外さず赤い目を射抜きムカデを地面に固定する。
素早く近づいたフィリエリナは剣を抜き一刀のもと赤目のムカデを切り殺した。フィリエリナはそのまま警戒を緩めず辺りに目を向ける。
しばらくして安全だとわかると剣を下ろして鞘におさめた。
真っ二つになった赤目のムカデを観察する。
見れば見るほど知っているムカデとは思えないほど異形だ。特徴的な赤目は体に対してやたらと大きく、矢に貫かれて青い体液を流している。
矢を抜き砂で洗って綺麗にすると矢筒に戻した。
荷物を取りに行き、娘の元へと戻る。
こんなに近くにいるのにまるで起きる気配がない。
不思議に思ったフィリエリナは娘の顔を覗き見た。唇を青くして苦痛に歪み、汗が噴き出いている。
これはよくないと娘の額にさわると火のように熱くなっていた。きっと疲労か怪我が原因なのかもしれない。フィリエリナは急いで自分の荷物をあさり、陶器に入った液体の薬を取り出すと娘を抱き起こした。
「ねえ。起きて! 起きて!」
「う……ん…う………う……」
うわごとのように朦朧とした娘が薄目を開ける。
「これから薬を飲ますから口を開けて。できる?」
「う……」
かろうじて開かれた口に薬を流し込む。娘はすごく苦そうに顔をしかめた。
「我慢して飲んで。きっと良くなるから。私の村に伝わる秘伝の薬だ。万病に効くって評判だから」
フィリエリナの言葉にごくっと娘は無理に飲み込んだ。
それだけで体力を使い切ったのか、ぐったりした娘をフィリエリナはそっと地面に横たえた。そして、背負い袋から毛皮を取り出すと娘の下に敷き、もう一枚を上にかけて寒さをしのげるようにした。
ほっと一息入れたフィリエリナは弓を手に辺りを警戒することにした。
朝になり太陽が顔を出すと空気が暖められてくる。
光をまぶたに感じ娘が目を開けた。
娘の隣に座っていたフィリエリナは優しく声をかける。
「起きたね。熱は下がったみたいでよかった」
目を見開いた娘は寝たまま体を固くした。町で会った鎧の人が目の前にいるのだ。娘の驚きは言葉に言い表すことができなく口を開けたままだ。
娘の様子に慌てたフィリエリナは兜を脱ぐと顔をさらけ出した。
「怯えないで。私は君を助けにきたんだ。わかる?」
再び娘は目を丸くした。今度は思いもよらぬ美しい顔を見たからだ。町いる誰よりも美しいと思った。
眉を下げたフィリエリナは困った顔をして続けた。
「私はフィリエリナ。君の名は?」
「あ…わ、わたし……」
勢い込むが上手く言葉にできない娘は顔を赤くした。
フィリエリナは優しく微笑むと、そっと娘の髪をなでた。
「無理しなくていいから。落ち着いてゆっくり口にすればいいよ」
「ご、ごめんなさい。妹たちからは『姉』と呼ばれてるけど、それって名前でいいの?」
「うーん、違うと思うけど。君について詳しく聞いた方がいいかもね」
「詳しく……?」
難しい顔をした姉と名のる娘が、次の瞬間に何かを思い出したのか慌て始めた。
「大変! 早く戻らないと! 妹たちが心配!」
「戻るって黒い塔に?」
「町の人はそう呼んでるみだいだけど、わたしにはわからない。でも、間違っていないと思う」
毛皮と毛布をはいだ娘は立ち上がろうとしてよろける。フィリエリナがとっさに娘を支えた。
「まだ体力が戻ってないんだ。覚えてる? 昨日はずいぶん熱が出てたんだよ?」
「熱? でも急がないと。わたしが遅くなったら妹たちが罰を受けるの!」
「なんだか話がかみ合わないな。けど、緊急事態だってのはわかった。私が君を連れていくよ」
「でも…虫がいるから無理。いつも見張っているから、あなたはどこかへ行ったほうがいい」
聞いたフィリエリナは笑って昨日倒したムカデを指し示した。
「ははは。あの赤目なら殺したから大丈夫」
「すごい……」
二つに切り倒された赤目のムカデを見た娘は感嘆の声をあげた。まさか殺せるとは思ってもいなかったようだ。
フィリエリナは荷物をまとめると背負い袋を前に担ぎ、娘の荷物はそのまま背負わせた。そして、娘ごと背負ったフィリエリナは黒い塔へと歩き始めた。
「重くない?」
「全然。羽みたいに軽いね君は」
はははと笑うフィリエリナはずいぶんと余裕そうだ。実際、娘は栄養状態が悪く体重が軽かった。これなら無理しなくても歩いていけるだろう。
娘は生まれて初めておぶってもらい、こんな人の運び方があるのかと感心していた。町の店員以外で初めて話したのもそうだが、あまりにも初めてが多すぎて混乱していた。
これが良いことなのか悪いことなのか判断がつかず、ただ罰が与えられないよう娘は願った。
「黒い塔までどのくらいの距離があるかわからないけど、歩きながら君の話を聞かせてくれる?」
フィリエリナの問いに娘は何度も頷いた。