一 黒い塔と少女たち
黄土色の地面に岩や小石がそここに露出している荒野の中にそれはあった。
漆黒の円錐の頂点に長い煙突が立っている館があった。まるでじょうごを逆さまにしたような形は荒野で異彩を放っていた。
その特徴的な細長く天に向かって伸びている煙突は、遠くからは塔のように見えた。そのため近くにある町の人々は『黒い塔』と呼び、決して近寄らない場所であった。
館唯一の出入り口の扉は一箇所だけであり、両開きの黒い板が太陽の光を吸収して熱くなっている。
扉から入ってすぐにある大広間では三人の少女が薄暗い灯りの下でせっせと床を拭いて磨き、掃除をしていた。室内も暗い色調のため、壁に灯る明かりでも汚れがどれかもわからない。それでも三人は床を磨き続け、汚れたバケツの水で雑巾を絞る。
少女たちは同じような薄汚れた白い袖のないワンピースを着ていた。一番背の高い少女は年長者で十代前半で二人の少女は十代に届かない程度のようだ。
三人の少女たちの足元には赤い大きな二つの目玉を持ち、尻尾に針を持つムカデがそれぞれについて忙しなく動いている。
背の高い少女の指示に従い二人の少女は雑巾とバケツを持つと次の部屋へと移動した。
大広間には四つの扉がある。
ひとつは外に通じる両開きの扉。左右の壁には片扉があり、右の扉は少女たちの部屋で反対側は別の使用人の部屋につながっている。そして奥へ通じる扉はこちらも両開きで装飾が施され、他の扉に比べて豪華な作りになっていた。
少女たちは奥の扉を開けるとそこは円錐の館にある中心部で天井が高く、奥に大きな開口部を持つ壁でさえぎられている空間があった。せり上がる天井には煙突が直結しており、暗い穴をのぞかせていた。
奥の先が見えない開口部の前には五メートルほどは背がある黒い怪物が館の中心にたたずんでいる。
床に長い裾をつけ、黒いドレスをまとった細長い胴体をした怪物は、ムチのような四本の腕をぶらぶらとさせていた。逆三角形な白い顔にある四つの赤い目が少女たちを捉えていた。
上からの視線を痛いほど感じながら緊張した少女たちは怯えて震える手で床を一心不乱に磨く。早くこの視線から逃れるようにと。
『……』
怪物は何も言わず少女たちの仕事ぶりを観察していた。
怪物のいる部屋を磨き終えた少女たちは、奥の開口部の中へと足早に向かった。
そこには小さな台座がいくつも整然と並んでいる場所で、さらに奥には閂がついた小さめの扉があった。台座やその周辺の床には赤黒い汚れがそこらじゅうについている。
少女たちは鉄や肉の腐ったような鼻につく空気の中、必死に汚れを落とし磨いていた。
この場所はどうも気味が悪く鳥肌が立つ。いやな臭いもそうだが、ひしひしと暗く陰鬱な気配が心を蝕むようだ。
背の高い少女が見渡して汚れがないのを確認すると、二人に合図を送り部屋を出ていく。奥にある小さな扉の先は掃除が不要のようで少女たちは近寄りもしなかった。
怪物のいる空間を足早に通りすぎるとき、ひとりの少女の足がもつれ、転んだ拍子にバケツの中身を床にさらしてしまった。
汚水が床に広がるドレスに数滴かかると怪物が不快さに唸る。
『ムゥ、ゥウウウウウウ────』
転んだ少女が慌てて起き上がると怪物に向けしゃがみ込み床に頭をつけて必死に懇願しだした。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください! ごめんなさい!」
体を震わせ涙を流す少女に駆け寄った背の高い少女が抱きしめる。
「この子を許してください! 罰ならわたしが受けます! お願いします! お願いします! 許してください!」
『ワルイ…コ。オシ…オキ……オシ…オ…キィイイイイイイイイイイ……』
カチカチと硬いものを叩いたような音をさせながら言葉を発した怪物は、細長い腕を一本をしならせ背の高い少女の背中に押し付けた。
ジュウウウウ──腕から滲み出た溶解液で服が溶けて肉が焼けるような音を立てた。
「あああっ!? ああああっ! ゆ、許してくださいっ。あっああああ!!!」
必死に激痛に耐え懇願する背の高い少女。痛みなのか罪の意識なのか涙が流れ止まらない。
永遠のような痛みも一瞬のことで、怪物はすぐに腕をあげていた。背の高い少女の背には溶けた服の下に新たな火傷跡が加わった。
背の痛みに耐えながらも三人でこぼれた汚水をバケツに戻し、二人に支えられながら背の高い少女はよろよろと自室へと戻っていった。
少女たちの部屋は広い割に置いてある物は少なかった。大きいベッドと収納付きの長椅子、奥には簡素な仕切りで分けられたトイレと小さな井戸がある。
井戸のそばにはバケツが数個積まれ、排水用の四角い格子がはめ込まれた穴があった。壁には均等に打ち付けられた棒にロープが張っており、洗濯した雑巾や布が干されてあった。
藁を敷き詰めた上にシーツをかぶせただけのベッドに、うつ伏せに寝た背の高い少女。荒く息をして痛みに耐えている。
「ごめんなさい、姉さん……」
「いいのよ、気にしないで。次はちゃんとすれば大丈夫だから。わたしもよく転んで罰を受けたのよ」
転んだ少女が涙ながらに謝ると、姉と呼ばれた背の高い少女が無理に笑顔を作り頭をなでた。
もうひとりの少女は仲間の不幸に涙ぐみつつ、木製の収納長椅子の中から陶器にはいった傷薬を取り出して姉の元へと戻った。
「姉さん薬を塗るね」
そう言うと服をめくり背中を露出させる。そこには無数の傷が背中を覆っており、これまでの罰の多さを物語っていた。
少女はそっとやさしく薬を新しい傷に塗り込む。
「いっ──」
薬が染みて痛みが立つのを辛うじて姉は耐えた。この傷はいつまでたっても慣れることはない。神経に激痛をもたらすものだった。
痛みの波が通り過ぎ、ほっと一息ついた姉は、こわばった体を楽にさせた。少女は服を戻し、薬を元の場所へしまった。
「少し休もう。おいで妹たち」
そう招いた姉のベッドに妹たちはくっつくように寝てきた。
うつ伏せのため、妹たちを抱きしめることはできないが人肌の温もりを感じることで安心感が増した。
妹たちも安心したのだろうか、緊張感がなくなるといつのまにか寝息を立てている。
これからの仕事を考えると、あまり寝ている時間はない。
それでもと姉は思った。
この子たちには束の間でも休息が必要なのだ。
しかし、早くしないと奴らに会ってしまう。今日は奴らが帰ってくる予定日だ。それは怪物と同じぐらい嫌なことだった。