日常 その1
今も昔も
見えない敵と
戦っている
言わなくても分かるっていうのは、大抵の場合傲慢だ。
人は目にすることだけを事実と思いがちだからだ。
しかし目に見えないものはどうだろうか。
風が良い例だ。
写真に撮ると風なんて見えない。
たとえ屋根が吹っ飛ぶ程の強風であっても
実際に木が撓っていたり
屋根が剥がれる瞬間を捉えていなければ、
風は無かったことになる。
気圧もそうだ。
変化を体調で感じる人もいるが、目には見えない。
もっとも、機械で計測したものをモニターに映せば捕えられるが。
街の風景を捉えた映像。
例えばクリスマスが近い繁華街。
ウキウキとした人達ばかりに見えるが、
実際は連日の激務で神経を擦り減らしている人や
年末年始の帰省が叶わなく寂しい思いをしている人もいるだろう。
しばしばそのような映像は
華やかな気分の情景として切り取られ、
あたかも「クリスマスや年末年始の休みに
浮かれている人しかいない」ように錯覚する。
年末年始に限らないが、
全人間が心の底から笑顔になる瞬間などないのだ。
雰囲気というのは何なのだろうか。
それこそ多くの人が読みたがる。
目には見えないものなのに。
*
朝一番は手が悴むが、
積み込みと2・3軒配達に回る頃にはいつも汗が滴っていた。
「ども、ありやとぉざまーす!」
香原英二は伝票を置いて去ろうとした。
「あのぉ来週納品予定の新酒なんですけど」
おっと、と背中の声に反応して踏み留まる。
居酒屋ダイニング 壱の女将、神田ルカだった。
「予約のお客さんが好きみたいで。
もう3本追加でお願いできます?」よ
「わかりやした!」
軽くステップを踏みながらトラックのエンジンをかける。
三年前に起きた侵略大戦の勃発から、
徐々にかつての賑わいを取り戻しつつあるのかなと英二は感じていた。
思えばあの頃はどんな業種であっても
開店休業状態や閉業していて、
日本国内でも強盗や殺人などが多発していた。
この『壱』も例に漏れず、
店内を荒らされ
商品である酒や保存の利く食材などが盗まれた。
大昔の世界大戦と違い
『敗戦国』とは言われなくなったこの国は名前も変わり、
昔から引き継がれている物事も極々僅かになった。
2205年の春、浮き足立っていた人々の前に
突如現れた大国の軍機。
夥しいほどのセルマーが、
朝なのに、空を薄暗くさせていた。
英二は通勤しようと車庫を出てからそれらに気が付いた。
体の内側から悪寒が駆け巡った。
*
話は少し逸れるが、セルマーの説明をしたい。
基本的に物の配送などに使われているドローン様の機械だ。
もっとも、ドローンのように大きくなく
物理転送学の応用で出来たものだ。
基本的には買い物やゴミの処理などは
500キロ以内の物の転送が可能な家庭用セルマーが、
地域などでは一般型セルマーが用いられ、
そちらは2トン以内の物の転送が可能だ。
家庭用セルマーは子供の手のひらサイズのキューブが4個、
一般型セルマーは同サイズのキューブが20個で稼働できる。
家庭用セルマーは四角形を描くように空間に設置、
一般型セルマーは正二十角形を描くように配置することで使用でき、
物理転送ができるパスホールが開く。
使用には指紋認証が使われている。
開発したのはエディオット・セルマー率いるロッド社。
CEOの姓がつけられたこの装置は
発売から5年ほどで地球全域に広まり
22世紀を代表する画期的な発明となった。
*
話は侵略戦争の始まりに戻る。
その日空を覆ったセルマーの数は
後日把握出来ただけでも30万個。
実に1000トンクラスの物を移送できる装置が
5000基あったと考えられている。
これは同時刻に各国の主要都市全てに現れた。
5分ほど何も起きなかった。
他の住民も怪訝な顔をしてゾロゾロと家の外に出て眺めた。
やがて空のセルマーから強く大きい光が無数に市街を貫き、
一瞬にして瓦礫と化した。
その光景は考えられないほど巨大な稲妻が
嵐のように繰り返される光景だった。
家庭用セルマーや一般セルマーに人々はなだれ込み、
また、ピース(後述するが脳と繋がっている外部装置)で状況を把握しようと模索したものの
巨大なパスホールから引っ切りなしに繰り出される光の影響か、
セルマーもピースも使い物にならなかった。
ここ、シキという国は、国民の7/8が消失した。