通称「冷淡」令嬢ですが、ただの小心者ですみません。
好きなものをめいいっぱい詰め込んでみました!
楽しんでいただけると幸いです。
「私、フレデリック・ヴァルテーユは、リリバント公爵令嬢、カミーユとの婚約を破棄し、このウアキル男爵令嬢、クラリスと結ばれることをここに宣言する!!」
王家主催のデビュタント。たくさんの良家の紳士淑女が集まるこの場所で、私が声高に告げられたのはとても予想外で、しかし、何となく勘づいていた言葉でした。
「ごめんなさい…カミーユ様。だけど私、王太子殿下…いいえ、フレディ様と恋に落ちてしまったのです…!!この気持ちだけには嘘はつけなくって!」
「ああ…大丈夫だよ、クラリス。カミーユがどれだけ頭の固い可愛げのない女だとしても、これだけは次期国王としての言葉なんだからな」
ひとしきり二人の世界に入ったフレデリック殿下とクラリス嬢は、その後ぐるりとこちらを向くと、こう言いました。
「カミーユ…君のような堅物と比べられるのはもうたくさんだ。出ていってくれ」
「カミーユ様…今日はもう休んでください!こんなこと言われてきっとお辛いでしょうから…」
要約すると、邪魔者は出ていけ、といったところでしょうか。まるで私が悪役のような扱いです。本来ならば婚約者として、このことに異議を唱えたり、泣いて縋ったりするところなのでしょうけれど……。
「はい、では今夜は失礼させていただきます。フレデリック様…いえ、今はもう王太子殿下とお呼びした方がよろしいのでしょう。正式なお話はリリバント公爵家からまた後ほど……。皆様もお見苦しいところをお見せして申し訳ありません。では、素敵な夜を」
私はそんなことは言いません。皆様が素敵な夜なんて過ごせないことは百も承知で、取り繕った言葉をつらつらと並べたて、私は会場を後にしました。
途中で国王陛下や王妃様に引き止められそうになりましたが、にこりと笑顔を浮かべて、そそくさとその場を逃げ出したのです。私がすぐに引き下がったことにたじろいた元婚約者様はまだ何か言いたげでしたが、それには気づかないふりをして。
先程、私は王太子殿下の婚約破棄を冷静に受け止める婚約者を演じましたが、実状はそうではありません。
(どうしましょう…どうしましょう!私、婚約破棄されてしまったわ!王妃教育も受けさせて頂いたのに…!私の教育にいくら王家が掛けたのか、フレデリック様はご存知なのかしら…。それとも後から請求されるというの!?流石の公爵家でも、そんな大金、ほいっと払えるものではないのよ!でも、ここで食い下がるとフレデリック様とクラリス嬢からどんな報復を受けるか…)
そうです。私はただ小心者なだけなのです。突然の婚約破棄で心の中ではすごく焦っているのに、王家への忖度と公爵家へさらに迷惑をかけるわけにはいかない一心で、冷静に受け止めたふりをしていただけでした。
「馬車を出してちょうだい」
「はい、お嬢様」
冷静なカミーユは御者にそう言うと、何事もなかったかのように家に帰ろうとしました。まあ実際、大事があったのでお父様にも早急に報告しなければならないのですが。
「カミーユ!待ってください!!」
1人の侍女を連れて帰ろうとする私を止める声がして、私は恐る恐る(心の中だけ)御者を止めて、馬車の窓から顔を出しました。そこに居たのはなんと、フレデリック様の弟君、エドワード殿下でした。
「え、エドワード殿下!?いかがなさったのですか?王太子殿下からなにか伝言でも…」
私がビクビク(心の中だけ)しながらそう問うと、エドワード殿下はその整ったお顔を困ったように歪めて言いました。
「そんなこと僕がする訳ないでしょう…。あんな馬鹿の伝書鳩なんて。僕はただ、カミーユを公爵家まで送っていこうと思っただけです。今貴女が一人で帰ると色々と危険でしょう?王族が送っていった方がまだましですよ」
確かに、公爵令嬢がエスコートもなく会場を後にしたとなると、変な噂が広まりかねないですね。ただでさえ、婚約破棄という特大のスキャンダルを抱えているというのに。
流石エドワード殿下。十七の私より二つも歳下なのに、私よりも頭の回転が早いです。私の王妃教育の座学も一緒に受けていた程ですし…。やはり彼はとても頭が良いです。
「ありがとうございます、エドワード殿下。ではお言葉に甘えて…」
「うん、帰りましょうカミーユ。話は馬車の中で聞きますよ」
「ありがとうございます」
そうしてエドワード殿下にエスコートされて馬車に乗り込み、馬車が走り出すと、冷静なカミーユは遂に居なくなりました。
「え、エドぉ…どうしましょう!私、婚約破棄されてしまいました!!」
「知っていますよ。僕も会場にいましたから」
「そうですよね…王宮はエドのお家ですもの……」
「そうですよ。カミーユ、やっぱり気が動転していたんですね。当たり前ですけど…馬鹿な兄がすみません」
「エドぉぉぉ…」
私は堰を切ったように、婚約破棄されたことへの不安、フレデリック様やクラリス嬢からの報復はないのか、王妃教育にかかった費用はどうなるのか、そもそも私や公爵家はどうなってしまうのか等々、今まで隠していた本音をエドワード殿下…いえ、エドにぶちまけました。
エドは「うんうん」と頷きながら話を聞いてくれたので、余計に私は饒舌になっていきました。
何故外では仮面を被っていた私が、エドにだけは素を見せられるのかといいますと、幼い頃より王妃教育を受けていた私と一緒に学ばれていたエドとは、フレデリック様よりも付き合いが長く、また、彼の聞き上手な性格も相まって、ついつい口が滑ってしまうのです。
馬車の中には、私が気を許す専属侍女のメアリーと私達しかいません。御者には中の話し声までは聞こえないので、その安心感もあったのでしょう。
「どうして私では駄目だったのかしら…」
散々不安をぶちまけた後、ぽつりと私がそう言うと、今まで心配そうに話を聞いてくれていたエドの顔が少し険しくなりました。
「あい…兄上のことが好きだったのですか?」
「いえ、そういう訳では無いのですが…長く付き合った婚約者に婚約破棄をされるというのは、少し…自分自身を否定されたようで……」
私がそう打ち明けると、エドの顔はますます険しくなりました。
「そうですよね…重ね重ね、本当に申し訳ありません。カミーユ、貴女は何も心配しなくて良いですよ。…僕が何とかしますから」
最後ににっこりと、しかし少し黒い笑顔で微笑むと、エドは公爵家の前で馬車を停め、私を家のドアの前まで送り届けてくれました。
「ここまでありがとうございました。少しすっきりしました」
私がそう告げると、エドは嬉しそうに頷いて馬車に乗って帰っていきました。
私は、お父様にこのことをどうやって報告するか思案しながら、メアリーに導かれるままお家の中に入っていきました。
*******
それから数日、私は貴族社会の恐ろしさを久しぶりに痛感していました。
デビュタント前は何度もお誘いにあったご令嬢達のお茶会も、何度も頂いていたお手紙もぱったりと止んでしまったのです。
私の社交界デビューは、何とも悲しい感じで終わってしまったようです。
まあ、そうですよね。王太子殿下に婚約破棄なんてされたら、悪い噂は立ちまくりですし、完全に腫れ物扱いです。
一部では、公爵令嬢である私が男爵家のクラリス嬢を見下して虐げていただなんてデマも出回っているようですし。
……私、彼女とはあの日が初対面なのですけれど。
お父様は、気にしなくていいと仰って下さいましたけど、やっぱり濡れ衣は良い気持ちはしません。小心者なので、反論なんて全くしませんが。
思えば、それが悪かったのかもしれません。いつも王妃教育だけに勤しんで頭でっかちになって。その上、反論なんてせずに、淡々と言われたことを受け入れてばかり。だから、「冷淡令嬢」なんて不名誉な呼び名がついてしまったのでしょう。
では、王太子殿下に泣いてすがればよかった?
噂のようにクラリス嬢を貶めて詰れば良かったのでしょうか?
違う、と思いたいです。だって、そんなことをしたら最後、私は公爵家の恥晒しの最低な女として世間から非難を浴びます。そんな恐ろしく目立つようなこと、したくはありません。…私の小心者っぷりはそうそう変えられるものではないようですね。
そもそも!私は、王太子殿下の婚約者になんてなりたくなかったのです。公爵令嬢としてどこかに嫁ぐことは承知の上でしたが、もっと地味…素朴な男性と慎ましやかに生活したかったのです!!それがあれよあれよという内に令嬢たちの熾烈な奪い合いの渦中にあるような王太子殿下の婚約者に選ばれて、王妃教育なんてものも始まってしまって……。あら、実は私、かなり不運なのでは?
はぁ…。私、これからどうなってしまうのでしょうか。
「───ユ…ミーユ!カミーユ!!」
突然名前を呼ばれ、はたと顔をあげると、目の前には数日前に会ったばかりのエドの顔がありました。
「え……あら、エドワード殿下?どうしてこちらにいらっしゃるのですか?」
「公爵と今後の話をしに来たのです。あの脳内が花畑の兄上ではまともに話が出来るわけがありませんし、まだ陛下が動ける状況ではありませんので。若輩者で申し訳ありませんが……」
「いえ、殿下はとても賢くて素晴らしい方です。殿下が来てくださって嬉しく存じます」
部屋の隅にはエドを案内してきた私付きでない侍女と、エドの護衛であろう大柄な従者、私も顔馴染みの側近の3人が控えてらしたので、公爵令嬢として正しい言葉を選びました。
それに気づいてくださったのか、エドは護衛の方に下がるように命じたので、私も私の素を知らないその侍女には退室してもらいました。部屋に男性2人と令嬢1人だけというのは世間体が悪いということで、メアリーにも来てもらってから部屋の扉を閉めます。
パタン。その音が合図でした。
「カミーユ。思っていること、何でも聞かせてください」
「エドっ…!私、わたくし……」
「はい」
「ここまで好奇の目に晒されるのは初めてなのです。こんな…こんなに目立ってしまうなんて、もう嫌なのですぅぅぅ……!!」
私はまたしても情けない声でエドに胸の内を明かしました。エドは本当に年下なのかと疑ってしまうほど広い心で私の話を聞いてくださいました。
「カミーユは王太子の婚約者として既に目立っていたのではないですか?」
「それとこれとはわけが違うのです。今まで彼らが見ていたのは『王太子の婚約者』であって、私自身ではありませんでしたわ。しかし、今興味を持たれているのは私の人となりなのですよ。こんなに自身に目を向けられているだなんて想像もしたくありません……」
そんな私の泣き言を聞いて、エドは難しい顔をして考え込んでしまいました。
「……目立ちたくはないのか」
「……エド?」
「大丈夫ですよ、カミーユ様。この顔のときの殿下は大体くだらないことを考えていますから」
「くだらないとは心外だね、ユース」
部屋の隅に控えていた側近のユース様が私ににっこり笑いながら声をかけてくださいました。きっと、エドに迷惑をかけたかもしれないと不安になった私の心情を察してくださったのでしょう。
彼は長らくエドに仕えているのでエドも心を許しており、私とも顔見知りです。私の醜態を見ても「僕も殿下もカミーユ様の味方ですよ」と言ってくださるとても優しい方です。こっそり、お兄様がいたらこんな感じかしら、と思っています。
「殿下、外から埋めていくのはもう無理ですね?」
「……わかっているよ」
少しからかうようなユース様に、エドが拗ねたようなそぶりを見せます。口を尖らせると、いつもの大人顔負けなエドが年相応の男の子の顔になりました。可愛らしいですね。
「ふふっ」
「あ、やっと笑いましたね、カミーユ。……ユースに取られたような気がするのは不本意ですが」
あら。そういえば私、最近はエドに愚痴ばかり零してしまって、あまり笑っていなかったかもしれません。エドと一緒にお勉強をしていた頃は楽しく笑い合うことのほうが多かったのですが。
……せっかくエドが心配して来てくださっているのに、余計に心配させるようでは駄目ですね。一応私の方がお姉さんですので。小心者だからって悲観的になりすぎて、それを年下の男の子にグチグチ言うなんてことは自分にとっても良くないです。
「久しぶりにエドの素の表情が見れて嬉しかったのですよ。いつもの余裕の表情も素敵ですけれど、それ以外の表情も私は好きですから」
「す…すっ!?……あ、ありがとうございます。僕もカミーユの笑顔が…その、素敵だと思うので、もっと笑っていて欲しいです」
エドの可愛らしい表情で和んだのです、とは年頃の男の子に対して失礼なので、オブラートに包んでそのことを伝えます。それを聞いたエドは、何故か一度固まりました。そしてエドらしからぬ、ぎこちない口調で、しかしとても嬉しいことを言ってくださいました。
「笑顔が素敵」だなんて言われたのはいつぶりでしょう。いつもは「冷淡令嬢」の仮面を被っておりますので、そんなことを言ってくださるのは、本当に私に近しい方々だけなのです。信頼しているエドに、そのように言ってもらえて少し照れてしまいます。……エドがぎこちなかったのも、褒められて照れてしまっていたのでしょうか。そう考えたら納得できますね。
私とエドが2人で照れ合っていますと、ユース様が笑うのを堪えるように口を抑えていました。その隣でメアリーは嬉しそうにこちらを見て微笑んでいます。エドがその視線に気づいてユース様を軽く睨みました。……ユース様、流石にからかいすぎですよ。
「エド。今日はわざわざ来てくださってありがとうございます。私はエドに助けられてばかりですね」
「そんなことありません。むしろ僕の方が……いえ何でも。僕は何があってもカミーユの味方です。貴女ができるだけ目立たず、平穏な日々を過ごせるように尽力します」
そう言って、エドは私の手を取りそっと口付けをしてくださいました。男の子の成長ってこんなに早いものなのですね。幼少期の天使のように可愛らしいエドが、とても頼りがいのある大人の男性になってしまいました。嬉しいような戸惑うような複雑な気持ちです。それを意識してしまい、頬が少し熱くなりました。ちょっと罪悪感を感じます……。
「あ…エドも何か悩みがあればなんでも仰ってくださいね。微力ながらお手伝い出来ればと思っておりますので……!」
頬の熱を誤魔化すように、努めて明るい声を出しました。…この言葉は本当ですよ。私だって優しいエドのお役に立ちたいのです。恩返しもしたいですし。
「ありがとうごさいます。では、僕が困ったときは真っ先にカミーユに助けてもらうことにします」
「はい!なんでもいたしますからね!!」
エドは私の言葉ににっこりと笑みを深めて、「約束ですよ」と言い残すとユース様を連れて部屋を出ていかれました。この後もやることがたくさんあるようです。王子様は大変ですね。……王太子殿下は恋だ愛だと楽しそうですけれど。
こんなこと、小心者は言えませんけどね。そんな皮肉の効いた言葉、思っていても恐ろしくて口にできません。
……なんだかもう、社交界とか王太子妃とか、どうでもよくなってきました。公爵領で慎ましやかに暮らすというのもありかもしれません。お父様とエド、穏便にことを運んでくださるといいのですけれど……。
*******
お父様とエドは、それ以降も頻繁に会っては何やら話し込んでいらっしゃいました。きっと婚約破棄の件なのでしょう。家と家との契約ですので、それを破棄するとなると手続きが大変なのかもしれません。
私はというと、社交界ではつまはじきものになってしまいましたので、時間だけはありました。王妃教育もありませんし、久しぶりに家でのんびりできています。……悪目立ちしたこと以外は婚約破棄万歳ですね。それでも、公衆の面前で目立ったことをしたフレデリック様にはお恨み申し上げますが!
刺繍をしたり、読書をしたり、お父様とのお仕事が終わったエドとたわいもない話をしたりと、この数年の中で一番穏やかな生活を送れている気がします。
エドは、本当に優しくていい子です。手の甲に口付けられたあの日から少し、本当に少しだけ意識してしまってぎこちなくなる場面がありますが、そんな私を怪訝に思う素振りもなく楽しくお話してくださるのです。嬉しい反面、そんな彼を意識してしまった後ろめたさがありますよ……はい。
まあ、元婚約者と義弟の関係ですから!これ以上話がこじれないように、昔からの友人くらいの感覚で接した方が良いのでしょう。……友人というより保護者かもしれません。エドはいつも助けてくれますので。
さて、今日はあれの続きをしましょうか。
「メアリー、お裁縫箱を持ってきて」
「はい、こちらに。お嬢様、本当に素敵なデザインですね」
「ふふふ、ありがとう。いつも泣き言ばかり聞いてもらっていたから、そのお礼にと思って」
「きっと喜んでもらえますわ」
メアリーに持ってきてもらった裁縫箱から刺繍セットを取り出し、ハンカチの余白を色鮮やかな糸で埋めていきます。多分今日でこの作業も終わるでしょう。
私は今、エドへのお礼にハンカチの刺繍をしているのです。真っ白なハンカチの右下に、エドの瞳を思わせる深い青の糸と、キラキラと輝くその金の髪を彷彿とさせる金糸を使い、薔薇の花を刺繍していきます。2本の薔薇がクロスするようなデザインです。ひと針ひと針丁寧に。エドへの日頃の感謝の気持ちを込めます。
「で、できたわ!」
「まあ、お嬢様!とても繊細で美しい刺繍です!エドワード殿下もお喜びになること間違いなしですわね」
完成したハンカチを覗き込んだメアリーも声を上げて褒めてくれました。私としても、納得のいく出来です。今日、エドがいらっしゃったときにでもお渡ししましょう。まだ婚約破棄の手続きは終わっていないようですが、これは、ここまで沢山助けてもらった分です。手続きが終わったあとのプレゼントはまた考えます。
メアリーと2人でキャッキャッとはしゃいでいると、扉がコンコンとノックされました。メアリーが扉のそばに寄り「どなたでしょうか」と問います。その問いに答えたのは、私が待っていた人でした。
「エドワードです。カミーユ、少しだけ時間をくれませんか?」
「え、ええ。もちろんです!少々お待ちくださいませ」
私は慌てて広げていたハンカチを綺麗に畳み、メアリーに、エドに部屋へ入ってもらうようにと指示をしました。
「エドワード殿下、お待たせしてしまい大変申し訳ありません。どうぞこちらに」
そう案内されて入ってきたエドは、少し申し訳なさそうに笑っていました。……何かあったのでしょうか。いつもよりも早い時間にいらしてますし。
「あの、エドワード殿…」
「エドでいいです。ここには僕と貴女方2人だけですので」
「エド。何かあったのですか?」
「……カミーユ。貴女に謝らなければならないことがあるのです」
そう言うと、エドは一度言葉を止めて目を瞑り、何かを決意したように瞬きをしてから再び口を開きました。
「今日、貴女と王太子フレデリックの婚約破棄が受理される予定です」
「そうなのですね!ありがとうございます!!」
私は素直に喜びましたが、エドは浮かない顔です。
「ただ、貴女の望む平穏は保証できないかもしれません」
「え……?あの、それはどういうことなのでしょう」
「兄上との婚約破棄の条件として、フレデリックの廃嫡、及びウアキル男爵家へ婿入りが条件付けられたからです。つまり王太子に空席ができます。そして王太子妃も」
「それは、つまり……」
「カミーユの名誉回復に重点を置いたので、そちらは飲まざるを得ませんでした。ですが、いずれまた解決策を──────」
私はぱちぱちと瞬きをしました。とても驚いているのです。エドとメアリーが私を心配そうに覗き込みます。
「……驚きましたわ。私、また王太子殿下の婚約者にならなければならないというのに、嫌な気持ちは全くありません。常に人の目に晒されるのは恐ろしいですが、それも何とかなりそうな気さえしています」
今度はエドが目をぱちぱちも瞬かせました。彼も驚いているようです。今まで「目立つことは怖い!」と喚いていた私が急にそんなことを言い出したからでしょう。
「カミーユ、その、何故嫌ではないのですか?慎ましやかな生活が送りたいと……」
「それは、お相手がエドだからかもしれません。確かに私は小心者ですが、傍に絶対的に信頼出来る人がいてくだされば別です。エドとなら、どんな困難も乗り越えられると思うのです」
「カミーユ…困ったな……」
「な、なにかお困りごとが!?」
「はい、カミーユがあまりに可愛いことを言ってくれるので、今から王宮であの馬鹿兄上の相手をするのが億劫になってしまいました」
「かわっ…!あの、エド!?」
「そういえば、僕が困ったときは何でもしてくれるのですよね?」
「え、は…はい」
「では……いえ、もしお嫌でなければで構いません。少しだけ、肩を貸してください」
「あの、それはもちろん構いませんが」
「ありがとうございます…」
そんなやり取りの後、私の肩にエドの頭が乗せられました。予想外のことで硬直する私に構わず、エドはさらに顔を埋め、私の髪をサラサラと指で梳きます。エドの息遣いが間近で聞こえ、先日の手の甲のキスを思い出した私は顔を真っ赤に染め上げることしか出来ませんでした。……駄目です、これは、完全に意識してしまっています。ちらりと見えたエドの耳も朱色に染まっているのを見てしまっては、私はもう何も考えることが出来なくなって、エドが離れていくまで、ぼうっと立ち尽くしてしまったのでした。
「カミーユ」
「……はい」
「僕は卑怯な人間です。貴女の気持ちを知るのが怖いくせに、貴女が逃げられないように囲おうとしています。そして、そうは言ってもそれをやめる気がないのです。貴女の望まないことかもしれないのに」
「…エドにはエドの考えや思いがありますわ。私はそれを信じています。それに、私が望むものは私が決めます。……大丈夫です、私はいつまでもエドの味方ですから」
いつもエドが私に言ってくださった言葉。この言葉に私は何度救われたことでしょうか。
「これ、お守り代わりにお持ちください。刺繍入りのハンカチです。日頃のお礼としては足りないですが……」
エドは目を丸くした後、顔をくしゃりと歪めて笑ってくれました。そして「ありがとうございます」と言って受け取ってくださいました。
「……カミーユ、この婚約破棄が受理されたら話したいことがあります。ここで、待っていてくださいますか?」
「ええ、もちろんですわ」
2人で見つめあって、それからふふっと笑い合うと、エドは部屋を出ていかれました。
*******
「お待たせしました、カミーユ」
「いいえ、私も今来たところです」
我が公爵家の誇る庭園でエドと会うことになりました。外はもう日が傾き始めていて、少し肌寒いです。それを見兼ねたエドが上着を貸してくださいました。……私が着るとぶかぶかです。エド、いつの間にかこんなに大きくなっていたのですね。身長も、もう私より少し高くなっているので、当然といえばそうですが。
「あの、婚約破棄の件は……」
「はい。無事…というのもなんですが、きちんと受理されましたよ。馬鹿は廃嫡されますので、もうこちらには関われないでしょう」
「エド、この度は本当にありがとうございました。これでもう彼らに巻き込まれる心配はありません」
私はエドに深く頭を下げて感謝を述べました。エドは困ったように笑うと、私の肩にそっと手を置いて顔を上げさせました。
「カミーユ、礼には及びません。それよりも、貴女に伝えなければならないことがあります」
「はい」
エドがこれから言うことは、正直胃がキリキリと痛むような話なのでしょう。ですがハンカチを渡したときから、私の、小心者なりの覚悟は決まっておりました。小さく頷いてエドの言葉の続きを待ちます。
「フレデリックの廃嫡及び婚約破棄を早急にするためには、いくつか貴女に強いなければなりないことがありました。……そして、僕はそれを受け入れました。まずは、貴女の了承を得ずに判断をしたことを謝罪させてください」
エドはそう言って、苦しげに顔を歪めました。その表情を見ていると少し悲しくなります。私は、エドにそんな顔をして欲しいわけではないのです。
「ですが、」
エドはもう一度言葉を紡ぎます。
「弁明させてもらうとするならば、余裕がなかったが故の強行でした」
「……余裕?」
「貴女がフレデリックの婚約者になったことは最初から諦めていました。僕の気持ちは実らずとも、幸せな貴女を家族として見られるのであればそれで良いと。しかし、奴が他の女に骨抜きになったという話を知ったときから、貴女を不幸にするようなことをやらかしかねないと感じていました。……それなのにも関わらず、奴が婚約破棄をしたがっているという話を秘密裏に聞いたとき、酷いことに僕は少し喜んでいました。貴女を上手く助けられたら、カミーユはもう誰の婚約者でもないと、そう思ってしまったのです」
「しかしあの日、婚約破棄をされている貴女を見たら、そんな気持ちは吹き飛びました。高潔な貴女をあんな下衆に侮辱された怒りが抑えられませんでした。貴女の汚名を晴らしたくて、僕は柄にもなく取り乱し暴走してしまいました。……あの時ばかりは冷静ではありませんでした。公爵にも無茶を言い、強引なこともしました」
エドはそう言い終えると、ふうと息を吐き、私を見据えました。その深い青の瞳には、何か強い決意が宿っているように見えました。
「今更こんなことを言っても困らせることは分かっています。僕は貴女の望むものは与えられない。それなのに貴女を簡単には逃れられなくしたのですから。……それでも僕は貴女の傍にいたい。弱音は僕にいくらでもさらけ出して欲しい。貴女を害するものは全て排除します。だから……」
「エド。貴方に渡したハンカチ、今お持ちになっていますか?」
言葉に詰まったエドに、私は声を掛けました。エドは戸惑いながらも、胸ポケットから綺麗に折りたたまれた薔薇の刺繍のハンカチを取り出しました。夕陽に照らされて、金糸の薔薇がキラキラと輝いています。
私はエドのハンカチを持つ手にそっと自身の手を重ね、薔薇の刺繍を指でなぞります。
「薔薇の花言葉はご存知ですか?」
「……すみません。花言葉の存在は知っているのですが」
「ふふ。男の人はそうですよね。……金の薔薇には『希望』、青い薔薇は『奇跡』という意味があります。エドはいつもビクビクしている私にとって唯一の希望でしたし、私の不安をまるで奇跡を起こしているかのようにあっという間になくしてくれます。本当に、いつも助けられているのです」
「……僕はそんなに出来た人間ではありませんでしたよ」
私の言葉に、エドは自嘲気味に薄く笑って答えました。そんな顔は見たくはないので、エドにぐいと近づき、バクバクと脈打つ心臓をなんとか抑えて言いました。
「エドが引け目に感じているのは、私がまた目立ってしまうということですか?」
「…カミーユは過度に目立つことは苦手でしょう」
「はい、多くの人に見られるのは恐ろしいと感じます。ですが、それなら大丈夫ですわ」
「え…何故?」
エドは目を見開き、ぽかんとしています。少し幼くなった表情に、私はほっと胸を撫で下ろしました。
「薔薇は本数にも意味があるのです。2本の薔薇は『世界に2人だけ』。私の世界にはエドしかいません。それなら、他の方に見られるなんてことはありませんわ」
私は深く息を吸うと、覚悟を決めました。
「つまり、私はエドのことしか見えていないのです!幼い頃から辛くて苦しいときには、ずっと寄り添ってくださったエド。私の素を見ても受け入れてくださったエド。大人顔負けの『エドワード殿下』の顔も、年相応の『エド』の顔も、どちらも私の大切な心の支えです。こんな世界で、何を恐れるというのでしょう」
本当は、まだ人の目は怖いけれど。きっとまた、弱音を吐きたくなるけれど。でも、それよりもエドが離れていってしまう方が100倍不安で悲しいのです。
今までだって、エドがいてくださったから何とかなりました。ですから、エドさえいてくだされば、私はきっと大丈夫だと思えてきます。
エドは目を見開いて固まっています。……そんなに私の言葉は予想外だったのでしょうか。いや、いつも怯えている私からは考えられない発言だったのかもしれません。私だって、数日前までは気づいていませんでしたから。
エドはやがて、ゆっくりと私に視線を合わせると、ぽつりと零しました。
「僕に…この国の王太子に、『愛している』と、『共にいてほしい』と乞われても良いのですか」
「王太子殿下に乞われるのでは恐れ多すぎて嫌です。私は、エドからその言葉を頂きたいですわ」
エドは私の手を取って片膝をつくと、私を真っ直ぐ見上げて笑いました。
「では、カミーユ。ただのエドとして、貴女を愛しています。ずっと昔から。僕と生涯を共に過ごしてくださいますか」
「はい。私もエドを愛しています」
「カミーユ……!」
エドは立ち上がると、私の手を引き寄せて強く抱きしめました。もう少年ではない、その力強い胸の中に閉じ込められて、私も背に腕を回してみます。茜色の夕陽に包まれて、私の真っ赤な顔がばれていないといいのですが。
穏やかに、平穏な日々。これで一気に遠くに離れていったような気がしますが、2人でなら何とか乗り越えられそうです。
「大丈夫ですよ、カミーユ。少し面倒くさい肩書きがあって、執念深いですが、それ以外は貴女が好きで堪らないだけの普通の男ですから」
エドの今までで一番いい笑顔に、私は背筋がすうっと冷えたような気がしました。……気のせいでしょうか。考えるのはやめましょう。
今はただ、このあたたかい鼓動を感じることだけに集中することにします。
*******
「いやあ、素敵だったねぇ!」
「そうね!特に婚約者に裏切られたお姫様がその弟に愛されていたことに気づく場面なんてもう……!」
「彼も一途よねぇ!」
劇場から出てくる女性達の声はとても楽しそうです。庶民から貴族まで皆が夢中になっているという演目が終わって、その感想を語り合っています。
そんな彼女達の後ろ姿を、お忍びで来ていた私は呆然と見送りました。
「……エド。この演目は、まさか」
「ん?今巷で人気の姫と公爵家の次男の純愛物語ですが?」
「絶対に!モデルがいますよね!?見る人が見ればすぐに分かります!!」
「……ふふ。名前も身分も変えているからいいじゃありませんか。奴からの略奪婚だとは思われたくないですし。それにカミーユは、僕が困っていたら何でもしてくれるのでしょう?」
「そっ…そうは言いましたが!目立ちますし、私はあんなに美しい姫ではありませんわ!更なる重圧が……」
「僕が貴女を美しいと思っているのだから問題ないでしょう?だって、貴女の翡翠の瞳には僕しか映ってないんですから」
「美しくて愛しい僕のカミーユ。2人だけの世界で、なんの重圧があると言うのです?」
押し問答の末、そう耳元で囁かれてしまえば、私はもう無言で耳を赤く染めることしかできません。……エドはこれをわかってやっているのですから、悔しいです。
「〜〜〜っ!!」
「ほら、お姫様。そんな可愛い顔は僕だけに見せてくださいね」
そう言って、エドは私を抱き寄せました。私の栗色の髪に指を通し、口付けを落とします。
そうしますと、当然ですが周囲の目が一斉に私達を捉えるわけでして。
女性達はきゃあと黄色い悲鳴をあげ、男性も冷やかしの言葉を投げかけます。きっと彼らは、私達が王族だなんて思ってもいないのでしょう。
「……ふむ。お忍びでなら公然といちゃつけるんですね…」
エドの呟きが聞こえました。とても悪い予感がします。
確かに私はエドに大丈夫だと言いました。言いましたけれど!それでも、この好奇の目に晒されるのは、まだ恐ろしいのです!
盛りに盛った観劇にまで発展してしまった私達の物語は、もう取り返しのつかないところまで来てしまったようです。
後悔はしていませんが、どうかこれだけは言わせてください。
「皆様のご期待に沿えない小心者ですみません!!!」
お読みいただきありがとうございました!
評価、感想などいただけると励みになります(*^^*)
追記
誤字報告ありがとうございます!!!