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悲痛で懸命な精悍に白と黒




「もう大丈夫。逃げるのは終わり」


主と呼ばれる者へ会いに行くために、碧の城下町から北門を出てジュキアは呟いた。そして目を閉じて大きく息を吸い、歩き始めた。初めての遠出とあって、詰め込んだ荷物は多少多く見える。主が居る樹の世界と言われる場所へは、城壁から連なるように聳える岩壁を迂回して行くことになる。彼を迎え入れるかのように、吹き抜ける風は穏やかだった。道なりに進んでいくと、遠くの方で争うような声が聞こえた。その方へ進んでいくと、刃物をちらつかせながら男達が荷車を囲んでおり、荷車の脇に女性の姿もあった。これにジュキアは襲われていることに気付き、そこへ飛び込んで行った。男の肩を踏み越え、荷車を置き去りに女性を抱えてその場を離れた。


「ちょっと戻って!荷車におじさんがまだいるの」

「ええっ、じゃあここでちょっと待ってて」


女性と荷物を道脇に降ろしてから程なく、ジュキアは無傷で戻って来て荷物を背負った。そして先を急ごうとする彼に女性が声をかける。


「おじさんは?」

「荷車にさっきの男達を乗せて、碧の国へ行ってもらった」

「良かった、ありがとうございます。あなたは騎士?」

「うん、下っ端だけど。もう少し王国に近付けば、巡回中の騎士もいるから大丈夫」

「違うわ、私は樹の世界と言われる場所へ行きたいの。お願い、そこまで連れていって」

「おれもそこへ行くところだけど、多分あんた入れな…」

「いいから連れていって!それにあんたじゃないわ、私の名前はシェリー。あなたは?」

「ジ、ジュキア」

「よろしくお願いします。さあ、急ぎましょう!」

「待って、すごく言いづらいんだけど。そっちはあんたが来た方向」

「わ、私にはシェリーって名前があるのっ」


半ば強引にシェリーの同行を許すことになった彼は、初めて出会ったはずの少し顔を赤らめながら照れる横顔に、以前から知っているように感じた。川沿いに休みつつ、二人は樹の世界を目指して道なりに進み、二日ほど経った頃道なき道へ入って行った。それはまるで誘い込まれるかのように、二人はただ進んで行った。進めば進むほどに木々は大きくなり、碧は深くなっていく。


「おかしいな。普通の人は入れないはずなんだけど」

「魔法が使えるからかしら」

「でも白の国では、みんな使うって聞いたけど」


不思議に思うジュキアに、小さな氷を出して見せるシェリー達の前に、静かな湖が広がる畔に樹の家のようなものが見えてきた。吹き抜ける風に木々が話すような音が満ち、息を飲むほどの静けさに二人が圧倒されていると、一人の男が現れた。


「やっと来たか。待ちくたびれたぞ。あ、お嬢さんは流石だね」

「あなたが、主か?」

「主さんなら教えてほしいの。母のことや他にもたくさん。私だけでは、もうどうすることも出来ないの」

「お嬢さん、いやシェリー。教えるとは少し違うが、君に与えられているものを知らせてやる」

「それはどういうこと?」

「君は今の君の思うまま、行動すればそれが最善だ。君や君の周りの痛みを伴う事実には…」

「おい、無視すんな!」


迎え入れるように彼女に話しかけ、投げ捨てるように彼を省くような二人の扱いに明らかな違いをつける主に、ジュキアが話を割って入った。


「黙れ!私が話しているだろう。無視していたのは誰だ、私か?自分を無視し、逃げ回り投げ出し全てのものから目を背けていたのは、お前だろう!思い出したなら少し黙っていろ」


歯を食い縛り少し視線を落として、自覚したことを表情に出し、彼は口を噤んだ。そして主はそんな様子に目を向けることもせずに、また彼女に話始めた。


「すまんな。続けるよ。君や君の周りで痛みを伴う事実が起こるが、それは君と同じように運命を与えられている者達がそれを受け入れないことが原因な事が多い。後ろで不貞腐れているような馬鹿のな。お母様のことも、その他も。本来はあまり起こりえない現象だけど、今は少し特殊でね。君は君のまま、そのままでいい。私から言えることは君は君を失わないように意識すればいい。君が君であれば、それが最善だ」

「お母様の病気のことも?」

「そうだ。厳密に言えば病気だが、正確に言えばあれは呪いだ。白の氷歴を見たことは?見方は様々にあるだろう。でも彼女にとって納得のいく結果になるよ。君の呪いが解けていることも様々に見方はあるだろうがね」


涙を浮かべ、口を噤む彼女を見て主は目を逸らすように彼のほうを見た。目を合わせたそれは、これもまた目を逸らしてしまいたくなるほど、澄みきった目をしている。主は目を伏せるようにして、話始めることにした。


「よくもまあ、随分と逃げてくれたじゃないか。それはそれで、誉めてやろう」

「時間が惜しい。早く教えてくれ」

「お前が逃げ回ったせいでな。勝手なやつばかりだな、人というものは」


溜め息をつきながら話す主に、涙を堪えきれずに謝りながらうつ向きつつも、ジュキアは自分の運命を尋ねた。大事な友達を連れ戻しに、急がないとそれが叶わなくなると訴えるそれに、主は吐き捨てるように言った。


「その願いは、叶わんよ」

「やってみないと、わからないだろ」

「何故ならば、彼はそれを望めない。お前が逃げ切れなかったように。それに、お前はそれを乗り越えた先にある事柄や、

これまで感じた様々なものを踏まえて選択を迫られる。

先に言っておく、お前の後はない」


言い返すような彼の言葉を遮るように、主は言葉を被せた。それを聞いた彼は、人知れず心の臓器が大きく鼓動したのを感じた。自分の持ち得る力が、どういうものなのかを感じていたからだ。


「やっぱり、そうなんだね。この力は何かを守るために使うには鋭すぎるから」

「当たっているが、少しずれてる。それは、お前次第だ。それに、その力をお前に与えたのは私だ。彼女は、いや彼は、どっちでもいいか。あいつはその力を使って、お前達を滅ぼそうとした。私はずっとお前達を見てきた。だから、仕方がないかとも思ったがどうも納得いかなくてね」


膝をついて視線を落としながら話す彼の周りを、歩き回りながら主は話を続けた。そして側にいる彼女は、彼等を静かに見守っていた。


「お前が何もしなくとも今、人は滅びる方へ向かっている。それが人の選択したことと受け取っている。シェリー、君が私に聞こうとしまいと隠している青年のことだ。彼は生きている。そして罪を独りで背負い、それを罰として与えるつもりだ。彼の見てきたものを、見せる」


主は二人に瞼を綴じるように促すと、ふわりと手を翳した。目を閉じた二人は、その青年のこれまでを端的に目の当たりにした。思いは違えど、二人の中で大きな感情がぶつかり合い、シェリーは涙を堪えきれなかった。


「今のは彼の中で、強く残っている記憶だ。もう一度言うが、お前の後はない。色々と言いたいことはあるだろうが、受け入れてくれ。碧の国の外れ、白の国付近にある街に彼等は向かっている。どうするかは、お前たち次第だ」

「もちろん私も向かうわ。ジュキア、私も連れていって!」


それを聞いた彼女は涙を拭い、ジュキアの腕を取った。戸惑いながら腕を引かれる彼を、主が引き留め伝言を頼んだ。


「誰に言うんだよ」

「行けば分かる。急げ。逃げ回った分を、取り戻してこい」


そして再び腕を引かれて彼はその場を後にした。彼等の姿が見えなくなった後、主はその場に仰向けに倒れ身体を伸ばしながら呟いた。


「あー、疲れた。いい加減、機嫌直してくれよ」


その頃白の国ではシェリーが居なくなった後、シエナが城から人を追い出して、氷で全てを閉ざしていた。自らも凍りついたように微動だにせず、呼吸の音も無音に沈む中一人、静かに女王に座している。その静寂を崩さぬよう裂かれた空間からリシアが広間に現れた。そして城の外では、凍りついた城門に触れ、黒鋼の騎士が佇んでいた。


「失礼、わ・・・」


声を掛ける間もなく、女王は容赦なく目障りな者へ氷柱を浴びせた。そして呆気なく、氷柱で捕らえた者へ女王は問いかける。


「何用か」

「容赦ない、我はリシア。女王、貴女をその座から下ろそうと碧の国で動きがある。許されるなら、我らに力添えをさせてほしい」


両の手足を抑えられ氷柱を喉元へ突き付けられる中、リシアは言葉を絞り出した。それを鼻で笑い否定する彼女へ、氷柱を突き付けられている者は、さらに続けた。


「貴女は今、たった独りだ。周りは、今が好機と貴女の座を狙っている。零法の騎士と謳われる貴女の弟も例外ではない」

「いいえ、あり得ないわ」

「あり得ない等ということは、あり得ない。彼は幼き頃からもう、碧の者。気付いていたはず、今貴女は独りだ」


少し声を荒らげる女王に、苦しみながらも淡々と彼は話続けた。それを聞き、女王は喉元へ突き付けている氷柱を外した。


「そう、あの子も私を見捨てたのね。本当に、独りなのね」

「いや、我は貴女を独りにはしない。我の代わりに、貴女の側へ一人置いておきたい。中へ、入れてやってくれないか?」


女王は彼の言葉を受け入れ、閉ざしていた扉を崩した。そしてようやく、外に居た黒鋼の騎士が城へ入ると、扉のあった場所は氷で閉ざされてしまった。


「これで、満足だろ」


彼は騎士にそう呟き、ふらつきながらその場を後に別室のベッドへ倒れ込んだ。扉が閉まる音のあと、静寂に鎧が踏みしめる音を響かせながら、騎士はゆっくりと女王の前まで歩み、無表情に見つめる彼女へ膝をついた、兜から見える顎もとに涙を流しながら。翌日白の城塞のその奥にある山にある、白の氷歴と云われる場所にリシアは訪れていた。そこには数多くの大小や形状様々な氷壁が、無造作に並べられていた。そしてその氷壁へ目を凝らすと、中で人が凍りついている。女が男の足首を掴みそれから逃れようとしている物や、男が刃物で切りかかろうとし、それに抵抗の素振りもなくへたり込み、涙を流しながらただ男を見つめる女など。どの氷壁の様子も、悲痛なものだった。それらを一通り眺めた後に、軽く嘲笑いリシアは氷歴の洞窟から出ていった。


「魔法士たちは貴女の護衛に。我は魔法兵を使いたい」

「お好きにどうぞ」


リシアが魔法兵に魔力を注ぎ始めた頃、白の国付近にある街では獄炎の騎士とノアが黒兵を率いて襲撃を始めていた。常駐の騎士たちが応戦するも、全てにおいて上回る黒兵たちに次々と倒れていった。その最中、逃げ惑う人が足を止め黒兵に向かって泣き叫んでいた。


「今までどこに居たのよ!どうしてそんな姿をしているの」


それに対して黒兵は躊躇なくそれの命を絶った。それを見ていた周りの人々は、その者をより非難し罵声を飛ばし、逃げ遅れたものはその者に殺されていった。どのような事情や経緯があったのかは分からない。しかしその者が数少ない味方を判別出来ない者へなったということと、その表情から感情を失った哀れな者になったことを表していた。多数の騎士が倒れ、残っている騎士たちが囚われ黒兵を引き上げようと獄炎の騎士が動き始めた頃、ようやくジュキアたちが街へたどり着いた。整列して移動していく黒兵に気づかれぬように、二人は街へ入っていった。建物は壊れ、至るところに血が飛び散っている様を見て、自然と二人の表情は張詰めていく。そしてついに、二人は獄炎の騎士を見つけた。物陰に隠れながら接触の機会をうかがっていると、獄炎の騎士の側へノアが飛び込むように現れた。そして彼へ何かを伝えたかと思うと、二人の隠れるほうへ振り向いた。


「誰だ、出てこい」

「おれだ、マグ」


ジュキアが姿を見せると、彼は炎の斬撃を飛ばした。ジュキアはそれをかわした後、シェリーへ出てくるなと合図を送り、獄炎の騎士はノアへ黒兵を任せると伝えた。双方ともにそれを聞きいれ、シェリーは身を潜めノアはその場を後にした。


「へえ、少し雰囲気が変わったな」

「それはお互い様だろ。マグ、帰ろう。帰ってもう一度ちゃんと勝負しよう」

「勝手な奴だな」


呆れたようにそう呟くと、獄炎の騎士は先に飛ばした炎撃よりも広範囲のものを放った。それに空かさず発光したジュキアはシェリーの前方に立ち塞がり、炎撃を叩き防いだ。後ろに居るものの無事を確認した後、自らに落雷させジュキアは友へ向かって行った。


「急に落雷なんて。…雷。雷だ‼」


黒兵を率いて引き上げようと街を出ていたノアだったが、落雷と衝動に導かれるようにそのもとへ駆けた。呼吸に鼓動は激しくなり、握り締める拳にはより一層力が込められた。そしてそれは標的を捉え、雷を纏い友へ向かう者の胸元へ叩き込まれた。


「アイツは騎士か」

「一応な」

「雷の騎士か」

「そうみたいだな」

「アイツ、僕にやらせてよ」


吹っ飛ばされ瓦礫に埋もれる者を他所に、彼はその方から視線をずらすことなく獄炎の騎士に問いかけた。そして彼の様子に獄炎の騎士は剣を納めた。


「ジュキア、おれと闘いたいなら紅の国にある紅山へ来い。そこで待っててやる」


ジュキアが瓦礫から這い出す頃には、獄炎の騎士はもう離れた所を歩み、彼との間には怒りに満ち溢れ自身を睨み殺さんとするノアが立ち塞がっていた。


「どけよ」

「君は僕が殺す。でも簡単には殺さない。楽に死ねると思わないでね」

「どけよ!」


言葉を放ち雷を迸らせる彼に、ノアは真正面から突進していった。いつものように爪を鋭く尖らせることはなく、ただ拳を作り殴りかかる。真正面からとはいえとてつもない速さの突進にも関わらずそれを交わし、ジュキアはそれの腕を掴まえ投げ飛ばした。ノアは大きな建物を崩壊させながら二つ目の建物でようやく体勢を立て直し、獄炎の騎士を追おうとする彼へ飛び掛かり、後ろから押さえ付け殴り飛ばす。そして立て続けに焔羅を叩き込むように放った。その状況を目で追いきれないでいるシェリーは、自らの身を守ることに努めた。


「勘違いしないでよ。今、君の相手は僕だ。逃がしはしない」

「邪魔すんなよ!どうしてあんたはおれを止めるんだ‼」

「数年前、獣人を瀕死にまでしたのを覚えているか」


沸き出る怒りを表すような震える声を抑えつつ問いかけるノア、そう問われ不意に半ば強制的にそれに目を向けさせられるような感覚が貫いたジュキアだった。


「ああ、覚えてる。でも襲われたのはおれの方…」

「あれは、僕の弟だ。大事な、弟だ。わからない痛みだろ。わからせてあげるよ」


ジュキアの言葉を聞くこともなく、また彼は敵に向かって飛び掛かかる。そんなノアの様子に、彼の中ではこれまでの事が駆け抜けるように思い出され、ようやく目の前の者を敵と認め剣を抜いた。


「どいてくれよ‼」


彼は叫びと共に頭上から連続して放たれた焔羅を交わし、突き抜けるように敵に向かって突き跳んだ。ノアはそれを見て爪を尖らせ剣を弾き、その音が鳴り止まない間に剣と爪の交錯する音が続いた。ジュキアは剣を囮に隙を作り、敵を蹴り落とした。そして落雷させ、さらに雷を纏いながら剣を降り下ろした。ノアはかろうじて回避したものの、電流で痺れる身体を無理矢理動かして、壁へぶつかり地面を転がりながらも、放たれる雷撃を避けることに徹した。上下左右しばらく避け続け身体の痺れを払えた頃、ノアは彼の正面へ姿を見せた。ジュキアはそれに空かさず雷撃を放った後に突進していった。雷撃を焔羅で防ごうとしたものの、左肘から先の感覚がなくなったノアは、雷撃を受けた事を装い突進してきた彼を掴まえ投げ飛ばした。そしてノアは標的を見定め、六羅の構えをとった。飛ばされながら身動きが取れない中、ジュキアは敵の仕草に身構えようとしたが、その時にはもう遅かった。逆方向から突然衝撃を受け、痛みと戸惑いも束の間四方から立て続けに焔羅が彼を突き抜けた。そして戸惑いから激痛に我に帰ると、目の前には自らに殴り掛かる敵。ジュキアはそれに為す術もなく思い切り左胸の辺りを殴られ、そのまま地面へ叩き付けられた。


地面を抉りながらようやく勢いが止まり、ジュキアが彼の方を見ると痺れる左腕を気にかけながら、ゆっくりと歩いて近付いてきていた。起き上がろうとした彼は、左鎖骨辺りから骨が砕かれ動くことすら間々ならないでいた。そして近づく彼の右腕は、骨を鳴らしながら敵を見据えている。


「まだ死んでないよね。まだ殺さない」

「いいえ、もう終わりよ。貴方の勝ち」


その言葉と同時にノアを分厚い氷が包囲した。そして迫るノアと地面を叩くように足掻くジュキアの間に、ずっと二人を見ていたシェリーが入っていく。


「いつの間に」

「あれだけ時間をもらえればこれくらいは出来るわ。もう貴方の勝ちよ。これ以上は、ただの暴力」


彼女の言葉に、無表情な彼は氷の壁を殴りつけた。その衝撃にそれが崩れそうになった事に驚きながらも、シェリーはさらに氷を厚く、そして身体を凍り付け彼の身動きを封じた。


「貴殿方獣人とはそんなにお力があるのに、どうしてそんな生き方しかしないのですか」

「邪魔だよ」


一歩、また一歩と迫る彼へひたすらに止めようと凍り付けにするが、氷を物ともせず彼は無理矢理彼女に向かって距離を詰めた。


「他にも、生き方はあるはずです」

「五月蠅い」

「シェリー、逃げて」


足掻きながらそう叫ぶ彼を他所に、彼女は一歩も退かずに訴えた。そしてついに、シェリーの目の前までノアは辿り着く。


「貴方のその首飾り、紅国の王子とお見受けします。今からでも、変えられないのでしょうか」

「うるさいよ!」


取り乱すように彼はシェリーの首もとを鷲掴み、睨み付けながら締め上げた。そして綻び零れる氷の破片と共に、彼は涙を溢した。


「どうすればいいんだよ。じゃあどうすればいいの。もう、じい様もいない。先生もいない。教えてよ、僕はどうすればいいんだよ‼」

「逃げろ。自分の為に生き、他を思え。お前の居たい場所はそこなのか」


地面に仰向けのまま彼を指差し、ジュキアはそう言った。


「どうして。どうして君が知ってるの」

「伝言頼まれたんだ。これ、多分あんたにだろ」


彼はゆっくりとシェリーを下ろしうつ向き、先程よりも凍りついたように動かなくなった。咳き込みながら彼女はジュキアに駆け寄り、魔法を使い傷を癒した。


「これ以上は私には治せない。一度碧の王国へ戻りましょう」


そして彼をゆっくりと起き上がらせ、彼女はまた佇む彼の前へ行った。


「貴方たちを率いる魔法使いはどこ?リシアは今何処にいるの」

「痛かったでしょ。ごめんね」


彼女の赤らむ首もとを見て、彼は謝った。全く問いには答えてもらえなかったが、それを聞いた彼女は何も言わずに、ジュキアと共にその場を後にした。


「また、氷か」


二人の後ろ姿が見えなくなると、彼は散らばる氷の破片を手に取った。それは彼の掌で、じわりじわりとそれは溶けていく。


「僕は、温かいんだね」


碧の国へ向かい始めた二人は街を出て、森の中を進んでいた。彼女に肩を借りながら歩くジュキアは、少し悔しそうに話始めた。


「シェリー、すごいね。おれはあいつを止められなかったのに。言葉だけで止めるなんて」

「でも私には、あなたのような身の来なしはできないわ。それに私なんてまだまだ。お父様とお母様のように立派になってみせる。王女として、一人の人としても」

「十分立派だよ。え、王女?」

「言わなかったかしら。私、白国の王女よ」


驚きと疑いと納得と様々な感情が絡まった彼は、彼女をそんな目で見直した。


「…王女」

「なによ。置いていくわよ」


そんなやり取りもありながら、二人はようやく碧の国へ辿り着いた。彼に気付いた騎士たちは慌て、城下町では彼女に気付いた人々が大騒ぎとなった。


「お前なあ、帰ってくるの早くないか?え、何でシェリーまで!?」


騒ぎを聞き付けて二人のもとへヴンドが駆けつけた。そして二人を城まで連れ、その後治療のためにジュキアは病室へ行った。そこには彼との戦闘での治療を受けるアンがいた。


「すみません、やられちゃいました」

「早くない?まだ十日も経ってないのに」


申し訳なさそうに横にされた彼に、驚きながらも彼女は安心したような表情をして話した。


「マグトナには会えたの?」

「はい。でもあいつにたどり着く前に、やられちゃいました」

「お前がそこまでされる奴が、まだいるのか」


二人が話している所へヴンドが来たこともあり、彼はノアのことを話そうとした。しかしその時、外で大きな音が鳴り響いた。以前の似たような出来事が過るヴンドが、二人を残し咄嗟に音の元へ急いだ。皆が騒ぐ中を掻い潜り、ようやく音の元へ辿り着いた。そして節々に氷を纏う彼との対面を果たす。


「前にも言っただろ。この門は、そんなんじゃ壊れない」


それを聞いた彼はより一層の力を込めて、拳を突き出した。それは先ほどまで大きな音が鳴り響いていた門を、抉り抜けるように突き抜けた。


「壊すつもりなら、そうしてるよ。扉を叩いたんだ。あなたが出てくると思って」


彼の姿とこじ開けられた扉に二人の進路を阻んだのが、目の前に居る以前とはどこか雰囲気の違うこの男だと、ヴンドは確信した。


「はあ、お前か。納得だ。それで、何の用だ」

「まだ、間に合うかな。自分の意思じゃないけれど、僕はたくさん殺したし、たくさん奪った。今さらだけど、間違った方法だと思う。もう、やり直せないかな。今からやり直すのは遅いのかな」


うつ向き加減に話すそれに対して、彼は少し考えながら応えた。


「何かをやり直すのに、遅いなんてことはない。早いに越したことがないだけだ。それで、おれに何の用だ」

「僕に、力を貸してほしいんだ」

「どういうことだ」

「たくさん考えた。自分の居たい所はどこか。でも、どこにもなかった。ただはっきりしているのは、今居る場所は居たい場所じゃない。だから作らないといけない。今居る場所から逃げる場所を探したら、あなたの所しか思い浮かばなかった。でもここへ、彼等は押し寄せる。紅に白に、黒も。僕一人じゃ止められない。だから、力を貸してほしいんだ」


彼の声を聞き目を見て、考えを巡らせるより直感に任せた方が早いと感じたヴンドだった。そしてそれを頼りに彼は応えた。


「いいぞ、入れ。但し、お前にも動いてもらうからな!」


ノアは彼へ向かって、碧に向かって深く頭を下げた。そしてヴンドは二人のもとへ彼を連れて現れた。それを見たジュキアは治療中にも関わらず、臨戦態勢に身構えた。それを見たアンも悟ったように身構える。


「何でお前がここに!」

「まさかやられたのはこいつ?あんた何で中へ入れたのよ!」

「んー、何となく」

「そんなところまでアドに似なくていいのよ!」

「お父様の話なら、私にも聞かせて?」


目まぐるしい雰囲気の中へ、着替えを済ませたシェリーがやって来た。その姿は気品に満ち溢れ、王女として一人の女性として凛としていて誰もが一時目を奪われた。


「あら、貴方も来たのね」


彼女は彼に微笑みかけ、そしてアンを見つけると駆け寄って飛び付いた。


「どうして会いに来てくれなかったの。もう何年も会ってなかったわ。とても嬉しい」

「ごめんねシェリー。本当にごめんね」


二人は泣きながら抱き合い、そんな雰囲気にジュキアは身構えた身体を解いた。そして彼の元へ、ノアが歩み寄って行く。


「さっきはごめんね。弟のことは、もう許す」

「悔しいけど、あんた強いね」


ノアが手を差し出すと、彼はその手を握り握手を交わした。そんな頃、獄炎の騎士はリシアのもとへ戻っていた。そこには、黒を率いる面々が集っている。


「ノアはどうした」

「おれの顔馴染みを、殺したいそうだ」

「それならば丁度良い。我らも仕掛けよう」

「準備は」

「もちろん済んでいる。サン、紅へ伝えてくれ。我は白へ行く」


彼等は足並みを揃え、碧へ向かう。迫りくるそれらを碧が知らされるのは半月後。動き出す時を目前にリシアは呟いた。


「思い知らせてやる。どれほど甘い戯れ言か。思い知らせてやるぞ。どれほど浅はかなものかを」


血塗れの帽子を握り締めたままのその時、彼は泣いていた。血が染み込む辺りには、誰もいない。怪物と人々が対峙する雑音が響き、それが聞こえなくなってしても、彼はその場で膝をついたまま動かずに、涙が枯れようとも彼は泣いていた。これまでの分も、これからの分も泣き続けた彼は不意に立ちあがり、そして歩き出した。


彼が辿り着いたそこは、星の溝の言われる底知られぬ場所。そして彼は少し空を見上げた後に、星の溝へ身を投げた。見上げていた空は、少しずつ遠くなり小さくなっていく。そんなとき、彼の身体は砂のようなものに打ち付けれた。それは落ちていく間、一度ならず何度も起こった。そして彼は気が付いた、身体が地に着いていることに。


空はもう遠かった、それは天に流れる河のように。そして辺りでは、淡い光がいたるところで灯っている。彼が起き上がろうとした時、何処からかうめき声のようなものが聞こえてきた。その音の元へ彼が歩んで行くと大きな怪物が横たわり、さらにそれに寄り掛かるように男が一人、目を閉じて横になっていた。その男は多数の傷を負い、息絶える寸前のように見えた。


「ああ、良かった。手を貸してくれないか。一人じゃ起き上がれなくて」


彼に気付いた男が、掠れる声を振り絞り助けを求めた。しかし彼は微動だにせず、男に言い放った。


「無理をするな。後少しで楽になる」

「おれは、まだ死ぬわけにはいかない。頼む、手を貸してくれ」


血を吐きながらも、助けを求める男に彼は問うた。


「何故、何故そうまでして生きたいんだ」

「誓ったんだ。人の味方をすると」


その男の言葉に、彼は我を忘れたように無防備な傷だらけの男を、何度も踏みつけた。その場には、男に足がめり込む音が鳴り響いた。


「味方だと。あいつらが、おれにどれほどの事をしたか知りもしないくせに。どれほど浅はかなものかを、知らないくせに‼何も知らないくせに、お前は何も知らないくせに甘ったれたこと言うなよ‼」


震える声を怒鳴らせ、彼は男を蹴り続けた。その騒ぎに怪物も目を覚まし、彼の姿を見て声を高らかにした。


「オオ、ワレラガドウホウ。ザンネンダッタナ、ワレノカチダ!」


しかし怪物の喜びも束の間に、彼は黒い空気を纏わせた岩をぶつからせ、怪物の口を閉ざした。怪物の悲鳴が響き、息を荒げながら彼は再び男へ目をやった。


「何故そんな身体で、そんな目が出来るんだ。何も知らないくせに、何故そんな事が言えるんだ」

「お前も、知らない。人がどれだけのものを、許してくれるのか」


男の言葉に頭を抱え、彼は少しの間を置き応えた。


「わかった。お前の望みを叶えてやる」


彼はそう言うと、両手を前に突きだして囁き始めた。そうすると、怪物の姿が少しずつ黒い煙になり、そして男の身体へ染み入った。それと同時に男の悲鳴が響き渡り、暫くして鳴り止む頃に傷口は黒ずみ塞がれ、黒色というには簡単過ぎる色の鎧を纏っていた。


「お前が言葉を発すれば、怪物がお前から解き放たれる。そしてお前は、死に至るだろう。口を閉ざされ、言葉を奪われ、何も言えぬまま思い知れ。お前がどれほど、甘ったれているのかということを。人がどれだけ浅はかなのかを。おれが、いいや。我が思い知らせてやろう」


そして彼はそのまま倒れ込んだ。男は彼を起き上がらせ出口を探して歩いた。どれほど歩いたかわからない頃、二人は一人の獣人に出会い、星の溝から這い上がった。



ノアが碧の国へ来てから半月がたった頃、城がある街へ白からも紅からも人々が押し寄せた。彼等の街へ黒が押し寄せ、避難してきたのだという。彼等の話を聞いて、ジュキア達は急いで話し合う場を設けた。


「一斉に来るよ。僕の知ってる限りでは」

「他にわかることは?」

「僕らにとって恐いことが3つある。一つは紅の獣人、彼等はあなたたちにとって脅威だ。戦闘能力が違うから。でも今は僕が居る、彼等のことは任せてほしい。二つ目は、君の友達の騎士。彼は紅山を噴火させて、溶岩を流すはず。これを何とかしないと、何もかも上手くいかない。でも、幸いなことに僕よりも早く動ける君が、彼を止めてくれる。これで二つの脅威は消えた」

「お前、めちゃくちゃ良く喋るんな。んで、三つ目は?」


周りの反応に少し恥ずかしそうにしながらも、ヴンドの問いにまた気持ちを落ち着かせ、ノアは話を続けた。


「三つ目は、素性の知れないもう一人の騎士。彼が闘っているのを、見たことがないから強さが分からない。魔法兵と黒兵は、あなたたちなら何とかなるはず」

「それらを乗り越えないと、あの魔法使いには辿り着けないのか」


話が終わったあと、シェリーは城壁から外の様子を眺めていた。敵になってしまった彼の事が頭から離れず、彼が居るであろう方を眺めていた。


「みんなに、言わなくていいの?」


そこへ、話をしていた場で彼女の事が気にかかったアンが声をかけた。


「ありがとう。でも私が彼の事を想っていると知ったら、迷いが出るはず。みんな優しいから。でも、今は時間が無いもの。迷いは判断を鈍らせ、そして弱さを与えるわ。私が出来ることは、みんなに迷いを与えないことと、彼に迷いを与えること」


それを聞いた彼女は徐に剣を抜き、風になびく橙色の長髪を切った。


「貴女は、立派ね。シェリー、貴女に仕えられる事を、私は誇りに思います」

「私もアンと一緒に居れて嬉しい。大好きっ」


そう言ってシェリーは彼女に抱きついた。それをアンは抱きしめ、彼女の中にあった迷いも晴れていった。次の日になると、碧の王国には地鳴りが響き始めた。押し寄せる彼等の音が、碧に伝えられるように。それに応じるように、騎士達は態勢を整えるように城壁の外へ陣を組んだ。月を見上げる頃にはヴンドとノアは外へ赴き、アンは内に残り、ジュキアとシェリーは城壁の上から伺った。


そして日が登り出した頃、それを塗りつぶすかのように彼等は押し寄せる。そして騎士達にもその姿が見え始めたところで、歩みを止めた。吹き抜ける風の音が際立つほど静まり、雲に日が陰り始めたその時、リシアが一人うごめく黒い中から姿を見せた。


「帰りが遅いと思えば」


ノアの姿を確認した彼は、側にいるヴンドを見て呆れたように笑みをこぼした。リシアは明らかに自分に敵意を見せる彼のことを、戸惑いなく敵と見なすことにした。そして呪文を唱え空間を裂くと、それに背を向け黒い中へ戻って行った。騎士達が何事も起こらないことを不思議に感じていると、城壁の内で悲鳴が相次いだ。


「まさか」


ヴンドの背筋が凍りついたように感じた時、それを物語るように城壁の内で裂かれた空間から、黒兵がなだれ込んでいた。それと同時に、城壁の外にいる黒兵も騎士達へ向けて動き出した。押し寄せるそれらは、数だけでも騎士達を圧倒的に上回っていた。悲鳴や怒号が飛び交う城壁の内からは、外へ逃げ出す人々が溢れ出る。その状況に戸惑う騎士達を見て、ノアとヴンドが前へ出た。そして迫る黒兵へ仕掛けようと構えた時、側に居た騎士が彼等を止めた。


「お待ちください!あれを、アイツを見てください。何年か前に、行方不明になっていた騎士です!」


それを切っ掛けに押し寄せる彼等をよく見ると、通り名を持つ騎士や見たことのある者が幾人もいた。躊躇なく迫り来る彼等を前に、騎士達は戸惑いを見せた。それに動きを鈍らせたヴンド達だが、城壁の内でも同様の事が起こっていた。


「やめて、斬らないで!私の弟なのよ!」


襲い来る黒兵に斬りかかったアンの前へ、泣きながら女性が庇いに入った。それに彼女が戸惑った瞬間、黒兵はその女性を背中から突き刺し凪ぎ払った。そして向かって来るそれを、アンは迷いながらも斬りつけた。涙を流しながら息絶えた女性に崩れ落ちそうになった彼女だったが、それへ気を配る隙も与えられること無く、また黒兵達が向かって来ていた。その頃ジュキアも、城壁の内で黒兵の制圧に動いていた。しかし彼の中では、主に見せられたリシアの記憶がどうしても思い出される。彼の中では目前の事と記憶に様々な気持ちがぶつかっていた。それは城壁の上から逃げ道を促すシェリーも同じであった。逃げ道を探す彼等の中に、リシアを暴行した者が居ようとも、大声で逃げ道を叫ぶ度に胸の痛みを感じながら、彼女は彼等を生かした。外へ逃げ出した人々は、押し寄せるその光景に絶望していった。溢れ出すそれらに押し出されるように騎士達の陣営も崩れ始めた頃、攻撃を躊躇していたヴンドは持っていた大きな槍を地面に突き刺した。


「ノア、お前の判断でいい。出来ることをやれ」


彼がそれに反応する頃には、ヴンドは空へ高く氷柱を現すと、その先で片手を胸に添え、もう片方の手を掲げて空へ向かって囁いた。そして高く飛び上がり、雲へ向かって思い切り突き出された掌から小さな氷が飛び散った次の瞬間、辺り一帯の雲が凍りついた。そして彼はそれを迫り来る黒兵へ向けて一気に落とした。


それに気付いたシェリーは、咄嗟に辺り一帯を魔法壁で覆った。雲だったものは鋭い氷柱として降り注ぎ、黒兵は氷で形作られた棘のようになったそれに、容赦なく下敷きになった。しかし彼等は蠢いた。半身が凍り付けになろうが、全身を氷柱で傷付けられていようが、身体の一部がへし折れようとも、彼等は蠢いた。


「雲を落としただと。信じられん」


氷原と化した辺りを見つめリシアは悔しみを滲ませ、黒鋼の騎士は腕を組み戦況を見守った。魔法兵達が動き出す中、空から戻って来たヴンドは突き刺した槍を手に取り、間髪いれずに黒兵へ向かって行った。それを機に騎士達も続いていったが、その異様さにそれらがたじろいでいると、彼等の中の数少ない老兵が、両足を失いながら向かって来る黒兵の首を飛ばした。


「この鎧を纏ってしまえば、もう助からん。身内を想うなら少しでも早く首を飛ばすか、心臓を貫いてやれ」


その言葉にようやく騎士達が黒兵に向かって行ったが、その光景を見ていた人々の中には、その行為に非難を溢す者もいた。それらを眺めながらリシアは黒鋼の騎士を見て嘲笑った。


「おい、貴様見ているか。見ようとしているか。これでも、奴等の味方など甘ったるい戯れ言を吐けるのか。可哀想など助けを求めるばかりに、与えられることばかりを望む。浅はかで哀れよ」


騎士達と共に氷原へ出たノアは、高い氷柱へ登り戦況を確認した。吹き抜ける風には青々とした草原の匂いを包むように氷の風味があり、その中には血の香りが混じっていた。


「やっぱり後ろまで届いてない。女王の魔法だ」


リシア達の居るところまで被害が及んでいないことを確認した彼の目と鼻は、ぞろぞろと現れる獣人たちを捉えた。そして黒兵の勢いに騎士達が優勢なことに、自分が獣人を抑えることが、最良だと判断した彼が動こうとしたその時、耳を劈くような音が響いた。それは彼だけでなく、その辺にいる騎士達にも、魔法壁の内に居るはずの彼等の耳をも貫いた。


「何だこの音は‼音、違う。あの子の声だ!」


騎士達は耳を覆い苦しみノアが気を失いそうになる中、黒兵の中に混じり歌うように声を出すフランの姿があった。それを無言で見つめるリシアの表情は、何処と無く切なさを感じるようなものだった。その声に黒兵は動じることなく、耳から血を流しながら騎士達へ向かって行く。先ほどの魔法の影響で、身体が氷になり始めていたヴンドですらその声に苦しんでいた。しかし次の瞬間、彼は彼女の姿を捉えると倒れ込みながらも右腕を振り上げ、一瞬で彼女を分厚く濃い氷の檻に閉じ込めた。


「また、真っ暗。また、私を閉じ込めた。嫌よ。もう嫌よ!!」


真っ暗闇の氷の中で、彼女は檻を壊そうと初めて腹の底から声を出し、歌った。その音に彼が渾身で放ったはずの分厚い檻はひび割れたが、同時に彼女の音は消え去った。騎士達が立ち直り、ヴンドが檻に近付こうとした時、リシアが彼の前に駆けて現れ、自らの持つ剣で斬りかかった。その行動に黒兵を相手にする騎士達も、彼の側にいた事のあるノアも、斬りかかられているヴンドですら、驚きを隠せなかった。リシアは黒い霧を纏い、彼を凌ぐ速さで剣を振るった。それを無表情に去なしながら、ヴンドは反撃する機を凍てつくような視線で見つめていた。しかし彼の身体は末端から凍り始めており、リシアの鋭い突きが左腕を掠めたことで、それには罅が生じた。それを鼻で笑いさらに仕掛けようとした彼の前に、眩い光と共にアンが飛び込み現れ、剣を受け流した。


「腕の分は返したぞ」


彼女の姿を見て彼へそう言い放ち、静かに剣を納めてリシアは二人に背を向けた。そしてひび割れた檻まで歩み、腕に黒い空気を纏い檻を殴り壊した。明るみになったその中では、頬に涙を傳わせ耳からは血を流してフランが横たわっていた。もう二度と歌うことのないその妖精を抱え、他のものへ一切見向きもせず彼は歩いて戻って行く。


「どうしてよ。どうしてあんたがこんなこと」


去っていく彼の姿に涙を浮かべながら、アンは手が出せなかった。そして側に居る凍りつく彼を、眩い光を放ちながら抱きしめた。ノアがそれらに気をとられていると、足場の氷柱に焔羅が飛ばされそれはへし折れるように崩れ落ちた。しかし彼は落下しながらも直ぐに態勢を立て直し、騎士達へ向かおうとする獣人たちへ一閃の鋭い焔羅を放った。それは氷ごと地面を抉りながら彼等の間に線を引き、ノア自らも間に立ち塞がった。


「ノア、何のつもりだ」


ヴェルグは恐らく理解していたが、精鋭ともいえる戦陣部隊を前に、たった一人立ち塞がったノアへ、あえてそう問いかけた。そして同じく戦陣を率いて現れた弟たちは、怒りに満ちた表情と、片方は無表情とも取れるような感情の見えないものだった。


「父さん、僕はやっぱり違うと思う。他に方法があるはずだ。彼等と話して、よりそう感じた。白とも碧とも、今とは違う関係を築けるよ」

「お前はもっと、利口だと思ってたがな。たった一人で我々を止められるほど、お前に力はない」

「ノア!」


ノアの後ろからアンに肩を借りながら、ヴンドが声を飛ばした。その声に彼は振り返り、照れを隠しきれないで居ると、戦陣の方からぞろぞろとノアの周りに獣人が集まり始めた。


「私達も、お前と歩みたい」


そして膝をつく彼等を見て、ノアは自身の中で沸き上がる温かさを感じ、底から来る表情を堪えることが出来ずに片手で顔を覆った。彼等は立ち上がり、ノアと共にヴェルグの前へ立ち塞がった。


「まあいい。おれを止めてみろ、ノア」


呼吸を調える音に、腕を鳴らす音。駆けるために足下を均し、向かう敵を互いに睨み合うその場は、雷鳴の轟きと共に動き出そうとした。


「手合わせを!」


しかしその時、ノアのその声に戦場になるはずの場は動きを止めた。そして獣人たちは戸惑いを見せ、王は鼻で笑った。


「手合わせを、申し込む。あなたの居る、王の座をかけて」


妖精だったものを抱き抱えたリシアが、自陣の近くまで来たところで、それを迎え入れるかのように、黒鋼の騎士が歩んできていた。


「しばらく、任せるぞ」


すれ違い様に彼はそう呟き、無言でそれを受け入れるように黒鋼の騎士は大剣を構えた。そして彼を追って来た複数の騎士達を一撃で、剣の腹で弾き飛ばした。その音は離れたところに居たアンたちにも届き、彼等はそれへ身構えることを余儀なくされた。


「来るわよ」

「ああ、ここからだな」


そしてジュキアは雷鳴を轟かせ、ようやく城壁の内を制圧した。城下町にはたくさんの亡骸と、血と涙が流された。そして黒兵に殺された者を前に、女性が彼へ掴み掛かった。


「どうして、どうして守ってくれなかったのよ。

あなた方がもっと早く来てくれれば。あんた達のせいよ」

「…ごめん」


彼女の手をほどき、彼はシェリーの側へ行った。彼女もまた、治療を施そうとした男性に詰め寄られていた。


「こんな力があるなら、もっと助けることが出来ただろ」

「シェリー、行こう」

「待って、もう少し」


腕を引くジュキアを待たせ、彼女を責める男性の傷を和らげ二人はその場を後にした。そして外へ出て彼は騎士達へ中を任せると伝え、彼女は戦場を見つめていた。


「じゃあ、おれも行ってくる。少しの間だったけど、とても楽しかったよ」

「何よ最後みたいに。帰って来たら、今度は白の国来て。もちろん、お友達も一緒に」

「そうだね、ありがとう。行ってくる」


そして雷の迸る音を残し、彼は駆けていった。紅の背中と対峙する彼等の間を飛び抜け、獄炎の騎士が待つ紅山へ向かった。黒鋼の騎士は側を迸る雷に微動だにせず、対峙する二人の騎士から目をそらさなかった。


「行かせていいのか?あいつも結構強いぜ」

「…」

「無視かよ。余裕だねー」


ヴンドの問いかけを無視して、黒鋼の騎士は何かを示すように、自らの左腕を指差しながら叩いた。アンがそれに違和感を感じていると、呆れるように項垂れて、彼は大剣を手に取った。そしてついに、黒鋼の騎士が動き出し二人へ向かっていく。大剣を引きずりながら突出し、それを下から振り上げた。二人はそれを容易に避けそれと同時に反撃をしたが、彼は身体の角度を変えるように身のこなしだけで、それらを鎧で弾いた。


二人はそれに驚きを隠せなかった。揺るぎない自信と裏打ちされた実績に、完璧な間合いでの反撃だったからだ。その動揺を嘲笑うように、黒鋼の騎士は彼を殴り飛ばし彼女は脚を掴まれ投げ飛ばされた。そして彼はヴンドを指差し、大剣を担ぎ飛び掛かかると容赦なくそれを降り下ろした。氷を盾に間一髪で避けたが、これまでの疲労からそれが精一杯だったヴンドの身体には、幾つかの氷の破片が右半身に突き刺さった。そして黒鋼の騎士は彼を切っ先で引っ掛けると、後ろから向かって来るアンへ投げ飛ばした。彼女はそれにぶつかりながらも受け止め、彼へ光を放ち傷の回復を急がせた。大剣を地面へ突き刺し、それにもたれ掛かりながら彼は二人を眺めていた。ヴンドが立ち上がれるほどに回復すると、彼は面倒そうに剣を引抜き彼女を指差した。そして向かって来いと挑発し、それにアンは応えるように斬りかかって行った。


身の丈以上の大剣と身の丈ほどの長剣がぶつかり合う様に、ヴンドは圧倒されながらも槍を拾い上げ古い記憶と重なりあう中で、込み上げる熱いものを感じながらまた向かって行った。一方彼女は古い記憶と重なりあう中で、目を背けたい疑惑が濃くなり、これ以上認めたくないその疑惑に一太刀を振るう度、心臓が張り裂けるような思いをして涙を堪えた。黒鋼の騎士は二人に挟まれる形を嫌がる素振りを見せ、隙を突き彼女を蹴り飛ばした。そして彼へ斬りかかろうとしたが、ヴンドは敢えて距離を詰め黒鋼の騎士に掴み掛かり、自らと共に氷で動きを封じた。


「アン!今だ!」


それを逃す訳もなく、彼女は光を放ちながら突進し背中から斬りかかった。しかし彼女が思い切り降り下ろした長剣は、黒鋼の騎士の側を掠め地面割りながらめり込んだ。


「こんな後ろ姿の人を、斬れるわけない…。後ろに居る人間をこんなに安心させる人を、殺せるわけないじゃない!」

「…」

「クソっ」


剣を降り下ろしたまま泣き叫ぶ彼女に、ヴンドは氷を砕き彼女を抱え黒鋼の騎士から距離を取った。二人の様子に彼は面倒そうに氷を砕いて振り返った。そして引き剥がすように兜を外すと、露になったのは青白い顔をしているが二人のよく知るアドそのものであった。


「嘘だろ、先生」

「どうしてよ。どうしてあんた達が一緒に居るのよ‼」


アドは二人を見て微笑んだ。そして腕を組み少し考え、腕を下ろし満面の笑みで口を開いた。


「お前らー!強くなっちまったなー‼後、よろしく…!」


大声で二人に叫ぶと、彼の様子は一変した。悲鳴を上げるように身体中から黒い煙が吹き出し、そのまま彼は仰向けに倒れ込んだ。彼の声に姿に、シェリーはその元へ駆け寄って行く。それと同じ様に、二人もまた彼へ駆け寄り姿を見ると言葉を失った。黒い鎧は消え失せ、表情から青白さはなくなっていたが、全身に傷を負い血に塗れていたからだ。彼は辺りを警戒し、彼女は光を放ち傷の治癒を始めた。そこへようやくシェリーも駆け付け、魔法を使い傷を治そうとするが二人掛かりで治した傷口も、暫くするとまた傷口が開いた。


「どうして。傷口が塞がらない」

「アンどうしよう。お父様が死んでしまう」


ヴンドが騎士達へ指示を出し、泣きながら手当てをする二人の声に、アドが目を覚ました。


「ああ、シェリー。でかくなったなー」

「アド、後で話を聞くから、今は話さないで」

「お前なあ。何年も話せなかった人に、それはないだろー」

「うるさいわよ、黙って!」

「…」


軽口の彼へ彼女は苛立ちながらも、傷の治癒を急いだ。黒兵も僅かになり、辺りが落ち着き始めていたが、アドの身体から吹き出した煙が徐々に形を表していた。


「シェリー、彼を連れてここから離れて。ヴンド、手伝って!」


空を見たアンは、何かを悟ったように二人にそう言って剣を取った。魔法を浴びせながら二人でアドを移動させ始めた頃、数年前に現れた怪物がまたその姿を見せた。それを見た騎士達は態勢を立て直しに退き始め、ノアはその場から離れるように王を弾き飛ばした。


「オオ、ヨウヤク。ワレヲトジコメルトハ、コゾウノクセニ」


引きずられるように運ばれていくアドを目で追う怪物は、眩い光を放つ彼女に気づいた。そしてアンは涙を拭い、頭上のそれを睨み付けた。


「あの時の異様さを感じる。貴様だけは許さない。アドをリシアを、私の大事にしたいものを、そうしなければいけないものを。それを傷付けたお前を、私は絶対に許さない」

「ユルシナド、イラヌワ。アノオトコヲ、ホコレ。ワレヲナンネンモトジコメルトハ。ヅガタカク、キニイラン」


黒い煙が怪物に変わり消える頃、彼女を残しその場を離れた三人は白の国へ向かっていた。


「スヴァーノ、頼む。シエナのところへ」

「もう黙ってろよ。そう言うと思って、向かってるから。姉さんに話す力を、残しといて下さいよ」


雷を迸らせながら、彼は紅山まで辿り着いた。道標のように、辺りやその先に黒い炎がある。それを頼りに、また友のもとへ駆けていった。一方紅の王と対峙する彼は、六羅を放とうと相手を投げ飛ばそうとした。しかし王は、彼が追い込みたい場所へ自ら跳ね飛んだ。好機とノアは六羅の構えをとり、突進した。しかし彼が突進したその時、咆哮と共に王は全身で焔羅を放つように全方位から来る五つの焔羅を防いだ。もう止まれないノアの六つ目の突きを、王は嘲笑うように容易く掴み、無防備な彼を蹴り飛ばした。


「お前のことを甘く見ていたようだ。この技は、馬鹿には出来ん。恐れ入る。だが、もうおれには通用しない」

「あんな防ぎ方をされるなんて、考えられないよ」

「これを防げるのは、おれかお前くらいだ。フューリーでも、無理だろうな。ああ、だからもうあいつはいないのか」


痛みを堪えその言葉を掻き消すように、また彼は王に向かって行った。獣人達は何が起きたのか理解出来ずに顔を見合せ、サンはそれに興奮し、カイは目を閉じて静まっていた。アドを担ぎ雪原へ入った彼等の前へ、白の魔法師達が現れた。その後ろからは、弓を構える護衛も見えた。しかし彼等は、シェリーの声と必死にアドを担ぐヴンドの姿に警戒を解き、歩み寄った。


「シェリー様、生きておられたのですね。お帰りなさい。本当にお帰りなさい」

「皆ありがとう。ただいま。お願い、手伝って。早くお母様に会わせたいの」

「急ごう。アンの方も気になる」


彼女はその時巨大な怪物と対峙しながら、自分の中の怒りと闘っていた。しかし鋭い牙に爪、鋭利な尾を振り回すそれを相手に、加減をする余裕などはなかった。そしてついに、彼女が愛用する長剣も折られてしまう。それを見て怪物は止めを刺すように喰らいにかかった。しかし次に怪物が発した声は、悲鳴のようなものだった。辺りの氷を溶かすほどの光を放つ彼女に、怪物は怯み距離を取った。


「それで離れたつもりなの?私の武器は陽そのものよ」


彼女は囁くようにそう呟くと光を固めるように刃を作り、怪物へ反射した光に潜り込み一瞬で怪物の前へ移動した。そして顔を踏みつけ後ろへ駆け上がり、両翼の付け根を斬りつけた。思い通りに翼を動かせなくなった怪物は、そのまま地に墜落するように落ち、地鳴りを響かせた。そして足掻くように態勢を立て直し、鋭い尾を振り回し暴れ始めた。


「鬱陶しいわ」


狂うように叫ぶ怪物を他所に、彼女は何度も暴れる尾を斬りつけていく。そして幾度となく斬りつけられた尾は斬り落とされ、怪物はより激怒した。彼女はそれに動じることなく、迫り来る巨大な脚や鋭い爪を掻い潜り牙を折ろうとしたとろこで、怪物はその距離から熱線を吐き浴びせた。光を放ちながらもそれに押し戻された彼女だったが、熱線が途切れその間に見えたそれは、無傷にさらに眩い光を放ちながら笑みを浮かべていた。


黒い炎を頼りに進み、火口の洞窟へ辿り着いた。その中は溶岩が唸り、普段は暮明であろうその場所はそれに明々と染まっていた。そしてさらに進んだその奥に、彼の友が岩に腰掛け肘をつき、目を閉じて待っていた。


「生きてたか」


吹き抜けに生憎の曇り空が覗くその場所で、彼の色と同じ様に赤黒く溶岩が滾っていた。熱風に迎えられながら、ジュキアが進んでいくと彼は立ちあがり、剣を握った。それに応えるように、ジュキアも発光し構えた。そしてこれまでとは違い、迎え撃つ騎士へ彼の方から斬りかかって行った。


「こんなものは通用しない」


あの大会の時と同じ様に斬りかかった彼の剣を、獄炎の騎士は片手で切っ先を受け止めた。彼がそれに呆れるように剣を構えたところで、ジュキアは雷を迸らせた。


「なんちゃって」


そう呟くと雷に手を弾かれ無防備な状態の騎士へ、身体を回転させ勢いよく左下から剣を振り抜いた。大きな衝撃音が鳴り、怯むように後ずさった彼の鎧には、大きな傷跡がついていた。それを撫で、不適に笑みを溢した彼は黒炎を滾らせ、剣を交わらせに行った。


陽も落ち夜になろうかという頃、彼女と対峙する怪物は片翼を折られ三つの目を閉ざされ、牙と爪は欠け落ち片足を斬り刻まれ、悲鳴を上げながらその足を引きずり逃げていた。そこへ妖精の弔いから、リシアが戻って来る。それに気づき、怪物は助けを求めるように彼を見た。


「醜い、実に醜い。だがそれが貴様にはお似合いだ。滑稽だが、それが自然な姿だろう」


夜になり彼女の光が辺りを照らす中、そう言われた怪物が振り返ると無数に光の刃が、それへ向けられていた。その圧倒的な光景にそれを受け入れるしかない怪物は、熱線を吐こうと足掻く。しかし彼女がそんな隙を与える筈もなく、無数の光はその姿を埋め尽くすように突き刺さっていった。その光景を見ている人々は、圧倒されながらも歓喜に湧いていた。そしてさらに止めを刺すように声を上げ始めると、それを知ってか知らずか彼女はまた、光の刃を集め始めそれらは、一つの大きな光の刃になっていった。その一閃は、もう声も発せない足掻くことも出来ない怪物だった物へ振り落とされる。そして消え入る光と共に、それは蒸発していった。


「そろそろ終わりにしてやる」


紅の王はそう告げ、以前とは違い我を忘れる事なく獣人化した。その姿に見ている獣人達の響動めきが静まらない中、彼はノアへ爪羅を放った。避けられないと判断したノアは、幾つもの焔羅を放ったが防ぎきれず飛び散るようなそれの破片に、多数の傷を負った。そしてノアが顔を上げるまもなく、頭を被うように防ぐ形を取っているそれごと蹴り倒され地面に叩き付けられた。さらに跳ね上がった彼を蹴り飛ばし、紅の王は焔羅を飛ばした。朦朧とする意識の中で彼は辛うじて焔羅を避けたが、その先でまた殴り飛ばされてしまう。そしてまた、ノアは獣の姿になってしまった。我を忘れ狂うように、捨て身に何度も王へ突進し続ける彼の中では、聞こえるはずの無い声が聞こえていた。


ノア、もうよい。逃げよ。


もう十分だ。君が背負うことはない。


「ちゃんと逃げたよ、じい様。そうだけど。僕が背負ってもいいんでしょ、先生」


突進の最中、そう呟くと彼は自ら後方へ跳ね飛んだ。陰り行く夕日に照らされながら、足音を起たせること無く着地した彼は獣ではなくなっていた。先程の姿と比べて、より人の姿に近付いたように見える彼は殴り掛かって来ている王を他所に、涙を流していた。そして王の爪をゆったりと避け、彼の勢いを利用して投げ飛ばした。さらに追撃するように向かう彼を、王が迎え撃つ形が続いた。王の攻撃が一撃も当たらず、しかしノアが一撃を与えるわけでもなく、辺りを動き回るようなその状況に王は気付いた。


「またこれか。おれには通用せんと、言っただろうが!」


怒鳴る王の側をノアが蹴りを掻い潜り通りすぎ、彼へ背を向けたまま立ち止まった。ほんの一時無音が響き、その場の誰もが息を飲むその瞬間、五つの焔羅が王へ叩き込まれ両の手足がへし折れた。そして六つ目の焔羅で、王は彼の元へ吹き飛ばされた。


「まだだよ」


涙を流したまま頭上へ飛んできた王を、彼は空へ向かって蹴り上げた。これから起こりうるであろう事柄を理解した王だったが、今自分が何をしてもその結果を変えられないことを悟り、それを受け入れると同時に彼を誇らしく感じた。そしてアルカサの顔が浮かんだ瞬間、空から放たれていた焔羅に叩き落とされるようにまた、うつ向き加減に泣いているノアの方へ落下していく。そして墜落して来た王の胸元へ、ノアの鋭く尖らせた爪が突き刺さった。しかし本来ならば心臓を貫いているはずのそれは、寸前のところで止まっていた。頬に涙と王の血を傳わせる彼へ、王は声をかけた。


「構えは必要ないんだな」

「あれは先生が、見ている人のためにしてたこと」

「見事だ。しかし、こういう時は最後まで殺れ。相手を思うなら、尚の事」

「出来ないよ」


泣きながらそう訴える彼とその状況が、ここでようやく一致した。彼は恐らく、涙を流し始めた時からこうなることを想像して、泣いていた。


「甘ったれるな。今おれを殺さなければ、お前の全てを奪いに行く。人も物も場所も、全てだ。お前の居たい場所は、此れを進まないと辿り着けないぞ。殺れ。殺れノア!」


彼は悲鳴と共に王を地面に打ち付けるように、心の臓を貫いた。そして地面にめり込みながら、血を吐く彼は笑った。


「よくやった、ノア」


彼の流す涙が頬を傳う後に息絶えたヴェルグへ落ち、腕を引き抜けないでいた彼へ、叫びながらサンが飛び掛かった。父の死に混乱するような彼は、ノアを殴り飛ばした。しかしその一撃の後は、ノアが一方的にサンを殴打した。狂気が混乱へ止めを刺そうかとしたその時、獣人の中でも数少ない武器を扱うカイが飛び込み、ノアの左腕を斬り飛ばした。


「ノア兄、これ以上は違う。もう一人で、背負わなくて大丈夫だから。

僕らも、一緒に背負わせて。サン兄も、いいでしょ」


夕焼けも暮れ薄暗い中で腕の手当てを急ぎ、獣人達はヴェルグを布で覆った。そして月が姿を現そうとしているにも関わらず、地表で光を放つ陽の下に、ノア達は向かった。




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