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白の王国編



疑うことなんて無かった。ただ、沢山のモノを目にするまでは。モノの数だけ疑問は増えて、触れないように接してた。いつの間にか、答えの分からない疑問に囲まれて覆われていた。見上げても、何も無かった。下を向けば、抱え込んだ膝が見えたの。いつの間にか身体を小さくしていた。窮屈だったたことに気がついたの。だから立ち上がって腕を伸ばしたわ。崩れ落ちていく疑問からは、戸惑う声も聞こえたけれど、その時思い出したのよ。疑うことなんて、無かったことをね。






私もお父様やお母様のように、立派な方になってみせるわ。






雪の振り積もった城の屋上に立ち、息を白くしながら澄みきった夜空の下で想いを巡らす幼い王女シェリー。幼いながら立派な両親を見て、自らに誓いを立てる少女である。


「シェリー、冷えるからそろそろ部屋に戻りなさい」


ふわふわと柔らかい毛布を、シェリーに被せながら抱き寄せる女性シエナ。彼女の母親であり、白の王国女王である。


「大丈夫よお母様。もう少ししたら、戻るわ」


抱き寄せられた手を握り、シェリーは微笑んだ。


「ほら、もうこんなに手が冷たくなっているじゃない。お父様も心配しているわ」

「ほんとう、冷たいわ。でも、私は温かいわよ?」


彼女は「ほらっ」と、シエナに抱き付きながら、一緒に部屋へ戻っていった。それから数日後シェリーは護衛と使用人を連れて、いつもより少し遠い雪原へ探検に出た。


「もー!じぃじもお姉さまたちも早く早く!」

「そうは言われましてもシェリー様、ご老体には堪えますじゃ」

「じゃあ、置いていくわよ?」

「シェリー様、ご老人は労らないといけませんよ!」

「だれが老人じゃ!わしはまだそんなにフケとらんわい」

「はやくー!」


真っ白な雪の中ではしゃぐ彼女を追って、護衛たちは雪原を歩いていた。


「わあ、とっても珍しい」


護衛を置き去りにシェリーが雪原を進んで行くと、身体が氷で形作られている兎を見つけた。彼女は見付からないようにひっそりと見つめていたが、兎はシェリーに気付いて茂みへ入っていった。その後を、彼女は夢中で追いかけた。そして気がつくと兎を見失い、木々と雪ばかりで元の場所へ戻れなくなっていた。


「どうしよう。はやく戻らないと、心配させてしまう」


焦りながらシェリーが迷っていると、離れた所からなにか物音が聞こえてくる。音を頼りに進んでいくと、大きな獣の後ろ姿が立ち塞がり、獣はシェリーに気付いて襲い掛かってきた。倒れこんで何とか助かったシェリーは、覚えたての魔法を使いながら必死で走り続けた。やがて細い獣道に出ると逃げ疲れたシェリーは、へたりこんでしまった。


「全く、しっかり狙え。そいつの後ろから追う身にもなれ。そしてデカイの!お前の敵はおれだろう」


声の主は額から血を流し、服が焼け焦げていた。その青年は少し囁いて黒い霧の塊のような物を右手に現すと、それを投げ飛ばし獣にぶつけて吹き飛ばした。獣は木々を巻き込みながら雪原まで飛ばされてしまい、シェリーを探していた護衛たちも、獣に気付いて駆け寄ってきた。


「まさか、シェリー様…!!」


獣は起き上がると、青年へ向かってまた獣道へ飛び込んでいった。そして護衛たちもその後を追っていた。


「そこで、じっとしていろ」


青年はシェリーを木陰へやると、獣を迎え撃とうと青年はまた囁いて、拾った木の棒に黒い霧を纏わせた。そして無駄のない動きで獣を数ヶ所殴り、喉元へ木の棒を突き立て睨み付けた。獣は少し怯えたように後退り、その場を離れて行った。


「逃がすか!よくもシェリー様を!」

「よせ、もう襲ってこない」


矢を射ろうとする護衛に、青年は木の棒を投げつけて止めた。そして青年の姿を見た護衛の目付きは険しくなった。


「お前・・・!!シェリー様に何もしていないだろうな!?」

「何かされたのはおれのほう。むしろ謝ってもらいたいくらいだ」


緊迫する空気の中で護衛たちは青年を威嚇しながら、気を失っているシェリーを抱えて後退った。


「止めんか馬鹿共!お前は常夜の者だな。礼は言わんぞ」

「礼はいらん。だが、おれが居なければそのチビが死んでいたことを忘れるな」


青年はそう言うと、彼等に背を向け獣道を歩いて行った。


「お母様、じいじとお姉さまたち、ごめんなさい」


白のドレスはボロボロになり所々傷だらけの彼女に、城中が騒然とした。みんなに見守られる中で謝ったシェリーが顔を上げると、乾いた音が部屋中に響き渡り、どの傷の痛みよりもシェリーの頬に痛みが染み渡った。


「貴方の命は他の命より、多くの命を動かしてしまうこと。貴方が死ぬという意味を、今一度よく理解しなさい」


彼女は膝をつき目に涙を溜めながら、シェリーを抱き寄せたその瞬間、シェリーは泣くことを我慢出来なくなり、シエナに強く抱きつき大きく泣いた。そしてようやくみんなが安堵する空気の中、それを無視するように大扉が開かれた。息を切らしながら、一人の男がシェリー達に駆け寄ってきた。


「無事なのか!?シェリーは無事か!?」

「お父様…、ごめんなさ」

「よかったー!無事だった。ほんとによかった」

「お父様…、痛い…鎧が」


彼女を抱きしめる父親のアド、白の王国の現国王である。


「ちょっとアド!シェリーが痛がっているでしょう!」

「ああ!ごめん!」


身に付けていた鎧を脱ぎ捨てると、アドはまたシェリーを抱き寄せた。そこへ険しい顔をした世話役じいじがきて、後ろから彼の頭を叩いた。


「痛っ」

「アド様!何故まだこんなところに居るのじゃ。碧の国へ、護衛を迎えに行ったはずじゃぞ!」

「行こうとしたら、シェリーが大変って報せが入ったから、戻って来ちゃいました!」

「貴様は国王なのじゃぞ!勝手な行動は慎まんか!」

「はいっ、これから行って参ります!」


ビシッとじいじに敬礼をした彼が、鎧を身に付けようとしたと同じくらいに、広間の扉がまた開いた。


「もう来なくて大丈夫っすよ。着いちまったから。そもそも、先生が来る必要はないんですから」

「全く、相変わらず自分勝手ね。それでも王なの?」


現れたのは、まだ幼さが残る騎士の二人。後に、白金の騎士と呼ばれるアンと白銀の騎士と呼ばれるヴンドだった。


「わあ!アンー!」


涙をごしごしと拭いながら、シェリーが駆け寄った。


「うるさいぞクソガキども、おっと失礼。よく来たな、碧のチビ護衛様。ああ皆、新しく護衛についてもらう騎士達です」


「おお、これはこれは。先日の碧の大会での噂は届いています。よく来てくださいました。ヴンド様、お帰りなさいませ」


ヴンドとじいじが握手をしている後ろから、アドは彼に向かって舌を出してバカにしていた。


「いやー、シェリーが無事でほんとに良かった」

「ありがとうお父様。でもね、助けてくれた人にお礼を言えてないの」

「じゃあ、お礼を言いに行けばいいじゃないか」


その夜寝室で話す中、それを見守るように見つめて居たシエナとじいじが、血相を変えてアドを連れて場所を移した。


「なんてことを言うのよ!ダメよ、そんなの危険だわ!」

「アド様、シェリー様を助けたのは常夜の者でございます。危険でありますし、あの者達の犯した罪を忘れてはいけませぬ」


二人の意見にアドは少し考えて、口を開きました。


「確かに、危険かもしれない。しかし、それはその者達に限ったことじゃないと思うんだ。それに、今回はその危険から、シェリーを助けてくれた。彼らの罪を忘れてはいません。しかし、今回のように少しずつ、変わっていかなければならないと思うんです。助けてもらって、お礼も言えないなんておかしいでしょ?嬉しいことに、シェリーはお礼を言いたいと言ってくれた。それを、おれたちの勝手な感情で邪魔をしてはいけないかなって。おれはシェリーに、ありがとうって言わせてあげたいし、助けてくれた者にありがとうって言いたいです」

「ふん、わしは反対しましたからな!」


じいじはそう言い残して、その場を去りました。


「でもアド、私は心配なの」

「大丈夫。もう何十年も彼らは償ってきた。おれたちも、それに応えなくちゃならない。シェリーは、とても素敵な人になりそうだ。昔の君にそっくりだし。少し、お転婆だけども」

「もう。守ってね」

「もちろん。誓っただろ?」


アドは、不安に駈られるシエナを抱き締めた後、手を引いてシェリーのもとへ戻って行った。


「内緒の話はいけないんだよー」

「ごめんごめん!お待たせシェリー」


ふくれるシェリーをなだめながら、アドは手を握って話した。


「シェリー、助けてくれた人に、ありがとうって言いたい気持ちは変わらないか?」

「もちろんよ。とても良い人だったわ。ちゃんとお礼を言いたい!」

「そうか。それなら、父さんと母さんに約束してくれ。護衛の人の言うことを聞くこと。危ないことはしないこと。ちゃんと守ってもらうこと。できるか?」


それに対してシェリーはにっこりと笑って、アドに抱きついた。


「良かったわねシェリー。母さんとお父様の分も、ありがとうって言ってきてね」

「うん!」


それからまた数日後、怪我が治ったシェリーは雪原を護衛達を連れて、常闇を目指して歩いていた。数日前と同じ場所に、常闇の青年は居た。それを見つけた彼女は駆け寄っていった。


「こんにちは!」

「…、ああ、あの時の。来るなと言っただろう」


振り返った青年は、冷たい目をしてそう呟いた。


「私の名前はシェリー。この前は、助けてくれてありがとう」

「…シェリー。お前、もしかして王女か?」


青年は彼女に護衛が着いていたことを思い出し、少し驚いたようにそう言った。


「そうよ?お父様とお母様も、とても感謝されていたわ。二人の分もありがとうを伝えにきたの。本当に、ありがとう」

「そうか、白の国も緩くなったな。礼は聞いた。わざわざご苦労だった。だが、もう此処へは来るな。王女なら、尚更来るな」

「どうして?」

「大衆の目は、この行為を許してはくれない。まあ、チビには分からないか」

「チビじゃないわよ!シェリーって言ったでしょ!

そうだ、あなた名前は?」

「…、リシアだ。すまなかったシェリー。おれは、初めて人から礼を言われた。お前が初めてだシェリー。だから、そんな人が悪く言われるのは嫌なんだ」

「嫌よ。また来るから!」


シェリーはそう言い放って、護衛のもとへ走って戻ると少し離れていた護衛達は、彼に向けて矢の照準を合わせていた。


「お姉様達やめて!どうしてそんなことをしているのよ」

「あの者は、危険な一族なのですシェリー様」

「危険じゃないわ。とても良い人だったわよ」


彼女は目に涙を浮かべて護衛に訴えると、森を後にした。遠めにもそれを見ていたリシアは、複雑な面持ちで振り返り歩いていった。シェリー達が城へ戻ると、城門の前にアドが帰りを待っていた。それに気付いた彼女は駆け寄った。


「お父様、ありがとうって言ってきたわ。ちゃんと聞いてくれた。何も恐いことはなかったわ」

「おかえりシェリー!父さんも今帰って来たんだ。そうか、良かった!本当に良かった。さあ、中へ入ろう。お母様も待ってるよ!」


そう言ってシェリー達は城へ入って行く。城門の前付近には、まるで大勢の人が訪れた後のように雪がならされていた。それに気付いた護衛達は、クスクスと笑いながら城へ戻って行った。しかし、白の国の数々の街からは、この事柄にたくさんの反発があった。アドはじいじに言ったように話したが、みんなは納得がいかないようだった。


その後紅の国方面の護衛にアン、碧の国方面の護衛にヴンドがつくことになり、付近の賊なども落ち着きを見せた。しばらくしてシェリーは、近くに護衛につくことになったアンにお願いをした。リシアに会いに行くときの、護衛をしてほしいと。


「ねえアン、お願い!誰にも言わないで、護衛について。私、リシアともっと話したいの」

「はあ、わかったわ。でも、そいつが少しでも怪しいことをすれば、斬るからね。大丈夫?」

「大丈夫!それに、そいつじゃないわ!リシアって名前なの」


そして数日後アンを護衛につけて、彼女はリシアに会いに向かった。


「おい、来るなと言っただろ」

「どうして私があなたの言いつけを、聞かなければいけないの?それに、誰にも内緒で来たから大丈夫よ」

「それに、護衛もたった一人。もっと自分がどういう人間なのか考えろ」


それを後ろで聞いていたアンは、自分の知り得る彼らとは違う印象に、少し驚いた表情をした。


「たった一人でも、アンなら何百人と変わらないわ。とっても強いもの!」

「シェリー、褒めすぎよ」

「お父様が言っていたのよ?だから、間違いないわ」


アンの名前を聞いた彼は、驚きと同時に少し安心したようにため息をついた。


「なるほど。へえ、お前が陽剣の女神か」

「私のこと知っているのね。だったら怪しい行動はしないよね」

「お前のことを、知らない者のほうが少ないだろう。しっかり護ってやれよ、騎士様」


それから何度も彼女はリシアのもとへ、会いに行った。もちろん誰にも内緒で。知っているのは、アンだけ。魔法の勉強道具を抱えて行くことも度々あった。


「それじゃ駄目よ。切っ先がぶれている。あなたの扱う剣は細いから、突くときに折れてしまう」

「うるさいやつだな」


剣を振るうリシアに、アンが口を出すこともあった。そんな様子に、シェリーは魔法の練習に励みながら楽しそうにしていたが、そんな日々は長くは続かなかった。数年後リシア達がいつものように一緒に居るところに、常闇の長である男が三人の前に現れた。


「おや、リシアよ。この者達は、どこの者か」

「!!?」


その声にリシアの顔は青ざめ、動揺を隠せないでいた。そしてその男に、震えるような声を言葉にしながら答えた。


「ザラ様、この者達は・・・私の友であります」

「お前に友など居ったのか。いやいや、どこの者かと問うておる」


ただならぬ空気を察したアンが、シェリーを連れてその場を離れようとした時だった。


「こんにちは、おじ様。私はシェリー。リシアとはいつも仲良くしてもらってます。リシアのお父様?」

「…、いえいえシェリー様。父親では、ありません。どうぞ、ごゆるりと」


そう言うと彼は膝を浸くリシアに、微笑みながら頭を撫でたあと、森の中へ消えて行った。


「ねえ。ねえ!あなた大丈夫?」

「…」

「リシア、どうしたの?」


彼女達が心配から声を掛けたが、リシアは身体を震えさせたまま動けないでいた。


「おい!」

「おれが、甘かった。何重にも、魔法を施しておいたのに。お前にはわかっただろ、アン。もう、来るな」

「異様なことだけは、感じた。忠告、感謝する。シェリー、帰ろう。今は、私の言うことを聞き入れて」

「…、うん」


アンは彼女を抱き抱えて、直ぐにその場を後にした。その後しばらくして森には夜が来たと思わせるほどの、暗闇が辺りを包み込んだ。


「おやおや、ゆっくりしていけと言うたのに。リシアよ、よくやったぞ」

「…、いえ」

「さあ、帰ろう。お前の親御が、多んと馳走を用意しておるぞ」

「・・・、はい」


リシアは、底の見えない不安に沈みながら帰って行った。彼が家に戻ると、父親に出迎えられた。


「よくやったぞリシア。ザラ様から、お褒めの言葉を頂いた。さあ、今日は御馳走だ」

「ああ、…ありがとう」


しかし彼は、どれにも手に付ける気にはならないでいた。ただただ、これから起こるであろう想像の出来ない恐怖に、怯えていた。


「ねえ、アン。何かあったの?」


彼女は汗ばみながら、必死に駆けるアンを初めて見たことで心配していると、アンは城までもう少しのところでシェリーを下ろすと、辺りを確認して一息ついた。


「もう大丈夫そう。シェリー、もうあそこには近付いてはダメ。リシアも言ってたでしょ」

「どうしてダメなの。アンが一緒居てもダメなの?」


アンはその問いに、少し考えて答えた。


「シェリー、私は今まで何度も凶悪だの危険だのと伝えられている者を相手にしたことがあるの。でも、今まで自分が倒れた後のことが頭を過ったことはなかったの。今日は、今までと違った。あなたを、護ることが出来ないかもしれないと感じた。リシアには、私から話しておくから。お願い、もう行ってはダメ」

「…わかったわ。ありがとう」


彼女は城までシェリーを送った後、常闇の森方面へ出向いた。そして森周辺を見て息を飲み、黒ずんだ闇に森が包まれているのを見て、直ぐにアドに報告に向かった。


「アドは!?先生はどこ!?」


城に戻ったアンは、息を乱しながら城内に叫んだ。


「国王なら、少し前に屋上へ」


屋上ではアドが一人、森の方を眺めていた。そしていつもより、何処と無く思い詰めたような顔をしていた。


「先生!森周辺で異変が!」

「おれが、甘ったれているのかな」


そう呟いた後、少し驚いたように振り返ったロアは笑顔を見せていた。


「アンか、大丈夫。シェリーをよろしく頼むぞ。ヴンドと協力しろよ。お前らは、二人で一人前なんだから」


アンの頭を強引に頭を撫でて、アドはその場を後にした。アンは何かを言おうと、言葉を探したが、結局去っていくアドの後ろ姿を見つめるだけになった。その夜、シェリーはベッドの上で眠れずにいた。彼に、また合えるようになるにはどうすればいいのか。そして、一つの答えにたどり着いた時、部屋の扉が開いた。咄嗟に、眠っているふりをして瞼を閉じたシェリーがうっすら目を開けると、そこにはシエナが居た。


「愛してるわ、シェリー。おやすみなさい」


シエナはふわふわの毛布をかけ直して、シェリーの頭をそっと撫でたあと、そう言って部屋を出ていった。先程たどり着いた答えへの決心が、シェリーの中でより強くなった。翌日アンがリシアの元へ行くと、彼はいつも三人で居た場所で魔方陣を描いていた。今後のことを話して彼女は直ぐにその場を離れ、彼は魔方陣を描き終えると囁いた。そうすると、昨日まで三人がいた場所は、あっという間に様変わりしてただの茂みになってしまい、もう三人が慣れ親しんだ思い出の場所は、跡形もなくなくなってしまった。そして彼もしばらく立ち尽くした後、その場を去っていった。


「あれ?確かにここのはずなのに」


少ししてその場所にシェリーがやってきた。今度は本当に誰にも内緒に、たった一人で。


「おやおや、リシアを探しているのかね?」


森で一人迷うシェリーの前に、ザラが声をかけてきた。彼女は彼に手を引かれ、森の奥へ案内されて行く。


「みんなはおじ様達は、悪い人だと言うの。こんなに優しくしてくれるのに。リシアにも何度も来るなって言われたわ」

「意地悪はいけないね。後でリシアに言ってやろう」


そんな話が終わる頃、森の道を抜けると常闇の集落に出た。集落の隅のほうで、一人火にあたるリシアが、ザラに手を引かれているシェリーに気付いて目を見開いた。彼女は手を引かれたまま集落の中央にある台座へザラと共に上った。


「皆の者、復讐の時は来た!我々の数十年の怨みを、思い知らせてやろうぞ!」

「おじ様!?復讐ってどういうことなの」


慌てるシェリーの腕を、ザラは強く握り押さえ付けた。その様を見ていた常闇の者達は、一斉に歓喜に湧いた。ただ、リシアを除いては。


「おじ様!離して!どうしてこんなことするの!?」

「甘ったれた小娘よ。お前の親は阿呆よのう。白の王国は、いつの世も甘ったれておるの」

「取り消しなさい!お父様もお母様も、あなた達を信じていた!」

「それが、阿呆だと言うておる」

「その子を、その人を離して下さい」


リシアの声に、辺りは静まりかえる。そして、そんな彼へ嘲笑や罵声が飛び交いました。


「ザラ様に刃向かうとは。やはり頭可笑しい」

「お前みたいな者が、何を言っているんだ」

「何時ものように、一人でどっか行ってなよ」


それに悔しみを噛み締め、リシアはまた口を開いた。


「聞こえなかったのか?その人を、離せと言ったんだ」

「リシアよ。お前には、端から期待などしていなかったが、ここまで失望させられるとはの。皆の者、其奴はもう同胞ではない。殺せ」


リシアに対して、常闇が迫った。彼はは自らの用いる力を使ったが、常闇の勢いに一人では敵うはずもなく、あっという間に闇にのまれてしまった。それを見ていたアリスは魔法を使ってザラの手を払いのけ、リシアに駆け寄った。横たわる彼を抱き寄せて、シェリーは泣きながら名前を何度も呼んだ。


「…シェリー、大丈夫だ」


消え入るような声でリシアは答えたが、彼等の魔法に気を失い二人はそのまま縛り付けられてしまった。その後、集落の地面にはそれと同等ほどの魔方陣が描かれ、中央には大きな壷か置かれた。


「…シェリー、大丈夫か?」

「……」


夜が近づき薄暗くなる頃、リシアは目を覚ましてシェリーに呼び掛けたが、彼女は気を失っているようだった。そして辺りでは、皆が宴を開いていた。


「皆の者、今日は客人を招いておる。この方は紅の現国王、ヴェルグ王である」


ザラに紹介をされたヴェルグは少し会釈をして、荒々しく腰を下ろした。寡黙だが獣のような風貌に、荒々しい身の振舞いをする男である。


「明日はいよいよ我々が待ち望んだ日であるぞ。忌々しい人間どもに、このようなところに何十年も閉じ込めた恨みを思い知らせてやるのよ。白の国の王女という、良い駒も手に入れた。明日は我々にとって良い日になるぞ」


そう言って振り返ったザラがリシアを睨み付けると、彼は恐怖に尻込みして、目を反らした。シェリーは、気を失っているままだったが、リシアはずっと逃げ出す隙を伺っていた。宴も終盤に差し掛かり、ザラが二人から離れるときを待っていたところ、ついにその時は訪れた。ザラが皆に酒を注ぎに回ったのを機に、リシアはすかさず縄を切ってシェリーを助けようとした。


「あいつが逃げるぞ!」


彼がシェリーを抱き抱えた頃には、周りを囲まれていた。そしてヴェルグが動こうとすると、ザラが目で合図をして止めた。


「リシアよ、この状況でどうするというのだ」

「ザラ様、お願いです。この人だけは、助けて下さい。どうか」

「逃がしてみよ。四方八方を塞がれたこの状況で、出来るのであれば、だがのう」


リシアは、そう言われると囁き始めた。そして片手で勢いよく降り下ろすと、落雷の様な音と共に空間が切り裂かれた。その光景に皆は響めきたった。


「なんと、我はお前をただの甘ったれと思うていたが。まさかその魔法を扱えるとはのう。明日までに帰って来い。さもなくばお前の帰る場所は、無いぞ」


リシアは動揺をしながらも、切り裂いた空間へ逃げ込んだ。そこへヴェルグが二人を捕らえようと、とてつもない速さでたどり着いたが、空間は閉ざされてしまった。


「匂いも、消えた。もうこの辺りにはいない」

「いやいや、あっぱれ。さあ、皆の者よ。宴を続けよう」


切り裂かれた空間から抜け出た二人は、常闇から離れた場所の雪原に出た。そしてリシアはすぐに、近くの茂みに身を隠した。もう魔法を使う力が残っていない彼は、雪を掻き分け気を失っているシェリーを凍えさせないように、羽織っていた物を被せた。そして、力尽きるようにシェリーの隣に倒れ込んだ。しかし辺りでは、獣の遠吠えや物陰で音と、起き上がることすら儘ならない彼は、それらにとても恐怖した。満天の星空の下、震える身体でシェリーを抱き寄せて、祈るように夜が明けるのを待った。


いつの間にか眠ってしまったリシアは、朝日に飛び起きるように目覚めると、慌ててシェリーの息を確認して安堵した。そして、彼女を抱き上げて、町を求めて歩き始めた。その頃白の国中は、シェリーが居なくなったことが騒がれていた。様々な憶測や情報が飛び交い、白の国中では王であるアドへの批判が強まっていた。そして常闇の森を捜索するために、魔法人や碧の国の騎士が集まり、それらが森へ向かう前にアンは単独で常闇の森へ向かっていた。リシアがやっと近くの町にたどり着くと、その町でもシェリーのことが伝わっていたことで大騒ぎになった。


「その人を、頼む…。早く、…温かいところへ」

「お前は…!常夜の者か」

「まさかお前らの仕業か!」

「シェリー様は無事か!」


彼の容姿を見て、常夜の者と気づいた人々は口々に罵り、シェリーを奪うように彼から引き離すと、町の外へ追いやった。


「出ていけ、二度とくるんじゃねえ!」

「シェリー様をひどい目にあわせるなんて」

「ちが…」


リシアは人々を見上げながら訳を話そうとしたが、聞いてはもらえずそれどころか、突き飛ばした彼に氷の魔法を浴びせられた。それに耐えきれず、血を流しながら彼は走って逃げた。逃れた先で立ち止まり、頭のなかでザラの言葉が響いた。


「…帰ろう」


リシアはもう手足の感覚はほとんどなく、ふらふらとよろめきながら、常夜の森を目指して歩いた。アンが最後にリシアに会った場所に辿り着くと、常夜の森の方で赤黒い煙が立ち上っていた。それを見て危険を感じた彼女は、捜索部隊を止めるために引き返した。城へ戻り出向こうとする皆は、彼女の話に響めいた。


「皆様、一先ず城へ待機してください。国王の帰還を、待ちましょう」


話を聞いていたシエナが、皆を落ち着かせた。それはまるで自分へ言い聞かせるように。


「こんなときにアドは何処へ行ったの!?」

「それが、昨日碧の国へ行ったきりで」


呆れと怒りの入り交じる彼女の前に、一人の騎士が血相を変えて走って来た。先日幼いながらも一級騎士に昇格して、捜索に参加していたマグトナだった。


「アンさん、シェリー様が保護されました!今ヴンドさん達に連れられて、この城へ向かっています。おれはまたヴンドさんのところへ戻ります!」


その報せに歓びあい、涙を流すものもいたり皆は安堵し、アンとシエナはその場に経たり込んだ。


「よかった。本当によかった」

「良い報せをありがとうマグトナ。あと、ヴンドにも伝えてほしいことがあるの」


アンは常夜の異変のことをマグトナに伝えて、後を見送った。

その頃、リシアは森の近くまで戻っていた。そして立ち上る煙を見て焦り、痛みに向かって進める足を早めた。マグトナがヴンド達のもとへ辿り着くと、騎士の称号を剥奪された者達に襲われていた。シェリーを抱き抱えているヴンドを、周りの騎士達は必死に守っているところだった。


「先生、先輩達も先を急いで下さい!ここはおれが引き受けます。常夜でも何かあったみたいだから急いで!」


「ばーか、流石に一人じゃ無理だ!お前ら、こいつを手伝ってくれ。後はおれに付いて守ってくれ!」


マグトナと入れ替わるように、ヴンドは先を急いだ。残ったマグトナは剣を抜き、そして構えた。


「大丈夫だって言ってんのに」

「生意気なガキだな。なめて掛かるのは勝手だが、おれたちも元騎士。お前の両脇に突っ立ってる奴等の先輩ってやつだ。強えぞ?」

「確かに、あんた達は強そうだ。だけど、おれのほうが強い!あんた達じゃ、おれは越えて行けないさ」


そう言って彼は剣を強く握り締め、元騎士達に飛び込んで行った。マグトナの勢いで攻勢に転じたが、一人の騎士が傷を負ったのを機に、元騎士達がその騎士に攻撃を集中させた。それをマグトナは、辛うじて防ぐことが出来たが、多数の傷を負ってしまった。


「ダメだ。おれはこんなんじゃダメだ。守るって、難しいんだな」

「急に剣を下ろして、どうしたよ」

「おれには、追い付かないといけない奴がいるんだ。まさか初陣で見せることになるとは思わなかった」


マグトナが剣を構え直すと、彼の身体や鎧までも紅く染まって行った。そして、彼は思い切り地面に剣を突き刺した。そうすると、横一線に火柱が立ち上った。炎に雪が溶け行くなか、マグトナは剣を引き抜き、元騎士達へ向けた。


「言っただろ。あんた達では、おれを越えて行けない」


木々を掻き分け、道なき道を帰るリシアは集落に帰りついた。しかしたどり着いたその場所を見て、目を覆った。地面に描かれていた魔方陣は消え去り、辺りには夥しい量の血痕が飛び散っている。黒ずむ血痕に浸るように、リシアの母親の帽子も落ちていた。


「母上…、みんな…」


膝を付いて黒ずむ帽子を握りしめ呆然とするリシアは、大きな壷に腰掛ける人影を捉えた。そこには、口が裂けそうなほどに笑みを浮かべるザラがいた。


「おお、よう戻ったのう」

「全部、あなたが…」

「人聞きの悪いことを申すでない。皆、自ら赴いたことじゃ。全員とは、言わぬがのう」


高笑いを上げながらザラは上着を脱ぎ捨てると、露になった身体には、魔方陣が描かれていた。


「思い知らせてやろうぞ」


そう言ってザラは、壷の中へ落ちて行った。その中からは、悲鳴ともとれる雄叫びが響いてくる。そして徐々に壷に罅が入っていき粉々に砕けて消えると、そこからは禍々しい色をした煙が空へ向かって噴出した。その煙は、それまでに上っていた煙を巻き込むように渦を巻き始めた。


「何だあれは!?」


渦巻く煙を見上げた人々は、響動めいた。そして渦の中から、何か大きなモノが姿を現した。それは鋭い鉤爪に鋭利な牙を持ち、大きな翼に鋭く長い尾があり、六つの目のある獣のようなものだった。


「た、直ちに城へ防護壁をはれ!」


白の魔法使い達は、怪物の姿を見て慌てて防護壁の魔法をかけ始めた。そこへ、シェリーを抱えるヴンドが城へ到着した。


「も、もう走れねえ!姉さん、シェリーと早く城に入ってくれ!」

「シェリー!本当にありがとう。ありがとう」


ヴンドからシェリーを抱き渡されると、シエナは急いで城に入って行った。それを見送ったヴンドは、息を整えてアンの所へ向かった。煙が全て消え去ると、怪物は咆哮をあげて城へ向かって飛び始めた。途中にある街などを、弄ぶように薙ぎ倒しながら飛び続けて、その勢いのまま城へ衝突した。しかし防護魔法で、はね飛ばされた怪物は、もう一度勢いをつけるために距離を取った。


「私がやる、あなた達は城を守って!」

「おーい!待て待て」


彼女が剣を抜き怪物に攻撃をしようとした時、左腕をだらりとさせ血を流している、傷を負ったアドが陽気に戻って来た。


「アド!!今まで何をしていたの!?」

「泣くなよアン。相変わらずガキだなー」

「アンを泣かすなよ!」


怒る彼女をからかうアドの後ろから、ヴンドが来て彼に飛びかかった。


「うるさいガキどもだな。ほら見ろ、氷兎を見つけてきたんだ!」

「いらない!」

「お前にじゃないよ!シェリーにだ。アン、渡してきてくれ」

「それどころじゃない!」

「そうなんだよ!だから早く渡して戻って来い」


無理やり氷兎をアンに渡して、アドは左腕の傷の手当てを始めた。それを見て涙を拭いながら、アンは走って行った。


「その傷、どうしたんだよ」

「運命に懸けてきたんだ」

「意味わかんねーよ」


彼女が戻ってくると、アドは槍を手に取り立ち上がった。だらりとさせている左腕からは、布から血が滲んでいた。


「まだ血が止まってねーぞ先生!」

「無駄よ。もう、戦闘体勢に入ってる」

「お前らに、おれの戦闘を見せる。よく見とけよ」

「片腕使えないじゃん」

「うるせーよ!カッコつけさせろよ!」


そのとき怪物が勢いをつけて、また城へ突撃をした。魔法壁に罅が入ると、そこへ向けて怪物は熱線を浴びせた。その威力に、魔法壁は破られてしまい、無防備な城が露になった。


「スヴァーノ、氷牢壁をやれ!アンは、攻撃をうち流せ。あと、お前らから攻撃はするな!」

「その名前で呼ぶんじゃねえ!」

「わかったわ」


命令通りに、ヴンドは魔法を使い城の大きさほどの氷の壁で、怪物とアドを閉じ込めた。


「お前、常闇の怪物だな」

「ヨウシッテオルナ、コゾウ」

「碧の王に、聞いたことがある。お前にはもう恨みは生ませない」

「アオノオウ。アヤツニモ、オモイシラセヨウ」

「させない。おれが立ち塞がるんだ。諦めろ」


アドの話が終わるのを待たずに、怪物は鋭い尾で彼を叩いた。それを切っ掛けに、彼も攻撃を始める。その激しさに、ヴンドの氷牢壁が耐えられずに、怪物は外に出た。


「意外と保ったな」

「お前ら!絶対手出すなよ!」


氷牢から飛び出してきたアドはそう言って、怪物へ追撃した。片腕しか使っていないとは思えないほどの槍捌きで、怪物へ猛攻を仕掛けていく。怪物は堪らず尾でアドを叩き落として、そこへ向かって熱線を放った。雪に埋もれながら、アドは地面へ手をかざしたあと、勢いよく空へ向かって腕を振り上げた。そうすると、雪を押し退けながら地面が反り返り、熱線を阻んだ。


「すげーな」

「…」


そしてアドは地面から鉱物だけを操り、武器へ変化させていく。アンとヴンドが息をのむなか、それを見ていた怪物が口を開いた。


「ホウ、タイシ…」


怪物が言葉を発しようとした瞬間、アドは鋭く尖らせた鉱物を操り、怪物の顎の下から突き刺して口を閉ざした。それに激昂した怪物は、暴れ狂うように業火を吐き散らしたあと、アドに向かって突進していった。アドは操る鉱物を盾にして受け止める。そして鈍く大きな音が響き渡った。熱線や業火を吐き散らしながら、怪物は何度も彼の盾に体当たりを繰り返していく。鈍く大きな音は、城内にも響いていた。


「…お母様」

「シェリー‼良かったわ。本当に良かった」

「リシアは?リシアはどこ!?」


シエナに抱きしめられながらも、飛び起きるように目を覚ましたシェリーは、彼の名前を何度も呼んでいた。


「リシアはひどい怪我をしているの!早く手当てをしないといけないの!お母様、リシアはどこにいるの」

「その人は、大丈夫。今は、眠っていなさい」


そう言い聞かせながら、シェリーに魔法をかけて眠らせたシエナは、屋上に出た。崩壊した街やなぎ倒された木々、それらを見てシエナは祈るように手を合わせて、囁いた。


「もうこれ以上、傷付けさせない」


彼女の魔法は、城だけではなく辺り一帯を覆うように広がっていく。その光景に、魔法使いたちは見とれていた。


「シエナか!流石だな」


振り返り彼女の魔法を見ているアドは隙をつかれて、怪物の鋭い尾が彼の左肩を劈いた。貫かれたまま持ち上げられたアドに、怪物は業火を吐こうと大きく口を開ける。しかしその時、碧の国の方で空に向かって大きな音と共に雷が昇った。それを見た怪物は、尾で刺しているアドを振り捨て、雷が登った方へ飛んで行こうとした。


「スヴァーノ‼」

「だから、その名で呼ぶなって!」


アドの声に、ヴンドは勢いよく無数の氷柱を立ち上らせて、怪物の進路を断った。アンはアドに向かって自らの光を照らし、傷の治癒を早めていくが、始めから傷ついていた左腕には、もう力が入らないでいた。普段とは違う痛々しい彼の姿に、アンは光を当てながら涙を堪えた。


「アド!私たちも戦わせてよ、もう見ていられない!」

「ダメだ!お前らだけじゃない、他の誰にも手は出させない。最後までちゃんと見てろ!」


そしてまた、彼は怪物に目掛けて槍を投げ付けて向かって行った。追撃する彼は鉱物を槍や剣など、あらゆる武器に変化させながら戦い始めた。二人に見せつけるように、どの武器を使っていても無駄の無い身のこなしで、少しずつ怪物を紅の国方面へ追いやって行く。そして追いやられていく怪物の後ろには、星の溝と云われている底の見えない谷が迫っていた。それに気付いた怪物は、抵抗を強めるように暴れ狂い、アドは鉱物を数千の槍に変えて、たたみ掛けるように猛攻を仕掛けた。


「お前に恨みは生ませない。恨みであるお前に、誰も触れさせない」


怪物の熱線や業火、鉤爪や鋭い尾で彼は身体中ぼろぼろになっていた。しかし怪物も、アドの猛攻に片翼には穴が開き、牙も爪も折られている。そしてついに、星の溝に落とされかけた怪物は、必死に両翼で持ちこたえた。


「これで、最後だな」


アドは崖にしがみ付く怪物の上に飛び上がり、操る鉱物を全て集めて一つの大きな十字の刃を作り、雄叫びと共に怪物に突き落とした。それに怪物は耐えられるわけもなく、咆哮と共に星の溝へ落とされた。しかしその最中、鋭い尾がアドの右肩に突き刺さり、抵抗出来ないまま怪物と共にアドも星の溝へ引きずりこまれた。


アンの叫び声が響き、アドを助けようとした彼女の姿は星の最期に見える瞬きの様だった。解き放たれそうな彼女が星の溝に飛び込もうとしたのを、ヴンドが勢いそのままに体ごとぶつけて倒れ込み、自分の身体諸共を凍てつかせて光を抑え込んだ。


「離して!」

「離せない!お前まで死なせい!」

「あいつはまだ死んでない…!」

「しっかりしろ!お前も始めからこうなるって、感じていただろ」


彼は彼女の頬を引っ叩いて、話を遮った。そして暴れて崖へ向かおうとするアンを、無理矢理抱きしめて氷の中に閉じ込めた。


「見事だった。立派だった!白の国王は、おれたちの先生は。

本当に、立派だった」


彼はただアンを抱き締め、彼女の凍てついた目からは涙が流れた。城に居たシエナは報せを聞くと、いつものような温かさのある表情を無くして、塞ぎ込むように口を開く事も少なくなった。そんな彼女に、幼いながら自分が何も言えないことを理解したシェリーは、アドが連れ帰った雪兎と共に唯々付き添うように側にいた。ヴンドはアドの居なくなった後を埋めるように尽力し、アンは逃げるように一人で居るようになった。


「お母様、行ってきます」

「何処へ行くのシェリー。あなたまで私の側から離れて行くの?」

「いいえお母様、碧の国から使者が参られているの。直ぐに戻って来ます」

「嘘よ。そのまま居なくなるのでしょう。あなたもいなくなるのね」

「私はお母様の側にいるわ。心配しないで。直ぐに戻ります」

「ダメよ!行かせない」


怪物との戦いから数年後、シエナの言葉を置き去りにシェリーは使者であるヴンドに会いに向かった。閉じた扉の向こうからは、シエナの泣き叫ぶ声が薄っすらと響いていたままに。


「シェリー様、大丈夫ですか」

「ありがとうじいじ。私は大丈夫。直ぐに戻ります」


心配そうに声をかけるじいじに、微笑み答えた彼女は足早にその場を後にした。広間には、大きなあくびをしながらヴンドが待っていた。


「お待たせしました。そしてごめんなさい。お母様は、今日も体調が優れないの」

「そうか、残念だ。でも後で扉の前から声を掛けさせてくれ。それにしてもシェリー、また少し大きくなったな!」

「ありがとう。ヴンドは後ろ姿が、お父様にそっくりに見える」

「いいや、おれなんてまだまだだ。はやく、追い付けるように頑張るよ」

「アンは元気?もう何年も会ってないから」

「心配ないよ!相変わらず稽古でも勝てないし!大丈夫だ」

「また、アンにも会いたい」

「おう!伝えとくよ」


二人はそんな会話のあと、シエナの部屋へ向かった。外からの問い掛けに反応が無かった事に、二人は部屋へ入った。そして部屋の扉を閉めるヴンドの後ろ姿を見たシエナは、ひととき目を見開いたあと涙を流した。


「来ないで。…帰って」

「どうしたんだよ姉さ…」

「出ていきなさい!」


シエナが怒鳴ると、鋭い氷がヴンドを容赦なく追い立てた。堪らず城の外まで逃げ出したヴンドは、渋々碧の国へ帰って行った。


「落ち着いてお母様!もう大丈夫。大丈夫よ」

「こんな私を置いて、あなたも居なくなるんでしょう」

「私はそばにいます。安心してお母様」


取り乱す彼女は、シェリーに背中を擦りながら抱きしめられて、ようやく落ち着きを取り戻して眠りについた。次の日の夜、シェリーは夜中に眠れずにいた。


「このままではいけないわ。でも、どうすればいいのお父様」


そんなとき、部屋に微かな爆発音が響いた。その音を不思議に思い、屋上から辺りを見渡すと碧の国の空が明々としていて、煙が立ち上っていることに気が付いた。


「シェリー様、あれはいったい…」

「じいじ、碧の国で何かあったみたい。少しの護衛と、魔法士を集めて!」


シェリーの指示に、真夜中にも関わらず広間に人が集まり始めた頃、そこへシエナが現れた。


「これは、何事ですか?」

「お母様、碧国の方で何か起きています。お母様の代わりに、私が行ってきます」

「なりません。あなたが行く必要はありません」

「でもお母様…!」


二人のやり取りを静観していたじいじが、話を割って入った。


「シエナ様の意見に、わしも賛成です。あなたが行く必要はない」

「でもいつも碧の国は私達に何かあった時に、アンやヴンドまで駆け付けてくれていたじゃない!」

「なりません!シェリー意外のあなた達に命じます。碧の国へ行って、情報を得てきなさい」


その命令に従い魔導士達は碧の国へ向かい、シエナは部屋へ戻りじいじはその後を追った。そして誰も居なくなった広間に、シェリーはうつむいたまま、そこに一人立ち尽くした。それから部屋に戻ってもシェリーは眠ることが出来ずに過ごしていた。外が明るくなり朝に様変わりした頃、碧の国の様子を眺めに窓際にもたれ掛かり、シェリーが何気なく眺めていると、視界の隅で人影が見えた。そしてその後ろ姿にヴンドだと思った彼女は声をかけた。


「ヴンド!碧のほうで何かあったの!?」


しかし、少し遅れて声に反応したその人物が振り返ると、それはヴンドではなくアドにそっくりな男だった。その男は、シェリーを見て目があった途端に、慌てて去っていった。


「…そんな。お父様、お父様だったわ!お母様ー!じいじー!」


シェリーは慌ただしくシエナの部屋に飛び入った。そしていつものような虚ろな表情のシエナの手を取り、彼女は涙を流しながら話した。


「お母様!城の前にお父様が居たの!」

「どうして、どうしてそんな話ができるの?馬鹿なこと言わないで!あの人はもういないのよ」

「でも私は見たの!あれはお父様よ!」

「そんなはずない。期待をさせないで」

「私は本当に見たもの!」


そう言い放って泣いたままシェリーは自分の部屋に戻り、そのまま眠ってしまった。そして次の日、目を覚ました彼女はたくさんのことを考えた。シエナのこと、アドのこと、白の国のこと、自分自身のこと。そして、幼い頃に抱いた決意を新たにして、支度を始めた。


「お母様。先日私が見たのは、やっぱりお父様だと思うの」

「またその話ね。お父様は、もういないのよ。いい加減にしなさい」

「私は私の見たものを信じたい。お父様を、探しに行ってくるわ」

「あなたまで私のそばから、居なくなるのね」

「お母様、私は少しの間城を離れます」

「なりません!絶対に行かせないわ!」


シエナの制止を振り切り彼女は自分の部屋へ戻り、そして荷物を取り、出ていこうとした時だった。シエナは魔法を使い、城を氷で覆ってしまった。


「私は行かなければ。お母様は私を、自分とお父様の娘だということを、忘れているのかしら。この程度なら突き破れるわ」


シェリーは重ねた両手を前に付きだして囁いた。そうすると、氷柱が部屋の壁ごと氷壁を突き破り、さらに彼女が重ねた手を離して広げると氷柱の中央が広がり、氷の穴が出来上がった。シェリーはその中を滑り降りて、簡単に城の外へ出た。走りながら振り返ると、彼女が通った氷柱を、シエナの氷柱がへし折ったのが見えた。それを見たシェリーは、ただ前を見て走り続ける。


「とにかく碧の国へ。お父様とそして、じいじが言っていた樹の世界へ」


城への道が閉ざされた彼女は、碧の国へ向かった。幼い頃からの昔話に聞く樹の世界といわれる場所を目指して。


「我としたことが…!我の腕が。あの男を甘く見すぎた」


碧の城から逃げ延びたリシアと紅蓮の騎士は、白の国付近の森で腰を下ろした。ヴンドの攻撃に、リシアの腕は凍りついて動かせないでいた。その様子に見向きもせず、紅蓮の騎士は碧の城のほうを見つめていた。


「これからどうするんだ」

「ここらで我らの仲間と合流のはずだ。あやつめ、何処にいった」


二人は彼のいう仲間をその場で待つことになった。大きな音に目を覚ましたリシアが辺りを見渡すと、一帯が黒い炎で覆われていた。そしてその中には、佇む紅蓮の騎士と地面に倒れ込む数人の白の魔法士がいた。


「紅蓮の騎士よ、何事だ」

「碧の国へ救援に行くと言うから。敵だろ?弱かったけどな」

「お前が強いのだ。これでも白の国ではそれなりの魔法士だろう」


そこへ茂みの中から、人影が現れた。紅い装束を身に纏い、どことなく気品の感じとれる男だった。


「僕だ。ノアだよ。黒鋼の騎士に代わって来た。何してるの?」

「代わりだと?なぜあやつは、ああも自分勝手なのだ。まあよい、この様だ。護衛を頼む」

「なにその腕。そっちのが目当ての人か。こいつらは、殺す?」

「そうだ。我等の新しい仲間だ。放っておけ。そんな価値はない」


その言葉に紅蓮の騎士は剣を下ろし、ノアは鋭く研ぎ澄ました爪を納めた。そして三人は、その場を後にして常夜の城への帰路に着く。





白の王国編 終



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