幕間 桜吹雪に火花舞う
窓の外を見遣れば、満開の山桜が雲一つない晴れ上がった青空を背景に惜しげもなく花びらを散らしていく。
入学式を無事に終え、手持ち無沙汰の由菜は青春ぶって頬杖をつき黄昏れていた。
「よう」
「……透」
後ろの扉から入ってきた透が声を掛けた。
一昨日ぶりの彼の姿を見て、おや? と由菜は小首を傾げる。
ブレザーの前が開いている。ボタンを掛けていないのだ。ネクタイも軽く緩めているようだ。
学年一真面目な首席は、あれだけキッチリ着こなしていた制服を多少なりとも着崩していた。といっても、聖スタウロ学園の校則はかなり緩いので、着崩している程度どうということはないが。
ゴシックロリータ調に魔改造している猛者もいるので、教師たちも気にしない範囲だろう。
「どうしたの? それ」
「……イメチェン……のつもりなんだけど」
心境の変化を問えば、そんな可愛らしい返答がなされた。
大人には「真面目な良い子」を。わたしには「理想の男の子」を。
思えば、透は誰に対しても都合のいい自分を演じていたのだから、心の奥底では無理をしていたのかもしれない。
開放的になれたのなら、喜ばしいことだ。
「そうなんだ。いいんじゃない? 実はわたしもちょっとイメチェンしたし」
凜々花ちゃんとも微妙に被っていて、気まずかったツインテールをやめたのだ。
透とデートをした日と同じツーサイドアップにして、テールを三つ編みに結わえ残りは背中に垂らすという髪型にした。
「あぁ。似合ってる……けど……」
ジッと透は由菜の頭部を見つめた。
「な、なに? 何か変?」
「なんとなくこの辺が寂しいな。リボンか花飾りでもあれば、きっと華やかになるだろう」
音もなく近寄ると、スルッと由菜の間合いに入り込んだ。テールを手に取って、付け根に視線を下ろす。
躊躇いなく距離を詰めてきたことに、少なからず動揺した。心拍数が急上昇し、頬に熱が集まっていくのが分かる。
「……すまない。配慮が足らなかった」
「ううんっ!? 確かにヘアゴムだけじゃ味気ないよね! わたしってばうっかりしてたよ」
ちょっと顔を背けながら、離れていく透。
わたしだけ意識して恥ずかしい……と思っていたら、彼の耳が僅かに赤く染まっていることに気づいた。
(……脈ありだと自惚れていいのかなぁ)
無意識のうちに触れられた場所を撫で付けていると、前の席に人影がやってきた。
「おはよーさん」
「あ、おはよう」
「き」の前は「か」。つまり篝貴斗しかいない。本日も洒落たヘッドホンを首にかけていらっしゃる。
例の怪物化騒動の後、チームメイト揃って顔を合わせるのは久しぶりだった。
「いやー、それにしても春休みは大変やったな。まさかあんな事件に遭遇するとは」
いきなり切り出された話題に、由菜と透の肩はビクッと跳ねる。
今日の天気とかではなく、初手から禁忌に触れていく辺り半端ない度胸を感じさせる男だ。
「……そ、そうだね」
透はジト目で睨み付けていたが、他の生徒がいる手前、下手に注目を集めるようなオーバーリアクションは避けたい。やんわりと相槌を打っておくに留めた。
「オレ、実はあの一件で『天つ少女』のファンになってしもうてな~」
「……え」
そこで漸く、由菜は顔を上げてちゃんと貴斗の顔を見た。
目元に優し気な微笑みを湛えて、どこまでも穏やかな表情をしていた。
「そういうことにしておいてくれへんか? 二人が言いたくないんなら、オレは何も聞かへん。あの日、見たこと聞いたことは絶対に誰にも言わへん。だから……今まで通り、仲間でいさせてくれな」
「貴斗くん……ありがとう。こちらこそよろしくね」
「おう。……りゅーか、お前もなんかいう事あるやろ?」
「うっ……」
貴斗の制服の裾を掴み、背後で小さくなっていたリュカ。青色のパーカーを重ね着し、目深にフードを被り露骨に視線を避けている。
「……不本意だけど、キリツキの実力は認めてる。だから……その、言いふらしたりしないって約束する。ボクも他人に知られたくないことあるし……詮索はしない」
「そっか……うん。ありがとうリュカくん」
リュカは透を一瞥すると、ふんと鼻を鳴らし去っていった。
「……そこは仲直りしてないんだ」
「生憎な」
「まぁまぁ。リュカもホントは分かっとるんやし、もう少し待ってやってや」
チーム内でも、メンバー同士の意見が割れて統率が取れなくなることはしばしばある。
溝が深まる前に何とかしてほしいところではあるが、両者とも自分から折れる気はなさそうであった。
(色々バタバタしてて、あんまり深く考えてなかったけど――能力者が暴走すると怪物になるっていうのは、かなり衝撃的だし戸惑うのも当たり前だよね……)
ひとたび魂が闇に墜ちれば、肉体を取り込んで他の人間を襲い始める。
能力者が世間に対して秘匿とされる大部分は、人の世に排除されないために講じている予防策なのだ。
(……そういえば、世界に秘密にしなきゃいけない《特殊能力》とか《神器》とか、めっちゃ大っぴらにしちゃってるよねわたし!? でも自分からばらしたわけじゃないし……!)
なんて言い訳がましい事を誰に言うでもなく脳内で喚きながら頭を抱えていると、教室の扉が開かれた。
「はーい、おはよう諸君! 入学式お疲れ様! 今日から中学生だね~」
朝っぱらから疲れるハイテンションで教壇に立っているのは……
(そうだ……こいつを忘れていた)
「今日から君たちの担任教諭を務めます。英語担当の紫羽リオです」
ガタン!
怨敵が現れた条件反射だろうか、長椅子から飛び上って身構えてしまう由菜。
シャルーアは女子寮でお留守番を言いつけており、手元にない。
もちろん、冷静に考えてみればいくら敵同士と言えど学校内で戦いをふっかけてくるほど考えなしではないことぐらい分かるのだが――
目と目が合えばすぐさま殺し合いをしてきた仲なので、どうしても過剰な警戒心を抱いてしまう。
「由菜さんってば初日からやる気満々だね。先生は嬉しいよ」
あろうことか《波動》を滲ませて、殺気を飛ばしてきた。
否、殺気だけでなく、教壇を真っ二つにする三日月状の光の刃を実際に放ってきたのである!
咄嗟に左側へ飛び退いて回避したものの、縦に走る白刃は背後に並ぶロッカーに斬痕を刻んだ。
「…………」
しーん、と静まり返る室内。
(おいおい……学校内だぞ。そんな突発的に生徒に《神業》使ってくる教師がいるか! というか、これってわたしがケンカ売ったことになるの?)
先制攻撃を仕掛けられ、心臓をバクバクさせながら懸命に頭を働かせる。けれども、良い案は湧いてこない。
チームメンバー含むクラスメイト達は、何が起こっているのか全く理解できていないようだった。
安心して、わたしもできてないから。
教壇の残骸を踏み越えて、哀愁を漂わせながらその手に光の槍を出現させた。
「もうこれで……職を失ってもいい」
「いやダメでしょ!?」
とうとう職務放棄を宣言しやがった。いやそこは躊躇しろよ!
恍惚とした笑みを浮かべて、舌なめずりをする。
魔性を帯びた官能的な仕草に、蠱惑な視線が合わさって由菜を縛り付けた。蛇に睨まれた蛙の如く、身動ぎひとつ出来なくなる。
一歩、また一歩とじりじり近づいてくる。
「ふふふ……まるで恋の綱渡りみたいだね。知ってる? 命の危険を感じると、それを恋のときめきだと勘違いしちゃうっていうやつ」
唐突に吊り橋効果を話題に上げてきた。どうしよう、脈絡がなさ過ぎて話についていけない。
というかこれはマジでヤバイ。由菜は確信した。
(こ、このままだと確実に薄い本みたいな展開になる! 助けて局長~! ていうかあんたなんでこの人担任にしちゃったの――ッ)
A,ひとクラスしかないから。
「恋……しちゃおっか?」
「ギャ――ッ!!?」
くいっと顎を持ち上げられ、色々な意味で終わりを覚悟した瞬間、ガッシャァァァン!
教室の窓ガラスがド派手にブチ破られた。
「まっっっちやがれこの腐れ外道がァ!」
「む」
由菜の絶叫とSOSが天に届いたのか、荒々しい声が悪行を遮る。
床に散らばったガラス片をパキッと踏みしめて、般若を背負った乱入者は腰に両手を当て仁王立ちをした。
「テメェの歪んだ欲望を恋だなんて軽々しく呼んでんじゃねぇぞ!」
……誰?
1-Aにズカズカと足を踏みいってきたのは、裾にスリット加工が施された眩しい太股を晒すセクシーな着物姿の若い女性。着物なのに、お顔立ちは十代後半並みに若く見える。なんだこの矛盾は。でもロリ顔で可愛いからなんでもいいです。頭の両サイドにつけてるデッカイ鈴もバッチグー。
「恋の道に障害無し。恋は仕勝ち。恋と戦争は手段を選ばず。恋の闇。恋より徳せよ。恋の病に薬はない――古くから恋は人を狂わす、抗えない運命そのものなの!
だけど貴方のは叶わぬ恋の滝登り! いいえ、そもそも恋とすら呼べないものだわ!」
ビシッとリオを指差す女性。
やたらと恋について熱弁かましてきたが…………結局のところ、誰だよこの人。
「あ、あの……どちら様ですか?」
完全に興を醒ましたらしいリオをとりあえず後回しにして、おずおずと訊ねた。
「あっ……その、やだ私ったら。みっともない姿を見せてしまってごめんなさいね」
はたと我に返った女性は、瞳を伏せて態度を一変させた。
「あっ。そうよね。まずは先に自己紹介しなきゃいけませんね。私ったら恥ずかしい……。ええと、『清姫』こと花ヶ崎清良って言います。《特殊能力》は火の属性です。
連合王国ブリタニアの外交官として働いていたんですけど、アルデバルト局長に緊急招集がかかりまして……。本日付で1-Aの担任を任されました。あ、みんなには国語を教えます。どうぞよろしくお願いしますね」
柔和に微笑む可憐な仕草からは、とても想像できないのだが――
どうやら、これまたとんでもない二面性を持ち、そこはかとなく癖が強そうな教師が担任になってしまうようです……
新学期早々、キャパオーバー気味の由菜のもとに第三の衝撃が訪れる。
「あ、あのう……」
「――え……ッ!?」
茶色の扉を開けて躊躇いがちに入ってきたのは、眼鏡を掛けた美少女。すらりと背が高く、細身でありながら抜群のプロポーションを持つ、その子は……
「ち……千咲ちゃん!? どうしてここに!?」
「由菜ちゃん……やっと会えた!」
桜野千咲。由菜の唯一無二の親友であった。
ぱぁっと花が咲いたような笑みを浮かべる。
しかし、未だ顎クイの態勢を継続させているリオを見るや否や、こちらも般若のような顔つきになった。あな恐ろし。
「このロリコン変態教師! 由菜ちゃんから離れて! 闇よ、アイツを突き飛ばしちゃって!《影の手》!」
可愛らしいソプラノの声で激昂し、彼女自身の影から生み出された黒い手が伸びて、鞭のようにしなわせるとリオを打ち据えた。
「ぐはっ!?」
天罰の如き会心の一撃を受けたロリコン変態教師は、教室の隅まで吹っ飛んでいき、そのまま窓ガラスを突き破って外に転がり出た。
す、すげぇ。成人男性をあんなにも軽々と押し退けるとは……というか、能力者になっちゃったのか。
「大丈夫!? 由菜ちゃん!」
「ごふっ!」
首が折れそうなほど強く抱きつかれ、呻き声が上げる。こんな細腕のどこにそんな力が隠されているんだ。
背骨がミシミシと不穏な音を立てているが、千咲は気付かない。このままじゃ潰される。
仕方なく由菜は《波動》を背中に集めて守りを固めておく。
「千咲ちゃんまで闇の《ギフト》に目覚めたとは思わなかったよ……」
「うん。あたしもビックリしちゃった。でも……これで由菜ちゃんと一緒にいられるんだって思ったら、居ても立っても居られなくなっちゃって。えへへ」
俯き加減に視線を足元に逸らしながら、照れ笑いを浮かべた。か、可愛い。絶対クラスメイトの男子何人か悩殺されたわこれ。
花ヶ崎は「あら~、微笑ましいわね~」と能天気かつズレた発言をしている。
千咲は自分がクラスメイトの視線を集めていると気付き、サッと由菜の背中に隠れた。
「……キリツキ、そいつ知り合い?」
「あ、うん。地元の小学校の同級生で、わたしの親友。桜野千咲ちゃんっていうの。この通り、恥ずかしがり屋さんだけど、すっごく優しくて良い子だよ」
リュカの問いかけに答えながら、紹介していると……ズルリ。割れた窓ガラスから左腕が入ってきた。続いて頭、上半身を現し、窓枠に撓垂れ掛かる。
「くっ……まさか生徒と教師の禁断のラブストーリーが邪魔されるなんて」
「やめてください。気持ち悪いんで」
「気持ち悪い!?」
「そうよ! 由菜ちゃんに汚らわしいこと言わないで! 奈落の底に落ちろ!」
まさか親友の口から闇落ちヒロインのような捨て台詞が飛び出してくるとは思わなかった。
ざっくりと一刀両断した後、トドメにもう一発張り手を食らったリオは、またもや外に放り出された。あの人、色々と大丈夫なんだろうか。この短時間で生徒からの信頼とか地に落ちちゃったんじゃないだろうか。
「安心して由菜ちゃん! 由菜ちゃんはあたしが守るから!」
「あ、ありがとう」
苦笑いで誤魔化し、それ以上のコメントは差し控えさせてもらう。
「さぁ皆、新しい仲間をA組に迎えたところで中学校生活、スタート! 頑張っていきましょうね~!」
随分と風通しが良くなってしまった教室で、花ヶ崎は拳を天に突き上げた。
えいえいおー!という彼女のテンションに誰ひとりとして着いて行けず、沈黙が支配するのみ。
由菜を含むクラスメイト達は『これからオレらの学園生活、どうなっちまうんだよ』と先行きの見えない不安に駆られるのだった。
「……あれ?」
左手首に装着されたゴールデン・アップルウォッチの画面が明るくなる。ニュース速報の通知だった。
なんだろうと思いながら、液晶画面をタップすると宙に小型のビジョンが映写された。画面の中に映っているニュースキャスターが信じられない事を告げる。
«今朝方、宮下防衛大臣が遺体となって発見されました。第一発見者は妻の――……»
「……え?」
宮下大臣って……狸親父の、あの宮下大臣!?
「どうして……なんで急に!? 一体何があったの?」
「さぁ? なんでだろうね?」
「!?」
今し方、外に追い出されたはずのリオが左隣におり、由菜の顔を覗き込んでいた。上げられた口角に不吉な笑みを湛えている。
«……――自宅の寝室の床にうつ伏せで倒れていたと話しており――……
……――背中に日本刀か何かで斬られたかのような太刀傷があり、それが致命傷であると――……»
「能力の暴走で色々と都合の悪い事を知られちゃったからさぁ……消しちゃった。はじめっからこうしておけば情報操作もしなくて済むでしょ。死人に口なしだからね」
由菜は改めて確信した。やはり彼は、自分の敵であると。
☆流川先生カムバック