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天つ少女の救済論  作者: 天馬要
7/8

第六幕 黒い太陽

 喫茶店を出る頃には、3時に差し掛かっていた。途中の無駄話、もとい透の確認作業が予想以上に長引いてしまったからだ。


「少し……花でも見て行かないか?」

「……うん。いいよ」


 先ほど由菜がぶつけた疑問に答えてくれるようだ。断る理由もないので、申し出を受けることにした。


 十還(とかえ)り桜通り。ここは学園までの一本道であると同時に、自然公園でもあった。

 花見の季節であるためか園内には出店が並び、多くの人で賑わっている。

 中でも笑い合う家族の姿を見、少し胸を痛めながら樹木の枝が作った天然のトンネルをくぐり抜けて、広場から離れたベンチに腰かけた。


 肌寒さから無意識のうちに両手を擦り合わせていると、藪から棒に透が広場の端っこに停まっていたキッチンカーを指差す。『ヨネダ珈琲店』と看板が掲げられていた。


「……何か温かい飲み物を買って来る。何がいい?」

「えッ。あ、ありがとう。えっと、じゃあ、ミルクコーヒーで。あ、お金を」

「代金はいい。付き合わせた詫びということにしてくれ。それに、たかだか200円ぽっちだ、気にするな」

「……じゃあ、お言葉に甘えて……」


 戻ってきた透から紙コップを受け取りながら礼を述べる。


「ありがとう」

「どういたしまして。……長い話になるだろうから」


 そう前置きして、ぽつりぽつりと語り始めた。

 ――宣言通りというべきか、確かに彼の話は突拍子もなく理解に苦しむものであった。

 それでいて、おとぎ話のように非現実的な内容だった。


「……核ミサイルで滅んだ世界は、情報管理局によって再生された……いや、完全に全てを元通りにすることは出来なかったから、()()()()()()()()()()()()()()()()と言える。その結果として、これまでの文明にズレが生じた。人々に特殊能力が発現し、世界には神器が出回るようになった。今まで表に出てこなかった怪異と呼ばれる超自然的な存在も、活発に行動するようになった」


 嘘だと思うのなら、直接アルデバルトに訊いてみろと彼は言う。


「信じられない……けど、」

(この間、アルデバルト理事長から盗み聞きした『前世』っていうのがそれだとするなら――)

「納得……できる」


 甘みが強いミルクコーヒーを一口飲んだ由菜は、あることに疑問を抱いた。


「透はどうしてそんなに詳しく知ってるの?」

「……この学園に来て神器と契約したら、前世――世界終末前の事を思い出しただけだ」

「へぇ……って、神器と契約してたの!?」


 驚愕する由菜に追い打ちをかけるが如く、透は更に追加で真実を明かす。


「お前も元はそうだぞ」

「え……?」


「由菜は――というか、俺と貴斗も世界終末前から、幽体離脱して定期的に異世界に来ていたんだ」


 透曰く、異世界とはいわゆる死後の世界。魂だけの状態になって行き来していたのだという。


「……もしかしてレイト先輩に既視感(デジャヴ)を感じたのって」

「あぁ、由菜とはよく争い合ってたから。心のどこかで覚えていたんだろう」

「やっぱりそうなる!?」


 初対面から由菜が玲人に対して抱いていた敵対感情は、やはり正しかったのだ。


「元々、地球は物質界だったんだが……滅んだ世界を修復する際に、死後の世界であるアストラル界とごちゃ混ぜになって誕生したのが、現在のこの世界ということだ」


 長い語りを終えた透は、紙コップを傾けてカフェオレを喉に流し込んだ。


「……どうして、わたしにこんな話をしたの」


 間髪入れずに彼は答えた。


「同じ神器の使い手として、思い出して欲しかったからだ」


 ――神器。とてつもない大きな力を宿した神の道具。

 由菜は、紙コップをグイっと煽りミルクコーヒーを一気に飲み干す。口の中に苦みが広がるも、構わず、寧ろその勢いに任せて問いただした。


「わたしは、どんな神器を使ってた?」

「……神器【魔杖(まじょう)シャルル】槌矛(メイス)状の武器で、お前の相棒だった」


【シャルル/シャルーア】

 シュメール神話元来。「すべてすべてのものを破壊する」という意味を持つ槌矛。叙事詩『ルガル・エ』によると、疫病を引き起こす悪魔アサグを倒すのに使用されたとされる。一振りで千の兵隊をなぎ倒し、毒や炎を放出する。持ち主がどこにいても飛んでいき、持ち手と会話をし戦術を提案する。その上、飛行能力すら授ける高スペック武器。また、ラマッスと呼ばれる翼を持つライオンの姿にも変身する。


(シャルル――……)


 その名を耳にして、頭に閃くものがあった。

 ハート型のリングに赤い宝石がはめ込まれた、純金の杖が脳裏を過ぎる。


「シャルル……シャルーア?」

「――! 由菜、まさか思い出し――」


 ――その時、莫大な生命エネルギーの働きを二人は感知した。


「「――!」」


 間欠泉のように吹き上げられた力は、爆風と衝撃波を生み出して自然公園一帯に波紋のように広がる。

 由菜は素早く光に命ずると探索術で状況把握に努めた。

 広場の中央にいるスーツ姿の男性から巨大なエネルギーの波動を読み取れた。


(噴水が傍にある……ってことは入り口側か)

「透、なんかやばいみたい」

「らしいな」

「行こう!」

 言うよりも早く地面を蹴った由菜に続いて、透も駆け出した。


 ☆


 来た道を逆走し自然公園入口付近に到着すると、一人の男性が頭を抱え苦しそうに身悶えているのを発見した。病人が発するような呻き声を上げている。


「う、うぅ……」

「大丈夫で――、って、え……?」


 駆け寄った由菜は言葉を失った。

 可視化できるほどにまで高まった、生命エネルギーの波動が――どす黒いものだったから。

 彼の身体中を無数の蛇が巻きついているかのような、あるいは黒い竜巻とでも形容すべきか。頭の先から爪先まで、全身隙間なく黒い霧のようなエネルギーで覆われていたのだ。

 男は玉のような脂汗を額に浮かべ、血走った眼から血の涙を流している。


「なっ――」


 只事ではない状況に、身の危険を感じて由菜と透の足が止まる。


「あれは、《大いなる虚空(グレート・ヴォイド)》――!?

 特殊能力が暴走しているんだ! 今すぐソイツから離れろ!」

「えぇっ!?」


 しかしながら、透の呼びかけは一瞬遅く――男がまるで獣の遠吠えのような叫び声をあげた時、全身を包む黒いオーラが燃え盛る炎の玉となって、四方八方に解き放たれた。


「《星の盾(スター・シールド)》」

「《閉じた世界(クローズド・ワールド)》」


 命の危機に陥っている局面で、特殊能力を人の目に触れないように配慮するなど到底無理な話だった。

 由菜は五芒星の盾を。透は空間を隔絶させてキューブ状のバリアを張った。

 両者は各々繰り出した《神業(グレート・ワーク)》によって防御壁を作り身を守ったものの、周りの人たちに被害が及んだ。

 屋台や桜の木の枝が被弾し、あちらこちらで火災が発生している。


「大変、火を消さないと!」


 そうしたいのは山々だが、如何せん二人共、水を操る能力を持ち合わせていない。

 打つ手なしかと、逃げ惑う人々の中で立ち尽くしていたら、草むらから人影が飛び出してきた。


「ったく、この程度のアクシデントでなに諦めようとしてんのさ!

 水よ、恵みの雨となって大地を潤せ!《天気雨(サンシャワー)》」

「リュカくん!?」


 水の能力者であるリュカ・マーフィーであった。

 彼は海から蒸発していく空気中に漂う水蒸気を巨大な水の塊として集約させると、霧雨となって優しく周辺地域一帯に降り注がせた。

 細やかな水滴はたちどころに火種を消していき、パニックに陥っていた人々もいくらか冷静さを取り戻して園内から逃げ出していく。


「リュカくん……凄い」

「オレもいるで!」


 聞き覚えのある声とともに、噴き上がった炎の壁が男を囲い込んで閉じ込めた。


「貴斗くんまで!? どうしてここに」

「え!? い、いや、たまたまや、偶々!」

「へ、へぇ。そ、そうなんだ……」


 必死な形相に、気圧された由菜は背中を仰け反らせた。

 尾行してました、なんて言えないもんなぁとリュカがジト目で慌てふためく貴斗を見やる。


「それよりも、学園に連絡した方がいいんじゃないの」

「もうしておいた。すぐこちらに来るそうだ。俺たちも学園へ避難命令が出されている」

「じゃあ、さっさとここから離れ――」


 そうリュカが言いかけた時、再びスーツの男が絶叫すると――黒いオーラが爆発した。

 爆発の衝撃で、貴斗が形成した炎の壁も風に叩きつけられ消される。


「「「「!?」」」」


 一同は言葉を失った。

 突如として男の姿が驚愕の変貌を遂げたからである。

 ムクムクと膨れ上がった波動が破裂したかと思えば、瞬く間に死の象徴を創り上げる。それは、見上げるほどに大きな骸骨(がいこつ)だった。

 死に臥した脊椎動物が長い時を経て、内臓や肉といった有機成分を消失され、骨格のみが残った状態。

 白骨化した巨人の遺体が動いている――としか表現できない。下半身はなく、頭部と腕と胴体だけの上半身だけの骸骨だったが、その欠けた姿はどこか哀愁を漂わせている。

 ガチガチと歯を噛み合わせている様は、否応なしに人々の恐怖心を煽った。

 いっそCGであったらどれほど良かっただろう。


「骨の怪異……がしゃ髑髏(どくろ)――!」


 ぎゃおおおお、という狂気と憤怒に満ちた雄叫びは、由菜たち4人の鼓膜を強く刺激した。


「ちょっと、これどういうことなのさ、委員長」

「せや! なして人があんな怪物になってもーたん?」


 うっとおしそうに両手で左右の耳を覆いながら、リュカと貴斗が追求する。


「……詳しく説明している時間はない。だから、一つだけ伝えておく」


 透が打ち明けた最後の真実は、残酷なものだった。


「あれは暴走した特殊能力者の成れの果てだ」

「!?」

「なん……やと……?」


 特殊能力者とは、《超人類》すなわち人の領域を超えた存在。神にも等しい力を得る代わりに、人間であることを辞めなければならないのだという。


「なんだよ……それ。ボク達もああなるかもしれないってこと!?」

「そうだ」

「なんで学園は……大人はそれを黙ってるの」

「知ったら、冷静でいられないだろ。今みたいに」


 淡々と事務的に受け答えする透。

 由菜の転校初日以上に激昂したリュカは、透の胸倉を掴んだ。


「ふざけるなよ! こんな、こんなこと……委員長は平気なの!?」

「暴走しなければいいだけの話だ。特殊能力が秘匿とされる大きな理由は、こういう事態を生むからだ。それに……このままだと民間人に死傷者が出る」


 ちらりと由菜を見据えた。


「止めよう、って言ってるの? 透」


 透は、至極落ち着き払った態度で天命を告げるように言った。


「がしゃ髑髏は生きてる人間に襲いかかって殺すと言い伝えられている。民間人を守るためにも、あの怪物は殺すしかない」


 殺す。その二文字は由菜に重く伸し掛かった。


(殺す……? 本当に、透は殺すつもりなの……? 同じ人間なのに……)


 リュカもそこが引っかかったのか、しばらく至近距離で睨み合いを続けたが――遂に、リュカの方から顔を逸らした。

 透の主張は正しい。そのうえ、現状、他に打開策が無いのも相まってリュカは万事休すだと判断したのだ。


「勝手にすればいいよ……ボクは手を貸さないけど」


 透から手を放し、口を閉ざしたリュカは両手をポケットに突っ込んだ。我関せず、といった様子であった。

 だが、立ち去る素振りは見せない。先生たちが到着するまで、一応この場に留まってくれるようである。


「……わたし、あの人を助けたい」


 由菜の喉から絞り出すような懇願は、一刀両断される。


「無理だ。第一もう人間じゃない」


 非難を含んだ冷たい眼差しが由菜に向けられた。


「人間だよ! だってあの人、ずっと苦しんでるじゃん!」


 由菜は猛抗議した。荒っぽい言葉遣いで感情をむき出しにしながら、未だ狂ったように泣き叫ぶ骸骨を指差す。


「そう言えば、全然攻撃してこーへんな……?」


 幸か不幸か、今のところ透が言うような脅威にはなっていない。逆に言えば、助けられるチャンスは今しかない。


「……だからといって、ずっとこのままにはしておけない」

「それはっ、……そうだけど」


 口ごもる。しかし由菜は、どうしても排除という方法を取りたくはなかった。


「だったら、他に止める方法はないの? 拘束するとか」

「……できなくは、ない。神器持ちなら制圧も可能だろう。ただ、俺のは戦闘向きじゃないから期待するだけ無駄だ。あるいは、光使いなら解放できるかも――」

「……わたし?」


 素っ頓狂な声が上がる。


「能力の暴走は、大抵マイナスの感情が原因で引き起こされる。そのせいか自然と闇属性の力を帯びやすいんだ」

「闇に対抗できるのは、光……だよね」

「そういうことだ」

「お、おい! アイツ、外に行きおるで!?」


 はっと気が付けば、がしゃ髑髏は両腕を前方に伸ばして胴体を引きずりながら、大通りへと向かっていた。


「マズイ、締め上げろ!」

「光よ、(くさび)となって動きを封じろ《聖なる釘(ホーリーネイル)》」


 がしゃ髑髏の影に光の釘を撃ち込んで、一時的にだが動きを止める。敢えて影に限定することで、影と繋がった身体の自由を奪うという初級だがかなり効果的な拘束術である。

 巨体をもぞもぞと捩じって抜け出そうと藻掻く。分の悪い力比べに辛くも勝った由菜は、透に向かって叫んだ。


「教えてよ透! わたしが何をすればいいのか!」

「……《神業(グレート・ワーク)》の極限に達した《白鳥の歌(スワンソング)》と呼ばれる最終奥義がある。それが成功すれば、もしかしたら助けられるかもしれない。だけど……」

「……けど?」

「俺らみたいなガキに、それは出来ない。精神が未熟だと、失敗した時に心が壊れて廃人になるか……最悪、お前も怪物化する恐れがある。もしできるとしたら、アルデバルト理事長くらいだ」


 そのハイリスクを聞いて、尚のこと由菜は食い下がった。


「…………じゃあさ、透はわたしや貴斗くんがあんな風になった時にも、同じように殺すの?」


 一瞬だけ辛そうな表情を浮かべた後、青い顔のまま口を開いた。


「……例外はない」


 それが彼の返答だった。


「……そう、なんだ……透は、そういう選択をするんだ……」


 場の雰囲気に合わせるように突然、辺りが暗くなる。


「そんな……さっきまで晴れてたのに!」


 天を仰げば、分厚い曇が島の上空に陣取っていた。陽の光が遮断され、がしゃ髑髏の影も消える。光の釘の拘束力は完全に失われていた。

 ガチャガチャと硬質な音を立てながら、がしゃ髑髏は再び動き始める。それを、馳せ参じた二人の能力者が制した。


「氷よ、死の輪舞(ロンド)を踊れ」

「風よ、闇を鎖に繋げ」


 氷柱が驟雨の如く十重(とえ)二十重(はたえ)に絨毯爆撃し、さらに巻き起こした竜巻の檻に閉じ込め、がしゃ髑髏の動きを封じる。


「「――死の竜巻(ブライニクル)」」


 それはまさしく死の氷柱。がしゃ髑髏を一瞬にして氷漬けにしてしまった。


「えぇっ?」


 物言わぬ氷像となったがしゃ髑髏の頭上に、隕石か何かが空から降ってきたではないか。しかも二つ。


「そこまでだぜ? (あずま)秘書!」

「悪い子にはお仕置きしないとね」


 落下物の正体は、眼鏡の男と銀髪の男だった。すとん、と身軽に着地した二人に駆け寄る。


「流川先生! それにリオ先生も」

「やあ由菜さん」

「よーっす。おチビちゃん達。待たせちゃったよな。ここは俺ちゃん達に任せて、早く逃げな」

「た、助かったで~!」


 貴斗とは対照的に、由菜は手放しで喜ぶことは出来なかった。

 リオ達が透と同じ決断をするのなら、やっぱり納得できないからだ。


「もしかしてだけど……情報管理局(エックスシーアイ)が退治の依頼を受けてきた怪異の正体って――あの人と同じように、暴走した特殊能力者だったり……?」


 由菜は違うと言って欲しかった。眼鏡の奥の瞳を見つめて、念を押すように訊ねる。


「違います……よね?」


 だが現実は非情だった。


「――そうだよ。中には、そうなった人々の退治を任されたこともある。

 ……桐月さん、俺ちゃん達はさ、いつ人を殺すか分からない危険な存在なんだよ」


 由菜の心は、明かされた真実の刃に貫かれた。

 奇しくも『化け物』だと罵る母親の言葉は、皮肉なことに的中していたというわけだ。


「……その人、どうなるんですか」


 遠まわしに、殺すのかと問うた。


「……理性を失っているからね。会話が通じないのなら――最終手段としては……()()()()

「…………」


 星が眠りにつくように、彼女の瞳から光が消えていく。

 答えを聞いて項垂れる由菜からは、失望感以外の感情が読み取れなかった。

 抜け殻になった少女に対して、リオの中に燻る熱情が急速に冷えていくのが分かった。


(……この程度で心が折れてしまうのなら、キミを『空亡(そらなき)』とは認められない)


 興醒めしたリオの決断は、自分勝手な上に恐ろしく迅速であった。

 氷の一部を故意に溶かし手綱を緩めると思惑通り、がしゃ髑髏の左手が一突きの槍のように由菜に迫った。五本の指先が槍衾と化して……少女の腹部を刺し貫く。


(バイバイ、由菜)


 ――ザシュッ!

 予想していなかった不意打ちをまともに食らった由菜。胃と大腸がごちゃ混ぜになり、内蔵はぐちゃぐちゃ。腹にはぽっかりと穴が開いてしまっている。


「がはッ……!」


 鮮血が石畳の道に飛び散り、赤い血の水溜りを作る。鉄の匂いが辺りに充満した。


「桐月さんッ!」

「ユーナ!?」

「キリツキ!」


 気が動転している子ども達の中で、透だけがリオの横顔を恐ろし気に見上げる。


「くそっ、血が止まらない……!」


 もう既に体外へ流れ出ていく血液量は、2リットルを超えようとしていた。もうすぐ致死量に達してしまう。


「腹部の損傷が激しい。これじゃあ傷口を焼いて血を止めることもできない……!」

「そ、そんな……」


 救急車なんて悠長に待っていられない。由菜は着実に死へと導かれ始めていた。

 遠のいていく意識の中で、由菜は東真(あずままこと)という人物の記憶を夢という形で追体験し、真相を知ることになる――……


 ――場所は、どこかのホテルのスイートルーム。

 煙草をふかしながら、人相の悪い小太りの中年男性が己の野望を語っていた。


「特殊能力を軍事に転用できたら、我が国は世界のトップに躍り出るに違いない!

 情報管理局(エックスシーアイ)か……必ずモノにしてみせる」

「ですが……その、大臣。情報管理局(エックスシーアイ)は聖スタウロ学園という教育機関としての側面もあります。まさかとは思いますが、未成年者――子ども達を少年兵にするおつもりですか?」


 気弱でありながらも、どこか一本筋の通った口調で、秘書は詰問する。


「無論、そのつもりだが?」

「なッ……!? 本気で仰っているんですか!?」

「本気も何も、奴らは所詮、得体の知れない化け物だろう。テロリスト共々潰し合ってもらった方がいい。ホラー映画でも言っていただろう、化け物には化け物をぶつけるって」


 東の脳裏に、折り紙を作ってあげた子ども達の顔が思い浮かぶ。


「化け物なんかじゃ……ない……」

「はぁ?」 

「ここには、親にネグレクトをされて行き場を無くした子ども達もやってきます。ちゃんとした学校として成り立っています。それを奪うだなんて……そんな考えは、改めるべきです」


 東は、もはや辞表を提出する覚悟で進言した。

 しかし、そんな彼の願いは土足で踏みにじられたのである。


「……ところでキミ、確か先月スマホを盗まれたんだろう? たるんでるんじゃないのかね?」


 愕然とすると同時に、青年の頭にあるビジョンが閃いた。

 桜。火事。氷漬けにされた骸骨。最後のは自分だと何故か確信が持てた。


(グレード2の未来予知(コグニション)……

 そうか、動画を撮影したのは彼で、投稿したのは別にいるのか……)


 由菜がぼんやりと考え込んでいる間に、東は決断してしまっていた。

 立ち昇る闇を帯びた波動のオーラが身体を包み込んでいく。


「……大臣、あなたをこのまま生かしておくわけにはいかない――」


 殺さなくては。

 上司が振り返るよりも先に、巨大な骸骨へと変身した東は、頭部に噛み付くとバリバリ咀嚼音を立てて胃の中へと収めてしまった。


 宙ぶらりんの意識の中、由菜は思考する。

 状況は絶望的だった。防衛大臣の亡骸は、消滅しているとみていい。


(この人は、自らの願いを見失って、人を殺めてしまったのか……)


 本当は、かけがえのない子ども達の未来を護りたかっただけだろうに。


 ――あぁ、やっぱりこの人を助けたいなぁ。ちゃんと人に戻って、罪を償って……それから、この学園の先生になって欲しい。きっと、生徒思いの良い先生になれるだろうから。


 そんな独り言に、応える声があった。

 ――……ユーナ様がそれを望むのでしたら、私が叶えましょう。さぁ、私を手に取ってください。かつてのように、《解放式(リリース)》を唱えて……!


 いや、正直そんな余裕ないんだけど、と思いながら雰囲気に流されてしまい……。意識朦朧とした状態で頭に浮かんでくる詠唱を、驚くほどハッキリとした口調で唱えていた。


「――天と地を統べる者よ。(いにしえ)の契約に従い、神代の力を与え給え。力は我が手に――《神器解放(アンチェイン)》」


 最後の力を振り絞って、導かれるように由菜は右手を天へと伸ばした。何か棒切れを掴んだのが分かる。

 すると、太陽の温もりに似た温かな光が降り注がれて、身体中に染み渡った。冷たくなっていた由菜の身体は噓のように熱を取り戻したのである。

 おまけに、大怪我した箇所も完治した状態で。


「完全修復、完了。意識レベル、正常と判断できます」

(機械的な台詞……)


 パチリと目を開けると、いつの間にか右手に収まっていた純金の杖に飛び上がりそうな勢いで驚いた。

 しかも、あの一瞬の短い時間に衣服もガラリと変わっていた。上半身は薄紅色を基調とした振り袖姿。下半身は藍色のスカート。いわゆる着物ドレスというやつだ。どうしてこうなった。


「……え? えぇ!? いやぁ! 何これどういうこと!? なんでわたし、変身モノヒロインみたいになってるの――ッ!?」

「申し訳ございません。お召し物が破れていらっしゃったものですから、つい」

「あ~……つまりだな。お前はシャルルと契約したってこった」


 後頭部を掻きながら、透が答える。


(一行でまとめやがった……!)

「ん? でも、元々契約してたんだから、顕現させただけか……?」

「どっちでもいいよもう」

「……やるんだな? 《白鳥の歌(スワンソング)》を」


 透は全てを悟っていたようであった。瞳には一種の諦めの色が表れていた。


「うん」


 由菜は怖いくらい真剣な目つきになり、杖に話しかける。


「わたし、あの人を助けたい。だから……協力して欲しい、シャルーア」

「お望みのままに、我が主人」


 ハート型のリングの中央にはめ込まれた、赤い宝石が返事をするようにキラリと光を放つ。


「決まりだね!」


 晴れやかな表情を浮かべ、由菜は勝気に微笑んだ。


 ピシ……ピシピシ……パリ―ン!

 がしゃ髑髏の表面を覆っていた氷の牢獄が破られ、三度の脱獄を許してしまう。


「大丈夫です、私がサポートしますから」

「……――頼りにしてるよ、シャルーア」


 大通りに出た巨大な骸骨の背中を追って、由菜は天高く飛翔する。付与された飛行能力のおかげだろうか、身体が一片の羽根のように軽い。

 ロケットの打ち上げの如く急上昇した後、放物線を描いて今度は隕石落下を思わせる直線的な軌道で、打ち捨てられていた無人の路面電車に降り立った。

 ドン、と着地の衝撃で屋根がへこむ。


「絶対に止めてやる……勝負だ! 《輝く剣(シャイニングソード)》」


 まず右斜め上から左斜め下に杖を振り下ろし、一発。

 切り返して今度は左から右へ横にスイングして第二射を放つ。

 最後は頭上に振りかぶったシャルーアを打ち下ろした。合計3発の刃が空中を飛来していく。

 三日月状に薄く伸ばされた光の刃は、がしゃ髑髏の両肩と額に撃ち込まれた。的が大きい分、当たり判定も大きくなるのだろう。

 オオオオ……と、苦しむ呻き声が大気中を伝播し揺さぶった。


「やった、普通の攻撃でも効いてる!」

「ですがまだです。魂を覆うダークエナジーをもっと削ぎ落とさなければなりません」

「分かった、要は弱らせればいいってことね!」


 杖の先端部、ハートの飾りの先に波動(はどう)を集約させる。灯された一点の輝きを槍へと引き延ばした。


「光よ、闇を貫け《聖なる槍(ホーリー・ランス)》」


 さっきのお返しだと言わんばかりに撃ち出された。

 しかしその刺突は、空振りに終わった。何故なら、被弾する直前がしゃ髑髏が5体の骸骨に分裂して、蜘蛛の子を散らすようにその場から退いたからである。

 これには由菜も驚きを隠せない。


「え、ちょ、そんなのあり!? てか五等分になるな花嫁か!」

「とにかく一体ずつ捕らえましょう」

「ええい! 《蝶々結び(ボウ・ノット)》」


 光のリボンを展開するも、片足で踏み切りジャンプして飛び越えられてしまった。

 嘲笑うかのようにカタカタと頭を左右に振って走り続ける骸骨。


「くぅっ、なんなのアイツ!」


 一体ずつのサイズは170センチほど。おおよそ平均的な成人男性であったが、厄介なことに機動力が桁違いに向上していた。

 なにせ下半身を生やし、理科室にでも置かれているようなごく普通の骸骨の模型になっているせいで、すばしっこく、捕まえるのが困難なのである。


「そうでもないみたいですが」

「え?」


 シャルーアに言われ、飾りが指差す方向に視線を向けると……透が時間を停止させた灰色の空間に骸骨を一体閉じ込めていた。

 一方でリュカが水の弾丸を飛ばし、貴斗が炎の壁で通行止めするなど、強力なタッグが誕生しているではないか。

 流川は竜巻の檻。リオは骸骨の足元の地面に氷を張って滑らせ、転倒させている。立ち上がっては滑って転ぶを繰り返す骸骨の傍で、つまらなそうに欠伸をしていた。


「…………」

「あとはユーナ様だけのようですが」

「うるせぇよ……!」


 羞恥心と憤怒に肩をわなわなと震える。


「こうなったら……どっこいしょー!」


 何を思ったのか杖を天に突き上げると――ポーン!

 広範囲に蜘蛛の巣の如く張り巡らされた光のリボンが、トランポリンの役割を果たして5体の骸骨を空高く打ち上げた。

 足を生やしたところで、空中では逃げられない。


「光よ、数多の星の弾丸となれ!」


 ホームランを狙うバッターのようにバット改め杖を腰だめに構えると、思いっ切り振り抜いた。


「《スターマイン》!」


 ヘッドの飾りから放たれた星の弾丸は、全部で五発。尾を引いて流星群のように飛来していく。

 全弾命中させると、骨の怪異に異変が起こった。

 骸骨から黒いエネルギーの塊になり、一ヶ所に集まって再度がしゃ髑髏になる。しかし、蓄積されたダメージが骨にヒビを入れているなど目に見える形で表れており、ところどころ崩れてきていた。


「もうひと押しです! 頭! 頭を狙ってください!」

「お、おいっす」


 中々アグレッシブな指示に、若干引きつつシャルーアを天に掲げた。

 ヘッドの飾りから火柱が迸り、由菜の魂の光と一体化。優に身の丈を超える燦然と輝く光の剣に早変わり。


「灰燼に帰せ、《迦楼羅之焔(カルラエン)》」


 轟々と燃える熱閃の刃は、文字通り天まで伸びて上空を覆う灰色の雲を余さず蒸発させた。

 雲が晴れていき、由菜の頭上から青空が覗く。

 強い光と熱をその身に受けて、がしゃ髑髏はあからさまに後退した。今更焦っても、もう遅い。


 ガラ空きの脳天に断罪の剣を打ち込んだ。頭蓋骨の表面が遂に砕かれる。

 それでも、信じられないほど硬い。頭蓋骨から先に刃を斬り込ませることができなかった。

 仕方なく光の剣を解除した由菜に、再びシャルーアの指示がなされる。


「今がチャンスです! ユーナ様、集中してくださ――」


 シャルーアの言葉は、がしゃ髑髏が大地に振り下ろした両手の拳によって遮られる。

 ドン!

 上腕骨が壊れ、肩との接合が外れてもげる。

 がしゃ髑髏は、頭部と胴体だけで砲弾と化し最後の奇襲を由菜にかけ、文字通り捨て身のタックルを繰り出したのだ。


「……ッ、ァ」


 か細い喘ぎ声が漏れる。

 防衛大臣と同じく、頭から食べてしまうつもりなのだ。

 大きく開かれた口内。その先はというと真っ暗闇だ。

 欠けた歯が由菜の頭部を噛み千切る寸前、ガムシャラに振るったシャルーアが弧を描いて頬骨にクリーンヒット。打撃武器としての性能が炸裂し、がしゃ髑髏をノックバックさせ、巨体をなぎ倒す。

 いよいよ闇に染まった生命力エネルギーが鱗のように剝がれ落ちていく。上下2列に並んだ歯がポロポロと顎骨から抜け落ち、消えていった。

 由菜はふわりと路面電車から浮き上がって、がしゃ髑髏の上に滞空した。


「――救ってみせる。貴方が守ろうとした未来を、そして貴方自身も! だから自分を諦めないで!

 《白鳥の歌(スワン・ソング)》――《黄金に輝く翼(エルドール)》!」


 少女の背中から、一対の翼が生えた。

 眩い光を放つ金色の双翼は、何処までも神々しい。身体を覆う光のバリアーは、光源となって辺り一面を白く塗りつぶし、魂の闇夜を照らしていく。

 がしゃ髑髏を形作っていた黒い波動――マイナスの生命力エネルギーは、氷のように溶かされていき……跡形もなく霧散した。

 数秒後、光が晴れる頃には、すっかり人の姿を取り戻した東真(あずままこと)が穏やかな表情で道路に倒れていた。隣には、死んだと思われていた宮下大臣も転がっている。


「良かった……でも流石に疲れた……」

「お疲れ様でした。ユーナ様」

「どんなもんよ……この勝負、わたしの勝ちだ」


 全長70センチメートルのシャルーアを文字通り杖にして、支えにしながら立つ。膝が笑っている。今にも倒れそうだ。

 《白鳥の歌》に持ちうる限りの波動をつぎ込んで消費した由菜の生命力エネルギーは空っぽだった。一発分の《星の弾丸》を創り出すことすらできない。

 やり抜いた――そう、油断していたところに宮下大臣が、悲鳴を上げて勢い良く起き上がった。


「うぎゃあぁぁぁあああ!! 怪物が、怪物に食べられ――!? ぐあぁぁぁぁあああ! いやだ、死にたくない! 死にたくないぃぃ!!!」

「――!」


 滲み出てくる波動が黒い。

 蔦が道路を突き破って、幾重にも宮下大臣にグルグルと巻き付いていく。暗黒面に落ちた生命力エネルギーは膨張していき、ついには弾けた。

 ずんぐりむっくりとした狸。それが宮下大臣の怪物化。


「な、なんで? 《大いなる虚空(グレート・ヴォイド)》を起こすのは能力者だけなんじゃ――!?」

「恐らく取り込まれたことで魂の力に直に触れ、目覚めてしまったのでしょう」

「といことは、第二ラウンド開始……!?」


 でんぐり返しをするように、背中を丸めたかと思えば、ドロンと姿を変えた。巨大な鉄の蛇、蒸気機関車へと。嫌な予感がする。

 汽笛が鳴り響き、煙突から黒い煙を吐き出しながら突っ込んできた!


「ええええええこんなんあり――!?」

「偽汽車の怪異か!」

「桐月さん! とにかくそいつから離れるんだ!」

「りょ、了解!」


 シャルーアの飛行能力によって得た飛翔力を生かし、上空へと逃げる由菜。

 回避された偽汽車は路面電車に正面衝突して、動きを止めた。

 空を経由して透達の元に降り立ち、一旦は合流できたものの打開策がないため泣き言を口にし始める。


「なんで鉄道のレール敷かれて無いのに走れるの~」

「まぁ怪異だからな……」

「やれやれ……連戦は流石にキツイだろ? ここはボクに任せな」

「リオ先生?」


 由菜を庇うように一歩前に出たリオ。左手を突き出して詠唱を始める。


「陽光遮る守りし者よ。古の契約に従い、鉄壁の守りを与え給え。力は我が手に――《神器解放(アンチェイン)》」


 呼びかけに応じて、氷の円盾が装着された。


「盾?」

「そんなものでどうやって……」

「まぁ見てなよ。氷の刃(ペニテンテ)!」


 敵を串刺しにすべく、鋭利な氷の刃が突き出て、一帯を剣山に変えてしまう。

 水晶のような氷柱。相手は当然ながら広範囲攻撃を回避できずにモロに食らった。数多の刃に刺突された拍子に宙を舞う。


「凄い……攻撃の有効射的範囲が広すぎる」

「こういう戦闘もできるってだけさ。それに――」


 氷の刃によるニードルは、単なる布石。

 本命は──、


「射殺せ、氷晶の剣よ」


 発射台に載せられたニードルの氷柱が、弾道ミサイルさながら宙に身を躍らせた標的目掛けて撃ち出された。

 第一射は車輪を破壊し、第二射は煙突を引き千切っていく。切り裂かれた被弾箇所からは、どちらも黒い波動が吹き出た。

 それでもリオは攻撃の手を決して緩めない。

 ──後は、一斉掃射だ。

 フロア一帯に生み出した氷のミサイルが弾切れを起こすまで、とにかく連射する。

 立て続けに撃ち込まれ、チラチラと舞う雪煙と細氷(ダイヤモンドダスト)が獲物の姿を覆い隠すも、構わなかった。

 由菜を他の奴らの餌食になんてさせない。彼女はボクが守ってみせる。由菜に敗北を味わわせるのはボクでないといけないのだから。

 そんな固い意志が、実に164発もの氷刃を連射させた。


(次の攻撃への繋ぎ方も凄い……圧倒的だ。でも、どうして不安が拭えないんだろ)

「……?」


 リオも手応えに違和感を覚えたらしく、攻撃の手を止めると……そこには何もいない。


「!」

「しまった!」


 途中で再び狸に変化し、逃れられていたのだ。

 剣山に紛れて這い寄ってきた緑色の蔦が、リオの片足に絡みつく。ガッチリと捕まえられて抜け出せない。

 つい舌打ちしてしまう。


(そうだった……! 初歩的な事忘れてた! 水に準ずる氷属性は木属性には不利なんだった!)


 例えどれだけの攻撃手数を受けようが、所詮そのダメージは微々たるもの。

 由菜の嫌な予感が当たってしまった。

 背後に回り込んだ狸が再び黒い汽車に変身。狙いをリオに定め、轟々と地響きを立てて偽汽車が迫ってくる。


「リオさんっ!」


 シャルーアを盾に、咄嗟にリオと偽汽車の間に割って入った。

 波動が回復していないため、光の《ギフト》は使えない。このままではどう足掻いても轢かれてしまう。絶体絶命のピンチに陥ったその時、


 彼女の頭上に、黒い球体が出現した。


 ――それは、黒い太陽。


 ぽっかりと音もなく宙に開いた穴は、偽汽車を地面から浮かせた。次いで機関士席の後ろに位置している石炭を積んだ炭水車を飲み込んだ。

 百足のような多くの車輪も、ハンドルやその他の細かい部品と一緒に凄まじい吸引力で剥がされて、消えていく。それだけでなく、路面電車の割れたガラス片や折れた桜の枝なども吸い込まれた。

 その間、由菜は何も見えていないような虚ろな目をして立ち尽くしていた。


「《白鳥の歌(スワン・ソング)》――《混沌の崩壊星(カオス・コラプサー)》……!」


 そう呟かれた声は、果たして誰のものだったのだろうか。

 宮下大臣を取り巻く黒い波動を吸い尽した後、ブラックホールは静かに閉じられた。

 マジモンの狸親父だった宮下大臣は、気を失って地に倒れ伏していた。 

 由菜も緊張の糸が切れるように意識を失った。身体がぐらりと傾いて、頽れる。


「あぶねッと!」


 滑り込みセーフで駆けつけたアルデバルトが、抱き留めるのに成功した。


「アル先輩!」

「悪い。遅くなったな。みんな有難う」

「……今のって」

「篝くん」


 おずおずと貴斗が口を開いたが、みなまで言うなと流川が制する。


「とりあえず、今見たことには触れるな。分かったな?」


 有無を言わさぬ強い口調で、アルデバルトは一部始終を目撃した学生諸君に釘を刺す。


「は、はい……」


 貴斗とリュカは青ざめた顔でこくりと頷く。

 救急車のサイレンの音が、ドップラー効果によって奇妙に歪みながら近づいてきていた。


 ☆


 ──後日。

 見舞いのために病室を訪れたアルデバルトは、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべた。


「……おい」


 眉間に皺を寄せ、低い声で咎める。


「はい? なんですか?」

「なんですかじゃねーだろ。寝てろ病人」


 テレビ番組をBGMに、ピシャリと言い放つ。

 手配されたのが個人部屋なのをいいことに、由菜が壁を支えに倒立をしていたからである。

 入院患者にあるまじき行為。看護師が見たら卒倒するレベルの光景である。


「病人じゃないですよ。大体、シャルーアが治癒を施してくれたのに入院だなんて大袈裟です」

「いいからやめろ」

「……はぁーい」


 素直にアルデバルトの注意を聞き入れて、天井に向けていた両足を、片足ずつ地面に下ろした。


「よっと。それで、わたしはいつ退院できるんですかね? もう入学式は明後日なんですが」

「……今日の検査入院の結果次第」

「それ昨日も聞きましたよ」


 由菜は、わざとらしく溜め息をつく。


「健康体なんですから、早く病院から出してくださいよ~」

「いや、まだだ。今日は心理検査を受けてもらう」

「精神状態も良好ですって~。

 …………局長、あのブラックホールの事、随分と気にしてるみたいですけど、あれ、わたしがやったんじゃないですよ」


 ねぇ、シャルル? と、由菜は『魔法少女のステッキ』と形容できる打撃武器に同意を求めた。


「はい。最後のあれはユーナ様の《白鳥の歌(スワンソング)》ではありませんでした」


 本来の桐月由菜の最終奥義は、黄金の輝きを纏う双翼を背中に顕現させ、自らの周囲に球体状のバリアを張って光線を放出するものだ。


 あのブラックホールとは似ても似つかない。


「黒い太陽じゃあ、何も照らせませんよ」

「そうだろうな……ケイからも同様の証言を得ている」

「あぁ…そういえば“前世”はシルフレイク捜査官にだけは直接見られてたんだっけ」


 思い出したと言いたげに、独り言のように呟く。


「じゃあ、誰がやったんだろうな?」

「誰でもいいじゃないですか」


 清々しい程にキッパリと言い切る。


「だってわたしを助けてくれたんですから。そんなに重要なことでもないでしょう? アルデバルト局長」

「…………」

(アルデバルト局長に、シルフレイク捜査官……か)


 もう彼女は、先生付けで呼んでなどいなかった。


 ()()()()()()()()()()()()()()


 アルデバルトが出した結論を裏付けるように、由菜は自らの現状について語った。


「シャルーアと契約して……思い出したんです。わたしは世界終末前、聖スタウロ学園の生徒であり情報管理局(エックスシーアイ)の機関員──正確には訓練生だったって」


 ぼふんとベッドに勢いよく座り込むと、スプリングが軋んでひねくれた音を立てる。

 由菜が情報管理局に拘るのは、必然だったのだ。


「《ワイルドハント》とも、長いこと戦争状態で──まだ決着ついてないんですもんね。ってゆーか、なんでリオさんが先生なんてやってるんですか?」

「逮捕したんだが人手不足だから恩赦の名目で出した」


 世界終末前──シルヴァリオ・ルミナスアークとは面識があった。もちろん前世で教鞭などとっておらず、何故か由菜の敵役に回りたがって度々由菜に戦いを挑んでくる困ったちゃんその1。


 足をぷらぷらさせながら、由菜は重ねて質問する。


「じゃあレイトさんは?」

「アイツは生徒として自らやってきた。裏の仕事は……この島に来てからはしてないみたいだけどな」

「そう…ですか」


 レイト・メアスパングル。由菜の記憶が正しければ、それがレイト先輩の本名のはずだ。闇の王国の王子なのに暗殺のバイトをしている困ったちゃんその2。


「でもなんであの人、『夢生怜人(ゆなれいと)』だなんて偽名を名乗ってたんだろ?」

「…………さぁな」


 大方、好きな女と似た響きが気に入ったんだろうと思いつつも――

 たっぷり沈黙の間が空いてから、申し分程度にしらばっくれるのだった。


「……透が言ってたこと、本当だったんですね」


 目を伏せながらポツリと零した台詞は、諦めの感情を秘めていた。


「《天つ日島(あまつひしま)》《零番目の東京(ゼロス・トーキョー)》……そのどれもが本来の日本には実在しないものだなんて、信じられない」


 天つ日島は、情報管理局の移動型拠点にして神器ヴィマナ。

 零番目の東京という宣伝文句は、存在しないはずの都市を皮肉っていたのだ。


「一体どういう原理で世界を生まれ変わせたんですか? 全人類異世界転生なんて、初事例じゃないですか。いやーとんでもないっすね」

「茶化すな。……詳しい内容は明かせない。でも、世界が滅ぶ直前に人類に干渉した。《神器(じんぎ)》でも《白鳥の歌(スワン・ソング)》でも何でも使ってオレら情報管理局は世界を蘇らせた。そのせいか僅かばかり時間が遡って、人間の魂たちは逆行転生という形を取ったようだがな」

「……そうでしたか。でも一体、いつの時点まで遡ったんですか?」

「お前が高校生の頃だから……大体5年くらいになるな」


 それを聞いても、由菜はあまりピンと来なかった。まだ抜け落ちている記憶があるようだ。


「二回目の人生なのに、なんだか余計にハードルが上がっているような気がするんですけど」

「それは諦めろ」

「えぇ……」


 長い瞬きの後、由菜は思い切って疑問をぶつけた。


「教えてください。局長」

「……なんだ」

「わたしが知っている前世までの情報管理局は、人の世を観測することに徹していました。それなのに、文明が破綻して、蘇らせて……。再生したこの世界に留まり続けて干渉しているのは、どうしてですか」

「……再び同じように世界の終末が訪れた時に、今度はどんな手を使っても滅びを回避するためだ。観測し続けなければいけないからな。アカシックレコードに最も多くの情報を刻むのは高知能生命体──お前たち人間なんだからな」


 それを聞いて、由菜は皮肉った一言を放つ。


「……だったら、情報管理局(エックスシーアイ)は、ずっと世界に対して嘘をつかなければいけないことになるんですね」

「嘘……か。そうだな。人の世に混乱を起こさないための必要悪の嘘だ」


 誰も観ていないのに、女子アナウンサーのニュースを読み上げる声が虚しく病室にこだまする。


 «えー、本日、誘拐事件に巻き込まれた宮下防衛大臣がめでたく退院し……

 大臣の秘書を務めていたとされる東容疑者が情報管理局に護送されました。警察は本事件との関連を──»

「ユーナ、お前たち人類は霊的な段階をひとつ昇った《超人類》だ。《ギフト》が使えようが使えまいが、それは変わらない。心配しなくとも、お前もトオルもタカトもリュカも、それからお前のお袋さんも──みんな、人間だ。化け物なんかじゃねぇよ」

「……はい」


 それを聞いて、由菜はやっと安心することが出来た。


「さて、これでお前も心置き無く情報戦に加わることが出来る訳だが──どうする?」


 いつになく神妙な眼差しで、アルデバルトは由菜に鋭い視線を向ける。ほとんど睨みつけていると言っていい。


「情報戦……ですか。これまで通り《ワイルドハント》と戦ったり、またどこかで暴走した能力者を退治したりするんですか」

「それだけじゃあないぞ。機密情報の防衛だってしなきゃならんし」


 情報管理局(エックスシーアイ)が保持している、最重要機密──アカシックレコード。

 こればっかりはどこの国家にも伝えられない。悪用される恐れがあるからだ。


「局長はいつまで続けるんですか? この茶番」

「ずっとだ」


 きっぱりはっきり答えたアルデバルトに、由菜は頭を抱える。


「はぁー、マジですか」


 気の遠くなるような長い時間、世界を相手に騙し続けるのだというのだ。


「そのための()()()だろーが」


 口の端をニヤリと上げ、アルデバルトは不敵に笑う。

 由菜はせめてもの抵抗として大袈裟に溜め息を吐いてみせる。


「はぁ…いいですよ。シャルーアと契約した以上、わたしも協力します。というか……元々、局員ですし」

「そう来なくっちゃな、天つ少女(あまつおとめ)さん?」

「……? なんすかソレ」


 妙な呼び方をしたアルデバルトを訝しむ。

 折り悪く、再びニュースキャスターが出しゃばって来る。


 «続いてのニュースです。先日、巨大な怪物から天つ日島(あまつひしま)を救った謎の少女、通称『天つ少女(あまつおとめ)

 彼女は一体、何者なのでしょうか?»


 流されたのは、随分と粗い映像だった。

 年端もいかない子どもが、華美な装飾が施されたステッキを振り、光を散らせている。

 ──がしゃ髑髏との戦闘の様子だった。花見客の誰かの手によって撮影されていたらしく、それが全国に、否、全世界に放送されてしまったのだ。


「…………」


 なんだこれ、と現実が受け止めきれない由菜は目を白黒させた。


 «なお、ネットでは『救世主だ』『魔法少女が現れた』などと盛り上がっており──»

「……良かったな。人々を救った英雄になってんぞ」

「嬉しくないですよこんなんー!ネタ枠で盛り上がってるだけじゃないですかー!」

 

 そんな由菜のツッコミ兼雄叫びは、病院中に響き渡った。


「コスプレしてみたら喜ばれるぞ(誰にとは言わないが)」

「嫌ですよ! なんで異世界転生してエセ魔法少女デビューしなきゃならないんですか」

「顔が映ってないだけマシだろ」

「ぐっ……そりゃあそうですけど」


 ギャーギャー騒ぎ立てているうちに、額に青筋を浮かび上がらせた看護師が駆けつける。

 もちろん二人揃ってお叱りを受ける羽目になった。


 そして……その最中、今度は透がお菓子の見舞い品を持参して病室を訪ねてくる。


「病室で騒いで怒られるって……アンタら子どもですか」

「だって局長が揶揄うから……」

「局長」


 ぐるんと透の首がアルデバルトの方へと向く。


「だって面白いだろ、この展開。くっくっ……」

「くうっ。まだいうかこの……!」


 人をオモチャにしやがって、と握り拳をわなわなと震わせた。


「はぁ……もう局長の話は終わったんですよね? 帰ってもいいですよ。というか、帰ってください」

「ったく、なんだよ。彼氏面か? 二人きりをエンジョイしたいっていう下心か?」

「違います」


 違うのか……と、由菜は少しだけ残念に思った。


「まぁ、お前ら前世で付き合ってたし。そういう仲になるのも頷けるか」


 うんうん、と一人だけ納得したような素振りをするアルデバルト。

 そんな彼のもとにメールが届く。液晶画面がプロジェクターで空中に転写され、通知を一瞥し、目つきが鋭くなった。


「え、ちょっと待って、前世で付き合ってたって──」

「ユーナ、精神鑑定が正常だったら明日には退院出来るだろうよ。それとオレは急用ができたから帰る」

「え、そうなんですか」

「おう。じゃあな。明後日の入学式、遅刻すんなよ」


 アルデバルトが病室を出ていくと、由菜と透は互いに顔を見合わせた。最後にどデカイ爆弾発言をして帰らないでください。

 つまり、どういうことだってばよ……と、視線を彷徨わせるしかない。

 緊張感漂う雰囲気を払拭すべく、透は右手に下げていた見舞い品を差し出す。


「これ、『アリスオブワンダーラスト』の琥珀糖」

「えっ。いいの!?」


 カラフルに可愛らしく包装された紙袋を受け取る。透明なパッケージの中には色とりどりの宝石のような小粒の和菓子が詰め込まれていた。ムーンドロップという商品名だ。

この丸みを帯びた可愛らしいフォルム、見ているだけで心が躍りだしそうだ。


「わぁ……ありがとう。でもこれ高かったんじゃあ」


 小学生には手の届かない少しばかり高価な品物だったのを思い出したからだ。一番小さいサイズのでも、1200円はしたはず。手の中にあるこれは、それよりもワンサイズ大きい。

 事実、公衆の面前で先月は金欠だった由菜が諦めきれずに食い入るようにショーウィンドウを見つめるという醜態を晒している。


「それは俺からの礼だ」

「お礼?」


 言葉の意味を図りかねる。小首を傾げた。


「東秘書を助けてくれてありがとう」


 ますます訳が分からない。

 由菜の頭の中にある方位磁石が狂って、針をグルグルと滅茶苦茶な方向を指す。


「えっと、それは一体どういう……?」

「俺は東秘書を助けられないって諦めていた。でもお前は諦めなかった。だから誰も死なせずに助けることができたんだろうな。諦めないってことの大切さを学んだよ」

「まぁ……無我夢中だったから、あんまり深く考えてなかっただけなんだけど。とりあえずどういたしましてって言っておこうかな」


 済ました態度を取りながらも、得意気に顔を綻ばせた。

 無意識に感想がポロッと口を衝いて出る。


「……天つ少女か。あながち間違っていないかもな」

「え?」

「知ってるか? 天つ日は大和言葉で『太陽』。天つ少女は『天女』って意味なんだ」

「……大げさだなあ。わたし、そんなに凄い人じゃないよ」

「すげぇよ。お前にはちゃんと『ライオンハート(勇猛な心)』が宿ってるんだからな。お前はあの時、誰よりも『勇猛な心(ライオンハート)』の名のもとに行動してたよ」

「……ん、ありがとう」


 いつになくそう語る彼の言葉には重みがあった。


「……具合、どうだ?」

「あ、うん。元気、元気」

「そうか」


 シーン。再び沈黙が二人の間に流れる。

 見かねたシャルーアがさり気なく誘導してやる。


「……とりあえず、お座りになられては」

「あ、そ、そうだね。はい椅子!」

「お、おう。サンキュ」


 引っ張てきた椅子に透を座らせ、由菜は病人でもないのにベッドに入って膝を抱えた。

 どこかぎこちないのは、多分、彼に言いたいことがあるからだろう。


「あのさ、あの時の……わたしが、偽汽車に轢かれそうになった時に出てきたブラックホールって……透のでしょ?」

「……バレてたのか」


 暴かれた透は、由菜の視線を逃れるように俯き加減に自虐気味に微笑んだ。


「なんだか恥ずかしいな」

「なんでさ。おかげでわたしは助かったよ。ありがとね。……透の能力って、時間操作じゃなくて『全てを無に帰す』力なんでしょ」


 恐らく、闇の《特殊能力(ギフト)》からの派生系──名付けるなら、『虚無』。


「そんなに凄いものじゃない。あれが俺の最終奥義ってだけだから。普段からあんな力が使えるわけじゃないんだ」


 真意を見せない黒い瞳を、由菜は見つめた。


「……そうやって、自分の心も消してきたの?」

「──!」


 静かに指摘すれば、やはり図星だったらしく明らかに狼狽えた。目を泳がせ、動揺を隠せずにいる。


「……ずっとね、チグハグだと思ってたの。透がわたしに接する態度、どっか空虚感があるなって。だって透って、理想の彼氏って感じの振る舞い方してるんだもん。事務的っていうか、芝居がかってるっていうか……少なくとも、入学試験の時やデート中、わたしに対する感情が一切感じられなかった」

「…………」

「それに、わたしや貴斗くんも暴走したら殺すのかって聞いた時も、あんまり動揺してなかったし。まぁ、透、クールだから分かんなかったけど」

「……すまない」


 透は、顎が胸につきそうなほど項垂れた。


「透が消したのは、詐欺に加担したことへの罪の意識。……だけど、肝心のお父さんへの怒りは、どうして消さなかったの?」


 彼は重く口を閉ざしたまま、答えない。

 だから由菜は、憶測を述べた。


「消したくなかったんだよね。だってもう、怒り以外の感情が、君の中には残っていなかったから」


 父親が逮捕された直後、幼い頃の彼は、いの一番に自分を責めた。そして──喜怒哀楽に通ずる感情を順番に消していった。

 悲しみ、執着、寂しさ、愛情、恋慕、喜び、恐怖、不安、慈悲──


「でもさ、透……死んだ心を抱えて生きていくのは、しんどいよ。それが分かってたから、怒りだけは手放さなかったんでしょ」


 一人きりの病院は静かすぎるから、そんなことを悶々と考えていたんだと語った。


「思い出したんだけど、わたしもさ……お母さんのこと、一人の人間としては尊敬してたけど、親としては大っ嫌いだったなぁって」


 ははっ、と由菜は苦く笑っていた。


「だってさぁ、基本的にわたしの話聞かないし、わたしのやりたいことぜーんぶ反対するし。で、失敗すればめちゃくちゃ怒るし。そりゃ無気力で偏屈な子どもになるっつーの。病んだ時代だし親なんて、どこもそんな感じなのかもしんないけど……

 だからさ、嫌いでいいじゃん。嫌いでいいから──透は幸せになればいいんだよ。喪った心を取り戻してさ」


 ずっと張り詰めていた心の糸が、ふっと緩んだ。赦されたような心地がした。

 胸の奥底から沸いてきたのは、悲しみの波だった。寄せては返し、胸の中に悲しげな響きとなってこだまする。


 瞳から透明な雫が零れ落ちていく。

 気が付けば、透は両目からハラハラと涙を流していた。嗚咽を漏らし、肩を震わせて。


(あぁ、そっか……これが悲しいっていう感情。やっとひとつ思い出せた)


 泣き崩れた透を、由菜は黙って抱きしめた。


(良かった……完全に壊れてしまう前に、間に合った)


 彼女の胸に込み上げてくるのは、愛おしいという想いだった。その感情が、果たして恋心なのか母性なのか、彼女自身の判断はつかない。

 少し前に言われた彼の言葉が、由菜の中でリフレインする。


『恋でもすればいいだろ』

(恋かぁ……そうだね)


 わたし、キミと恋がしたいよ。


 ☆


 薄暗くムーディーな雰囲気が漂う店内。

 カウンター席でグラスを煽るのは、ライトグレーのスリーピースに身を包んだシルヴァリオ。

 ひとつ席を開けた場所に、黒ずくめの正装で決めたレイトが腰かける。


「遅かったじゃないか」


 開口一番、遅刻してきた件に対してクレームをつける雇い主。


「すみません。少々後始末に手間取っておりまして」


 わざと芝居がかった困り顔をし、軽く頭を下げた。


「ふぅん。どうだか。早速まとめサイトに上がってた『天つ少女(あまつおとめ)』のネット記事でも読んでたんだろう」

「人のこと言えないんじゃないですか?

 ゴールデン・アップルウォッチの検索履歴、見せてくれます?」

「……ストーカー野郎」

「それこそお互い様でしょう」


 決着はイーブンとなった。


「……カシスソーダですか。これは珍しい」


 赤紫色のカクテルに気が付き、素直な感想を述べる。好き嫌いが分かれやすいが、ジュースのような甘い口当たりはどちらかというと女性に好まれている。


「あぁ……由菜が好きだったなぁ、って思い出してね」

「そういうことでしたか。まぁ、カルーアミルクの方が好きみたいでしたけど」


 畳み掛けるようにカルーアを注文する。

 微笑み合うレイトとシルヴァリオの間に、二人だけにしか見えない火花が散った。


 カルーアミルクが出されたところで、埒が明かないと判断したレイトが単刀直入に訊ねた。


「……それで、どうでしたか?」

「思ってたのと違った」


 ぶすっと頬を膨らませ、ご機嫌斜めに答える。


「てかさ! 最後のあれ由菜のじゃないだろ!」

「あー、そうですね。予定調和とはいきませんでした」

「せっかく間近で見れると思ったのに」

「僕もぜひ見たかったんですがねー。ま、今度は上手くいく思いますよ」


 やけに自信満々な態度を取るレイト。


「……どういうことさ?」


 優雅な仕草で、胸ポケットから取り出した写真を見せた。

 腰まで垂れたストレートのロングヘアで、色の白い美少女が写っていた。うつむき加減なのが、当人の性格を表しているようであった。

 奥ゆかしい、古き良き大和撫子風の女の子。

 それも、ちょうど由菜と同い年ぐらいの──


「名前は桜野千咲(さくらのちさき)。12歳。由菜の親友で、地元の中学校に入学予定」


「……なるほどね」


 細かい作戦内容を聞かずとも、瞬時に察した。

 東のような見ず知らずの相手ではなく、彼女の大切な人を利用するのだ。


「楽しみにしてるよ」

「ご期待に添えるよう尽力します」


 期待ついでに、要望を追加してみる。


「まぁ、でも、殺さないようにね?」

「……今回、由菜のことを殺しかけたのは、そちらじゃないですか」

「ちょっと死にかければ、主人の危機を察知してシャルーアが来ると思ったんだよー。それに、死ななかっただろ? ボクの空亡(そらなき)は」

「……ハァ」


 全く悪びれる様子なく言ってのけたため、レイトは被っていた猫を投げ捨てるのだった。


「いくら神器の契約者でも、死ぬ時は死ぬんですが──」


 一応、答えたのだがシルヴァリオは聞き耳を持たず。

 それどころか、作戦実行の日付けを訊ねてくる始末。


「いつやるの?」

「……桜が枯れる前に、ですかね」

「そうかい。それじゃあ、今度はそっちの収穫を聞かせてもらおうか。東秘書は元気だった?」


 やれやれ、随分と長いオープニングトークになってしまった。

 レイトは本日の仕事の成果を依頼主に伝える。


「元気でしたよ。僕が影の中から現れた時は、とても驚いていましたが」

「流石。情報管理局の防犯セキュリティーを掻い潜ることができるのは君だけだ。頼んで良かった」


 レイトは、闇の能力で情報管理局に侵入し、拘束されていた東に接触してきたのだ。

 彼が視た未来の情報を得るために。


「……彼の未来予知の能力値はグレード2。命中精度はおよそ6割。ですから、まだ決まったわけではありませんが――8ヶ月後のクリスマスに、貴方は由菜に敗北します」


 もっとも、その方が彼にとって幸せな結果になるのかもしれないとレイトは思った。

 だが、自分は正義の味方でも救世主でもない。依頼された事を淡々とこなすだけ。


「それは大変だ。取り急ぎボクの敗北ルートを回避しないと」

「……彼女の勝因は分かっています。シャルーアと仲間の存在です」


 シルヴァリオが勝つには、シャルーアとの契約を解除させるか若しくは仲間の加勢を阻止するしかない。となれば……


「シャルーアと由菜の間には密接な魂の繋がりがある。外部から契約を断ち切って由菜に何かあったら……。そう考えるとシャルーアには手出ししにくいな」

「なら、内部分裂させましょう」

「そっちの方がまだ現実的か……。内部分裂ね~、割とありがちな作戦だけど、大丈夫なのかい?」


 チーム《ライオンハート》は子供とはいえ確かな結束力がある。付け入る隙があるようには思えない。


「隙がないのなら作ればいいんですよ。そのために桜野千咲を利用するんですから」

「なるほどね」


 納得したシルヴァリオは頷く。


「仲間同士での潰し合い。あの子はどこまで耐えられるかな? 高みの見物といこうか。そうだ、君に追加で依頼を申し込みたいんだけど。本業の方で」

「……高くつきますよ」


 レイト・メアスパングルの本業は、暗殺代行。

 さて、今宵の標的は誰になることやら。



☆明日の夜にエピローグが投稿できるように頑張ります。

レイトさんが言ってる由菜のアルコール摂取については、幽体離脱して異世界に行ってた時に飲んだエピソードです。魂の状態での飲酒だからセーフということで……!

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