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天つ少女の救済論  作者: 天馬要
6/8

第五幕 平穏の終わり

予定より2日遅れての更新となります。

何卒ご容赦を……

 ――遠い日の記憶が蘇る。 

 母と二人で囲む食卓。


『上手にできたのね! とっても美味しい!』


 自信作であった水菜とトマトのサラダを大絶賛されて、少女は照れ笑いを浮かべる。


『おかわりしてもいい?』


 もちろんだよと伝えると、上機嫌の母はすっかり平らげて空になった皿を手に台所へ向かう。本当に嬉しそうにするものだから、これじゃあどっちが子どもか分からないと冗談抜きに思った。

 しかし、そんな何気ない日常は、一部の独裁者が振るった過剰なまでの暴力によって、至極あっさりと壊されてしまう。

 テレビが耳を劈くけたたましい警報音を流す。クイズ番組から突如として切り替わった臨時速報。


『臨時ニュースをお伝えします。先ほど、アメリカ合衆国とロシア連邦共和国が核爆弾を撃ち合って──』


 その直後、隕石のような巨大な火の玉が上空で生まれる。

 稲光を数十倍に強めたような閃光が弾けた。真っ昼間のように辺り一面が白く塗り潰されると同時に、とんでもない衝撃波に全身を叩きつけられ、吹き飛ばされた。

 押し寄せた爆風は熱波を伴い、意図も容易く家屋を倒壊させ、更地と化する。


(……痛い……)


 気がつけば、隣の病院の駐車場に転がっていた。身体中がズキズキと痛みを訴えかけてくる。手も足も動かせず、右の眼球を上下左右に動かす事しか出来なかった。

 当然だ。左目は完全に潰れてしまったのだから。

 顔を含む左半分にはガラス片が余さず突き刺さり、誰がどう見ても重傷であった。


(……お母さん……どこ?)


 息も絶え絶えの少女は、すぐに母を見つけた。

 横転した乗用車の上で手足を投げ出し、恐怖に歪められた顔を晒していた。既に息絶えている。即死であった。

 見れば、そこら中に同じように大の字になって死に伏している人達が大勢いた。中には、皮膚が焼け爛れている人も見受けられる。


(……どうして…こんなこと、に……)


 悪い夢なら覚めて欲しいと、少女は切に願った。

 しかしそれは、叶えられることなく──

 やがて、強烈な眠気に襲われた少女の瞼が閉ざされた。夜空にはキノコ雲が浮かび、死者に朝は訪れず、少女の瞳はもう二度と開かれることは無い。

 結んでいたヘアゴムが千切れ、ツインテールが解けた。天然パーマ特有のウェーブした髪が、はらりと顔にかかる。

 ドアミラーに映り込んだ少女は、驚くほど由菜に似ていた。


 ──聞き慣れた電子音が、由菜の意識を悪夢から引っ張り上げる。

 ラヴェル作『亡き王女のためのパヴァーヌ』

 それは、予め由菜が自身の携帯用通信機に着信音として設定していた音楽であった。優雅なオルゴールの音色は、バクバクと破裂しそうなほど脈打つ心臓の鼓動と重なり合って、不協和音のように思えた。


 ベッドサイドのテーブルに置かれていた、腕時計型の通信機器──聖スタウロ学園から支給された物だ──に、手を伸ばした。

 頭に白いモヤモヤがかかったまま、電話に出る。


「……もしもし?」


 寝起きに加え、悪夢を見たことによって由菜の寝覚めは最悪の一言に尽きる。

 どうやら、不機嫌な事が電話相手にも伝わったようで、電話越しでも戸惑っている様子が感じられた。


 «……えっと、俺、透だけど»

「…うん?」


 スピーカーから聞こえてきたのは、木琴を叩いたような温かみのある耳障りの良いアルトの声。

 ワンテンポ遅れて、不明瞭だった由菜の意識は完全に覚醒した。


「え、あ、はい! ごめん! 寝ぼけてた! 何? もしかして、わたし何か約束、忘れてる?」

 «いや……違う。いや、用はあるんだ。その……合格通知来たか?»


 ドキリ。心臓が跳ね上がる。

 決して恋愛感情のドキドキではなく、どちらかというと警官に声をかけられた時に似ている胸の高鳴りを覚えた。

 煮え切らない態度を取ったと思えば、急に刃を突き刺してくる当たり、油断ならない男である。


「や、まだ確認してない。今起きたし……っていうか、そもそも今日だったっけ?」

 «……由菜は、合格してると思う。それで、その……もし良ければ合格祝いを兼ねて、街に出かけないか?

 買い物に付き合って欲しいんだけど»

「……終夜くんと、二人でってこと?」

 «あぁ»

(それってもしかして──デート!?)


 由菜は俄かに慌てた。デートの申し込みなんぞ、生まれて初めての経験であったからだ。


「その、わたしで……いいの?」


 一瞬だけ何かの罰ゲームなのかもしれないと思ったが、透が他人を陥れるようなことをする人ではないことぐらい、分かっていた。


 «…………都合が悪いのなら、断ってくれて構わな――»


「行きます!!」


 両目をカッ開きながら、覚悟を決めた!という風に強い意志が込められた声を発した。

 色恋の無い生活を送る由菜にしてみれば、気になっている男子から誘いを受けるというのは、宇宙創造と同レベルの奇跡。


(そういえば、わたし……終夜くんに、き、キキ、きっすをされたんだった……!

 そ、それに『俺のものになれよ(※意訳)』って口説かれちゃったし……!)


 それはやはり、好かれていると解釈してもよいのだろうか。

 何にせよ人生で一度くらい、デートというものを経験しておきたいのが乙女心というものであろう。


 «じゃあ、11時に時計台の前で集合でいいか?»

「う、うん。いいよ。じゃあ、また」


 通話を終えた由菜は、暫くの間、感情の持っていき場もなく、ただ茫然と通信機器を胸に抱いていた。


「……どうしよう。何着ていけばいいんだろ」


 現在、時刻は9時13分。合格通知書を確認した由菜は、たっぷり一時間、頭を悩ませることになった。姿見の前で何度も服をあてて、髪も普段と違うヘアスタイルにし、精一杯のおめかしをして勝負に挑む。


「変じゃない……よね」


 トップスは、白のチュニックに春らしく淡いピンク色のカーディガンを重ね着。

 ボトムスは、黒のショートパンツにして、フリルが施された上衣の裾から僅かに覗かせる。

 同色のオーバーニーソックスにウサ耳のシューズ。背中に背負ったバッグも、ウサギで統一させ、甘辛ミックスコーデに仕上げた。

 髪型もイメージチェンジを目指して、ツーサイドアップにし、テールを三つ編みにして甘さを控えめに。

 付き合ってもいないのに、いきなりガッツリめかし込むのも躊躇われたため、由菜としてはこのぐらいが妥当だと判断した。


 審査に審査を重ね、なんとかトータルコーディネートを完了させたが――

 鏡の中の女の子と目が合うと、沈んだ顔になった。


「……――」


 今朝の夢で見た女の子は、間違いなく自分だった。ドッペルゲンガーか、はたまた並行世界(パラレルワールド)の自分かと思うくらいには。

 情報管理局も、そもそも由菜のような能力者も、非科学的な存在だ。どんなに馬鹿げた推測でも無下にはできない。

 なんだか気味が悪くなり、由菜は態と普段と異なる髪型にしたのである。


「……意外と似合う……よね……?」


 などと不安を押し殺して自画自賛しつつ、なんなら今日からこのヘアスタイルにしようかと考えながらふと時計を見やると……


「はうッ、不味い! もうこんな時間!?」


 時計を見れば、十時半を過ぎているではないか。

 いつものように玄関へダッシュし、学生寮を出たところで、いまはあまり会いたくなかった人物とバッタリ遭遇してしまった。


「……レイト先輩」

「やあ。可愛い格好をしているね。誰かとデート?」

「まぁ……そんなところです」

(面倒くさい人に捕まってしまった……)


 由菜のテンションはだだ下がりしていく。


「その割には、顔色が良くない気がするけど」


 黒い瞳は全てを見透かしているようで、自然と迷惑気な表情を向けてしまう。

 貼り付けていた余所行きの笑顔を崩すと、怜人は唇を三日月の形に歪めた。イタズラっ子が浮かべるような笑みで、意味ありげに訊ねる。


「悪い夢でも見た?

 ──ホントはそれが現実かも」


 怖い夢、ではなく悪い夢ときた。不自然なほど的確に言い当てられ、息が詰まったように立ち竦む。


「……現実……?」


 ──あんな、世界の終末が本当に起こった出来事だというのか。

 驚愕による呼吸の乱れから、喘ぐような息遣いになった。思わず言葉を飲み込んで凝視する。


(昔から……この人の、こういうところが好きになれない。何もかも知っていますって態度が癪に障るんだよな。って、あれ? わたしが知り合ったのは最近のはず……)


 またもや自分の知らない記憶が脳裏にチラついて、当惑の眉をひそめた。


「由菜?」

「……悪い夢じゃなくて、嫌な夢ですよ」


 伏せた顔を上向かせ、怜人を見据える。

 由菜は、清水の舞台から飛び降りる気持ちだった。

 戸惑いも恐怖も引っ込めて、意を決した神妙な面持ちは、怜人に鬼気迫るものを感じさせた。

 引き結ばれた口元には、真剣な色が表れている。


「もしもレイト先輩がわたしの敵になったら──全力で相手になりますから。どうか忘れないでいてください」


 由菜は確信を抱いていた。この人は何れ自分の敵役に回るだろうと。

 だから予め宣戦布告をしておくことにしたのだ。


「……そう。それはとても楽しみだな。君がくれるものなら、なんだって嬉しいからね」


 重なった視線は、失礼しますという言葉とともに先に由菜から逸らされた。

 少女が立ち去った後、彼は口元を片手で覆うと、くっくっく、と抑えきれない笑い声を漏らす。


「全く……君は本当に素敵な女の子だなぁ」


 褒め言葉とは対照的に、冷ややかで維持の悪そうな笑みを口元に湛えていた。


「じゃあ、早速その覚悟を見せてもらおうか」


 ☆


 天つ日島のランドマークタワーである時計台。正式名称は『風の塔(ホロロゲイオン)』。中心街にそびえ立つ時計台は、ウォーデンクリフ・タワーを模倣しており、電波塔でもあった。

 それだけでなく、無線送電、無線通信、放送を可能にした世界初の電波塔である。故に、観光名所としても地元民の待ち合わせ場所としても非常にポピュラーであった。

 腕時計型通信機、ゴールデン・アップルウォッチを初めとした、あらゆる電化製品が『風の塔』から常時非接触充電されているため、電線は不要。それに伴い電柱を建てる必要がなく、街の景観は美しさを保っているのである。


(待ち合わせの時間には、ギリギリ間に合うかな。というか、この時間帯は街の方が圧倒的に込んでるよね)


 聖スタウロ学園の敷地内を出た後、市街地である北エリアに向かうべく、路面電車に飛び乗った。

 学園の生徒は学生証が通学定期券として扱われるため、島の交通機関は無料で使用できる特権を有しているのだ。


(学生寮は一流ホテル並みのサービスを提供してくれるし、月一でお小遣いも配られる……本当にこの学園って至れり尽くせりだなぁ)


 思っていたよりも乗客は少ない。やはり、敷地内が島の端だからだろうか。


『聖スタウロ学園前~、間もなく発車します。次は十返(とかえ)(ざくら)通り~』

「あー! ちょい待ち! 乗ります!」


 騒々しく駆け込み乗車してきたのは、2名の男子。学生証を見せていることから、学園の生徒であることが予測される。二人共フードと帽子を目深に被っていたため、顔は確認できなかった。彼らは気まずい様子で体を縮こませ、後ろの席へと移動した。


 アナウンスの後、電車はゆっくりと動き出す。端の席に腰かけ、後方に流れていく景色を眺め揺られているうちに次の停留所に着いた。

 車窓からは、花開いたばかりの桜が見えた。学園と市街地を繋ぐ一本道の大通りには、街路樹に桜を両端に植えており、春には一面がピンク色に染まる。


(千咲ちゃん……元気かな)


 由菜には、桜野千咲(さくらのちさき)という親友がいる。桜を目にすると、連想せずにはいられない。

 もっとも、ここに転入してから交流は途絶えてしまったが。


「……中学生かぁ」


 もし《特殊能力(ギフト)》に目覚めていなかったなら、あのまま彼女と同じ学校に通っていたんだろうかと思ったものの、余計な思考を振り払うかのように頭を左右に振った。


(考えるのはよそう。わたしは自分の意志で、将来のことを考えてここに来たんだから。この選択に後悔してない。それに――)


 どんなに離れていても、千咲ちゃんは一番の友達だと由菜は胸を張って言える。


 そして……集合時間の五分前、由菜は時計台にやって来た。


 春休みということもあって、予想通り多くの観光客が中央広場で溢れ返っている。

 待ち人を探して辺りを見回していると、後ろから肩に手を置かれた。


「わぁッ!? ……って、なんだ終夜くんか……」

「よ、よう」


 お化けにでも遭遇したかのような由菜のリアクションに驚きつつ、苦笑いする。

 透は白ワイシャツの上から青いパーカーを重ね着し、ジーンズを合わせワンショルダーバッグを背負ったラフな出で立ち。

 制服姿は真面目で大人びた優等生だが、こうしてみると年相応の普通の男の子なんだと思いながら、由菜は駆け寄った。


「終夜くん、ごめん待たせて」

「いや。俺もいま来たところ。……いつもと違うな」

「へ、変かな?」

「似合ってる」


 間を開けずに、なんの恥ずかし気もなくどストレートな物言いをされ、由菜の方が羞恥心に駆られた。


「今日は遅刻しなかったな」

「い、いや、あの日は偶々だって! 人を遅刻の常習犯みたく言うな!」


 訓練所の使用権を賭けて決闘する羽目になった日の事を話題に持ち出す透。思わずムキになって言い返したら、なんだか急に面白おかしく思え、ぷっと揃って吹き出した。


「なんでわたし達、こんな漫才みたいなやり取りしてんだろ」

「本当だな」


 学園の外にいるせいか、気が緩んでいるようだ。

 思えば、こうして学校以外で顔を合わせるのは初めてだと気が付いた。

 元々由菜は出不精であるのも手伝って、街を散策した経験も皆無であったのだ。


「……ね、わたし、今日は思いっきり遊びたいな。買い物に付き合ってあげるんだから、その後はゲーセンでマリカね! 対戦相手になってよ」

「…分かった」


 渋々了承した透だったが、意外と満更でもなさそうであった。


「それで、終夜くんの買い物って?」


 ──この後、浮かれていた由菜は、天から地へと叩き落されることになる。


 ☆


 赤、青、黒、黄色――

 壁一面に陳列されたシューズを相手に恨みがましく目に角を立てる。

 透に連れられてやって来たのは、2階建ての大型スポーツ用品店だった。この時点で、由菜は「あ、これデートじゃねぇわ」と察したのである。


(レイト先輩……わたし、見栄を張りました)


 と、心の中で涙に搔き暮れる。

 反対に、はしゃいだ口調で透は一足手に取った。


「新しいスニーカー欲しかったんだよなー」

「……買い替え時だもんね……春だし」

「だろ? やっぱりMIKE(ミキ)の新作かな。黄色はちょっと似合わなそうだが……」


 赤と黒で迷っている透の決断が長引きそうだったので、由菜は別のコーナーを見に行くことにした。


「わたし、ジャージ見てくる」

「おう」


 赤に白のラインが入った靴を食い入るように見つめている。その横顔に何処か安心する自分がいた。


(終夜くんも人間だったんだなぁ。というより靴オタ?)


 ……――そして、そんな二人をつけ狙う不届き者がいた。

 黒猫を模したニット帽を被った貴斗と、不運にも巻き込まれたリュカであった。商品棚の裏に隠れて、様子を伺っている。


「なんでボクがこんなことを……」


「しゃーないやろ! で、デデデ、デートなんてけしからん! 破廉恥や! 不純異性交遊なんぞさせてたまるかい!」


 実は路面電車の辺りから、由菜はずっと跡をつけられていたのだ。

 というもの、何者かが貴斗の通信機に「二人がデートをする」とタレコミを入れてきたのだ。それを真に受けて、貴斗が男子寮を飛び出したところに通りすがったリュカを引っ張ってきたというわけである。


 ――篝貴斗にとって、桐月由菜は言わば『気になる存在』。故にこのまま引き下がるというのは、どうにも納得できない。隙あらば透の邪魔をする、という目的で尾行していた。


「バッカみたい。一人でやってよね」

「ちょ、ちょい待ち! 天下分け目の大勝負やねん!」

「ストーキングのどこが大勝負なのさ」


 ほとほと呆れ果て踵を返しかけたリュカを、必死になって引き止める貴斗。


「下手な尾行だな。そりゃあ流川先生にも撒かれるはずだ」


 突如、銃口を突きつけられたような緊迫感が襲いかかった。

 いつの間にか背後を取った透が、矢を射るような強い視線で凝視している。


「……ッ!」

「……マジ?」


 元より隠密行動が得意な透にとって、この程度は朝飯前。


「まぁ、お前らに気付けないアイツも相当だけどな。……これを見ろ」


 ため息をつきながら透が差し出したのは、先月発売されたMIKEの新作スニーカーだ。黄色に黒と白のラインが入っている。


「え、なんやの?」


 何の脈絡もなく切り出された話題に、貴斗は首を傾げるばかり。

 一方のリュカは、頭に閃くものがあった。


「……もしかしてWeTubeに上がってた例の動画が関係してるっていうの?」

「流石リュカだな。話が早くて助かる」

「まぁね」


 完全に貴斗を置いてけぼりにして、リュカと透は会話を続ける。


「でも、なんで委員長がこんなこと調べてるのさ? 理事長にでも頼まれたの?」

「いや、これは俺の独断で確認にきただけだ」

「……? じゃあキリツキは? 同行する必要性は無いと思うけど」

「アイツには、また別件で確認したいことがあるから、学園の外に呼び出しただけだ」


 淡々と受け答える姿に、不自然なところは見受けられない。

 リュカはふーん、と気のなさそうな返事をした。


「ぬ、抜けがけしようとしてるんと違ったんか……」

「……まぁ、確認作業はこの後にする。だから、二人とも邪魔をしないでくれないか?」


 真剣な眼差しは、どこか怖くもあり、他者に対して首を縦に振らせる力を宿していた。


「終夜くん?」


 由菜が買い物カゴを手に、透の名を呼びながら商品棚の曲がり角に差しかかる。

 ドン! 咄嗟に貴斗たちを突き飛ばすと試着室へと押しやって、由菜から隠した。


「あれ、赤いヤツにするんじゃないんだ?」


 透が持つ黄色いスニーカーに視線をやり、疑問を口にする。


「あ、あぁ。……そうだな、ちょっと履いてみたけど、やっぱ赤にするよ」


 試着室の傍に置かれていた試し履きのために座るスツールを目にして、思い付いた説明をそれらしく述べた。


「うん、わたしも赤の方が似合うと思う」


 透の出まかせを疑いもせず、ニコリと微笑んだ。


「……由菜は何にしたんだ?」

「せっかくだからジャージ新調することにした〜」


 ☆


 水色のジャージと赤いスニーカー、それぞれをドローン配達に指定し、手ぶらで外に出る。

 買い物を済ませたら、一時半を過ぎていた。


 市街地から少し離れた西エリアにある個人経営の飲食店で、遅めの昼食を取る。

 一階は洋菓子店、二階は小洒落たカフェスペース。三階より上は店主の居住区になっている。

 昼時を過ぎたせいもあり、店内は至って静か。センスの良い間接照明とクラシックがマッチしていて、大人の隠れ家のようだと由菜は思った。


「な、なんか小・中学生には敷居が高い気がするんだけど……」


 高校生だって躊躇いそうな店だ。


「ファーストフードの方が良かったか?」

「ううん。こういうお店、わたし結構好き。地元にあった喫茶店によく似てるんだ。……お母さんとよく行ったの」

「……そうか」


 頼んだ料理の品が届くまでの時間を、お喋りに費やそうと由菜は思ったのだが、いざとなると話題が見つからない。


 聞くところによると、沈黙の時間を心地良く過ごせるのは、仲睦まじい証拠なんだとか──


(……まだまだってことかなぁ)


 早くも気まずさを覚え始めた由菜は、先に運ばれてきたストロベリーミルクをストローで吸う。


(……あ、)


 なんとか見つけ出した話の種は、将来についての話であった。

 入学試験で流川と話したことが、頭の片隅に残っていたのである。


「終夜くんはさ、将来どうするとか考えてる?」


 唐突な問いかけに、虚をつかれ少々面食らったようだが、すぐに口を開いた。


「……外交官になろうと思ってる。出来れば、コロンビア合衆国かブリタニア連合王国のどっちか」

「そっか……ちゃんと考えてるんだなぁ……わたしってば、とにかく情報管理局(エックスシーアイ)の機関員になるってことしか……」


 そして、なるべくならニッポニアで常勤が良いと心の中で付け足した。


「一口に機関員といっても、特別捜査官や各国を飛び回る諜報員もいる。幅広く活動ができるお前なら、何になっても活躍できるだろ」

「……ありがとう。流川先生にも同じことを言われたよ。そのためにも、強くならないとね」

「…………」


 飽くまでも、自分の強さを追い求める由菜。強者であり続ける自分に拘る執念深さは、透にはある種の呪いのように思えてならなかった。


 その時、微かに聞こえてきたプロペラの稼働音に、二人は窓の外に顔を向けた。

 最新鋭のホバーバイクに跨った警官が、斜向かいの屋根の上を頻繁に行き交っている。


「なんか今日、警察官よく見かけるんだよね。何かあったのかなー」


 透は、一度長い瞬きをした後、意を決して自身の境遇を打ち明けた。


「警察……か。実は俺の父親、刑務所に入ってるんだ」

「……え」


 絶句。そして、なんとか言おうとするも相応しい言葉が見つからず唇を開けたり閉じたりするだけ。

 だけれど、彼はそんな由菜に構わずぽつりぽつりと詳らかに自らの半生を語り出した。


 透は、物心ついた頃から自らの強い異能力を自覚していた。

 精神を病んでいた父親は透を『神の子』だと信じ込んでしまい、怪しい宗教団体を立ち上げて教祖になった。もちろん、教祖を演じる彼自身に特殊能力は発現していなかった。

 ――そして、透が10歳になる年に詐欺罪で逮捕されたのである。

 その際にアルデバルトに保護されて、この学園にやって来たのだ。


「──俺は、正直に言うと詐欺師だった親を恨んでる。

 ……由菜はどうだ?」

「わたしは――……」


『気味が悪い』

『化け物』

『アンタなんて産まなければ良かった』


 母親に言われた台詞が頭の中にこだまして、由菜を責め立てる。

 しかし、その一方で逞しい母の背を見てきた由菜は言い淀む。

 憎むべきか愛するべきか。複雑に絡んだコードのような感情の中に、自分なりの答えを見つけ出した。


「――微妙なところ、かな。わたしとお母さんって、性格的に合わないんだよね。だから、憎んでる部分もあるし……尊敬してる部分もあるよ」


 だから、半分半分かなと由菜は白状した。


「単純に好きか嫌いかって言われたら、好き……だと思う。ううん、やっぱ分かんないかも」


 カラン、と円筒型のグラスの中で、氷が擦れ合い涼やかな音を鳴らした。


「……そうかよ」


 喉元にせり上がってくる空虚感。それが怒りに変わる前に、コーラと一緒に飲み込んだ。

 そっぽを向かれ、俺とお前は分かり合えないと言われているように思えた。


 夕闇の如き瞳の奥に、確かな失望感が映ろう。彼の胸中は察するに余りある。

 許せる人こそ強い人だという綺麗事が、由菜は大嫌いだった。目の前の悲しみに寄り添わず、それらしい正論を振りかざして更に傷付ける――加害行為と同等の自己満足。


 由菜はそれをやってしまったんだと悟った。

 由菜と透。互いに抱えた生きにくさは違えども、受けた傷から自分自身を蔑ろにしてきたことは同じだった。だからこそ、共感できる部分もある。


「……終夜くん。ううん、()

 親の事、憎んでもいい。恨んでもいい。わたしはずっと味方でいるから。だから……自分を責めないで。これから少しずつ大事にしていこう」


 ――世界が、変わる。

 今まで目の前に立ち塞がっていた厚い壁が、取り払われた。分け隔てていたはずの心理的障壁が由菜にとって壊されたのだ。

 見慣れたはずの真面目くさった顔つき。だけどそれは、暗がりにいる彼に灯火を分け与えるものだった。


「……ありがとう」


 消え入りそうな声で鳥のさえずりのように、そっと礼を言う。

 憑き物が落ちた顔を見て、由菜も肩の荷が下りた心地を感じホッとするのだった。


 ☆


 由菜はオムライス、透は海老グラタン。

 それぞれ半分ほど平らげたところで、透がスプーンを動かす手を止め意味深長に発言した。


「世界五分前仮説って知ってるか?」


 世界五分前仮説。哲学における懐疑主義的な思考実験の一つ。第三代ラッセル伯爵ことバートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセルによって提唱された仮説だ。


「聞いたことは……あるような? 『実は世界は五分前に始まったのかもしれない』っていうヤツでしょ」

「そうだ。ラッセルはこう言っている。たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだと。

 俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現したとしたら――

 ……由菜、有るのか無いのか分からない記憶を思い出したがることはないか?」


 不意に、背中から氷柱を突っ込まれたかのような悪寒がした。心の奥底に暗雲が立ち込めていく。


『悪い夢でも見た?

 ホントはそれが現実かも』


 玲人の声が不吉に反芻した。


「……あるよ。特にレイト先輩に関しては単なる記憶違いとは思えないレベルで」


 由菜には、透の言いたいことが何となく分かった。


「……透まで、この世界がとっくに滅んでいるって言いたいの?」


 黒い目が僅かに見開かれ、物分かり良く頷いた。


「……ああ。ニッポニアじゃなく日本。英国もブリタニア連合王国なんかじゃなく、イギリスと呼ばれていた。それに……元の世界では、こんな力は無かった」


 胸に生じたざわめきが小波(さざなみ)となって押し寄せてくる。

 由菜は今朝の夢の内容を想起させる。それは、パズルのピースをかき集めるのに似ていた。


「……核爆弾。アメリカとロシアが撃っちゃって……それが何の手違いか、日本に落ちてきて……わたし、それで、死──」

「由菜!」


 ガタン、と立ち上がった透が由菜の震える肩を掴む。

 掠れた声で由菜は問いかける。


「ねぇ、とっくの昔に世界が滅んでいるとして――わたし達って一体どういう存在になるのかな……?」


 ☆


 天つ日島の最下層、そこには途方も無く巨大な情報源が保管されている。

 情報管理局(エックスシーアイ)が保持している最大の情報──それは、アカシックレコードである。あらゆる事象、想念、感情といった宇宙の情報が書き込まれ随時更新されていく世界記憶の概念にして万能の情報源。


 全長二メートルはある、エメラルドのような正四面体の形をした叡智の結晶。

 光を帯びて浮遊している様子を、アルデバルトは食い入るように見つめていた。

 情報管理局の局長でも、閲覧権限は自由ではない。

 ただ、時折こうして地下に降りてきて、確認作業をするのが彼の日課だった。


(……胸騒ぎがする)


 胸焼けのような名状し難い嫌悪感が渦を巻く。

 左手首に巻かれた通信機が何かの天啓の如く着信音を発した。


 «もしもーし、アル先輩?»

「……ケイか」


 流川・シルフレイク・圭。生意気な後輩から通信機に連絡が入ったため、エレベーターのボタンを押しながら応答する。


「どうした」

 «宮下大臣の動向を調べてたんですけど、どうやらスケルタスホテルに秘書と泊まってるらしいですよ。宿泊記録も確認したんで、間違いないっすね»


 一丁前に裏取りを済ませた流川は、電話口でドヤ顔した。

 乗り込んだ正方形の箱が上昇していく中、アルデバルトは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。


「あの狸親父、まだこの島にいんのか」

 «それなんですけど、昨晩から行方不明らしいっすよ»

「……本当か、それ」

 «マジっす。通報した秘書の東真(あずままこと)も現在では姿をくらましてて──。これ、不味くないっすか?»

「…そうだな」


 このままでは、情報管理局の機密情報が流出、または拡散される恐れがある。


「ったく、あのクソだぬき。ケイ、取り急ぎ警官隊と連携して二人を探し出し、身柄を確保しろ」

 «了解しました〜。全局員に伝えときます!

 そうだ、さらに追加で極秘情報が。その行方知れずの東なんですけど、なんとグレード1の発火能力者らしいっすよ»

「……そうか、ご苦労」


 異能力は弱ければ、それだけ検出しにくい傾向がある。今までは無能力者だとされてきたのだろう。


「見つけ次第連絡を寄越せ。オレも現場に駆けつける。追加報告も怠るなよ」


 ぷつ。一方的に司令を出して通信を切った。

 地上階に着きエレベーターを降りると、足早に局長室へと向かう。

 非常事態宣言のアナウンスが流され、慌ただしく動き出す局員たち。リノリウムの床が足音を反響させる。


『島の外に出た痕跡はどうだ?』

『監視カメラを漁ってるけど、それらしい人物は見つからなかったぞ』


 局長室に戻ると、机上に置かれていたタブレット端末を手に取った。

 液晶画面をタップし、更にスクロールさせると、そこに書かれていた報告内容を目にして銀灰色の瞳を鋭くさせる。


91(ナインティワン)情報管理局 特殊能力に関する特記事項】

 《大いなる虚空(グレート・ヴォイド)

 精神状態を限界にまで悪化させた能力者が《白鳥の歌(スワンソング)》によって歪んだ願望を成就させた結果、人としての姿を保てなくなり怪物化する現象、もしくは怪物化した対象のこと。特殊能力、すなわち魂の暴走が原因となって生じる大規模災害。

 尚、現在のところこの怪物化現象は、《特殊能力(ギフト)》を持つ者にしか確認されていない――


「…………まさかな」

☆異世界転生の種明かしは今章のエピローグで!

ネタバレにならない限り、質問・疑問を常時受け付けます。

次回こそ16日の土曜日に更新を目指して……!

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