第三幕 血濡れ、微笑む。
百円ショップで購入した、細長い一輪挿しの花瓶。藍色の花瓶に活けられた氷の薔薇は、十日経っても全く溶ける気配を見せない。まるで硝子細工そのものだ。天に向かって真っ直ぐ花を咲かせる様は、澄まし顔の貴婦人のよう。
「遅刻する~!」
そして今朝も、氷の貴婦人は寝坊してバタバタと慌ただしく玄関を飛び出していく由菜を見送るのだった。先日卒業した、初等部のセーラー服の姿で。
学生寮を出た由菜が向かった先は、第二訓練所。競技場としての形をそのまま採用されており、特殊能力の授業だったり実技試験にも使われる白い半円球の屋根が目印の訓練施設である。休日や放課後にも開放されるため、自主練習に来る生徒も多い。聖スタウロ学園の児童生徒たちは、ここで特殊技能を磨くのだ。
しかし、訓練所は大抵の場合、高等部生が我が物顔で占領して貸し切り状態にしてしまうため、初等部生と中等部生はあまり練習に使うことはなく、グラウンドや体育館での鍛錬を余儀なくされている。そのため、使用するならば早朝の方が人が少なくて都合がいいだろうと透が提案した。
『そういうわけだから、明日は9時半に集合な』
「って言われてたのに――!」
現在、時刻は驚愕の10時8分。およそ四十分の遅刻だ。土下座しても許してもらえるかどうか。
入学試験に向けてチームメイトに、一緒にトレーニングがしたいと一声かけた由菜だったが――まさか、その言いだしっぺが遅刻するなんて。冗談にしても笑えない。
(貴斗くんはいい。笑って許してくれるはずだ。問題は終夜くん。自分にも他人にも厳しいんだよアイツ)
釘を打ち込んだバットを背負った透(由菜の勝手なイメージ)が、詰め寄ってくる。
『入学試験一週間前だぞ。ふざけてんのか? 受かる気あるのか?』
「ごめんなさーい!」
脳内でチームリーダーにどやされながら兎にも角にも全力疾走する。
手入れの行き届いた花壇の横を走り抜けると、地面が石畳からアスファルトの舗装路へと変わった。校舎とは異なり、訓練所は球場によく似た構造を有する建築物のため周囲の景観も現代的なテイストで統一されているのだ。
「おや、お早う」
「おはようございまァーす!」
守衛のおじさんに挨拶をする際も、由菜は足を止めずに階段を駆け上がっていく。自動ドアをゴールテープに見立てて、駆け抜けようとしたのだが――
「……ん?」
先客がいた。
自動ドアの真ん前で、頭の上まで挙げた右手を左右に振っている男子生徒がいる。
「困ったなァ」
中等部のブレザー制服に身を包んだ彼は、反応のない自動ドアを見上げて頭を掻いた。緩くカールしている毛先は天然パーマなのか、またはただの寝癖なのだろうか。
最初は自動ドアが故障しているのかと思った由菜だったが、試しに近づいて隣に立ってみると……ガー、という機械音とともに左右に開かれる。正常に作動しているのは誰の目にも明らかだった。
「…………」
「…………」
所在なげに黙り込んでしまう二人。由菜は、政治家の失言を耳にした時に似た居心地の悪さを覚えた。
(もしかしてだけど)
「自動ドアに認識されなかったんですか」
よせばいいのに、抑えきれなかった由菜が気遣いをかなぐり捨て訊ねたところ、やはり図星だったようで「うッ」とその先輩は後退りをした。
おさまりの悪い雰囲気の中、さっさと立ち去りたかった由菜は、沈黙を破りたい一心で相手に話しかける。
「と、とりあえず中に入りませんか?」
「……そうだね」
下げられた垂れ目気味の目尻は、人が良さそうでいてどこか抜け目のない印象を由菜に与えた。
整った容貌には何故か少々影を感じさせるが、それもまた人を惹きつける魅力に違いない。東京都内であったなら、名立たる芸能事務所が放っておかないであろう。しかしここは、一般人立ち入り禁止区域の聖スタウロ学園。芸能活動なんて日本で最も縁遠い場所だ。
(というか、何気に顔面偏差値高いよね、ここ。生徒も教職員もさ)
…………あまり自分の顔については考えたくない由菜だった。
自動販売機の前を通り過ぎ、曲線を描く廊下に二人分の足音がこだます。間接照明の下、外側を歩く先輩が唐突に口を開いた。
「いやぁ、ありがとうね。自動ドア開けてくれて」
「いえ……」
自動ドアを開けただけで感謝される日が来るとは。人生は何が起こるか分からないものである。
「……いつもああなんですか?」
「普段は妹が一緒なんだけどね~。あとは、回転扉になってくれればなァ」
なんてね、と冗談を言って場の空気を和ませる。
「僕は夢生玲人。中等部の制服を着てるけど、ついこの間卒業してね。4月からは高校1年になるんだ。君は……初等部の子だよね?」
「あっ。わたしは桐月由菜です。わたしも、先日初等部を卒業したんですけど、まだ新しい制服受け取ってなくて……」
1週間後に迫った入学試験をパスしなければ、中等部の制服や教科書を支給されないのだ。訓練所や教務課、校舎に立ち入る際は原則として制服着用を義務付けられているのだから、大変紛らわしい。
「どうにかならないのかな~」
「同感です。……ところで、なんだか夢生先輩とわたしの名前、似てますよね。あ、だからどうって訳じゃないんですけど」
「じゃ、僕たちが結婚したら夢生由菜ってややこしくなっちゃうね」
「なんか売れないお笑い芸人みたいですね……」
変に落ち着いたツッコミをする由菜だが、眉間に寄せられた皺が不機嫌な感情を全面に表していた。
(あ、そういう反応なんだ?)
頬を赤らめたり、照れ笑いを浮かべたりと、可愛らしいリアクションを期待していたのに、予想を裏切る結果になってしまった。
(照れる姿が見たかったのになぁ)
仕方がないので話題を変える。
「……言いにくいってよく言われるんだ。レイトでいいよ」
「じゃあ、レイト先輩で。その、先輩も入学試験に向けて自主練に来たんですか?」
「……──」
ピタ、と何故か不自然に立ち止まった。
「……? レイト先輩?」
その直後、世界が反転するようにガラリと彼の纏う雰囲気が変わるのを察知した。
首筋にナイフを突きつけられたみたいに肌を刺す緊張感。辺りの空気が重みを増して四方から由菜を押し潰さんと圧迫してくる。
金縛りにあったかのように動けなくなり、その場に立ち竦んだ。
(なんだ、コレ……!?)
敵対感情か? はたまた悪意か? 攻撃性を秘めた意思が玲人から発せられている。
これだとハッキリ言える答えが出せなかったが、この殺意によく似た感情の発進源が隣にいることに、激しく警鐘を鳴らした。
原理は、由菜が以前中等部の先輩達に行ったものと全く一緒。渦巻く強大な生命エネルギーが威圧感を生み出しているのだ。
(でも一体どうして?)
横目で盗み見れば、信じ難いほど生き生きとしていた。動物的な生気を放ち、黒々とした瞳を輝かせている。それも、酷く獰猛な表情で。歪めた口元からは、長い犬歯が覗き──
「──レイトさん!」
(あれ、なんでわたし、さん付けで呼んだんだろ)
引っ掛かりを覚えながらも力の限り声を張り上げて名前を呼んだ瞬間、玲人はハッと正気を取り戻した。同時に波動が正常な状態に戻り、由菜にかかっていた圧力も消え去る。
「……ど、どうしたんですか。急に立ち止まっちゃって」
どうしたのかと問えば、誤魔化すように由菜の問いに答えた。
「あ……あぁ。ごめん。そう、自主練にね。高等部の入学試験ってさ、これまでの実技試験とは違って生徒同士の実戦形式になるんだ」
何事も無かったかのように再び歩き始めた玲人に、由菜もなるべく平常心で会話に応じた。
「生徒同士の実戦……ですか」
急激に上がった試験のハードルに愕然とする。動揺して不自然に瞬きを繰り返し、先程の命の危機とはまた別の恐怖が由菜を襲う。
「ば、バトルロイヤルってことですか……?」
「そう。チームを組んでいたとしても、最後の一人になるまで徹底的に潰し合う」
「…………」
校舎内が血の海になる様子を頭に思い浮かべ、身震いした。
(中等部の試験とはえらい違いだ……)
顔を青ざめさせる由菜を斜眼に見て、玲人は刃のような冷笑を浮かべた。
「まぁ、ソロの僕には関係ないけど」
「え……」
微笑しているのに、目は笑っていない。悲しげな表情に冷ややかな影が落ちる。
玲人が遮音性・防音性に優れた観音開きの劇場扉を開けると、誰かが吹っ飛んできた。
「うわっ! って、あれ……?」
足元に転がっているのは、由菜にとって大事な仲間のひとり。
「うぅ……」
地毛だと話してくれた明るい茶髪。
何気にコンプレックスらしいぱっちりした大きな瞳。
元気が取り柄の活発な少年は、腕にパックリと開いた切り傷を拵えていた。
「貴斗くん……? 貴斗くん!? どうしたの!?」
呻き声を上げるばかりで、呼びかけても反応が鈍い。
出血箇所から制服に赤い染みを作った。
「きゅ、救急車……!」
「落ち着いて。まずは止血だ」
サッとハンカチを取り出すと、傷口に当てた。今度は自らのネクタイを取ると、押さえたハンカチの上から巻いていく。
由菜が通信機器を片手にパニックに陥っている間、手際良く応急処置を終わらせる玲人。
「治癒の技が使えないから、これくらいはね」
「あ、ありがとうございます……」
「お礼を言うのはまだ早いみたいだよ」
厳しい顔つきでドームの中央、直径20メートルのリングの上を見やる。
玲人に倣って視線の先を追っていくと、透が三人の高校生を相手に大立ち回りを演じていた。
ニタニタと不気味に笑う痩せこけた骨と皮ばかりの男。
力士のような大男がリングから岩石を生やし透を追い立てる。
ドレッドヘアの男は両手から電流を迸らせ、電撃を投げつけていた。
大男が盛り上がった上腕二頭筋で透に手を伸ばすも、瞬間移動の如く目の前から消え、攻撃の手から逃れる。回避の絡繰りは分からないものの、彼がピンチなのは分かった。
「な、なんで……どうして戦ってるの?」
軍服要素を取り入れた高等部の制服は目立つため、相手が先輩だということは理解したが……
「友達?」
「チームメイトなんです……」
「そう……。ね、そこのキミ」
「は、はひッ」
玲人が話しかけたのは、眼鏡をかけた中等部の女子生徒。
「これ、どういう状況なのか教えてくれない?」
「あっ……その、初めは初等部の子たちが自主練してたんだけど、高等部の先輩たちが出ていけって……あの子たちは、それを拒否したから――」
『模擬戦してやるよ』
要するに、リンチされているのだ。
五臓六腑が煮えくり返るとは、まさにこのこと。
「……なるほどね。《血の粛清》か」
「え。何ですかそれ?」
疑問符を浮かべた由菜がすかさず玲人に訊ねる。
「ひと言でいえば……決闘だよ」
《血の粛清》とは、すなわち特殊能力を使って行う決闘のこと。生徒同士で起こったいざこざを解決するのに用いられている常套手段だ。合衆国や英国といった先進国をはじめとする諸外国では、この現代において決闘はとうの昔に禁じられており、ニッポニアでも決闘罪が適用されることが度々あるのだが――この学園内に限って話は別。
中世で決闘に使われたレイピアや拳銃をお互いの特殊能力へと持ち替えたものが、《血の粛清》なのである。
もっとも、初等部では厳禁とされている危険行為に変わりはないのだが――
「悪質だね。大方、相手がそうするように仕向けたんだろうけど」
由菜は苦虫を嚙み潰したように悔し気な表情をした。
いくら二人が優秀でも、訓練を重ねてきた上級生には数のハンデと実戦経験の面で劣る。その証拠に、透が攻めきれていないまま、逃げ回り続けているではないか。
「……レイト先輩、貴斗くんをお願いします」
それだけ言い残すと、返事も聞かずに無謀にも壇上に飛び込んだ。同時に跳躍して特殊能力を発動させる。
「光よ、空間を繋ぎ道となれ《ムーンロード》」
光に乗ることで目にも留まらぬ超高速移動を可能にする上級移動技だ。
「ッ、由菜!?」
「遅れてごめん!」
引き下がる透に追撃を仕掛けようとしたところで、選手交代するように由菜が前線に姿を現した。
「ここからは、わたしが相手になってやる!」
「なんだぁ!? もう一人ガキが増えたぜ!」
「ひゅー! 健気でかっわいー!」
「俺たち《ロンギヌスの槍》に敵うわけないのによ――!」
ロンギヌスの槍、それが彼らのチーム名のようだ。
殺気立つ心のままに、由菜は右手を突き出す。
「《星の弾丸》」
五芒星の形をした光弾が一発だけ撃ち放たれる。基本の初級狙撃技は、土属性の能力者によって対応された。
「へっ、そんなネズミ花火、貰うわけねーだろ!《岩戸隠れ》!」
リング上に生やした岩石を盾にして受けた。しかし、着弾の直前に横回転から縦回転へと変化した弾道。☆の鋭利な角が突き刺さり、高速に回転駆動してチェーンソーのように岩石をガリガリと削って斬り込んでいく。
「な、なに!?」
キュィィィィン、という耳障りな甲高い削岩音がフロア一帯に響き渡った。回転による摩擦で生じた火花が散っていく。
仕舞いには粉砕。強引に防御壁を突破した星の弾丸は手裏剣の如く相手の間合いに滑り込むと脇腹を掻っ捌いた!
巧みな手並みに、玲人は口笛を吹いて称賛の意を表明する。
「ぐッ!?」
鮮血が舞い、リングに滴る。ふらつく相手へと駄目押しに中級狙撃技を見舞った。
「――!」
爆発の衝撃で吹っ飛んでいく巨漢。制服は焼け焦げ、全身に火傷を負っている。
ドォン、と背中から倒れた姿に一瞥くれてから由菜はカウントした。
「まずは一人目」
攻撃の手を緩めず二人目へと攻撃対象を移行。憤怒に燃える瞳が電撃使いを射貫いた。
「次は貴方」
「クソッ!」
先刻ダウンした土属性の能力者が形成した岩陰に隠れる。
「土浦が一撃でやられるなんて……つーかなんだよあの変化球は!」
(考えろ……そうだ、プラズマを食らわせれば)
「《輝く剣》」
由菜が地面と水平に右腕を振るうと、今度は長さ2メートルを超える巨大な三日月型の光の刃が空中を横に奔った。
岩の密林を伐採していく様は、斬首刑に処された罪人の頭が次々と刎ね飛ばされているような恐ろしげな光景と誤認させるほど凄まじく……
「ひッ――!」
頭を下げた男子生徒の頭上を通過し、光の刃はリングを飛び出し観客席まで飛来して深い斬痕を刻んだ。
岩が斬り飛ばされたことで、随分と見通しが良くなる。目ざとく由菜がドレッドヘアーを認識すると、
「くそったれぇぇぇ!」
「よせ竜華!」
チームメイトの制止をガン無視し、絶叫しながら青い火の玉のような高温プラズマが放たれる。
刹那、男子生徒は由菜のカウンターで光のビーム砲にプラズマ共々飲み込まれて意識を失った。
「光は一秒間に地球を7周半するんだよ?
そんなネズミ花火、貰うわけないじゃない」
ニヤリと唇が歪んで残虐性を帯びた笑みを浮かべる。
「これで二人目。あとは……」
ふと気が付けば、由菜の周囲を白い濃霧が漂っていた。矢庭に一変した景色。余りにも常軌を逸した状況に由菜が樹海の様だと思うと、木々や蔦、地面に生えた苔などわざとらしく緑が霧の中から現れる。続いて、異常に高い湿度によって蒸し暑さを覚えた。
「……なるほどね、最後は幻惑使いか」
(だとすると少し面倒くさいな……)
撃破する順番を誤った由菜は、心の中で舌打ちする。
人に幻覚を見せる類の能力の最大特徴は、精神攻撃に特化している点だ。その強みは安全圏から敵を翻弄できること。例えば、相手の苦手そうなものを見せるなど。
霧の中から数十匹の地を這う蛇が四方から由菜を取り囲み、舌を出して威嚇してくる。女子的にはゴキブリに次いで関わりたくない生き物だ。
「やだなあ~。怖いなあ~」
稲川淳二風に怖がった後、瞳を鋭くさせた。
「でも、その戦い方は自分に戦闘技能が無いことを白状しちゃってるんだよね」
――幻覚能力の弱点は相手に物理攻撃が出来ない事!
☆型に集めた光に騎乗し、天井近くまで一気に上昇。同時にリングに展開されていた濃霧は消え、幻覚作用の範囲外に出た由菜には、ひょろ長い上級生の姿がハッキリと認識できた。
「見つけた」
「なッ、そんな馬鹿な!?」
幻覚能力に限った話ではないが、特殊能力の技には当然ながらそれぞれに有効範囲がある。故に高度な幻惑が可能な範囲も限られてくるのだ。しかし由菜がこれを攻略できた理由は別にある。単純に、彼の幻覚には高さが足りない。
「平面にだけ範囲を指定したら、突破されるよ」
――わたしみたいに。
「ロンギヌスの槍ってさー、キリストを刺した聖なる槍のことだよね?」
足場の他に光を集めて一本の槍に収束させると、由菜は腰を抜かした最後の一人に向かって絶望の呪詛を吐いた。
「じゃあ、コレで貫かれたら滑稽だね!
光を、我が敵を討ち果たせ!《ホーリー・ランス》!」
「や、やめ――」
投げ撃つのは光の槍。神をも貫く不可避の聖槍は命じた通りに一直線に飛んでいき、最後の敵を串刺しに――
「やめろ由菜!」
「ッ!?」
呼び止められた拍子に、一瞬だけ意識が外に持っていかれる。そのせいで、照準が狂った光の槍は的を外してリングの石板を穿つだけに終わってしまった。
仕方がないので、フロアに降り立ち自らの手でぶっ刺してやろうとしたのだが…………バーサーカーの如く暴れ回る由菜の肩を掴んだのは、透だった。
「待て、由菜!……もう、いいだろ」
「よくない」
即答だった。
「全っ然よくない! わたしの仲間をリンチした挙句、貴斗くんに怪我させて……許せない」
「頭にきてんのは俺も同じだ。だからこそ一度冷静になれ」
「…………」
命知らずにも荒れた雰囲気に乱入してきた第三者が、制止を呼びかける。
「はーい、そこまでー!」
現在の由菜は、誰彼構わず「邪魔する奴はブッ飛ばす」という勢いだったのだが、その人を目にして逆上した熱がいくらか下がった。
「……リオ先生」
「やぁ、また会ったね由菜さん」
この騒動を見兼ねて、どうやら生徒の誰かが学校側に連絡したみたいだ。そして、事態の収集に駆けつけたのがリオだったのである。
「こ、このガキ共が俺らの言うことに従わねーから…!」
由菜一人にボコボコにされたのにも関わらず、一向に態度を改める気配を見せない上級生。タフさだけは見習いたいが。
「まだ懲りてないみたいですね、先輩方。いいですよ、準備運動にはちょうどいいですから」
「なんだとテメェ!」
売り言葉に買い言葉。再びギャーギャー騒ぎ始めた両者(というか由菜と土浦)に、リオはとある提案をする。
「それじゃあ、仕切り直そうか?」
「…え?」
「チーム同士で決闘するんだよ。それで今度こそ決着つけたらいいんじゃない?」
リオは、初等部生組である由菜と透に《血の粛清》を行う際のルールを教えた。
「武器を使用しない代わりに、特殊能力での戦闘にて決着をつけること。それから決闘にはちゃんと手順があるんだ。まず進行役として中立の審判と医師の立会人がいないと。審判は大抵みんな先生に頼むんだけど……これ僕が立候補してもいいかい?」
これから他に立会人を探す手間を考えると、リオにやってもらうのが一番だろう。
「……わたしは構いません」
「俺もだ」
「オーケー。医師は……これからアルデバルト理事長がくるから、それでいいか」
(急に雑ッ)
「で、でもわたし達のチームは、貴斗くんがいないし……」
「じゃあ、玲人くんに代打してもらったら?」
なんとも軽いノリで言って退けられた。
「えぇっ? で、でもそんな迷惑かけられないし」
尚も食い下がる由菜だったが、ここに来てリオの口から衝撃的な事実が暴露される。
「玲人くん、チーム組んだ経験無かっただろう?
ちょうどいい機会だと思って、付き合ってあげてよ」
(え…?)
「レイト先輩…チーム組んでいないんですか?」
由菜としてはそこそこ威力のある一言だったのだが、玲人はあっさりと認めた。
「まぁね。学年でたった一人のグレード4だから、組める相手がいないんだ」
「あ……」
(だから、あの時自分のこと、ソロって言ってたんだ)
特殊能力の等級は同レベルの人物でなければチームを組むことを教師に認めてもらえないのだ。その点に関して、《ライオンハート》は運が良かったとしか言いようがない。
「よし、なら貴斗君とやらの代わりに、僕が臨時でメンバーになるよ」
「えっ? い、いいんですか?」
「うん。その代わり、チームの名前は僕が決めてもいい?」
「いいですよー」
「ありがとう。うれしいなぁ。夢だったんだ、誰かとチームを組むの」
影のある雰囲気がわずかに明るいものになった。孤高とは、即ち孤独。玲人が味わってきた孤独を思うと由菜は胸が締め付けられるような寂寥感を覚えた。
「それでね、チーム《クックロビン》っていうんだけど」
クックロビン──英語で駒鳥、という意味だ。
「カワイイ感じで良いと思いますけど……なんでクックロビン?」
「生きてるフリしたクックロビンってことさ」
「?」
理解が及ばぬ由菜は首を傾げたが、一方で透はどこか厳しい目で玲人を見上げていた。
そうこうしているうちに、ダウンしていた二人目の高等部生が目を覚ましたので、再戦を申し込む。
二の足を踏んでいた由菜であったが、この決闘に改めて参加の意を示したのだ。
「いいか? 由菜。三人でぶっ飛ばすんだからな。くれぐれも暴走しないでくれよ」
「わ、分かったよ……レイト先輩、よろしくお願いします」
「うん。楽しみだね」
ニコニコしている玲人は本当に楽しげにしていて、緊張感が欠片ほども感じられない。
「貴斗くんのためにも、この弔い合戦、絶対勝つ!」
「いや死んでないからな?」
胸の前で握り拳を作る由菜に、透は反射的にマジレス。
しかしながら、おふざけが許されるのはここまで。これから先は流血必須の野蛮な決闘になるのだから。
「はい、それじゃ双方位置について」
異例のチーム対抗戦ということで、特別ルールとして5分間の作戦会議が取り入れられた。
五分後、開始地点に横並び一直線に透、由菜、玲人が身構える。
「これより第二訓練所の使用権を賭けて《ロンギヌスの槍》対 《クックロビン》の決闘を開始する」
紫羽リオが声高らかに宣言した瞬間――リングから由菜の姿が掻き消えた。開幕速攻を仕掛けたのだ。玲人に指示された通りに。
『幻惑使いを潰せ』
(幻覚をかけられる前に――!)
未だリングに突き刺さっている光の槍を引っこ抜き、今度は投げずに両手に構えて突撃した。
「似鳥!」
「任せろ! へッ、高さがどうとか言ってたくせに馬鹿正直に突っ込んでくんのかよ」
「うるああぁぁぁ!」
主人公としてあるまじき絶叫を上げ、由菜は細長い槍を薄く練り直し☆型の盾へと再構築させる。
「盾に!?」
「光よ、万物を弾く盾となれ――!《星の盾》」
ビーチパラソルと同じくらいの大きさに展開された盾を携えて幻惑使いに真正面から体当たりを仕掛けた。精々騙し討ちくらいしか能がない幻惑使いは、完全に腰が引けてしまい……
「ちょ、ちょっと待てよ、そんな使い方ありかァ――!?」
ドゴォン!!
接敵と同時に重い衝突音がフロア全体に響く。ダンプカーにでも撥ねられたかのように打ち上げられた相手は、一撃で昏倒しリング外に転がった。
「やった……! これイケる!」
盾を胸の前に構えたまま、ぱあっと花が咲いたように満面の笑みを浮かべる由菜。これならば波動の消費量を抑えられる。
(レイト先輩って凄い!)
『由菜、キミ疲れてるだろ?』
先程の作戦会議にて、開口一番そう言われたのだ。
図星である。由菜は完全試合を狙って三人分相手に過剰なまでに力を使った。
正直に言うと、狙撃に回せるほど十分な力が残っていないのである。
『じゃあ、狙撃ナシで。キミって本当は防御の方が得意だろ? だったらさ、もう、盾で殴っちゃえばいいんだよ』
(って言われたからやってみたんだよね…)
盾の持続時間であるならば、あと30分は維持できる。
(でも、どうして防御の方が得意って分かったんだろ?)
由菜が小首を傾げて唸っていると、観客席から歓声が上げられた。
「時よ、空間を隔絶せよ《閉じた世界》」
『すげー、何あの技!』
『一体どういう能力なのかしら…』
ギャラリーの声に釣られ、その方向を見てみると……透がドレッドヘアーを半透明な立方体の中に閉じ込めているところだった。
「な、なんだよこれ!? ちきしょー開けろ!」
箱の中に仕舞われた竜華は、バンバンと壁を叩くもビクともしない。
「無駄だ。時の流れを停止させて空間を隔てた。もう逃げ場はない」
(時間の流れを操作して…って、ことは終夜くんって時間操作の能力者だったんだ…)
「は、ハン! 閉じ込めただけじゃ手は出せないんじゃねーの?」
「そのための僕なんだけどね」
「!?」
ズズズ…と、天井から下がる照明器具に照らされた竜華の影の中から、玲人が現れる。
「影を行き来できるってことは、闇の能力者か…!?」
「大正解」
ウインクなんてしながら、悠々とリングに降り立った。
「闇の能力者……」
(わたしと真逆の属性なんだ……でも意外性を感じないのは何故だろう……)
と、由菜が勝手に納得していると、
「クソっ!」
バチバチッ──!
最後の悪足掻きをするつもりか、両手から放電させ振りかぶる。
「これでも喰らえー!」
「闇よ、彼の者を捕らえよ《蜘蛛の巣》」
それよりも一瞬早く、玲人から伸びる複数の黒い影の手が竜華の肢体を拘束し、自由を奪った。ついでと言わんばかりに、口も塞いでしまう。
「ンー! ンンー!?」
拘束した相手に玲人はそっと耳打ちをした。
「今回ばかりは同情するよ。君たち、相手が悪かったね。まぁおかげであの子のバトルを観覧できた。その点に関しては感謝するよ──」
どういう意味だと目で問うも、答えの代わりに玲人は彼の目元に片手を被せて覆い隠し、催眠術をかけた。
「闇よ、しばし一時の悪夢へ誘え《仮面舞踏会》
──オヤスミ」
闇の眠りによって、竜華は人の形をした影が踊り狂う世にも悍ましい夜会にほっぽり出され……恐怖の種を植え付けられるのであった。
睡眠状態に陥った竜華を捨ておき、玲人は最後に残った土浦を見やった。
「さて…残るは君だ」
「う……」
由菜と透も土浦をジリジリと取り囲む。三角形の陣形に閉じ込められた土浦は、常に三方向に注意を払わなければならない。それだけ消耗も強いられる。
与えられたプレッシャーは、否が応でも彼を焦らせた。
「さぁ……どうします? 降参しますか?」
「くっ……誰がするか!」
(追い詰められても負けを認めない、か)
「じゃあくたばれ」
由菜が吐き捨てると同時に、一瞬にして距離を詰め、懐に飛び込まれた。
玲人が水面下で彼女の足元に闇の手を張り巡らせ、カタパルトにし由菜ごと撃ち出したのだ。
「くそ、大地よ隆起せよ!」
「!?」
この期に及んでまだ抵抗する気力が残っていたのか、土浦は自分の足元に限定して巨大な円筒形の一枚岩を生えさせた。
(上空に逃げたか)
由菜の追撃は届かない、と思われたが。
ここで透が動いた。
「《存在しない時間》」
土浦の技を発動させた時間を丸々ごっそり消し、回避の工程を無くさせる。足場を失った土浦は重力に引かれて落下していく。
「よくも貴斗を傷付けたな」
よく言えばクールに、悪くいえば冷酷に言い放った。
そこに由菜がフィニッシュブローを決めていく。
「訓練所は皆で使うものだァー!」
最早ミサイルと化した光の盾で土浦の顔面を張り飛ばし、決着と相成った。
『すげぇ……マジで勝ちやがった』
『伊達にグレード4じゃないってことよ』
「はーい、《クックロビン》の勝ち。訓練所の使用権は君たちのものだ。おめでとう」
リオがパチパチと拍手を始めると、ギャラリーの生徒達からも疎らに拍手が起こった。
「あの……リオ先生。それから、ここにいる皆さんにも聞いてほしいんですけど……訓練所は、皆で公平に使いませんか?
その方が上級生も下級生も仲良くなれるし、教え合えたらもっと良いと思うんです」
「……そうだな。使用権は皆にある」
透がいの一番に賛成し、他の生徒達も同調し出す。
『その方がいいよね』
『うんうん。正直、占拠してた高等部生にはムカついてたし』
「コラ──ッ!! テメェら何勝手なことしてやがんだ──!」
額に青筋を浮かべたアルデバルトが訓練所に突入してくる。潔く観念した由菜は、とりあえず貴斗の事を頼んだ。
「り、理事長先生……ゴメンなさい。でも先に貴斗くんの容態を診て!」
「……──分かった。でもオレも医者じゃねーから期待すんなよ」
そう前置きしたアルデバルトは、手のひらに癒しの光を纏わせ患部にかざし、治癒術を施した。
☆
土浦、似鳥、竜華の順に目を覚ましていく中──貴斗の瞳は一向に開かれない。
「貴斗くん……まだ目覚まさないんだ」
「あぁ。腕の傷以外に外傷は見当たらなかったけどな」
(……あれ?)
何かがおかしい。由菜が違和感を抱いたのは、今は塞がった二の腕の太刀傷を改めて見た時だった。
幻惑に、電撃に土。いずれもあの切り傷には当てはまらない気がするのだ。由菜は、《ロンギヌスの槍》のメンバーそれぞれの攻撃方法を脳内でシミュレーションしてみる。
(幻惑は物理攻撃不可。電撃は電気ショックを浴びせて気絶だろうし、あとは土浦先輩が岩を削って刃物にでもしたか……? そんなみみっちい戦い方をするようには思えないけど)
――それとも、持ち込んでいた何らかの武器で?
由菜が正解に辿り着いたその時、座り込んでいた幻惑使いの似鳥が勢い良く立ち上がり、背後から襲いかかった。
空いていたはずの手には、何故か鈍色に光る鉈が握られている。
「なッ、あれは神器――!? 逃げろユーナ!」
アルデバルトの警告も虚しく、由菜に刃が迫る。
それで不意を突いたつもりか、とほとほと呆れながら光の障壁を張った。
「《輝く城砦》」
半球体のバリアーが現れて周囲一帯を覆う。リュカの鉄槌を難なく防いだ鉄壁の守りだ。壊されるはずがない。
鉈が振りかぶられ――何故かその瞬間、足元から背中まで悪寒が駆け抜けた。
本能に訴える恐怖。強烈な「死」の予感がした。
目に映る光景全ての動きが遅くなり、スローモーション再生のようになる。
振り下ろされた刃先が結界に触れた途端、ガラスが割れるような音とともに、光の城砦は粉々に砕かれた。
隙間なく光の粒子が積み重なったドーム型結界は、鋼よりも硬い。本来ならば壊れるなんて有り得ないはずなのに。
こんな切り札を隠し持っていたなんて。
「斬り殺されろ──!」
集めた光の破片が雪のように由菜に降りかかる。
襲ってくるであろう痛みを覚悟して、ギュッと強く目をつぶった。
だけれど、その斬撃は由菜に届かなかった。
――斬、と振り下ろされた黒刀。それは、鉈を握る右腕を切断し、肩の根元から斬り飛ばした。
「な……!?」
由菜と似鳥の間に割って入った玲人が、黒く塗装された細長い剣で迎撃したのである。
黒い剣から滴る鮮血。ロリポップキャンディーでも味わうかのように嫋やかに舐め取る玲人の瞳は、赤く光っていた。
「レイト、さん……」
由菜は、初めてみたはずの彼の姿に異常なほど既視感を覚えていた。一切の返り血を浴びることなく佇むその姿が。
(わたし、見たことある……知ってる)
しかし、由菜は同時に玲人に対して不信感をも抱く。
だから問いかけずにはいられなかった。
「どうして……ですか」
不吉の象徴、紅い月を思わせる双眸が由菜へと瞳を据える。
「どうして……って?」
「あなたは本来、聖スタウロ学園に大人しくいるような人じゃないでしょう」
「……僕も普通の学園生活を送ってみたかっただけだよ」
泣きっ面かしかめっ面か判断に困る表情で白状した言葉は、果たして嘘かホントか。
「──じゃあね由菜。今日は会えて嬉しかったよ」
口元を嬉しそうに歪め、玲人は訓練所を去った。由菜の胸に形容しがたい一抹の不安を残して。
☆ヤンデレの先輩キタ━━━━(*^◯^*)━━━━!!