第一幕 聖スタウロ学園
情報とは、現代社会において言わば生命線である。人体ひとつ例にあげても、人間の脳内では感覚受容器が重要な役割を果たし、デマやフェイクニュースに人々は踊らされてしまう。
武力を行使し、軍隊を作るのは過去の話となった。今や時代は《情報戦》。白熱し、衝突する闘いを制した者だけが生き残るのだ。
燃え立つような紅葉。黄金のドレスを着飾る銀杏。
――金木犀が薫り高く匂う秋の頃、一人の少女がこの学園に足を踏み入れた。
流川は、出席を取った後、徐に白チョークを手に取り黒板に向き合った。かと思えば、ここの学園の関係者なら誰でも知っている初歩的な話をし始める。
「えー、世間一般でいうところのオーラや気っていうのは、ここでは《波動》という魂が発している力の事とされているね。そして、我々能力者が《特殊能力》を使用する際に消費する力の源でもあるんだな~」
カリカリカリ…………。慣れた手つきで黒板に白い文字を書き連ねていく。
児童たちは聞き飽きた説明をぼんやりと耳に入れていた。ある者は居眠りをしながら、ある者は携帯機器で動画投稿サイトを開き、猫動画を視聴しながら。
流川もそれは分かっているが、特に咎めはしなかった。そう、この学園の生徒ならば、全員知っている事だから。
児童生徒がすることと言えば、後は自分が名指しで質問されないことを祈るだけ。
「ここで質問。篝貴斗くん、《特殊能力》とは何か、説明してごらん?」
「うぇっ? な、なんやて?」
とりあえず条件反射で立ち上がったものの、鼻提灯を膨らませていたので、何を問われたのか分かっていない。
このままでは我がチームが恥をかくので、前の席にいた黒髪の少年が耳打ちで助けてあげた。
「えぇーと、《特殊能力》とは、超能力のことです……?」
「はーい、有難う。ちゃんと起きてくれな~」
あははと教室内で笑い声が生じる。貴斗は頭を掻きながら、恥ずかしそうに頬を染めて着席した。
流川は彼の回答に補足の説明をする。
「《特殊能力》とは――
一般的には超能力、または異能力と言われる人間を超えた特別な力の総称。その天賦の才の持ち主だけが、通うことを許されている特別技能訓練校が――ここ、聖スタウロ学園です。それじゃあ、続いて次の質問、夢生凜々花さん」
「……はい」
漆黒の髪を左右に結われ、クルクルとドリルのような髪型をした美少女が静かに席を立つ。
「《特殊能力》で起こした超常的現象のことを何と言いますか?」
「能力者による特殊技能、《神業》です」
「はい、正解~。とまぁ、君たちには日々《神業》を磨いてもらって、将来的には情報管理局の機関員になってもらいます。外交官なんかが王道出世コースだね~」
一通りの説明を終えたところを見計らって、黒髪の少年が挙手した。
「先生」
「はーい、何かな終夜くん」
「いちいちそんな説明をするってことは、もしかして……転入生ですか?」
「お、勘が鋭いね~。それじゃあ、皆も気になってることだろうし~、ご対面といっちゃおうか!」
廊下でスタンバイしていた少女の肩がビクンと跳ねる。
転入生の心の準備が整っていないにも関わらず、木製の扉が開け放たれてしまった。
身長は150㎝に満たない小柄な体躯。僅かにツリ目の二重瞼。セーラー服の袖から覗く手足は折れてしまいそうなほど細い。
頭の両端に結ばれた髪は、先端がふわっと柔らかいウェーブを作り、如何にも触り心地が良さげである。
「その子が転入生ですか」
「そ。しかも終夜くんや篝くんと同じグレード4だ」
思わぬ共通点に、終夜透は目を見開いた。
グレード4!? と、クラスのそこかしこから驚愕の声が上げられる。
特殊能力の強さを示す等級。中でも最高値に分類されるのがグレード4だ。国内でも2桁とおらず、国の宝といっても過言ではない人材だ。
「今んところ女子の比率も偏ってるし、仲良くしといて損はないと思うぜー?」
そんな担任教諭の軽口の後、当然のことながら自己紹介を促されてしまい……
──桐月由菜は、生きた心地がしなかった。一言で表現するならば、まな板にのせられた魚の気分である。
断頭台で処刑される罪人の如く血色の悪い青白い顔で、足の震えを気取られないよう注意を払って黒板の前に立つ。クラス中の視線が由菜に突き刺さった。それは由菜にとって、握り拳程度の石を投げつけられる「石打ち」の処刑方法に等しかった。
「……あ、あの! 今日から、この学園に通うことになりました。き、桐月……由菜です。み、みんなと仲良くできたらいいなって思っています! ど、どうぞ、よろしくお願いし──」
「仲良くってさぁ、アンタここに何しに来てんの?」
「……え?」
たどたどしいながらもなんとか終えようとしていた自己紹介を遮ったのは、窓際の一番後ろの席に座る生徒であった。背中に垂れた長い髪は色素が薄く、童話に出てくるお姫様のような気品あふれる可愛らしい顔立ちをしている。
陽光に照らし出された海のような碧眼と目が合ったが、滲み出る嫌悪感を隠そうともしない。
「ねぇ、分かってる? ここ、スパイを作ってる学校なんだよ? グレード4だかなんだか知らないけど、仲良しごっこがしたいなら、やめてよね」
──向いてないよ、キミ。
「おい、リュカ!」
ヘッドホンを首にかけた男子生徒に咎められ、リュカと呼ばれた生徒──リュカ・マーフィーは舌打ちをして、由菜から視線を外すと窓の外を睨んだ。
腹の虫が収まらないのか、乱暴に頬杖をついた拍子に銀糸のような長い前髪がサラリと片目にかかる。それすら気にも留めない様子であった。
「……わたし、強くなりたくてここに来たの。……強くなろうって決めたから、ここにいるの。アルデバルトさんは、世界の状況を把握しておくことで争いが起きるのを未然に防ぐことができるはずだって言ってた。
わたしはそれに賭けたい。向いてるとか向いてないとか、そっちの尺度で決めつけないでよ!」
「なッ……」
生意気にも負けじと言い返した由菜に、リュカは眉をひそめる。他のクラスメイトも彼女の迫力に幾分か気圧された。
「それに、ここって3人組で実技試験をやってるんでしょ?
そんなんじゃ基本的な信頼関係も築けなさそうな気がするけど、そっちこそ向いてないんじゃないの!?」
「お前……! よくも僕を侮辱したな!」
ガタンと立ち上がったリュカの身長は意外にも由菜より低く見えた。これならば万が一、取っ組み合いになっても負ける気がしない。
「リュカちゃんが、酷い事いうからでしょ!!
なんなの、いま流行りの悪役令嬢なの!?」
「……は?」
「「「リュカ……ちゃん?」」」
「「「令嬢って……」」」
「ちょ、ちょお待ち? 自分、コイツのこと女の子だと思っとるんか?」
恐る恐るといった様子で控えめに訊ねてきたのは、リュカの前に座る白ヘッドホンが特徴的な男子生徒。
「……? え、リュカちゃんって、女の子でしょ」
どうみても、と由菜が付け加えた直後、リュカの顔が瞬間湯沸かし器みたく真っ赤に染まる。
「僕は男だ!!!」
リュカは激怒した。
大きな瞳も、血管が透けて見えそうな白い肌も、か細い腕も、声変わりも始まっていない高い声も……女々しい容姿がコンプレックスだったから。それを、よりにもよって女子と間違われるなんて!
「もう許さない! 水よ、僕の元に集まれ!」
水槽、植木鉢、はたまた空気中に漂う水素。
リュカが高々と上げた右手に川の流れのように集まっていき、みるみるうちに大きな水の塊に変わった。
「水の能力者……」
「ちょ、ちょっとリュカくーん!? 教室内で能力の使用は禁止だっていってるっしょー!?」
「黙れヘボ教師!」
「ごぼぼぼっ!?」
リュカが放った水鉄砲はスライムのように流川の顔面に貼りつき、窒息させた。背中から倒れた担任教諭に、学級委員長である透が抗議の声を上げる。
「やり過ぎだリュカ! そこまでにしろ!」
「邪魔しないでよね、委員長! おい転入生、逃げ帰るなら今だぞ。赤ん坊みたいにママに泣きつくんだな!」
「――!」
もちろん、やられっぱなしで終わる由菜じゃない。ましてや彼女にとって逃げ帰るなんて論外だ。
「……いいよ、やってみたら。どっちが強いか、分からせてあげるから」
「言ったな――!」
クラスメイト達は慌てて教室から出ていき、廊下に避難する。
リュカは一切の躊躇いなく、由菜を目掛けて巨大な水の塊をまるで鉄槌のように振り下ろした。
インパクトの直前、眩い光が由菜を包み込む。
「《輝く城砦》」
ざっぱぁーん!
大きな水飛沫が上がり、机や椅子は押し流された。教室内は浸水状態になり、湖と化した。
しかし…………
由菜の周囲に張られた、半円球の光の防御壁。その空間だけはぽっかりと穴が開いたように水を遮り、不可侵の領域を作り出していた。
由菜は一滴も水を被っていない。
巨人の一撃とも呼べる、大質量の攻撃は通らなかった。
「なるほど……光の能力者ね」
《特殊能力》は、元々、火・風・水・土の四大属性から発現した。その4つから枝分かれしたのが氷・木・光・闇その他もろもろである。属性同士に対立関係が生じるため、ジャンケンのように勝敗が決しやすいのだ。
水は火に強く、風や土には弱い。
光は闇に強いが、その他の属性に対してはいま一つだ。だが、その応用力は他の属性の比ではない。
いうだけの実力はあると、リュカは評価を改めざるを得ない。
「ふ、ふん。確かに面倒だけど、僕の敵じゃな――」
「バン」
何の感情も篭もっていない、お遊びのような一言。
由菜は、右手を『銃』の形にして、欠伸が出るほど隙だらけなリュカへと向けた。
――カッ。
指先――すなわち銃口から放たれた強烈な光は、リュカの目の前で閃光となって破裂する。
「ぐぁッ!?」
咄嗟に目を庇うこともできずに視覚を潰されたリュカは、混乱と見当識に異常をきたす。
自分の位置情報が分からなくなり、方向感覚も滅茶苦茶。無様にも倒れていた椅子に足を取られ、バックドロップでもされたかのようにひっくり返る。
「うぅ……」
「ねぇリュカくん」
まだ目の見えてないリュカのところに、由菜はジャブジャブと水を掻き分けて歩いて行った。
ぱしゃん。膝をつき、リュカの目の前に座り込む。
「女の子と間違えちゃってごめんね。それから……わたしが勝ったんだから、わたしのこと、認めてくれるよね?」
宙を彷徨うリュカの手を取って、由菜は童女のように微笑んだ。
「これからよろしくね、リュカくん」
その様は、戯れにぬいぐるみの腕をもいだり、蝶の羽を千切ったりするような……無邪気にして残酷なる子供を思わせた。
「……ユーナ様……」
窓の外、花壇に紛れた杖はそんな少女を心配そうに覗き見ていた。
☆
その後、リュカ・マーフィーは検査を兼ねて病院に搬送。由菜はというと――先ほどの暴れん坊っぷりから、当然ながらクラス中から遠巻きに見られ、完全に孤立していた。
リュカの隣を由菜の席にする予定だったが、学校側が配慮して廊下側になった。
名門大学の講義室のような教室で使われる机は、横一列に3人一組で並んで座る立派なものだった。隣がいないため、暫くは由菜が一人で使うことになりそうだ。
(初日からやらかした……)
散々な朝のホームルームを終え、1時限目の自習時間に早くも由菜が絶望に伏せっていると、
「さっきは災難やったなあ。でも、リュカのあんな顔初めて見たわ」
そういってリュカの前の席にいた男子生徒が席を立ち、声を掛けてきた。
「わたし……失礼なこと言っちゃった」
「ええんとちゃう? アイツ、誰にでも突っかかる血気盛んなところあるし、たまにはお灸を添えんとな。てか、女顔なの気にしてたんかー」
ケラケラと愉快そうに笑う。その笑顔を見て、由菜は少し心が晴れた。
「トオルもそう思うやろ?」
彼が同意を求めたのは、由菜の前に座る男子生徒。クルリと後ろを振り返り、黒い目を由菜に向けた。切れ長の瞳は知的でクールな印象を与える。
「概ね同意だ。……俺は終夜透。学級委員長をしている。何かあったら言ってくれ」
「あ、ありがとう」
「お、自己紹介タイム? んじゃ、次オレな!篝貴斗言うねん。よろしゅう!」
ニカッと八重歯を見せて笑う笑顔といい、人懐っこくて、まるで子犬のようだと由菜は思った。
「しっかし、ホンマようやったなぁ」
一連の戦闘を思い出し、貴斗は素直に称賛する。
「あ、ありがとう……? でいいのかな?」
「疑問形かいっ。でも結構衝撃的やったんけどな~。オレらと同じグレード4って言われたし」
「同じ……?」
「そうっ。オレは火の能力者。で、トオルは――なんやったっけ?」
「なんで覚えてないんだお前。俺のは……まぁ、少し変わってて。時間を操ったりしている」
「え……なにそれ、強くない……?」
聞けば、実技試験は同じグレード同士じゃないとパワーバランスが崩壊してチームが成り立たないのだとか。
つまり、由菜は必然的にこの二人とチームを組むことになる。
「で、その最強のチームに今日からお前も仲間入りっちゅーこっちゃ」
「俺たちのチーム──《ライオンハート》にようこそ」
国立91情報管理局機関員養成学校。この謎に包まれた特別技能訓練校で、由菜の新しい学園生活が始まった。
──さぁ、激化していく情報戦の幕開けだ。闘い、傷付き、そして未来を切り開いてゆけ。
☆
「チームを組んだあの運命の日からもう五ヶ月が経ったんだね」
時計塔の数字盤がもうじき11時を指す頃、唐突に由菜が口を開く。
「早いもんやなぁ」
「だよね~。わたし達、島から出られないから修学旅行にも行ってないし……遊びに行きたーい!」
「お前……試験開始5分前にそういうこと言うなよ」
「だって~」
シェイクに突き刺さったストローを、ガジガジと不満げに噛んだ。
「卒業試験に入学試験……試験のオンパレードでやんなっちゃうよ。今日も午後から卒業式のリハーサルだし」
「それでも合格しないと情報管理局に入局できないぞ」
「うぅ~」
彼女は学園にいる誰よりも情報管理局に入りたがっている。だから、何が何でも試験を突破しなければならない。
「わっかりやしたよ~。頑張りまぁす」
「しっかり頼むぞ。捜索面ではお前だけが頼りなんだからな」
ぽいっ。がこんっ。ゴミ箱に空になった紙コップを投げ捨て、ベンチから立ち上がった。
「了解。……そういえばさぁ、前から訊こうと思ってたんだけど『ライオンハート』ってどういう意味なの?」
「英語で『勇猛な心』っていう意味だ」
「……そんなにカッコいいチーム名だったんだ。知らなかったよ。どっちが名付けたの?」
っていっても多分、終夜くんなんだろうなぁと予想する。
「リュカ率いるチーム《ハルシオンデイズ》に負けないカッコイイ名前が良い!って、オレが駄々こねてなぁ……リントヴルムとかウロボロスとか色々ゆーたんけど、トオルに全部却下されてん……」
「なるほど……」
やっぱり終夜くんが名付け親だったか。でもなんでドラゴンの名前ばっかりなんだ? 貴斗くんの趣味か?
「おい、お喋りはそこまでにしておけよ。――時間だ」
「よーしそれじゃ張り切っていこ! 『勇猛な心』の名のもとに!」
鐘の音と共に、時計台が11時を告げた。
☆
2月も終わりに差し掛かった、肌寒い日のこと。
もうじき太陽が天辺にまで昇ってくる頃、サイコロ状の石が敷き詰められた石畳の小道を男が走っていた。よっぽど急いでいるのか、両腕を激しく振ってなりふり構わずといった全力疾走。他の歩行者や自動車にも配慮している様子は見られない。何者かに追われているのだ。
男は、つい先程も行き交う人の波を掻き分けて走行中の路面電車の前を強引に横切り、大通りから人気の無いこの裏路地に駆け込んできたところだった。
赤い煉瓦の壁面をアイビーの蔦が縦に伝う、住民の間でも人気のある洋菓子店を左に曲がると、さらに道幅が狭くなる。
これで追手を撒き人の目を逃れたかと思いきや、
「──見つけたよ。黒いフード被って眼鏡をかけた人」
ランドマークタワーである時計台の最上階──言わずもがな立ち入り禁止区域──にいた桐月由菜は一瞬にして男を探し当てた。太陽から降り注ぐ光を介して、街の中から対象を特定したのだ。光は彼女にとって監視カメラも同義であった。
左手首に装着された通信機器から発せられた声変わり前の高いトーンが、由菜の鼓膜を刺激する。
«マジで!よう見つけたな。場所は!?»
尾行を担当していたものの、見事に撒かれた篝貴斗が真っ先に応答した。
「西側のエリア。あそこのケーキ屋の先って第三区だっけ?」
«オーケー。とりあえず向かう»
もう一人のチームメイトが冷静に答えた。
風に吹かれて頭の両端に結んだテールを暴れさせる中、右目の前に形成させた魔法陣を望遠鏡のように覗き込んで引き続き対象を補足する。
中心街から西──つまり島の外へと逃走しているのだ。港に出て協力者なんかと合流されては堪らない。海に逃れられたらその時点でジ・エンド。
«あかん、このままじゃ逃げられる!»
«第三区は一般市民の目も考慮しないとだが……»
一般人の前で、このファンタジックな力を見られるわけにはいかない。終夜透が危惧している事は十分理解できた。
「わたしも行こっか?」
チームの中で唯一、ステルス技が使用できる由菜としては親切心からの提案だったのだが、
«……いや、由菜はその場で待機。代わりに俺の作戦にノッてくれると嬉しい»
「作戦?」
首を30度ほど傾けた後、彼が立てた作戦に由菜は賛同するのだった。
☆
水路に架けられたアーチ型の石橋付近で、手に膝をついて上がった息を整える。自分の手の中にある情報媒体には、各国が喉から手が出るほど欲している機密情報が詰まっているのだ。これが外部に流出したら、一体どうなることやら。
「……流石にここまでは来れないだろ」
(如何に情報管理局の機関員と言えど、所詮は訓練生。まだ小学生のガキ共相手に逃げ仰せないはずがない)
ズボンのポケットの中でUSBメモリを握り締めたまま、目深に被ったフードの下で勝利を確信し笑みを浮かべる。
(後は、時間までこうして隠れていれば…………)
昼間にも関わらず、陽の光は狭い路地に射し込んでこないため、その分だけ薄暗い。
この密集市街地は主に低所得層が住まう区画になっており、観光客は疎か地元住民も足を踏み入れることはない。無限に広がる迷宮のような無法地帯は、碌に整備されておらず、現在、絶賛『鬼ごっこ』に苦戦している彼にとっては丁度良い隠れ場所になった。
しかしそれも、時間にして換算するなら僅か数秒の命だが。
「動くな」
「──!?」
背中に押し付けられた硬い感触が、否が応でも脅威なる存在として知らしめる。
「……やるなぁ」
白旗の代わりに仕方なく両手を上げる。
こんなにも容易く背後を取られるとは思いもよらなかった。しかし、驚くのも無理はない。成人男性に拳銃を突き付けているのは、どう見ても10歳程度の子供だった。こんな子供が国を背負って戦う役目を担っているとは、信じ難い話である。
黒曜石のように黒い瞳を鋭くさせ、透は端的に要求だけ述べた。
「情報媒体を渡せ」
「はいはい……」
ポケットに手を入れた直後、タイミングを見計らってズボンの裾から小さな缶状の手榴弾が滑り落ちて来た。マジシャン顔負けの鮮やかな秘密の動作である。
「あげるよ」
「断る」
透は咄嗟に両腕を斜めに交差させ、聖アンドレ十字の形を作った。上半身に生命エネルギーなる波動を纏わせて防御体勢でその場から飛び退く。対照的に男は前に飛び込み前転をして回避しつつ、距離を置くことに成功し石橋の上を走る。
観念したように見せかけて、再び逃走に持ち込んだ。延長戦に突入である。国家を揺るがす情報戦はまだ終わらない。
手榴弾は目論み通りに石畳の上で爆発し、リンの白い煙幕を周囲に張り巡らせた。
白リンは発煙と同時に激しく燃焼するため、放出される煙も高音になる。触れれば火傷は避けられない。分断された透は、次にバトンタッチをした。
「行け! 貴斗!」
「おう! そのセリフを待ってたんや!」
関西弁の声が元気に応じて、煉瓦の倉庫から人影が飛び出してきた。男が乱入者を視認すると同時に火山の噴火の如く火柱が噴き上がる。燃え盛る炎は壁となって男の行く手を塞いだ。
「ここから先は通さへんで!」
発火能力。それが貴斗の特殊能力である。
向こう岸に渡ろうとしていた男は足を止めた。が、それは降参ではなく自らもまた彼らと同様に特殊能力を使うためであった。僅かばかり後退したかと思えば、立ち塞がる貴斗と炎の壁に向かって駆け出す。
格闘戦になるか? と貴斗は身構えるも、それは外れであった。
前傾姿勢を保って両脚に竜巻を纏わせると、男は空中へ大胆にも跳躍。まるで、見えないロイター版を踏み切ったよう。走り幅跳びの要領で炎の壁を突破しようとしているのだ。
(だけどそんなのは愚策だ……!)
例え障害物を飛び越えたとしても、重力に引かれて地面に着地することは目に見えていた。透は落下地点を予測すると、小道から水路に向かってダイブ。川に浮かぶボートを経由して、2度のジャンプをした後に対岸に辿り着く。
先回りした透だったが、予想に反して男が弧を描いて地に落ちることはなかった。あろうことか貴斗の炎によって上昇気流が作用してしまい、二人の頭の上をあっさり飛び超え、瞬く間に距離が開いてしまったのだ。
こうなってしまえば、通行止め作戦は失敗である。
「不味い、空中に逃げられたら俺らじゃ手が出せなくなる……!」
「お手上げか? おチビちゃん達」
4階建ての高層住宅より高い場所から、男が挑発してくる。
「くっそー! 舐めとったら痛い目見るで!」
地団駄を踏み、いよいよ子供らしい言葉しか言い返せなくなった貴斗を放置し、透は通信機に指示を出した。
「今だ由菜、撃ち落としてやれ!」
«おうともよ!»
透と貴斗、それぞれの無線機から頼もしい返事が発せられるも、男はあからさまに鼻で笑った。
(返事だけは立派だけど、このままじゃ逃げられちゃうぜ?)
あとの一人はこの場に居合わせてもいないのに、一体どうするつもりなのやら。
というのも透の作戦を受け入れた由菜は、待機地点の時計台にいた。
光を通して周囲の状況を得る片眼鏡程の小さな魔法陣はそのまま維持し、両手を前に突き出すと呪文を唱える。
「月まで届け、月に狂え。《ムーンショット》」
直径1メートルの大きさに至る魔法陣が虚空に出現した。
ありったけの波動を花紋章に注ぎ込んでパワーを充填させると、追跡用の片眼鏡の方の魔法陣も重ねて、引き金を絞る。
七色に輝くビーム砲が放たれた。流星のような砲撃が唸りを上げて真昼の空を切り裂かんばかりに横切っていく。
「……ん?」
一方、上空に逃れた男はと言うと、そこはかとない不安に陥り、頭を動かし視線を背後に向けた。
肩越しにバスケットボールサイズの砲弾が彗星の如く尾を引いて己に迫ってきているのを確認。しかしながら狙われた男は少しも慌てずに「下手な狙撃だな」と辛口の評価を下した。
躱そうとクルリと旋回すると……あろう事か光の砲弾は男を追尾して直角に曲がり飛来してきた!
「まさか、ホーミング誘導だっつーのか!?」
由菜が使っていた追跡術を加えることで、誘導ミサイルを実現させたのだ。
型にはまった教科書通りの戦法ではなく、オリジナル。それも即興で追尾機能を付与させるなんて。
──作戦立案術と隠密に優れ、現状で最も諜報員に近しい優等生の透。
有り余る火力と馬力が長所のパワー型スタイルを確立させた貴斗。
技の応用力・発想力・度胸のコンボを決めた由菜。能力発動時の安定性は高校生と比べても遜色ない。
この子たち3人組ならば、最大規模の大隊1000人を相手にしたって勝利するかもしれない。
(……全く、才能えぐ過ぎっしょ)
流川・シルフレイク・圭は軽く微笑をして、教え子の会心の一撃を喜んで受け入れた。
寸分のズレもなくガッツリ腹部に直撃した光の砲弾。被弾直後に空中で爆発したかと思えば、今度は光の粒子がリボンに変形して圭をひっ捕らえる。
トドメに透が腕時計のデジタル表示を見ながら決まり文句で締めた。
「……現在、日本時間午前11時53分。極秘機密を持ち出した対象を確保」
「はい、よく出来ました☆ 俺ちゃん、花丸あげちゃう」
両サイドの家屋の雨樋に吊るされる体で、逃亡者役の先生は、試験終了を児童たちに告げたのだった。
街の中心部である時計塔の前で、由菜たちは実技試験の結果が言い渡されるのを緊張しながら待つ。
「いやー、すごいなぁ君たちは! 成長を肌で感じられて、俺ちゃん嬉しいよ」
文字通り肌で感じることができた特殊技能の担当教諭は、全身を煤だらけにしながらもニコニコと満面の笑みで三人の顔を見回す。
「本番だと思ってって言われたから、手加減無しに思いっ切りやっちゃったけど…流川先生、大丈夫?」
「いいんだよ桐月さん」
すっげぇ効いたけど、と心の中で呟いた。本音を笑顔の裏に隠すのは、大人の得意技だ。
それで、と流川は透に視線を移して話題を転換させる。
「終夜くん、篝くんの炎から上昇気流を作り出して俺ちゃんを空に逃がしたのは計算だったの?」
「はい。今までの流川先生との実戦で能力値は大体グレード2くらいかなと検討つけていたので」
「グレード2だと、風使いは条件を満たせないと飛行できひんから」
「はっはー。そっかー」
可愛げ無いガキ共だぜ全くよぉ。どーせ俺ちゃんはグレード3や最高値の4でもないさ、と内心で悪態をつく。
「それで先生、俺たちの評価は…?」
恐る恐る成績を訊ねてきた透に、試験結果を伝えた。
「えー、こほん。それじゃあ…チーム《ライオンハート》終夜透、桐月由菜、篝貴斗。初等部卒業試験、全員合格とする!」
黒縁眼鏡の奥から担当指導教官はウインクを交えて言った。
「「やったー!」」
由菜と貴斗がパチン!とハイタッチをした後に、手を取り合ったまま二人して透に抱き着くのだった。
「でも桐月さん、立ち入り禁止区域にはむやみに侵入するのは良くないぜ」
「あ、バレてました?」
緩んだ空気の中で、チームメイトと笑い合いながら一先ずの合格を喜んでいると、どこからが熱い視線を感じ取った。
またか、と由菜は思った。
「……視線を感じる……」
「えッ。ストーカー?」
「ストーカーかどうかは分かりませんけど、最近やたらと誰かに見られてる気がするんですよね……」
戸惑いながら打ち明けた。
「うーん、それって学校内でも?」
「はい。たまに」
「ってことは、ウチの生徒が犯人……?」
「まぁ、今のところ害はありませんし大丈夫ですよ」
ケラケラと笑って気丈に振る舞う由菜だった。
しかし、チームメイトの透は強がりをあっさりと見抜いてしまった。
「すまない。気がつかなかった。何かあってからじゃ遅いんだから、今後はもっと注意しておく」
「……ありがとう」
思わぬ紳士的な態度を取った透に、由菜は少し驚きながらもお礼を述べた。
☆
──91情報管理局。通称XCIとは、我が国・ニッポニアが世界に誇る大型情報機関だ。
ニッポニアを拠点に世界各地で秘密裏に諜報活動をするXCIは、表向きは政府の情報機関とされているが、裏では一般市民とは異なった認知の仕事を行っている。
それはUFOやUMA、異能力といった未知の領域に関する情報操作や回収、隠蔽工作等など……とにかく幅が広い。
兎に角、一般人には混乱を招くだけでしかない案件を積極的に取り扱っている政府公認の合法的なホワイト組織である。
分かりやすく言えば、SCP財団とメン・イン・ブラックを足して2で割ったような、数ある情報機関の中でもベールに包まれた謎多き機関なのだ。
では、ニッポニアの何処に件の本拠点が存在しているのかというと──
東京都に属している円形状の形をした東京湾にほど近い離島、天つ日島。
その面積は関西国際空港を超える10.89㎢。火山が無いため標高は低く、最高でも43.7メートルしかない。人口増加に伴って新たに都市開発が進められた経緯があり、最先端の科学技術とこれまでの歴史が融合された異質都市は『零番目の東京』とも呼ばれている。
ここへの公式な上陸ルートは、飛行機と船、そして羽田空港から延長された東京モノレール。
その中でも、モノレールを一例に挙げよう。ロマネスク様式が取り入れられた石造りの無骨な駅に到着後、半円アーチをくぐって外に出ると、一気に世界に色がつく。
石畳の舗装路やレンガ造りの住居、ノスタルジックな色合いの屋根。鋭く尖った小塔を持つゴシック様式の教会など中世ヨーロッパ風の街並みが観光客を出迎えてくれる。まるで、おとぎ話の世界に入り込んでしまったかのよう。
ヨーロピアンスタイルを重視した結果、中央に添えた時計塔も相乗効果を発揮して異国情緒溢れる中心街となった。
しかしながら、特筆すべきはそんなことではなく、その中心街を通り過ぎてさらに南側のエリアにある――関係者以外立ち入り禁止の制限が掛けられた特別技能訓練校だ。
パリの凱旋門をモチーフにした正門を潜り抜けると、鮮やかな青い屋根と白い煉瓦が眩しい校舎が見えてくる。ルネサンス建築で統一された長方形の校舎は煌びやかで趣があった。
XCIは、他にも特殊能力が使える未成年者を保護・養成する教育機関としての側面も併せ持っている。そしてここが、XCIが運営するスパイ養成学校──聖スタウロ学園。
『今や時代は情報戦(物理)! 勝者は神だが、敗者はゴミだ!』
という教育委員会どころか文部科学省が黙っていない問題発言をブチかます理事長がいるが、施設自体は整っていて充実しているのだから、ここの児童生徒は多少の事には目を瞑るようにしている。
「さっきの卒業式、保護者席ガラガラやったなぁ」
サインペンを動かす手が止まる。
広げた透の卒業アルバムのフリーページにメッセージを書き込んでいたら、貴斗がそんなことを零したのだ。
「……まぁ、わたしもお母さん仕事忙しい人だし」
「俺も」
「えー、そうなん?」
貴斗は父親だけ故郷の大阪からわざわざ島にやってきたらしい。やっぱりほんの少しだけ羨ましいと思ってしまう自分がいる。
貴斗は話の矛先を、下校しようとしていたリュカに向けた。
「リュカの親父さんはこーへんの?」
「いちいち来るわけないじゃん。第一、うちの父さんどこにいると思ってるのさ。イタリャーだよ?」
思いっきり海外だった。確かにニッポニアまで気軽に来れる距離じゃない。
「そやったんか……」
「君らも用事がないんなら、早く帰ったら?」
「そうしたいんだけど、流川先生に呼び止められちゃって」
そう白状すれば、ふぅんと気のなさそうな反応が返ってきた。
「まぁ、グレート4のメンバーに激励の言葉でも送るつもりかもね。卒業試験も成績良かったんだろ?」
「良かった……のかな? 実戦に点数がつくのかわかんないけど」
「……相変わらずボヤっとしてるんだな、キリツキ」
そんな捨て台詞を残して、彼は教室から出ていった。
「……え、なにいまの?」
「ディスられたんだろ」
耳元で喚いてやろうと透の胸倉を掴んだ瞬間、今度は流川が入れ替わるように走ってきた。
「ごめん、桐月さんっ! 急で悪いんだけど、大至急理事長室に来て!」
「……え?」
慣れ親しんだ学び舎に別れを告げ、華々しい門出を祝う初等部卒業式の後、何故か由菜は理事長室に呼び出されていた。
あれ? 流川先生はどこ行ったの?
「――で、一体何の用なんですか? アルデバルト理事長先生」
丁寧な言葉遣いであるものの、どこか棘のある口調で用事を訊ねた。
せっかく気分よく学友同士で卒業アルバムにメッセージを書いたり、思い出話に花を咲かせていたところを呼び出されたのだから、不機嫌にもなる。
(そう、いくら理事長がイケメンだったとしても!)
日の下で輝く亜麻色の髪。銀灰色の瞳は宛ら磨き上げられた鉄隕石ギベオンのよう。顔の中央を、高い鼻筋が曲線を描く。薄く生やした顎髭もダンディで嫌味なほど似合っており、当然ながら女生徒――特に高等部の生徒から熱い支持を受けていた。
名前はアルデバルト・コールマン。自称38歳。
黒革の社長椅子に座って長い足を組み、偉そうに踏ん反り返っている様は『暴君』と呼ぶに相応しい。
(何が『時代は情報戦(物理)』だっての。というか仮にも教育者が児童生徒をゴミ呼ばわりはアウトでしょ)
背負った刺々しいオーラを隠そうともしない由菜を、アルデバルトは窘めつつ本題に入る。
「お前なー、表面上だけでも態度は偽れよ。せめてもうちょっと猫被るとかポーカーフェイスとか。事情聴取のために呼び出したんだぞ? 一応。まあそれよりも……」
「……? わたし、何かしましたか?」
こういっちゃなんだが、由菜は真面目な生徒だ。クラスでも透に次いで2番目の成績優秀者だし、授業態度も素行も悪くない。
身に覚えのない嫌疑がかけられているのだとしたら、可及的速やかに疑いを晴らさなければ。
「あ、もしかして卒業試験の時に時計塔に立ち入っちゃったから? でもあれは、他に高い所がなかったから――」
「それは不問にする。狙撃手が高所に陣取るのは定石だしな。……まずはこれを見ろ」
藪から棒に机上に置かれたタブレット端末を手繰り寄せ、ずいっと由菜に突き出す。
(いや近ぇよ)
反射的に背中を反る由菜。
「ってあれ、Wetube?」
パソコン画面に表示されていたのは、世界最大の動画共有サービス会社が運営している動画サイトであった。投稿されたであろう映像のタイトルは、『フライング・ヒューマノイド、流れ星にぶつかる?』。なんだそりゃ。
「フライング・ヒューマノイドって、人間の形をした未確認飛行物体でしたっけ?」
「定義としてはそうだ」
いいから見てみろといわんばかりに動画が再生される。撮影者が履いていると思われる黄色いスニーカー。それから石畳の道路から始まり……赤煉瓦の壁、続いて青空。
(下から上にカメラワーク……? 一体何を撮ろうと……)
湧き上がった疑問点に答えるかのように、遠くの空で人の形をした飛行物体が映し出された。全身真っ黒なその人物は、屋根より高い位置まで浮き上がると、スーッと前方に推進していく。しかしそこに、
キィィィィン……
と、何故だか妙に聞き覚えのある風切り音が聞こえ――どぉん!
ボール大の光り輝く弾が飛んできて、フライング・ヒューマノイドに直撃。刹那、ピカッと落雷のような閃光により、画面が白く塗り潰された。撮影者の「うわっ」と驚く声も入っている。
数秒後、再び青空が映し出されるが、そこには何も無く……という不可思議な映像だ。
アルデバルトが言いたいことを察したのか、由菜は顔を青ざめさせた。
「……これって」
「そうだ。この間の卒業試験で、お前がケイを撃墜させた時の映像だ」
「Oh……」
つい口調が似非外国人のそれになってしまう。
91情報管理局は、この学園に在籍している児童生徒及び保護者に緘口令を敷いている。
何もないところから火を出したり、風や光を操ったり、傷を癒したりといった超常現象や奇跡を起こす特殊能力――すなわち異能の力を一般人に明かさないというもの。もちろん一介の情報機関のみで隠蔽できるわけがないので、各国の政府・国家機関に限定して情報を公開し、協力させている状態。
特殊能力については、特に力を入れ世界規模で徹底的に情報操作をしているというのに、このような不測の事態が起こってしまうとは。
秘匿とされている特殊能力の存在を裏付ける証拠映像を残してしまった由菜(&流川)。この失態、どう償うべきなのか。
☆じゃあ街中で試験させんなや──