序幕 神器解放(アンチェイン)
何度も書き直してすみません。
あと、開幕から割とクライマックスです。
というか、未来の話を先取りしてます。
フェンスの向こうでは大規模な火災によって空が赤く染まり、星の輝きは掻き消された。
大きく深呼吸をする。
「すぅ……はぁー」
吐いた息は白く染まり、冷たい空気が肺に取り込まれる。イルミネーションが飾られた異国情緒溢れる街並みは、少女が見慣れたはずの景色とはかけ離れていた。
悲鳴、爆発音、怒号、泣き声――まるで、あのテロ事件と同じような地獄絵図。
天つ日島――大和言葉で「太陽」の名を持つこの島は、彼らにとってかけがえのない居場所。十に還る桜並木や、大きな数字盤を持つ風の塔。一つ一つに思い出が詰まっている。それ以上に――わたし達の未来が息衝いている場所だ。
これ以上、ならず者どもに好き勝手はさせない。
「いかがなさいますか、ユーナ様。連中、今度こそ本気のようですよ」
少女の傍らに控える、純白の毛並みが眩しいライオンが人語を介した。
背中には一対の白い翼。アクアマリンの如く澄んだ水色の瞳が、少女の横顔を鏡のように映す。
「うん……そうみたいだね」
熱風に吹きつけられながらも、立派なたてがみを撫でてやる。
「行こう。完膚なきまで叩きのめしてあげないとね」
手のひらを広げて、月を取ろうとするかのように右腕を夜空に伸ばす。
――わたしは何度も、この呪文を唱えてきた。
《神器》の起動キーにして、手慣れたパスワード入力作業でもある。
ある時は怪しい研究機関に追われて逃げ込んだ、月の都アルテミシオンで。
またある時は敵の罠に嵌められ、火星の王都エンパリアンのドラゴンが飛び交う火山の頂上で。
水中での過酷な闘いを強いられた、水星のエンハイドロ水晶宮殿。
様々な冒険を経た中でも断トツは「死の都市」と呼ばれた冥王星の王都プルートニオン。住民が怪物になって襲ってくるものだから、振り切るのが本当に大変だった。
冥王星といえば、第一王子レイト・メアスパングルに妙な気に入られ方をされてしまい、申し込まれた婚約を断った時は監禁騒動にまで発展したんだっけ。
でも、どんな時でもシャルーアは共に闘ってくれた。世界の舞台が変わっても。ずっと。
「私は貴女の力。お望みのままに」
そうお決まりの台詞を口にした。
白い巨体が細かい光の粒子に分解され、武器として再構築される準備段階に入る。
「天と地を統べる者よ。古の契約に従い、神代の力を与え給え。
力は我が手に――《神器解放》」
堂々たる詠唱の後、光の粒子はひとつの光柱に収束し、やがてそれは武器になった。
全長70センチほどの、ステッキ。
純金属のそれは、柄は黒く塗装され、棒の先端の槌頭は金色の四本のプレートが放射状に突起している。
プレートは、丸みを帯びた形で、トランプで心臓を図案化したハートの模様によく似ていた。
ふたつのハートが立体的に重なっている中央部は、ピンク色のひと回り小さいハートの宝石がはめ込まれている。
頭部の最先端部には、ピンクゴールドの色をした菱形の小さな飾り。
柄と槌頭の接合箇所は、白い翼を広げた姿で横向きに突起物のように左右に伸びていて。
どこもかしこも、精緻に作り込まれている。ずいぶんと華美なメイスだ。
ふわふわモフモフから一変、鋼鉄のボディーを持つ槌矛となって、目の前に浮かんでいた。
シャルーアを手に取ると、今度は身体中を光が覆った。光が指先から弾けて散っていくと、衣装替えの完了である。
薄いオレンジ色の振り袖に、金箔と白い小花柄で彩られた着物ドレス。白のニーソックスに黒いブーツ。
普段の戦装束を身に纏い、一層気合が入った。
「よし」
頷き、いざ突撃せんと膝を曲げたところで背後から声を掛けられた。
「ちょおーっと待ちや。お嬢さん?」
「オレらを忘れて置いて行こうとしてんじゃねぇよ」
白いコンクリートの屋上に立っているのは、共にこの学園で学んできた同級生たち。
これまでも、数々の戦いを乗り越えてきた仲間だ。
だからこそ、問いかけずにはいられない。
「二人とも……いいの? この戦いは、今までとは違うんだよ? 今度こそ本当に――死ぬかもしれないのに」
返事の代わりに二人は詠唱を唱えた。
「天を駆け回る者よ。古の契約に従い、手綱を握らせ給え。
力は我が手に――《神器解放》」
「業火を成す者よ。古の契約に従い、英雄の剣を授け給え。
力は我が手に――《神器解放》」
疾風の如く馳せ参じたのは、八本の足を持つ白の名馬スレイプニル。陸も空も海も関係なく主を乗せて疾駆する。
両手に携えた赤い大剣は、切れ味抜群。その昔、大英雄ヘラクレスが持ったとされる宝剣マルミアドワーズ。
両者とも、神器解放と同時に装備された銀の鎧に身を包んでいる。
「ほな、いっちょ暴れてやろーやないか」
「行こうぜ。叩きのめしてやるんだろ?」
鼻の奥がわさびを食べた時みたいにツーンと痛みを訴え、視界が滲んだ。目の縁から染み出てくる涙を、グイっと振り袖の長い裾で目元を拭う。
思えば、いつも二人は傍に寄り添ってくれたんだ。世界が変わっても、それはずっと変わらなかったね。
「結局、こうなる運命なんだよな。俺らはさ」
「せやな」
「ふふっ。そうかもね……よし、行こうか! 『勇猛な心』の名のもとに!」
清々しい晴れやかな笑顔で頷き合う。
3人は肩を並べた後、フェンスを飛び越えて戦場へと赴いた。
しかし、絶望的なまでに戦力差が大きかった。一向に戦況は覆らず、度重なる戦闘に消耗していくばかり。それでも彼らは立ち止まらなかった。そうやって今まで突っ走ってきたのだから!
立ち塞がる敵を薙ぎ倒し、燃え盛る劫火で焼き払い、毒の海に沈めていく。道中、二人の仲間とも戦いの只中で別れを告げざるを得ない場面もあった。
光を発する謎の白い球体に道案内をされつつ、彼女が辿り着いたのは、情報管理局地下3階。天つ日島の最下層だ。ここには、ある重大な情報媒体が管理されてある。
――全宇宙の叡智が結集されたアカシックレコード。
彼女が呆然と見上げる視線の先には、およそ2メートルに達する緑色に光り輝く正四面体のオブジェが浮かんでいた。暗闇の中で微光を放つそれは、この部屋では光源となっていた。
情報管理局が守る全知全能の知識の宝庫の前には、一人の無法者が待ち構えていた。黒いコートのポケットに両手を突っ込んでいる。
少女を導いてきた白い光は、彼が差し向けたものだったのだ。ぱちんと指を鳴らすと、お役御免とばかりに弾けて跡形もなく消え去った。
並み居る強敵を真っ向から破ってきたのは、相手も同じ。にも関わらず、気負った様子は見られない。まるで、数年ぶりに逢う恋人とのデートに待ち合わせているような幸福感すら感じ取れた。
――思えば、こうして二人が顔を合わせるのは、いつも戦いの場だった。
「待っていたよ。君とのデート、ずっと楽しみにしてたんだから」
こちらに背を向けたまま、アカシックレコードの前に悠然と佇む銀髪の男が歓迎の言葉を掛ける。
前世、そして逆行転生した現在、長年に渡って幾度となく火花を散らしてきた仇敵を目の前にして、ゴクリと固唾を飲んだ。
爪先に力を入れ、いつでも駆け出せるように準備をする。
「兵を引かせてください。情報管理局も、アカシックレコードも、一つたりとも貴方に譲ることはできません。リオさん……いいえ、シルヴァリオ・ルミナスアーク!」
「……何か誤解してるみたいだけど、ボクが欲しいのは君だけさ。でも……撤退を望むのなら、やることは一つ。この情報戦を制することだ」
「……分かりました。だったら、やっぱり貴方を倒さないといけないみたいですね」
そう言いながら、シャルーアを構えた。
勝者が己の意志を通すことができる。それが暗黙のルールだからだ。
くるりと向き合って、視線を交錯させた。
右腕を前方に突き出すと、その手に神器を呼び出した。
「光り輝く者よ。古の契約に従い、光の剣を与え給え。力は我が手に――《神器解放》」
辺り一帯に眩い光を放つ聖剣が現れた。銘はクラウ・ソラス――極光に等しい光剣は、円を描いて頭上に持ち上げられた。
間接照明を超える光度は、暗い室内を照らす松明のようであった。強い光源を直視できず、目を細めた。
「さて、あの剣の錆にされないようにしないとね。シャルーア、ド突き合いに負けないでよ」
「お任せください」
生憎だが、こちらの方が不利なのは承知の上。向こうは3種類の特殊能力を有しているが、対するこっちは1種類だけ。それでもやらなければいけないのだ。
「それじゃあ、始めようか。《王たちの大舞踏会》を」
強く地を蹴って、互いが互いを目掛けて駆け寄った。
コートと振り袖の裾がすり合う距離をにまで接近する。
上から振り下ろされる太刀の腹に、側面からシャルーアを叩きつけて力尽くで押し返した。初撃は両者ともに被弾なし。
いつものような距離を保って安全圏からの撃ち合いをせず、そのまま互いに有効殺傷圏内に留まり続ける。そこには駆け引きも戦術も存在しない。ただただ本気のぶつかり合いだった。
二の太刀は独楽のように身体を回して、半円を描くようにクラウ・ソラスを横にフルスイング。その斬撃を、身体を低く屈めて回避した。頭の上を刃が通っていく。
そこを読まれていたかのように脇腹に蹴りが炸裂。帯の上から足刀を叩き込まれ、軽い身体はサッカーボールのように転がされた。幸い、締められた帯が防弾チョッキに近い役目を果たし、キックの衝撃は分散され有効打には至っていない。それは向こうも手応えで分かっている。
両手を床につけ身体を跳ね上げさせると、起き上がり小法師のように立ち上がった。不屈の色が表情に表れている。
地面に這う蛇の如く身を低くしたかと思えば、足に集めた《波動》を爆発させ、超低空飛行でミサイルと化し突撃した。再び間合いに攻め入る。
クラウ・ソラスを前方に構えて、刃を打ち据えた。
「くっ――ッ!」
槌矛と剣が切り結び、火花を散らす。凄まじい突進力に対抗するべく、膝を曲げて腰を落とし両足で踏ん張る。
飽くまでも防御に徹する彼にほくそ笑んで手を伸ばした。広げた手のひらに光が収束していき――
「《ムーンショット》」
どおん! 射撃をその身に受けて、吹き飛ばされていく。
集めた光を大砲にして相手にぶつける砲撃技。薄い胸板を撃ち、光波が散らばる。どさりと、リノリウムの床に背中から強かに打ちつけた。
「……やってくれたね。《氷の刃》」
「――っ」
一瞬にして床が凍りついた。標的を串刺しにする剣山の攻撃。鋭く尖った数百の氷柱が隙間なく上向きに生えてきて、足の踏み場を無くす。
だが、シャルーアの加護によって飛行能力を得ている彼女には関係ない。空中戦に切り替えるだけだ。後方宙返りして空中に身を躍らせる。
そう、相手が氷柱を足場に飛びかかってさえこなければ!
氷柱を駆け上がって、同じ高さまでやってきたかと思えば、振り袖の長い裾を鷲掴んで下方向に放り投げられた。床に叩きつけられる。瞬間的に《波動》で身体を覆い、連なる氷晶の剣からガードするも落下の衝撃に身体を痺れさせた。
「痛~!」
叩きつけられた拍子に粉々に砕かれた氷柱の上で、のたうち回る。
……案外、滅茶苦茶な戦い方をすることが判明した。大の字になった少女に向かって、一切の遠慮なく上から光の剣が振り落とされる。
「ユーナ様!」
「あ、やばっ」
仰向けの状態から、クルッ! 転がる鉛筆の如く移動して横に逃げた。
さっきまで彼女がいた地点に、降ってきたクラウ・ソラスが突き刺さる。空振った刺突は床を砕き、盛大に雪煙を巻き上げた。
(――好機! 今ならわたしの位置は分からないはず!)
白煙の向こう側で微かに揺らめく人影を目視し、シャルーアを薙ぎ払った。
三日月状に編んだ光の刃を飛ばす。
しかし自慢の広範囲斬撃技は、斬ッ!と一刀両断された。どうやら考えが甘かったらしい。
真っ二つにされた光の刃は、煙とともに左右に流れて通り過ぎていく。壁に着弾すると、粒子化して四散した。
煙の中からは、氷片を踏みしめてシルヴァリオが現れる。酷く神妙な顔つきをしているのが、最終決戦を物語っているように見え何故か胸が痛んだ。
目まぐるしく入れ替わる攻守。そんな現状に小休止を挟むようにシャルーアがコソコソと耳打ちをした。
「ユーナ様……万が一にもアカシックレコードに当たったら不味いのでは」
「うっ……確かに」
あの情報の結晶体は、丸裸だ。第一、流れ弾の攻撃がヒットした際、損傷するのかも分からない。
(となると、分が悪いけどやっぱりクロスレンジでやるしかないか?)
――いや、
「一発ぐらいなら、アカシックレコードだって耐えてくれるでしょ!」
「えぇっ?」
勝手に決めつけた少女は、両手に持ったシャルーアを天に掲げる。
現時点まで、互いに有効打なし。しかし、あのレベルの相手に戦いが長引くことを嫌がった彼女は、こうなったら己の最大火力をぶつけて、引導を渡してやろうと考えたのだ。
「……じゃあ、見せておくれよ。君の必殺技。受け止めてあげるから」
「いいですよ。まぁ……火傷しても知りませんけどね!」
――確かに由菜にはシルヴァリオに対して勝てる手札が少なすぎる。
《ギフト》の属性は同じ『光』だし、能力値である等級だって同じ4。だが戦闘において、まず何よりも実戦経験が圧倒的に不足していた。
属性の優位性はなく、戦闘のセンスも及ばない。だけどたった一つ、シャルーアという神器が持つ引き出しの多さは自分に軍配が上がるはずだ。
シャルーアの先端部分に揺らめく火がキャンドルのように灯されたかと思えば――ごうッ!
瞬く間に炎が天井へと伸びて、火柱が剣に変わる。放出される光と熱は、右肩上がりに光度と熱量を上昇させていき……床から突き出た氷柱を溶かしていく。
対するシルヴァリオはというと、もう一つの神器――氷の円盾スヴェルが彼の左腕に装備させた。太陽の灼熱を防ぐと語り継がれている不破の盾。
(だけど、それがどうした!? 構うな、振り抜け! いい加減、ラスボスぶって付きまとわれるのは嫌なんだよ!)
最後の一言は、完全に私情から衝いて出たが――
由菜の心は決まっていた。
「灰燼に帰せ!《迦楼羅之業火》!」
願わくは、これが終の太刀になることを祈って。
――打ち下ろす!
「《大いなる冬》」
シルヴァリオは、宣言通り受けに回った。円盾が左腕から離れ、肥大化しドーム型の結界を展開させて身を守る。その姿は、まさしく極地の海上に漂う氷山といったところだ。
(君の炎なんて、線香花火も同然。防いでみせる)
炎の太刀が氷の盾を叩き、衝突した。
接触と同時に戟音が響き渡り、
そして――今日一番の番狂わせが起こる。
じわじわと、徐々に氷の結界が炎に押されていき……蒸発していく。炎に飲まれ、溶かされていく。
それどころか、固体から液体になる工程をすっ飛ばし、一気に気体まで昇華させているではないか。
「そんな――馬鹿な!」
自分の目は節穴だったのか。
否、シルヴァリオ・ルミナスアークは見誤っていたのだ。桐月由菜という人間を。
「よく見てリオさん! これがわたしの持つ希望なの! 一筋の光なの!」
「希望……光だって……!?」
もちろん、由菜の焔も決して無尽蔵ではない。
己の生命力エネルギー《波動》は著しく消費するし、本当ならばこれほど拮抗することなく、たった一振りで決着がつく決定打を秘めた必殺技だ。
時間制限の中、由菜は必死に声を張り上げた。
「リオさんの希望は何? 教えてよ!」
「ボクには……そんなものは」
ピシピシ……大氷塊の防壁にヒビが入り、亀裂が生じた。剥がされていく氷片。それらはすぐさま業火の手によって空気中に散っていく。
「ボクには……そんな綺麗なものは無い……ッ!」
「ないんなら、見つけましょう!」
「!?」
すぐ傍で聞こえた声。
弾かれたように顔を上げれば、微笑む彼女がそこにいた。
ふと急に息がしやすくなったことに気付き、見上げると炎の剣はチロチロとしたとろ火になって、下ろされ氷の結界から退けられていた。
「大丈夫、きっと見つかります! 透の奴が前に言ってたんですけど、恋でもすればいいって!
あ、別に恋じゃなくてもいいんですけど――だから、つまり何が言いたいのかっていうと、ラスボスとか変な拘り持たなくてもいいんじゃないんかなぁってことです。ラスボスなんかじゃなくても、リオさんはリオさんでいて欲しいんです」
「由菜……」
「――だから、受け止めてください! これがわたしの想いです!」
背中を反らして、再び頭上に炎の剣を構えた。
「え? ちょっと待って、いまそういう流れじゃな」
「灰燼に帰せ!《迦楼羅之業火》テイクツー!」
二度目に振り下ろされた炎の剣は、今度は拮抗することなく大氷塊の防壁を粉々に打ち砕いた。
「……答えは起きてから聞きます。だから少し寝ててください」