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猫の行方

 


       ◯




 その後、鏡宮に対する嫌がらせはなくなった。


 僕は相変わらずクラスで浮いているけれど、鏡宮はなんとか少人数の女子グループに入ることができたらしい。

 メンバーは比較的おとなしいタイプの子が多いみたいで、他愛もない会話をしながら穏やかに過ごすことができているという。


 例の事件について触れる者は一人もいなかった。


 たまに、僕と鏡宮の仲を茶化してくる輩はいるけれど。




「刀坂くん、帰ろっ」


 放課後になるなり、鏡宮は屈託のない笑みを浮かべて僕を誘う。


 いつものやり取りだ。

 僕らは二人そろって下校し、その足で例の神社へと向かう。


 そんな僕らを初めは異質な目で見ていた周りのクラスメイトたちも、いつのまにか、それが日常の風景だと受け入れたらしい。


 僕らが二人一緒にいるのを、咎めるような者は誰もいなかった。






       ◯






「カミサマ、今日もいないね」


 鳥居を潜ると、少しだけ残念そうな声で鏡宮が言った。


 高い木々に囲まれた薄暗い境内には、人はおろか猫一匹いない。

 試しに名前を呼んでみても、カミサマはついぞ姿を見せなかった。


「せっかく煮干しも残したのにな」


 僕は社殿の前に腰を下ろすと、昼に残しておいた煮干しを取り出して口へ放り込む。

 隣に座った鏡宮にも半分あげると、彼女もまたポリポリとハムスターのように食べ始めた。


 あの雨の日から、カミサマはこの神社へ来なくなった。


 これでもう二週間になる。

 もしかしたら、僕らがいない間に戻ってきているのかもしれないけれど。


 どちらにせよ、カミサマのいない境内はどこか物寂しい印象を僕らに与えた。


「本当に、どこ行っちゃったんだろ。……心配だね」


 元気でいてくれたらいいけど――と、鏡宮の顔は段々と暗くなっていく。


 例の事件のことがあったからか。

 カミサマの安否について、彼女はひどく心配しているようだった。


「まあ、そのうちひょっこり帰ってくるんじゃない?」


 僕はわざと軽い口調で言った。


 あのカミサマのことである。

 心配させるだけさせておいて、数日後にはまるで何事もなかったかのように戻ってくるかもしれない。


 といっても正直なところ、不安を拭うことはできなかった。


 カミサマの年齢は、はっきりとはわからないけれど、少なくとも十歳以上であることは確定している。

 そろそろ老衰でぽっくり逝ってしまう可能性だってあるし、身体能力も衰えているから、車に轢かれる確率だって高くなる。


「……刀坂くんは聞いたことある? 猫は死ぬとき、姿を隠すって話」


 手元の煮干しに目を落としながら、鏡宮はぽつりと呟くように言った。


 その話は僕も聞いたことがあった。

 自らの死期を悟った猫は、誰にも見つからないよう、ひっそりと姿を眩ますことがあるのだと。

 けれど、


「迷信でしょ。そんなの」


 半ば突っぱねるように、僕は言った。


 あまり考えたくはなかった。

 あのカミサマが死ぬだなんて。


 それきり鏡宮は黙り込んでしまい、しばらく無言の時間が続いた。


 青く澄んだ空ではカラスの鳴き声だけが遠く響いている。


「……刀坂くん、前に言ってたよね。昔、カミサマに初めて会ったとき、刀坂くんは寂しくて泣いていたんだって」


 鏡宮はどこか歯切れの悪い声でそんなことを言った。


 そういえば、彼女にも話したことがあったっけ。


 十年前、姉が忽然と姿を消した後。

 寂しくて泣いていた僕を慰めるようにして、カミサマはどこからともなく現れたのだ。


「私ね、時々思うの。あのボフボフの猫ちゃんはもしかすると、正真正銘の神様だったんじゃないかって」

「あいつが?」


 そんな馬鹿な、と僕は鼻で笑った。


 確かに見た目だけはざっと千年ぐらい生きていそうな風貌ではあるけれど、それもただ単に薄汚れていてみすぼらしいだけだ。

 あんな煮干しのためだけに擦り寄ってくるような食い意地の張った神様がいてたまるか。


「だって。本物の神様は、孤独な人の心に寄り添ってくれるんだよ。刀坂くんが寂しい思いをしていたことも、あの猫ちゃんは知っていたのかもしれない。きっと、全部お見通しだったんだよ。刀坂くんのお姉さんがいなくなっちゃったことも、全部」


「……姉さんのことも?」


 姉のことを持ち出されると、さすがに聞き流すことはできなかった。

 思わず鏡宮の方を見ると、彼女はいつになく真剣な眼差しで、至近距離からこちらの顔を覗き込んでいた。


「そうだよ。お姉さんがいなくなっちゃったから、その寂しさを埋めるために、カミサマは刀坂くんの所に来たんだよ。だから……最近姿を見せなくなったのはきっと、刀坂くんが私と一緒にいるからだよ」


「鏡宮と?」


「私と一緒にいると、刀坂くんは独りじゃないでしょう? 孤独じゃなくなったから、カミサマはきっと安心していなくなったんだよ。姿を消して、あるべき場所に帰っていった……」


 言いながら、彼女はさらに顔を寄せてくる。


「ちょ、近いって」


 あまりにも近すぎる距離に、僕はなんだか気恥ずかしくなって思わず視線を逸らした。


 鏡宮はハッと我に返ったように、


「あっ。ご、ごめんね」


 と、慌てて腰を引いた。

 一瞬だけ、ほんのりと耳が赤く染まったように見えたのは気のせいだろうか。


「えっと、その……。だからね、私が言いたいのは……――神様は、ここにいるんじゃないかってこと」


「……ここ?」


 鏡宮は上半身を捻るようにして、背後に建つボロボロの社殿を見上げた。


「神様はここにいる。ここで、私たちのことを見守ってくれている。……刀坂くんが寂しくて泣いていたとき、神様はきっと、猫の姿になって会いに来てくれたんだよ。でも今はもう、刀坂くんは独りじゃない。だから神様は安心して、猫としての身体を捨てたのかもしれない」


「それって……」


 猫の身体を捨てて、あるべき姿に戻った――まるでおとぎ話の一節のようなそれは、暗にカミサマが死んだことを示唆するようなものだった。


「神様はここにいて、私たちを見守ってくれてる。だから……刀坂くんがお願いすれば、お姉さんのことも、何か力を貸してくれるかもしれないよ」


 そんな鏡宮の言葉は、本気でそう信じているのか、はたまた僕を慰めようとしているのか、僕には判断がつかなかった。


 あるいは、そのどちらでもなかったのかもしれない。


 彼女はただ、カミサマとの別れを受け入れる準備をしているだけなのかもしれない。

 たとえこのままカミサマが帰って来なかったとしても、魂だけはここに存在するのだと自分に言い聞かせるために。


「……そっか。じゃあ、一度お願いしてみようかな」


 鏡宮の真意はわからないけれど、僕はその話に乗ってみることにした。


 長年手入れされていないであろう社殿はボロボロではあるけれど、賽銭箱はちゃんとある。

 願い事が叶うかどうかはわからないけれど、願掛け自体はできなくもない。


 五円玉はあったかな、と財布を用意していると、


「待って」


 と、鏡宮が制した。


「せっかくだからさ、ちゃんとした願掛けの方法、教えてあげるよ」

「ちゃんとした方法?」


 彼女はこくりと一つ頷くと、その口元にわずかな微笑を浮かべて言った。


「『うし刻参こくまいり』だよ」


 

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