神の居場所
「……べ、別に僕は甘えられてるなんて思ってないけど」
思わず鏡宮から目を逸らし、それとなく辺りを見渡す。
「そ、そういえば今日は居ないな。カミサマ」
なんとか気を紛らわせようと、そう話題を振った。
この境内を根城にしている、あのボサボサの白猫。
いつもなら僕の姿を見るなり、煮干しを求めて擦り寄ってくるのに。
今日は鳴き声一つ聞こえない。
こんな雨の日に限って、一体どこをほっつき歩いているのだろう?
鏡宮も僕と同じように辺りを見回して、
「ほんとだね。どこかで雨宿りしてるのかな?」
濡れてなければいいけど――と、少しだけ心配そうに呟く。
「濡れたら、猫も風邪ひいたりするの?」
なんとなく気になって僕が聞くと、
「うん。ひくよ、猫風邪」
と、さらりと答えが返ってくる。
「へえ。詳しいんだな」
「えへへ。猫は前に飼ってたからね」
その言葉に、僕はちょっと身構えた。
鏡宮と、猫。
その二つから否が応でも連想してしまうのは、他でもないあの事件のことだった。
中学校の正門に置かれていたという猫の首。
それはもしかすると、鏡宮が飼っていた猫のものだったのかもしれない――なんて、考えたくもないことが脳裏を過る。
「私の飼ってた猫も、全身が真っ白だったんだよ。あんまり人見知りしない子でね、誰にでも甘える子だった。声も高くってね。すっごく可愛かったんだよ」
過去形で語られるその猫はおそらく、今はもう生きてはいないのだろう。
「そっか。……大事にしてたんだな、そいつのこと」
「うん」
僕はそれ以上のことを聞く勇気が持てず、無言のまま空を見上げた。
降りしきる雨の音だけが、やけに耳につく。
やがて思い出したように、鏡宮が再び口を開いた。
「白い猫はね、昔から『神の使い』って言われてるんだって」
「……へ?」
鏡宮がいきなりそんなことを言い出したので、僕はつい間抜けな声を漏らしてしまった。
当の鏡宮は少しだけ明るさを取り戻したように、にんまりと含み笑いをして僕を見上げる。
「すごいでしょ? 神の使い。つまり、神様の化身なんだよ。神様が猫の姿になって、私たちを助けに来てくれるんだって」
「……神様、ねぇ」
そういえばこの前は、猫はみんな福猫だとか言ってたっけ。
まさか今度は神の化身にまで昇格するとは。
なんだろう、鏡宮は猫を崇拝でもしているのだろうか。
こうして猫のことを語るときの彼女はいつにもまして、自分の世界に入り込んでいるような気がする。
「神様はね、孤独な人を受け入れてくれるんだよ。寂しい思いをしている人の心に、そっと寄り添ってくれるの」
その言葉に僕は、ふとカミサマのことを思い出す。
本物の神様ではなく、あのボサボサのカミサマの方だ。
カミサマと、初めてここで会った日。
もう十年も前のことだ。
姉が突然いなくなって、寂しくて泣いていた僕の前に、カミサマはどこからともなくふらりと現れた。
まるで、孤独な僕の心に寄り添ってくれるかのように。
鏡宮は僕の顔からふっと視線を外すと、今度は正面に見える鳥居の方へと目をやった。
そうしてわずかに目を細め、何かを思い出すようにして言う。
「私が寂しいときは、いつもあの子が――飼っていた猫が、いつもそばにいてくれたの。まるで私の心を読み取ったかのように、そっと寄り添ってくれたんだよ。……本当に、神様みたいだって思った」
遠いどこかを見つめるような彼女の瞳に、どんな景色が映っているのかはわからない。
けれど、誰かを慈しむような、わずかな憂いを帯びたその眼差しは、明らかにその大事な飼い猫へと向けられているのはわかった。
「あっ、そうだ。写真がね、いっぱい残ってるんだよ」
鏡宮はそう言って、いそいそとポケットからスマホを取り出して操作する。
写真フォルダにあるアルバムを開くと、中には白い猫の写った画像がずらりと並んでいた。
あのボサボサのカミサマとは似ても似つかない愛らしい猫だった。
青みがかった目はくりくりと丸く、毛並みもきちんと整えられている。
と、そんな写真の中に一枚だけ、見慣れない少女が写っていた。
どこかの学校の制服を着た、中学生くらいのショートヘアーの女の子。
こちらを見つめるアーモンド型の目が、やけに整っていて印象的だ。
「……あ。その子はね、私の幼馴染の玉木 泉ちゃん。小さい頃からずっと仲良しだったんだよ」
またしても過去形だった。
幼い頃からずっと一緒だったという女の子。
おそらくは『親友』と呼べる類の間柄だろう。
「この子とはまだ、今も連絡とか……」
僕がそう問いかけようとすると、スマホを見つめる鏡宮の横顔が、わずかに強張ったような気がした。
(あ……)
無言のまま、静かにスマホへ目を落としている鏡宮の口元には、どこか寂しげな微笑が浮かんでいる。
もしかすると今はもう、『友達』ではないのかもしれない。
僕はそれ以上は触れずに、ただ目の前に映し出される猫の姿を見つめていた。
アルバムをスクロールする度、猫の写真は次から次へと溢れてくる。
画面越しですら伝わってくるその猫への鏡宮の深い愛情を感じ取り、僕はほとんど無意識のまま、
「……この猫は、鏡宮にとっての神様だったんだな」
何を意図するでもなく、自然とそんな言葉を漏らしていた。
鏡宮は一瞬だけ驚いたように僕を見上げたけれど、すぐにまたやわらかな笑みを浮かべて、
「えへへ。そうだね。本当に神様だったのかもしれない……。だから私、あの子がいなくなった後は、いつも一人で近所の神社に通ってたの。神社には神様がいるから。そこに行けば、またあの子に会えるんじゃないかって」
神社には神様がいる。
だから鏡宮は神社に行く。
なら、僕が鏡宮と初めて会ったあの日も。
彼女はその猫と会うために、ここへ来たのかもしれない。
僕はちらりと肩越しに後ろを振り返り、背後にあるボロボロの社殿を見た。
割れ放題になっている格子戸のガラスの、その奥をじっと覗き込む。
神様が鎮座するというその建物の奥は、真っ黒な闇に包まれて何も見えなかった。
(ここにも、神様はいるのかな)
長年手入れされていないであろうそこに、果たして神様はいるのだろうか。
考えても仕方のないことを考えながら、僕は鏡宮の方へと再び視線を戻す。
「会えるといいな、鏡宮の神様に」
僕が言うと、鏡宮はほんのりと微笑を浮かべて、
「うん。……ありがとう、刀坂くん」
と、穏やかな声で言った。




