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寄り添う人

 


「……マイナーな意見はね、いつも負けちゃうんだよ」


 鏡宮は肩を小さく震わせながら、消え入りそうな声で言った。


「どんなときも、数が多い方が勝つの。支持の多い方が勝つの。私がいくら一人で声を上げたって、誰も耳を傾けてなんかくれない」


 そうだ。

 それが現実だ。


 少数派の意見は数の暴力によって否定され、淘汰される。


 十年前の、あのときもそうだった。

 僕がいくら必死に訴えても、姉の存在を認めてもらうことはできなかった。


 僕だけにしか知り得ない真実は、僕以外の人間には通用しない。


 けれど。


「……勝つとか負けるとか、そういうことじゃないと思う」


 半ば自分自身に言い聞かせるようにして、僕は言った。


「数なんて関係ないよ。周りが何を言っていたって、真実は変わらないんだから」


 たとえどれだけ否定されても、僕の中の真実は変わらない。


 姉は確かに存在した。

 その事実を忘れない限り、姉はいつだって僕の中に存在する。


 鏡宮だって同じだ。

 たとえ周りが何と言おうと、真実は鏡宮自身が知っている。


 だから。


「たとえ周りが何を言っても、僕は……鏡宮を信じるよ」


 そんな僕の言葉に、彼女はやっと顔を上げた。

 涙に濡れたその瞳は、不思議そうに僕を見つめた後、ほんのりと目尻を細めて、


「……ありがとう。刀坂くんはすごいね」


 わずかに笑みを零して、彼女は言った。


「すごい? どこが」


 いきなり褒められた僕は、その意味がわからず首を傾げた。


「刀坂くんは、自分を曲げない。周りに簡単に流されることもないし、自分の意見もちゃんと言える。だから、すごいよ。それに比べて私は……周りに否定されるのが辛くて、前の学校から逃げて来ちゃったから」


 言いながら、彼女の視線はまた足元の方へと下がっていく。


 周囲からの圧力に耐えかねて、逃げ出してしまった。

 それを彼女は恥じているらしい。


 けれど僕には、その選択が別段悪いものだとは思えなかった。


「別に、逃げてもいいんじゃないの? わざわざ居心地の悪い所に長居する必要なんてないと思うし、それに……そうやって新しい道に進んでいける鏡宮の方が、僕よりずっとすごいと思うよ」


 鏡宮は僕と違って、ちゃんと前を向いている。

 僕のような、いつまでも過去に囚われている人間とは違う。


「刀坂くんの方がすごいよ。逃げることなんて、誰にだってできるんだから」

「僕にはできないよ。僕は……変われないから」


 そう僕が言うと、鏡宮は再び顔を上げた。


「『変われない』? ……って、どうして?」


 彼女の澄んだ瞳が、僕をまっすぐに射抜く。


 その淀みのない眼差しに、僕はまるで心の中を見透かされているような気がした。


「刀坂くんも、何か悩んでるの?」


 も、と言ってくれた。

 まるで僕の傷も見せてくれと言わんばかりに。


 そんな彼女の言葉に、僕はつい甘えたことを考えてしまう。

 彼女なら、こんな僕の言うことでも信じてくれるのではないかと。


(一度、話してみようか?)


 姉のことを。

 鏡宮なら受け入れてくれるかもしれない。


(でも……)


 もしも拒絶されてしまったら――そう考えると、なんだか怖くなってしまう。


 らしくないな、と改めて思う。

 誰かに否定されることなんて、もうすっかり平気になっていたはずなのに。


「あっ。もちろん、刀坂くんが言いたくないなら無理して言わなくていいよ。ごめんね。私、ほんとに空気とか読めないから」


 なかなか返事をしない僕を見て、何かを察したらしい鏡宮は慌てたように言った。


 そんな彼女の気遣いに、僕は段々といたたまれない気持ちになってくる。


 せっかく彼女がこちらに歩み寄ろうとしてくれているのに、僕はまた、彼女を遠ざけようとしている。


 このままでは今度こそ、彼女は僕から離れていってしまうかもしれない。


「ほんとにごめんね。私、刀坂くんの嫌がることばかりしちゃって――」


「嫌じゃ、ない」


「え?」


 僕の返事に、鏡宮はきょとんとした。


 本当は嫌じゃない。

 彼女がこうして僕に話しかけてくれることも。

 笑いかけてくれることも。


 ただ、怖いのだ。

 僕と一緒にいることで、彼女もまた不幸になってしまうかもしれない。

 僕や姉と同じように、どこにも居場所がなくなってしまうのではないかと。


 けれど鏡宮は、そんな僕でも一緒にいたいと言ってくれた。

 面白いと言ってくれた。


 彼女ならもしかすると――僕の中だけにある姉の記憶も、受け入れてくれるかもしれない。


「ねえ、鏡宮。僕の話を……聞いてくれる?」


 掠れそうになる声で僕が聞くと、彼女は、


「! うん、もちろんだよ!」


 と、どこか嬉しそうに笑って言った。


 その無邪気な笑みに、僕は確かな安堵を覚える。

 彼女ならきっと、僕の声に耳を傾けてくれると。


「……こんな話、誰にも信じてはもらえないんだけどね」


 そう前置きしてから、僕は話し始めた。


 昔、僕には姉がいたこと。

 姉と二人で、この神社でよく遊んだこと。

 十年前、姉が突然姿を消したこと。

 僕を除いて、誰も姉のことを覚えていなかったこと。


 一度話し出したら、もう止まらなかった。

 それまで溜め込んでいたものを吐き出すようにして、僕はすべてを打ち明けた。


「……あれからもう十年になるけど。今でも僕は、いつか姉さんが帰ってくるんじゃないかって思うんだ。ここで待っていれば、また会えるんじゃないかって」


 叶わない夢だと笑われるかもしれない。

 けれど、諦めきれないのだ。


 姉がここに帰ってきてくれるなら、僕は他に何もいらない――そう思っていたから。


「……刀坂くんは、お姉さんのことが本当に好きなんだね」


 それまで黙って話を聞いてくれていた鏡宮は、どこか納得したように頷いて言った。


「信じてくれるの?」

「もちろん。だって刀坂くん、そういう嘘を吐くようなタイプじゃないでしょ?」


 まるで迷いのない笑みを浮かべたまま、彼女は言う。


「私は信じるよ、刀坂くんの話」


「…………」


 ずっと欲しかった言葉。


 それを耳にした瞬間、僕は――


「あっ、笑った!」

「えっ?」


 いきなり鏡宮が大きな声を出したので、僕はどきりとした。


「えへへ。刀坂くん、やっと笑ってくれたね」

「!」


 彼女に言われて初めて、僕は自分の頬が緩んでいたことに気づいた。


「よかった。刀坂くんが笑ってくれて、嬉しいよ。刀坂くん、なんだかずっと寂しそうな顔してたから」

「寂しそうって……」


 そういえば、昨日もそんなことを言われたな――と僕は苦笑した。


 思えば人前で笑顔を見せることなんて、ずいぶんと久しぶりのような気がする。


「ねえ。私も一緒に、ここでお姉さんの帰りを待ってもいいかな?」


 段々といつものテンションを取り戻し始めた鏡宮は、いきなりそんなことを言い出した。


 虚を突かれた僕は一瞬反応に迷ったけれど、特に断る理由もなかったので、「まあ、それは別に」と、それとなく答える。


 本当はちょっとだけ嬉しかったりするのだけれど、なんだか気恥ずかしくて口には出さなかった。


「なぁーお」


 と、そこへ間伸びしたふてぶてしい鳴き声が届く。


 僕と鏡宮が同時に視線を落とすと、そこには不機嫌そうに薄目を開けたカミサマが丸まっていた。

 まるで自分の存在を忘れられて不貞腐れているようにも見える。


「ああ。そういやカミサマ、そこにいたんだっけ」

「かみさま?」

「こいつの名前。僕が勝手に付けたんだ」


 僕が言うと、鏡宮はふふっと可笑しそうに笑った。


「確かに『神様』って感じがするね。こんなに毛がボフボフだし」

「ボフボフじゃなくて、ボサボサだよ」


 そんな他愛もない会話を続けているうちに、西の空は少しずつ赤みを帯び始める。


「それじゃ私、門限あるから。先に帰るね」

「あ、うん……」


 鏡宮はその場に立ち上がると、屈託のない笑みを僕へ向ける。

 それからひらひらと手を振って、こちらに背を向けた。


 その姿が一瞬だけ、


(あれ……?)


 なぜか一瞬だけ、姉の面影と重なって見えた。


「…………」


 全く似ていないはずなのに。


 なぜだかその一瞬だけは、まるでデジャヴのように、ひどく懐かしい感覚を僕に思い起こさせた。


「……気をつけて」


 一拍遅れて発した僕の声は、草木を揺らす風の音にかき消された。


 不思議な感覚のまま、ひとり境内に残された僕は、赤く染まった空を改めて見上げた。


 境内の周りは高い木々に囲まれているため、空が見えるのはほんのわずかな範囲だけだ。


 その景色は十年前から何も変わらない。

 姉が忽然と姿を消したあの日も、僕はこうして赤い空を見上げていた。


 今日の空があまりにもあの日と似ていたから。

 だから僕はこんなにも、ひどく懐かしい気分になったのかもしれない。


(……鏡宮は、いきなりいなくなったりなんかしないよな?)


 ふと、そんなことを思う。


 姉はある日突然、何の前触れもなく姿を消した。


 いや。

 もしかすると、前触れはあったのだろうか?


 僕が気づいていなかったか、忘れているだけで。


「なぁーお」

「!」


 再びカミサマの鳴き声が届いて、僕の意識は一気に現実へと引き戻される。

 けれど、


「カミサマ?」


 声のした方を振り返っても、カミサマの姿はどこにもなかった。

 確かに今、声はすぐ後ろから聞こえたような気がしたのだけれど。


 視線の先には、わずかな夕焼けの色に染められた社殿がぽつんと建っているだけだった。


 体育倉庫ぐらいの、小さなボロボロの社殿。

 いつの時代に建てられたのかもわからない木造のそれは、格子戸のガラスが割れ放題になっている。


 どこの神社にも、神様はいるはずだけれど。

 長年手入れされていないであろうそこに祀られた神様は、果たして今もそこにいるのだろうか?


「…………。そろそろ帰るか」


 段々と風も冷えてきた。

 日が落ちる前に僕も帰ろう――そう思って鳥居の方へと歩き出したとき。


 僕の背後でまた、猫の鳴き声がした。


「?」


 けれど後ろを振り返っても、猫の姿はやはり見当たらなかった。


 高い木々に囲まれた、薄暗い境内の奥。


 その真ん中で、赤く染まった社殿が一つ、ひっそりと鎮座しているだけだった。



 

第1章 (終)

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