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少数派

 


       ◯




「なあ、カミサマ。……これでよかったんだよな?」


 返事はないことを理解しつつ、ほとんど独り言のように呟く。


 いつもの境内。

 その真ん中で、僕は制服が汚れるのにも構わず、地べたに座り込んでいた。


 カミサマは僕に背を向けたまま、相変わらずボサボサの体毛を舐めている。

 今日はどうやら、僕の相手をしてくれる気はないらしい。


 それもそのはず。

 今日、僕は煮干しを持っていないのだ。


 さっきのことで、僕はまだ昼休みだというのに学校を飛び出してきてしまった。

 弁当箱の入ったカバンも教室に置いたままだ。


 今ごろ、僕のいない教室ではきっと何事もなかったかのように午後の授業が始まっているだろう。

 それ自体は別にどうだっていいのだけれど。


(鏡宮には、嫌な思いをさせただろうな……)


 それだけが気掛かりだった。


 僕に話しかけるな、だなんて。

 いきなりそんなことを言われて、気分を悪くしないわけがない。

 彼女には本当に可哀想なことをしてしまったと思う。


 けれどきっと、これで正解だったのだ。


 彼女を僕から遠ざけるためには、僕の方から離れるしかなかった。

 少々荒々しいやり方にはなってしまったけれど、目的を達成することはできた。


 だからこれでよかった。

 そう思うのに。


「……はぁ」


 なんとなく気分が沈む。


 らしくないな、と自分でも思う。

 姉以外のことでこんな気持ちになるのは本当に珍しい。


 ――君って面白いね。


 ふと、昨日ここで鏡宮が言っていたことを思い出す。


 僕のことを、変わっていて面白いと言っていた。

 他の人と同じだったら、それはそれで面白くないのだと。


 あの言葉に僕は、一体何を期待したのだろう。


「……ほんとに、どうかしてるな」


 そう、力なく呟いたとき。


 それまで毛づくろいに夢中だったカミサマが、ぴくりと片耳を動かして、ふっと顔を上げた。

 その視線は神社の入口――赤い鳥居のある方へと向けられている。


 釣られて僕もそちらを見ると。


 鳥居の足元には、一人の女の子が立っていた。


 濃紺のセーラー服に水色のリボン。

 肩まで伸びる髪は片方だけがサイドテールに結われている。


 その姿に、僕は目を丸くした。


「……鏡宮」


 彼女だった。


 僕は座った姿勢のまま、首だけをそちらに向けて固まっていた。


 なぜ、彼女がこんな所にいるのだろう?


「刀坂くん。やっぱりここにいたんだね」


 彼女は少しだけ息を切らしながら言った。

 その華奢な両肩には、それぞれ学校の制カバンが一つずつ提げられている。


「えへへ。カバン忘れてったでしょ? 届けに来たよ」

「なんで……」

 

 相変わらず明るい笑みを浮かべている彼女の顔を、僕は呆然と見つめていた。


「どうして……。僕、さっきはあんなことを言ったのに」


 話しかけるな、だなんて。

 あんな冷たい言葉を浴びせてしまったのに。


「ごめんね。私、あんまり空気とか読めないから……怒らせちゃったよね」

「いや……」


 別に怒ったわけじゃない。

 ただ、そう思わせておいた方が都合が良いと思ったのだ。


 短気で取っ付きにくくて、嫌な人間だと思わせておけば、彼女もきっと僕から離れていく――そう思っていたのに。


「ほんとにごめんね。余計なことをしてるのはわかってるけど……なんだか放っとけなくて」


 鏡宮はそう言いながら、僕の方へと歩み寄ってくる。


 カミサマは煮干しの匂いに気づいたのか、のっそりと身体を起こして、鏡宮の持つカバンに鼻先を寄せた。


「ふふ。刀坂くんのお弁当、狙われてるよ」


 僕は彼女からカバンを受け取ると、弁当箱から煮干しを取り出してカミサマに与えた。


 相変わらず、餌をねだる時だけはこいつも僕にすり寄ってくる。


「……なんで、そこまでして僕と関わろうとするの?」


 カミサマの後頭部に目を落としながら、僕は鏡宮に尋ねた。


「私がそうしたいから……じゃ、ダメかな?」

「だから、なんで」


 僕は少しだけ語気を強めて問う。


「憐れだと思ってるなら余計なお世話だって、昨日言ったよね。僕は一人でいるのが好きだし、クラスで浮いてたって何も気にしない。あんたと一緒にいたって、僕は楽しくも何ともないよ」


 我ながら最低な言葉だな、と思う。

 でも、ここまではっきりと言えば彼女もそろそろ諦めてくれるかもしれない。


「……そうだね。刀坂くんは、私と一緒にいたくなんてないよね」


 どこか寂しげな声が頭上から降ってきて、僕は胸の奥がチクリと痛んだ。


 けれど。


「でも私は……刀坂くんと一緒にいたいな」


 その言葉に耳を疑い、僕は再び顔を上げた。


 鏡宮は僕の隣にしゃがみ込むと、煮干しを食べ終えたカミサマの方へ手を伸ばし、そのボサボサの頭をそっと撫でた。


「刀坂くんを見てるとね、なんだか自分のことみたいだなって思うときがあるの」

「……え?」


 どういう意味? と聞こうとしたとき、急に鏡宮がこちらに顔を向けた。


 ぱっちりとした彼女の綺麗な瞳が、至近距離から僕を見つめてくる。


 僕はなんだか気恥ずかしくなって、慌てて目を逸らした。


「私もね。引っ越す前は、こんな感じの小さな神社でいつも一人でいたの。少し前から、友達とあんまりうまくいってなかったから」

「……そう、なんだ」


 意外だな、と思った。


 鏡宮は見た目も可愛いし、性格も明るい。

 人見知りもしないみたいだし、周りの友達とはうまくやっていけそうな気がするのに。


「私ね、猫を殺したことがあるんだよ」

「!」


 彼女の口から発せられたその言葉に、僕はどきりとした。


 すかさず彼女の方へ視線を戻すと、彼女はすでに僕から目を離し、カミサマの後頭部を静かに見下ろしていた。


 猫を殺した――その話から僕が連想したのは、さっきクラスでも話題になっていたあのニュースだった。

 切断された猫の首が、学校の正門に放置されていたあの事件。


(まさか、本当に彼女が……?)


 鏡宮はカミサマの頭を撫でながら、時折、親指と人差し指の腹を使って耳をぴこぴことさせる。

 癖なのだろうか。

 この動きは昨日もやっていたような気がする。


「刀坂くんも、ニュースで一度くらいは見たことがあるでしょ? 猫の首の事件。あれの犯人、私なんだよ。……私がこっちに転校してきたのも、それが理由。あの事件があってから、それまで仲良くしてた友達もみんな私のことを避けるようになっちゃってさ」


「……本当に、鏡宮がやったのか?」


 改めて僕が聞くと、彼女は手元に目を落としたまま「うん」と小さく頷く。


 僕はまるで信じることができずに、彼女の横顔を見つめていた。


 彼女のカミサマを撫でる手つきは、猫の扱いに慣れているそれだった。

 まるで猫の気持ちがわかっているかのように、触って欲しそうな所を的確に撫でている。


 いつもはふてぶてしく僕と一定の距離を取るカミサマも、彼女にだけは珍しくされるがままになっている。


 そんな彼らの姿を見ていると、まるで彼女が猫を殺せるような人間だとは思えない。


「何かの間違いじゃないの? 僕には、鏡宮がそういうことをするような奴には見えないけど」


 僕は思ったままのことを口にした。


 すると彼女は、


「本当に……そう思う?」


 そう、わずかに声を震わせて言った。


「え……?」


 なんだか様子がおかしい。


 僕がいぶかしんでいると、彼女は再び顔を上げ、僕の方を見た。


 その目尻には、大粒の涙が浮かんでいた。


「鏡宮……?」


 彼女が、泣いている。


「ど、どうしたんだ? 僕、何かまずいこと言った……?」


 突然のことに、僕は慌てた。


「ううん。違うの……ただ、そんな風に言ってもらえるとは思わなくて」

「え?」


 彼女はその細い指で涙を拭うと、目元を赤くさせたまま、くしゃりと笑った。


「あのね、本当はね……犯人は私じゃないの」

「えっ?」


 またもや新しい事実を突きつけられて、僕は混乱した。


「どういうこと? だってさっきは……自分が犯人だって」

「本当はね、私じゃないの。でも周りのみんなは私が犯人だって言ってた。犯行現場を見た人がいるって噂になってて……。私が否定しても、誰も信じてくれなくて」

「!」


 冤罪えんざいか、と思った。


 無実の人が濡れ衣を着せられて、それが真実だと世間に浸透してしまうことだ。


「本当はね、私じゃなかったんだよ。でも……みんなが私だって信じ込んだら、それが真実みたいになっちゃって……っ」


 そこまで言ったとき、鏡宮はついに堪えきれなくなってポロポロと涙を零した。

 両手で顔を覆い隠し、肩を震わせ、小さく嗚咽おえつを漏らす。


「鏡宮……」


 恐ろしい話だった。


 信じる人が多ければ、それが真実として扱われる。

 たとえ、それが真っ赤な嘘だったとしても。


 ――あなたにはお姉ちゃんなんかいないでしょ。


 不意に、母の言葉を思い出した。


 そうだ、あのときと同じだ。


 僕には姉なんていなかった――そんなはずはないのに、周りのみんなはそれが真実だと言って、僕の声に耳を傾けてはくれなかった。


 僕だけは確かに姉の存在を覚えていたのに、誰もそれを信じてはくれなかった。


 多勢に無勢では敵わない。

 少数派の意見は、多数派によって排除される。


 あのときと同じだ。


 僕も、鏡宮も。


 

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