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化身

 


「? どうしてわたしの名前、しってるの?」


 幼い鏡宮は小首を傾げて、不思議そうに僕を見つめる。


 僕は何も言えないまま、ただそこにある彼女の姿に心を奪われていた。


「なっちゃん、だいじょうぶ?」


 と、そこへもう一人、僕らと同じくらいの年の少女が現れた。


 ショートパンツを履いた、髪の短い子だった。

 長い睫毛に縁取られた瞳は、綺麗なアーモンド型をしている。


「君はもしかして……玉木?」


 こちらも面影があった。


 僕は鏡宮の下敷きになったまま、彼女を見上げた。


「あなた、だれ?」


 玉木と思しきその少女は、どこか警戒するように僕を見る。


「あっ、ねこちゃんだ!」


 と、今度は鏡宮が嬉しそうな声を上げた。

 彼女は僕から離れると、僕の後ろで伸びをしていたカミサマのもとへと駆け寄った。


「かわいー。このこ、毛がボッフボフだよ!」


 言いながら彼女は、そのボサボサの毛並みに手を這わせ、時折耳をぴこぴことさせる。


 そこそこ雑な触られ方をしているにも関わらず、カミサマは珍しくされるがままになっていた。


 ようやくその場に立ち上がった僕は、再び鏡宮に話しかけようとしたけれど、


「なっちゃんに近づかないで」


 と、ぴしゃりと強い口調で玉木に止められた。


 見ると、玉木はあきらかに気分を害した様子で僕を睨みつけていた。

 なんだろう、鏡宮と遊んでいたところを邪魔されて怒っているのだろうか。


 そんな僕らを見て、鏡宮は一際明るい声を上げた。


「ねえねえ、みんなでいっしょにあそぼうよ。きみ、名前はなんていうの?」


 その場の緊張を解すような、澄んだ声。


 彼女の無邪気さに当てられて、僕も何だか毒気を抜かれてしまう。


「……僕は、刀坂 社」

「ヤシロくんだね! ねえ、みんなでかくれんぼしようよ!」


 にこっと屈託のない笑みを見せながら、彼女は提案する。


 別に、一緒に遊ぶのは僕は構わないのだけれど。


「玉木はどうする?」


 恐る恐る玉木を振り返って、尋ねる。

 すると彼女は、


「まあ……、なっちゃんが言うなら」


 と、あまり納得はしていないながらも、鏡宮には弱い様子で了承したのだった。






       ◯






 すでに日の暮れた空は、みるみるうちに暗くなっていく。


 完全な闇に包まれる前に、僕らは別れた。


「じゃあね、ヤシロくん。きょうは楽しかったよ。また遊ぼうね!」


 出会ったときと変わらない笑顔で、鏡宮は僕に手を振った。


 彼女の家と玉木の家は、ちょうど神社を挟んで隣同士にあった。

 どおりで、二人一緒とはいえ、子どもだけで外で遊ぶことができたわけだ。


「これでわかったか、小僧」


 僕の足元から、カミサマが聞いた。


「うん。……姉さんは、鏡宮として生まれ変わったんだね」


 僕が答えると、カミサマは「うむ」と人間のように頷いた。


「貴様の姉は、神に愛された。あの寂れた神社でたった一人、神への祈りを怠らなかった最後の参拝者じゃった。その娘の望みとあらば、神はどんな願い事も叶えようとする。貴様の姉は自らの存在を消し、別の人間として生まれ変わることを望んだのじゃ。……じゃが、もしも神の助けを得られなかったらそのときは……貴様も知っているように、自殺をしていたじゃろう」


 その言葉を、僕はどこか清々しい気持ちで受け止めていた。


 僕がいつも通っていた、あの小高い山の入口にある神社。

 その境内にはボロボロの社殿しかなくて、参拝客なんて姉以外に見たことがない。


「姉さんが望んだから……だから、鏡宮はここに生まれてきたんだね。神様が、姉さんの願いを受け入れたから」


 本来なら鏡宮は、この世に存在しない人間だった。


「ねえ、カミサマ。鏡宮は……――姉さんは、どうすれば幸せになれたと思う?」


 家の中へ消えていく鏡宮の背中を見送りながら、僕は呟くように言った。


「その答えは、本人にしかわからぬのではないか?」


 僕の足元で、カミサマは後ろ足でアゴをかきながら言う。


「うん。……わかってるよ。ただ、聞いてみたかっただけ」


 鏡宮の家の前に突っ立っていると、二階の窓から、鏡宮がこちらに気づいて手を振った。


 窓は閉まっているので、さすがに声は届かない。

 それを承知で、僕はカミサマにだけ聞こえる声で、鏡宮へ最後のメッセージを口にした。


「鏡宮。今までありがとう。僕と一緒にいてくれて」


 僕の口が動いているのが見えるのか、鏡宮は笑ったまま、不思議そうに首を傾げる。


「僕、本当に楽しかった。君がそばにいてくれて、本当に……」


 鏡宮が窓を開けようとしたところで、僕は踵を返した。

 そうして暗いアスファルトの上を、ひとり駅に向かって歩いていく。


(さよなら、鏡宮。できることなら僕はずっと、君と一緒にいたかったけれど……)


「決めたのか。貴様がこれから、どうするのか」


 僕の後ろをついてくるカミサマが、まるで僕の心を見透かしたかのように聞く。


「決めたよ。僕は……本当はわかってたんだ。僕のような人間は、最初からいない方が良かったんだって」


 カミサマは何も言わない。

 僕らの足音だけが、しんとした夜道に響いている。


「このままだと、また繰り返すんだ。鏡宮は玉木に大事な猫を殺されて、悲しい思いをして、この街から引っ越していく。そして僕と出会ってしまったら、また……あの日に丑の刻参りをして、消えてしまう。鏡宮はきっと、どうやったって幸せにはなれないんだ」


「だから、どうするのじゃ?」


「姉さんを幸せにするんだ」


 時折、道ですれ違う人が僕のことを心配そうに見下ろしてくる。

 さすがに、この時間帯に小さな子どもが一人で出歩いているのは人目についてしまう。


「姉さんが幸せだったなら、最初から、鏡宮に生まれ変わる必要なんてなかったんだ。鏡宮が幸せになれないのなら、僕は、姉さんを幸せにする」


「貴様にそんなことができるのか?」


「簡単だよ。姉さんは……僕が最初から存在しなければ、幸せになれたはずなんだ」


 僕さえいなければ、姉はいじめられずに済んだ。

 友達を作ることができたはずなのだ。


「僕はもともと、誰にも必要とされていない人間なんだ。需要のない、マイナーな存在なんだ。そんな人間が生きているせいで、姉さんが幸せになれないなんて……そんなのおかしいよ。姉さんはもともと、明るくて優しくて、誰からも好かれる人なんだから。僕と違って、たくさんの人から必要とされる存在なんだから」


 僕さえいなければ、姉はつらい思いをしなくて済んだ。

 友達に囲まれて、楽しい学校生活が送れたはずだ。


(ごめんね。姉さんも、鏡宮も……二人とも僕のせいで、つらい思いをしたよね)


 こんな僕が生きていたって、何の意味もない。

 僕だけを残して、本来幸せになるべき人が消えてしまうなんて。


「帰ろう、あの神社に。帰って、神様にお願いするよ。姉さんのためなら、神様だって助けてくれるだろ?」


「自分の存在を、最初から無かったことにしてくれとでも頼むつもりか? しかしそれでは、あの娘っ子が寂しがるぞ。貴様ら二人は、いつも一緒に遊んでいたじゃろう?」


「なら、あんたが姉さんのそばにいてやってよ」


 僕じゃなくても――人間じゃなくてもいい。

 ただ、そばに寄り添ってくれる誰かがいれば、姉の孤独も少しはやわらぐだろう。


 やがて、電車の駅が見えてきた。

 この線路の行き着く先で、本物の神様が待っている。


「帰ろう、あの神社へ。……神様のもとへ」


 

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