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夢の中で

 


「あんたはカミサマ……じゃなくて、本物の神様、なのか?」

「いかにも」


 言いながら、カミサマは僕に押し当てた肉球をぐぐぐ、と頰に食い込ませてくる。


 夜の帳が下りた暗い境内。

 その奥で、僕は一匹の猫と会話していた。


「わかるか、小僧。いかにも、吾輩が神様じゃ」


 あまりにも現実離れした目の前の出来事に、僕の意識は半ば以上に飛んでいた。


(猫が、しゃべった……)


 文字通り、目が点になる。


 おかしい。

 ありえない。


 猫が、人の言葉を話すことなんてあるはずがない。

 しかもこんなしわがれた爺さんの声で。


「驚くのも無理はない。じゃが、貴様もそろそろ気づいているじゃろう。貴様の周りで不可思議な異変が何度も起きていることを」


 肉球を押し当てたまま、カミサマは続けた。


「吾輩はな、本当は貴様の面倒など見るつもりは毛頭ないのじゃ。しかし、あの娘っ子のためとあらばやむを得ん。貴様が納得するまで、今回の異変について真実を伝えよう」


「むすめっこ? 真実? ……って、何のこと?」


 僕が反応すると、そこでようやくカミサマは肉球を引っ込めた。


「やっとまともな口が聞けるようになったか。中学生にもなって何じゃ、その小便臭いシスコン根性は」


 シスコン、という単語を耳にして僕はハッとする。


「シスコンって……。カミサマ、もしかして姉さんのことを何か知ってるの?」

「当然じゃ。貴様の姉も、そしてあの那智とかいう娘っ子も。どちらのことも吾輩はしっかりと把握しておる」

「!」


 その発言に、僕は目を見開く。

 思わずカミサマの身体を抱き上げて、逃げられないようにガッチリと押さえ込んで問いただす。


「どういうこと? 姉さんや鏡宮がどこに行ったのか、君は知ってるの?」

「じゃから気安く触るなと言っておる。アゴを撫でるな。腹を揉むな!」


 あまりにも嫌がられたので、僕は渋々カミサマを解放した。


 再び地面に降り立ったカミサマは、不貞腐れたように僕に背を向けて毛づくろいを始める。

 ……そんなことをしたって、どうせ毛並みは良くならないくせに。


「貴様の姉はな、今から十年前に死んだのじゃ。それは知っておるな?」


 背を向けたまま、カミサマはどこか改めた様子で言った。


「うん……。ネットのニュースで見た。でも、姉さんが自殺なんてするはずがないよ。一体何がどうなってるのか、僕には全然わからないよ」


 未だ戸惑いを隠せない僕に、カミサマは小さく溜息を吐いて言った。


「ならば真実を見せてやろう。百聞は一見に如かずじゃ」


 そう言うとカミサマは再びその短い前脚を伸ばし、僕の額へ肉球を押し付ける。


 すると次の瞬間には、僕の意識はまるで夢の中へ落ちていくようにして急速に遠のいていった。


       〇


 次に目を開くと、おぼろげな光が僕を迎えた。


「…………?」


 天から降る薄明かり。


 気がつくと、それまで夜の帳が下りていたはずの空には、いつのまにか日が昇っている。


(あれ……?)


 穏やかな風。

 かすかな葉擦れの音。


 鳥のさえずりに誘われて頭上を仰ぐと、揺れる枝葉の隙間から、キラキラと白い木漏れ日が降ってくる。


 視界いっぱいに生い茂る木々。

 その足元には、見慣れた赤い鳥居がぽつんと立っている。


「おーい。やっくんー……」


「!」


 と、そこへ女の子の声が聞こえた。

 どこか懐かしい、聞き覚えのある声。


 振り返ってみると、視線を向けた先には、一人の女の子が立っていた。

 ボロボロの社殿を背にして、嬉しそうにこちらへ手を振っている。


「なにボーッとしてるの。今度はやっくんが鬼だよ!」


 そう言って無邪気な笑みを浮かべるその顔を見て、僕は、


「……――」


 文字通り、言葉を失った。


 一瞬、見間違いかと思った。

 けれど何度、目を瞬かせても、そこに見える景色は変わらない。


 長い黒髪をなびかせながら、僕をまっすぐに見つめる小学生くらいの女の子。

 その顔はまぎれもなく、十年前に忽然と姿を消した、僕の姉だった。


「…………」


 あるはずのない光景が、目の前に広がっている。


「……ねえさん……?」


 やっとのことで絞り出された僕の声は、まるで女の子のように高かった。


 その声にハッとして、恐る恐る自分の身体を見下ろしてみると、なんだかいつもより手足が短い。

 それに着ている服も、子どもの頃に使っていた幼児向けのものだ。


(これって……)


 一瞬何が起こったのかわからなかった。

 けれど、


(もしかして……身体が縮んでる?)


 あきらかに小さくなった自分の手のひらを見つめながら、考える。


 身体が、縮んでいる。

 服の感じからして、おそらくはまだ幼稚園に通っていた頃の――ちょうど、姉が消えた頃の姿だ。


(これは……夢? それとも幻?)


 混乱しそうになる頭を、必死で働かせる。


 幼い頃の自分と、十年前に消えたはずの姉が、二人そろってこの神社にいる。

 まるであの頃に戻ったかのようだった。


「? どうしたの、やっくん。おなかでも痛いの?」


 なかなか返事をしない僕を心配してか、姉は不思議そうにこちらへ歩み寄ると、僕に目線を合わせるようにして膝を折る。


 姉が、至近距離から僕を見つめている。


 僕は何も言えないまま、ただ、そこにある奇跡のような光景に心を奪われていた。

 この十年間、求めてやまなかった存在が今、手を伸ばせば届く所にあるのだ。


「やっくん?」


 姉は僕の顔を覗き込みながら、その細い腕を伸ばして、優しく頭を撫でてくれる。


 やわらかくて、大きな手。

 僕の髪をくしゃりと撫でながら、時折、親指と人差し指を使って耳をぴこぴことさせる。


 ああ、そうだ。

 この感じ。


 十年前のあの日まで、当たり前のように感じていた姉のぬくもり。

 そして、やっくん、と僕を呼ぶ声。


「大丈夫? かくれんぼの続き、やめとく?」


 かくれんぼ。


 そうだ、かくれんぼだ。


 あの頃の僕は姉と二人で、よくかくれんぼやだるまさんが転んだをして遊んだ。

 両親が仕事に出ている間、姉はいつも僕を誘って、この神社で日が暮れるまで一緒に遊んでくれたのだ。


 大切な思い出。

 懐かしくて、愛おしい。


 僕の一番大切なもの。

 それを、こんな風に見せつけられてしまったら、僕は。

 胸が締め付けられるような思いがして、つい泣きそうになってしまう。


(やっぱり夢……だよね?)


 じわりと、目頭の奥が熱くなる。


 こんなにも幸せな時間は、今はもうどこにも存在しない。

 十年前のあの日に、姉と一緒に失われてしまった。


 だからきっと、これは夢なのだ。


 わかっている。

 これが現実では有り得ないことなのだと。


 けれど同時に、幻でもいいから、この幸せをもう少しだけ噛み締めていたいとも思ってしまう。

 たとえ泡沫の夢だとしても。


「……おねえちゃん……っ」


 感極まって、思わず涙が溢れた。

 その情けない顔を隠すようにして、僕は姉の懐に飛び込んだ。


 身体が縮んでしまったためか、どうやら涙腺まで子どもっぽくなってしまったらしい。


「あらら。よしよし。どうしたの、やっくん。今日は甘えん坊さんだね?」


 おどけたような口調で姉が言う。


 僕は何度もしゃくり上げながら、姉の服の端をぎゅっと握りしめた。


 姉がここにいる。

 生きている。


 もう、どこにも行ってほしくない。

 どうかずっとここにいてと、叶うはずのない願いを抱いてしまう。


 そんな僕の心中も知らずに、姉は「大丈夫、大丈夫」なんて言いながら優しく背中をさすってくれる。


 そうして、ひとしきり泣いた後。


 ザアッと一際大きな風が吹いて、周囲の木々が一斉に揺れた。


 その音に紛れて、どこからか人の笑い声が聞こえてきた。


「……?」


 複数の笑い声。

 少年のような、高い声だった。


 その声に釣られて、僕はぐしゃぐしゃになった顔をゆっくりと上げる。

 そうして人の気配のする方――神社の入口の方を見てみると、鳥居のそばにはいつのまにか、数人の子どもが集まっていた。


 見知らぬ顔。

 全員、男の子だった。

 年は小学校の中学年から高学年といったところで、ちょうど姉と同じくらいに見える。


 彼らは鳥居の陰からこちらを覗き見るようにして、しばらく観察した後、やがて再び笑い声を上げながらどこかへと走り去っていった。


(? ……何だろう)


 一体、何を笑っていたのだろう。

 泣きじゃくる僕の姿が滑稽で、面白がっていたのだろうか?

 幼い子どもが泣いている場面なんて、そう珍しいことでもないだろうに。


 不思議に思いながら、僕は改めて姉の顔を見上げた。


 すると、


「……おねえちゃん?」


 そこに見えた姉の表情に、僕は違和感を覚えた。


 それまで穏やかだった姉の顔から、笑みが消えていた。

 どこか冷ややかにさえ見えるその瞳は、先ほどの男子たちが走り去っていった方角を静かに見つめている。


「おねえちゃん、どうかしたの?」


「…………え?」


 僕が問いかけると、姉はまるで白昼夢から覚めたときのような顔で僕を見下ろした。


「やっくん……。ううん、何でもない。何でもないの」


 姉はそう、まるで自分に言い聞かせるかのように言って、僕の頭を撫でた。

 なんだか様子がおかしい。


「そろそろ帰ろっか」


 姉に言われて、僕は頷く。


 日暮れまではまだ時間があったけれど、その日は早めに切り上げて、僕らは帰ることにした。


 帰り際、姉は神様の前で律儀に手を合わせていた。


 そうして何かを熱心に祈るように頭を下げ、静かに瞳を閉じていた。






       ◯






(この夢、いつまで続くんだろう……?)


 夜になっても、夢の終わりは見えなかった。


 帰宅した後、僕ら姉弟は仲良く夕食をとり、一緒に風呂にまで入った。

 姉の裸を見るのはちょっと気まずかったけれど、久しぶりにしてもらったシャンプーの感触が気持ちよくて、その後は何だかどうでもよくなっていた。


 いっそこのまま、夢から覚めなければいいのにと思った。

 そうすればきっと、僕はずっと姉と一緒にいられる。

 それならどんなにいいかと、少しだけ浮かれた気持ちにもなったりする。


 けれど、そんな虫のいい話があるはずがない。

 この幸せな夢は、きっといつか終わりを迎えるのだから。


       〇


「おねえちゃん。これ、よんで」


 就寝前。


 子ども部屋で姉と二人きりになった僕は、本棚から適当に取り出した本を見せて言った。

 子どもの頃、姉によく読んでもらった幼児向けの絵本だった。


 別に、今は本当に読み聞かせをしてもらいたいわけじゃない。

 ただ、こうして何か理由を用意すれば、姉とくっついていられると思ったのだ。

 言うなれば、ただの口実だ。


 姉は二つ返事で「いいよ」と了承してくれる。


 そうして開けられた絵本のページには、ハッピーエンドが約束された、優しい物語が綴られていた。

 いくつかの試練を乗り越えた主人公は最後、神様の助けを得て幸せに暮らすのだ。


(こんな都合のいい世界、現実じゃ考えられないな……)


 まるで子ども騙しのような本の内容に、僕は溜息を吐く。


 思えば幼稚園に置いてあった絵本も、明るい結末で締めくくられていたものばかりだった気がする。

 それはきっと、その方が大抵の子どもは喜ぶし、親も親で、そういう物語を読み聞かせたいと考える人の方が多いからだろう。


 悲しい結末を迎える絵本もそれはそれで味があるのだけれど、全体的な需要で言えばどちらかというとマイナーなのだ。


「……ねえ、やっくん。神様って本当にいると思う?」


 物語が終盤に差し掛かったとき、姉は一度本を読むのを止めて、僕に問いかけた。


 その声がわずかに震えているのに気づいて、僕は顔を上げた。


 姉の口元には、微笑が浮かんでいる。

 けれど、絵本を見下ろすその瞳は、わずかな憂いの色を滲ませていた。


「おねえちゃん……?」


 言い知れぬ不安にかられた僕は、思わず姉の顔を覗き込んだ。


 途端、姉ははっと我に返った様子で、


「あ……、ごめんね。私ったら」


 慌てて絵本を持ち直すと、再び話の続きを読み始める。

 けれどその声に抑揚はなく、明らかに上の空だった。


(やっぱり、何かおかしい……)


 ずっと、違和感があった。

 おそらくは今日、あの神社にいたときから。


 あそこで、複数の男子たちを見たときからだった。


 理由は話してくれなかったけれど、あのときの姉が、心に何かを抱えていたことはわかった。


 それが姉にとって良くないモノであることを、僕もまた、肌で感じ取っていた。


 

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