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姉がいた世界

 


 ――神様はね、孤独な人を受け入れてくれるんだよ。寂しい思いをしている人の心に、そっと寄り添ってくれるの。


 前に鏡宮が言っていた。


 神様はいつも、僕たちを見守ってくれている。

 誰かが寂しい思いをしているときは、そっと寄り添ってくれると。


 だから僕らは、そんな優しい神様のことを信じて、あの夜にお参りをしたのだ。

 きっと僕らの助けになってくれると信じて。


 でも。


「……なにが神様だよ」


 所詮は迷信だ。


 たとえこの世に神がいたとしても、それが必ずしも僕たちのために存在しているとは限らない。

 見守ってくれている――なんて、そんな都合の良い神様がいるわけがない。


 僕はパソコンの画面に映し出された文字の羅列に目を這わせながら、ぎり、と奥歯を噛みしめる。


(神なんてクソくらえだ)


 画面上には、一つのニュース記事が表示されていた。

 日付は今から十年前。


 太字になっている見出しには、こう書かれていた。



【小四女児飛び降り いじめによる自殺か】






       ◯






 この十年、僕がずっと待ち望んでいたこと。

 それは、姉に帰ってきてほしい――ただそれだけだった。


 ずっと、このときを心待ちにしていた。

 姉が帰ってきてくれるなら、他には何もいらなかった。


 けれど、いざそのときが来てみれば、どうだ。


「……なんで。どうしてだよ……っ」


 あまりの仕打ちに、僕はパソコンのキーボードに拳を叩きつけていた。


 あの夜。

 丑の刻参りによって僕らの願いが通じたのか、世界は、その姿を変えた。


 十年前のあのときのように、ある日突然、現実がすり替わったのだ。


 今、この世界には姉の生きた証があった。

 僕は一人っ子ではなく、五つ違いの姉がいる、二人姉弟ということになっていた。


 夢じゃない。


 姉が帰ってきた。

 僕がずっと待ち望んでいた世界が、ついにやってきた。


 けれど、そこにあったのは。

 姉がここに存在したという、『過去の事実』だけだった。


 肝心の姉自身は、今から十年も前に死んでいるということになっていた。


 『小四女児飛び降り自殺』――十年前に掲載されたそのニュース記事はまさしく、僕の姉について書かれたものだった。


(どうして……)


 突然降って湧いたような世界の有様に、僕は愕然としていた。


(自殺なんてするわけない。あの明るい姉さんが……)


 何度考えても、僕は納得できなかった。

 けれど、当時のことを調べれば調べるほど、姉の自殺はどんどん真実味を帯びていった。


 小四女児飛び降り自殺。

 そんな見出しで十年前に報道されたニュースは当時、にわかに世間を騒がせたらしい。

 今でもちょっとネットを漁れば、それ関連のニュース記事やSNSでの反応なんかはすぐに掘り起こせる。


 わずか九歳の女の子が自殺なんて――と、当時は多くの同情の声が寄せられていた他、学校でいじめがあったのではないかと非難する声もあった。

 けれど、いじめの証拠は何もなく、本人の遺書なども見つかっていないため、飛び降りの動機については判然としなかった。


 初めは学校側への不信感を露わにしていた両親も、今ではすっかり意気消沈してしまったらしい。

 あきらかに憔悴しきった母はまるで抜け殻のようになり、父は飲めなかったはずの酒に溺れて言動も荒々しくなっている。


 僕はといえば、クラスで浮いていることは変わらないようだった。

 無口で愛想がなくて、いつも一人でいる。


 けれど、そんな僕に対する周りの態度は、少しだけ違っていた。


 まるで腫れ物に触るような態度、とでもいえばいいだろうか。

 クラスメイトたちのほとんどが、僕のことを近寄りがたい、けれど無視できない存在として認識しているような感じがあった。


 きっと、みんな姉のことを知っているからだろう。

 僕のことを憐れだと思っているのかもしれない。


 その同情心からかどうかはわからないけれど、この世界では、僕はクラスメイトたちから『社くん』と呼ばれていた。

 名字の『刀坂』ではなく、下の名前で呼ばれているのだ。


 あきらかに、前の世界とは何もかもが違う。


(……夢なら覚めてくれ)


 僕は教室の真ん中で、ひとり自分の席で項垂れていた。

 いつものように読書をする気にもならない。


 まるで悪夢を見ているようだった。

 今のこの状況に理解が追いつかなくて、頭がパンクしそうだった。


 と、そこへクラスメイトの一人が僕に声をかけてきた。


「ねえ、社くん。今日の放課後、みんなでカラオケに行くんだけど、一緒にどう?」


 僕は俯いていた顔をゆっくりと上げる。


 見ると、男女の入り混じる五人グループが、僕の方へ視線を送っていた。


 別に仲が良いわけでもないのに、彼らはまるで義務を果たすかのごとく、僕に笑いかけてくる。

 たとえ見せかけでも、この学校にはいじめなんかないのだと世間に主張したいのかもしれない。


「……遠慮しとく。興味ないから」


 僕はきっぱりと断った。


 周りもそれをわかっていたのか、僕のことなんかすぐに忘れて、さっさと次の話題に移っていった。


 本当に上辺だけなんだな、と改めて思う。

 見せかけの友情ほど虚しいものはないんじゃないだろうか。


 僕はちらりと視線を上げ、教室の中を見渡した。

 そして、そこに『彼女』の姿がないことを確認して、人知れず肩を落とす。


(やっぱりいない……よな)


 あるはずの姿が、どこにも見当たらない。


 姉が生まれ、そして死んでいったこの世界ではなぜか、僕のクラスに鏡宮はいなかった。


 最初は欠席なのかと思った。

 風邪でもひいたのかなと、あまり深くは考えていなかった。


 けれど出欠を取る段になってやっと、僕はその異変に気がついた。


 鏡宮の名前が呼ばれなかったのだ。

 まるで最初から、このクラスに彼女が存在しなかったかのように。


 僕以外のクラスメイトたちは、その異変に誰一人として気づいていないようだった。

 鏡宮が属していた女子グループのメンバーも、まるで鏡宮のことなんか忘れているかのように、彼女の名前を一度たりとも口にはしなかった。


 やがて昼休みになると、僕は教室に戻ってきた担任教師を呼び止めて、恐る恐る尋ねた。


「あの……。鏡宮は、今日は休みなんですか?」


 珍しく声をかけてきた僕に担任教師は少しだけ意外そうな顔をしていたけれど、


「鏡宮って、誰のことだ?」


 と、すぐに普段通りの声で応えた。


 それで僕は確信した。


 この世界では、僕のクラスに鏡宮はいない。


 姉が存在したこの世界では、鏡宮はここに転校してくることはなかったのだと。


 

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