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丑の刻参り

 


       ◯




 その日の深夜、僕はこっそりと家を抜け出した。


 午前二時前。

 両親が寝静まったのを確認してから、極力物音を立てないようにして勝手口へ回る。


 見つかったら、きっと怒られるだろう。

 中学生になったとはいえ、親から見れば僕もまだまだ子どもだ。


 こんな夜遅くに外を出歩くのは、僕にとっても初めてのことだった。

 鏡宮からの誘いがなければ、こんな不良じみた行為に興味を持ったりはしなかっただろう。


 ――丑の刻参りだよ。知ってる?


 鏡宮が言っていた。

 丑の刻――つまり現代でいう午前一時から三時ごろに、誰にも見つからずにこっそりと神社へお参りすること。


 僕もなんとなくは聞いたことがあった。

 けれどそれは、神様にお願い事をするとかそんな生易しいものではなく、もっとおどろおどろしい、人を呪う儀式のようなものだと思っていた。


 僕のイメージでいえば、丑の刻参りといえば藁人形に五寸釘を打ち込んで人を呪うというものだ。

 けれど鏡宮は、それは本来の形ではないという。


 ――本当の丑の刻参りはね、人を呪うためのものじゃなくて、ただ神様にお願い事をするだけなんだよ。誰にも見つからないように、夜中にこっそりお参りするの。


 一度やってみようよ、と鏡宮は言った。


 今までの僕だったら、そんなリスクしかないようなことに手を出そうなんて考えもしなかっただろう。

 親に見つかったら怒られるし、万が一警察に見つかったら補導されてしまう。


 けれど、鏡宮が一緒に行こうと言ってくれているから。


 彼女と一緒なら、たまには羽目を外してみるのも悪くないかな、なんて思ってしまう。


 本当に、僕らしくない。

 鏡宮のそばにいると、僕は僕でなくなってしまう気がする。


 けれどその感覚は、不思議と嫌ではなかった。

 むしろ、どこか心地良いとさえ、僕は胸のどこかで感じていたのだった。






       ◯






「あっ、刀坂くん。こっちこっち!」


 鳥居を潜ると、どこからか声が聞こえた。


 僕は辺りを見渡したけれど、漆黒の闇に包まれた境内には何も見えない。

 と思いきや、右の方で何かチカチカと光が点滅し始める。


 見ると、境内を囲む高い木の後ろから、ひょっこりと人影が覗いている。


 鏡宮だった。

 彼女は手にした懐中電灯を明滅させながら、時折自分の顔に光を当てて「うらめしやー」などと言って笑う。


「良かったぁ。刀坂くんも無事にたどり着けたんだね」


 お互い、ここに来るまでに何度かスマホでやり取りをしていたから、それほど心配はしていなかったけれど。

 それでもいざこうして顔を合わせられる所までくると、なんだかホッとしたというか、達成感のようなものが込み上げてくる。


 時刻を確認すると、午前二時だった。

 鏡宮と約束した時間――丑三つ時だ。


「鏡宮は怖くないのか? こんな時間に、こんな暗い所に来て」


 僕はふと思って聞いた。


 丑三つ時といえば、俗にオバケが出るといわれている時間帯だ。

 もちろん迷信ではあるけれど、こんな夜遅くに外を出歩くこと自体、普通の女の子なら怖がってもおかしくはないのに。


「そりゃあ、ちょっとは怖いけど……。でも、刀坂くんと会えるって思ったら、嬉しさの方が勝っちゃって」


 鏡宮はそんなことを言いながら、ふふっと照れたように笑う。


 その発言に、僕はどきりとした。


「そ、そう……?」


 僕と会えることを、嬉しいと感じてくれている。

 そんな彼女の言葉を聞いて、僕はつい胸を高鳴らせてしまった。


 きっと、鏡宮にとってはそれほど深い意味を込めて言ったわけではないのだろう。

 頭ではわかっているのに、身体が勝手に反応してしまう。


 なんだか顔が熱い。

 耳まで赤くなっていることが自分でもわかる。


 ここが暗い境内で良かった。

 もしも明るい場所だったなら、きっと今ごろ僕の情けない姿が彼女の眼前に晒されていたことだろう。


「と、とにかくお参りしようか」


 平静を装い、僕は足早に社殿の方へ向かった。


 社殿は鏡宮の懐中電灯の光に照らされて、狭い境内の最奥にぼんやりと浮かび上がる。


「……これって、普通にお参りすればいいの?」


 賽銭箱の前で五円玉を取り出した僕は、隣に立つ鏡宮に尋ねた。


 そうだよ、と返した彼女の横顔はよく見えなかった。

 暗がりの中で、口元に浮かんだ微笑だけがほんやりと見える。


 こんな状況でも変わらず毅然としている彼女に、僕は圧倒されつつも、手にした五円玉を賽銭箱へと投げ入れた。

 それから胸の前で手を合わせ、静かに瞳を閉じる。


(……神様)


 頭の中で、願い事を思い浮かべる。


 僕が望むのはたった一つ――他でもない姉のことだった。


 姉に帰ってきてほしい。

 ただ、それだけだった。


 脳裏では、まだ小学四年生だった姉の姿が蘇る。

 この境内で、僕と一緒にだるまさんが転んだをして遊んだ姉。

 いつも明るく笑っていたその顔が、僕には眩しかった。


「…………」


 と、そこで不意に、何かを感じた。


 誰かに見られている――そんな感覚だった。


「?」


 僕はゆっくりと瞼を上げる。


 目の前には、老朽化したボロボロの社殿。

 格子戸のガラスは割れ放題で、その奥には闇が広がっている。

 特に今は、鏡宮の持つ懐中電灯の光も当てられていないため、格子戸の形すらわからないほどの暗闇に包まれている。


 にも関わらず。

 僕には『見えてしまった』。


 何も見えないはずの、格子戸の奥。


 そこには何者かの、こちらを見つめる二つの目があった。






       ◯






 気がつくと、朝になっていた。


(……あれっ?)


 寝惚け眼を擦ると、見慣れた天井が目に入る。

 続けて窓の方に目をやれば、見慣れたカーテンが風に揺れている。


 そこはどう見ても、自宅にある僕の部屋だった。


 

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