気の利いた秘密
最近、文章を書こうとすると理屈っぽくなってしまいます。何故でしょうか…
中学、高校に上がっても、訳の分からないレクリエーションやら、日程の調整やらで"遊ぶ"事がある。
所謂ハンカチ落としだとか、椅子取りゲームだとか、そういった類いのものだ。
それ自体はまあ、良い事だと思う。親睦を深める目的もあるのだろうし。
しかし、遊びに罰ゲームが加わってくると、呑気に良いとも言ってられない。
少なくとも、私のような陰キャラにとっては。
「何でもバスケットするよ!最後に立ってた人は罰ゲームね!」
罰ゲームというのは例えば、「何か秘密にしている事を、一つ暴露する」などがある。
むしろ、遊びの罰ゲームなんて、大抵これではないか。
ここで少し、レクリエーションの参加者になったつもりで考えてみて欲しい。
貴方は、"暴露出来る"秘密があるかどうか。
暴露出来る、してもいい秘密は、秘密ではないと思うだろう。
私もそう思った。
そして、見事に罰ゲームを食らい、"ガチの"秘密を暴露してドン引きされた。
私の秘密なんて、貴方は興味無いと思うが、一応、例として挙げさせて貰う。
秘密の暴露を迫られた私は、どもりまくった末、こう言ったのだ。
「…爪切りで、足の角質を抉ったり、針で皮膚をチクチクしたりするのが趣味です」
これは酷い。
文章化していて、改めて思った。
どう反応したらいいのか分からない上、やっている事がかなり気持ち悪い。
案の定、周りからは一瞬の静寂と、引き攣った笑いが生まれただけだった。
私自身、喋りながら「あ、しくじった」と思っていた。
だが、仕方なかったのだ。
私の秘密なんて、これ位しかなかったのだから…
そして、考えた。
彼らは、どのような答えを望んでいたのかを。
おおよその検討はつく。
恐らく、青春の甘酸っぱさを感じさせてくれる話ーー恋バナなんかが良かったのだろう。
しかし、それは土台無理な話だ。
万年コミュ障キモオタに、真っ当な恋愛なぞ出来る訳ないだろう。
それで「私の想い人はz軸がありません」なんて言ったら、更に引かれていた筈だ。
だから、結局あれが"私にとって"の最適解だったのだ。
ガチの秘密を暴露する事が。
しかし、"周囲にとって"は、それが最適解ではない。
この両者のギャップを埋める事が、円滑なコミュニケーションには必要なのかも知れない。
溝が開いたままだと、空気読めない奴扱いされるからだ。
私はそうだった。
ギャップを埋める事と、秘密の暴露は、必ずしも結びつく訳ではないが…あの場で"気の利いた"秘密を語れた(騙れた?)のならば、私は多分、ぼっちにならなかっただろう。
私は、暴露出来る秘密を用意しておくべきだったのだ。
それから、相手の求める答えというものを意識するようになった。
…それで、ぼっちは脱却したのかって?
いいや、全然。私は相変わらず友達がいない。
拙作を読んでいただき、有り難う御座いました。