おっぱいを揉ませろなんて可愛いモノなんですよ
セックス・カルトという存在をご存知でしょうか?
教祖や教団幹部が、信徒に性行為を強要する様な、宗教の名を騙った犯罪者集団の事です。
さて、この似非宗教団体において、女性信者に性行為を迫る理由付けとして、どんな言動があったかをご存知でしょうか?
我が国の女性は慰安婦にされて日本兵に辱められた、というのがあったのです。
だからお前がそれを償え、という感じです。
拒否すれば、それは差別だ、とのたまうのです。
結婚を迫る場合もあったらしいです。
拒否すれば、それは差別しているからだろ、らしい。
おっぱいを揉ませろなんて、可愛いですよね。
まあ、今もそんな団体が存在しているのかは知りませんが、一昔前には確かに存在していたのです。
合同結婚式とかもありましたよね?
それで結婚して海外に移住した芸能人もいましたよね。
離婚して帰ってきて、芸能界に復帰するだので話題になりましたね。
どこの国のキリスト教系の団体かはバレバレですが、詳しく知りたい方は○○系キリスト教 セックスカルト、で検索して下さい。
何が言いたいかといいますと、差別という言葉を、自らの欲望を叶える為、他人を縛る為に使う輩がいるという事です。
それは差別だ、と声高に叫ぶ事により、反抗心を削ぐといいますか、レッテルを貼って反論を封じるといいますか。
普通の良識的な方は、差別と言われると、そうでもないのに己を顧みてしまうものです。
どこが差別的だったのだろうと、考えなくても良い事を考えて、発言を躊躇ったりしてしまう。
相手がそう感じたなら、自分には何か差別感情があったのかもしれないと反省してしまいます。
人間には何かしら疚しい感情があるモノですから、差別だと言われたら、ギクッとなってしまうのです。
しかし、これは相手の思うつぼです。
軽々しく差別だと口にする人間は、やましい考えがあると思った方が良いと思います。
何か思惑があってその発言をしている気がします。
眉に唾をつけて話を聞いた方が良いと思います。