LⅦ
「何で、フェンリルが…」
仲間たちの驚く声が後ろから聞こえてくる。
しかし、一番驚いているのはアイリスだった。
「……」
アイリスは手に持った指揮棒を見る。
少し古いデザインの指揮棒には淡い光が宿っていた。
「こざかしい真似を!」
大神は顔を赤くしながら構える。
さっきよりも早く攻撃を仕掛けてきた。
バァン!
まぶしい光の中で、フェンリルの猛々しい声が響く。
光が止むと、苦しそうな顔をした大神がじっとフェンリルを見つめていた。
汗をだらだら流す大神には右腕がなかった。
フェンリルは無造作に口から何かを吐き出す。
ボトッという重い音を立てて、地面に吐き捨てられたものは、大神の右腕だった。
「貴様ァ…」
大神の顔が歪にゆがみ、目を見開いてアイリスを見る。
「ここから生きて帰れると思うなよ…」
そういうと、大神は振り返って去っていった。
大神が歩いた道にはボタボタと赤々とした血が垂れていた。
「どうすんの、これ」
ロイが血を見ながら言う。
「私…とんでもないことした?」
アイリスの顔がだんだん青ざめていく。
ロイたちはみんな黙って首を縦に振った。
ドサッ
アイリスはそのまま意識を失った。
「…い、おーい」
ぺちぺちと何かが頬を叩く。
目を開けると、ロイが木の枝で頬を叩いていた。
「…何するのよ」
「あ、やっと起きたか」
周りを囲む仲間たちは心配そうな顔でアイリスを覗き込んでいる…ということはなく、みんな揃ってまたか、という顔をしていた。
「アイリス…いくらなんでも気絶し過ぎじゃないか?一度医者にでも見てもらった方が…」
ネジ子が心配そうに言うが、アイリスはそれを拒否した。
「医者は嫌よ。何をされるかわからないもの。それに、そんなに大したものでもないから大丈夫よ」
アイリスは蒼い顔をしながらそう言った。
アイリスには思ったよりもトラウマが多いようだった。
「いまさら謝っても許してもらえないよね…」
アイリスはノルンを見る。
ノルンは黙って首を縦に振った。
「よし、ここから逃げましょう」
アイリスは素早く身支度を整え、ノルンの神殿の入り口まで移動する。
「楽しそうなことしてるじゃん」
アイリスが周囲を確認し、外に出ようとした瞬間、聞き覚えのない女の声がした。
「上だよ」
アイリスが上を見上げると、そこにはアイリスと同い年ぐらいの女の子が座っていた。
「初めまして、人の子。私はバーニー、神様だよ」
スタッと見事な着地をして降りてくる。
そして、手を前に出した。
「握手しようよ」
ニコッと笑い、アイリスが手を出すのを待っている。
アイリスがその手を取ろうとした時、
「バーニーに触っちゃダメ!」
ノルンの叫び声が聞こえた。
その直後、バーニーの手から火柱が上がる。
「あーあ、つまんないの。あともうちょっとで人間の直火焼きができたのに」
バーニーは子供のように不貞腐れた。
「だからやめとけって言ったじゃない」
アイリスの後ろから声がする。
そこにはバーニーと対照的な大人びた雰囲気の女の子が立っていた。
恐らく、この子も神なのだろう。
「私はフロスト。人の子、大神様に危害を加えてそのまま帰れると思うの?」
淡々としゃべってはいるものの、その声には確かな怒りが見えた。
フロストの左腕が少しずつ凍っていき、巨大な氷塊と化す。
「あ、私もやる!」
バーニーは子供のようにはしゃぐと、その右腕が巨大な火柱に包まれる。
「さぁ、人の子!本気でかかってきな!私たちが相手になってあげる!」
バーニーはまるで新しい玩具でも見つけたように目を輝かせた。
「楽譜フェンリ「遅い」」
アイリスがフェンリルを呼ぶ前に、指揮棒ごと冷気に包まれる。
「っ!」
アイリスの右手が指揮棒と一緒に氷漬けにされた。
「後ろだよ」
アイリスが振り向くと、バーニーの顔が目の前にある。
バキッ!
アイリスの顔に、火の付いた拳がぶつかる。
「アイリス!」
ロイが近づこうとするが、神殿の入り口に大きな氷の壁が出現する。
「人の子は順番も守れないのかしら」
フロストはそう言ってアイリスの頭を持つ。
そして、氷の壁に勢いよくぶつけた。
「カハッ…」
アイリスの口から血が流れる。
そして、アイリスは動かなくなった。
「アイリス。少しだけ私に体を貸せ」
真っ暗な空間でトーラが語り掛ける。
「嫌。もうこれ以上、仲間に怖い思いをさせたくないわ」
「ここで死ぬぞ」
「……」
「奴らを倒す、私にはそれしかできない。だがアイリス、お前は違うだろう。私にできないこともできる。なぜなら、お前はこの時代に生きる、この時代の人間なのだから。だから、ここで死ぬな」
アイリスはトーラの顔を見る。
そこにあったのは、冷酷な悪魔ではなく、我が子を心配する親のような顔だった。
「分かった。だけど、約束して。誰も殺さないで」
トーラはこくりと頷き、消えていった。
「ねぇ、もう終わり?つまんないよ~」
バーニーはアイリスの近くにしゃがみ込む。
「……」
アイリスは声を出さない。
「フロスト、この子もう動かないよ。次の奴にしようよ」
フロストが「そうね」と言って、氷の壁を壊そうとしたその時だった。
ガッ
バーニーの腕を何かが掴む。
「え?」
そして、ロイたちは聞き覚えのある声を耳にする。
「煩い蠅どもだ」
そこで声を発したのはアイリス、もといトーラだった。
「貴様はバーニーと言ったか」
トーラはバーニーを見てニヤリと笑う。
その笑った顔に背筋が凍る。
「どうやら、火を使う輩らしいな。なら、いいものをやろう」
そういうとトーラはおもむろにバーニーの火の付いた方の腕をつかむ。
ジュウゥ
肉が焼ける音とともに、辺りに嫌な臭いが充満する。
しかし、トーラはその手を離さなかった。
「“異法”『氷呪』」
トーラがそう唱えると、バーニーの腕に冷気がまとわりつく。
そして、指先から少しずつ凍っていった。
「クソッ!」
バーニーは腕の炎の火力を増す。
しかし、トーラの技はその炎すら凍らせた。
「いやっ、止めて。お願いだから、止めてぇ!」
バーニーが泣き叫ぶが、体を凍らせる冷気は止まらない。
やがて、バーニーは悲痛の表情を浮かべたまま、氷漬けになった。
「さて、次は貴様か」
トーラはバーニーを一瞥すると、フロストのほうを向いた。




