LⅥ
今回は大分短いです
「何者って…私はただの魔術師よ。特別なことはないわ」
レイチェルはそう言って、ノルンの頬にやさしく触れた。
頬に当たる掌が氷のように冷たい。
異形の物に触れられているかのような悪寒が、ノルンの体中を駆け巡る。
「ほんの少しだけ、人よりも強いってだけよ」
ノルンは少し震えながら、レイチェルの顔を見る。
レイチェルの笑顔がとても怖く感じて、震えが止まらなくなった。
「ところでさ」
ロイが二人の間に割って入った。
子供がいたずらをした時のような無邪気な笑顔でノルンに尋ねる。
「さっき、アイリスがいつの間にか手にしてたこの指揮棒、君がアイリスに渡したものだろ?これが何か説明してもらえるかな」
ロイはそう言って指揮棒をノルンに見せた。
古めかしいアンティーク調の指揮棒。
それは、ノルンがアイリスに手渡したものだった。
アイリスがはっとして懐を探ってみると、指揮棒だと思っていたものは、そこら辺に落ちているような何の変哲もない木の棒だった。
「いつの間に…」
アイリスはロイをじっと睨む。
ロイはそんなアイリスの目線を気にせずにノルンに詰め寄る。
その迫力にたじろぎながらもノルンはしっかりとロイを見る。
「それは“絆のタクト”。私が直接説明しなくても、そのうち分かるわ」
ノルンはそういうと、ロイから指揮棒を取り上げ、アイリスに返した。
「絆のタクト…」
アイリスは指揮棒をじっと見つめる。
自分にとって、この指揮棒が変わるきっかけになってくれれば。
アイリスはそう思いつつ、指揮棒を握りしめた。
その時だった。
「見つけたぞ」
低く、地の底から響いてくるような重い声が響く。
アイリスたちは声の主を探す。
「ここだ」
声の主はノルンの神殿の入り口に立っていた。
怒りを込めた低い声とそれ相応の風格を併せ持つその老人は、アイリスたちの方をじっと見つめる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「貴様らをそのまま地上に返すわけにはいかん。今ここで消えろ」
ゆっくりとアイリスたちに近づく。
「大神様…」
「ノルンか…。どうしてお前がこの者たちをかばう?この者たちは我ら神に仇なす邪教の者たち。それをかばうということは、お前は私を裏切ったと、そう解釈していいのだな?」
息が詰まるようなその気迫に圧され、ノルンが一歩後ろに下がる。
「何も言わぬ…か、なら、お前もこの者たちと一緒に消してくれよう!」
大神は大きく上に手を上げる。
気が付くと空に辺りを飲み込むほどの大きな雷雲ができていた。
すると、大神の手の上にバチバチと雷が落ちていく。
その雷が球体を作り出し、大神の手の上で暴れている。
「我が怒りをその身で受け止めよ!」
誰もが大神の怒りに触れたことの愚かさを嘆いていたその瞬間。
ロイの横を何かが通り過ぎた。
ロイは辛うじて、それが人だということが分かった。
一瞬の出来事だったため、ロイでもほんの少しの間思考が停止する。
やがて、意識が戻ってくるとロイの目に映ったのはアイリスがノルンと大神の間に立っているという奇妙な光景だった。
「何の真似だ、小娘。それほど先に消えたいのか」
「……」
アイリスは無言のまま大神を見つめる。
そして指揮棒を前に突き出した。
初めて使う魔法なのに、アイリスはもう何回も使っているような感覚があった。
自然と呪文を口にする。
「力を貸して、“楽譜 フェンリル”!」
「愚か者が!」
バチンッ!
眼をふさぐような閃光。
自分が目を開けているのかもわからなくなるような、まぶしい光が辺りを包み込んだ。
その光が少しずつ収まっていき、少しではあるものの、目が見えるようになる。
そこでロイたちは驚くべき光景を目にした。
本来ならば、そこに居ること自体がおかしいもの。
そこにはトラズの魔法である、フェンリルが凛々しく、大神を見つめながら立っていたのだ。




