ⅩLⅥ
少しグロテスクな表現が含まれます…注意してご覧ください
「グルル…」
血に塗れた獣がゆっくりとした足取りでレイチェルに近づく。
レイチェルはじりじりと迫ってくる獣から目を離さずに詠唱を始める。
「吹き荒ぶ嵐、荒れ狂う海、神の怒りに触れたその業に神罰を 特級“ジャッジメント”」
!
けたたましい轟音とともに雷が獣の脳天を直撃する。
「グゥ…」
獣は少しよろめいた程度でレイチェルのほうを睨み続ける。
「あら、意外と元気ね」
レイチェルはふざけたように嘲笑する。
「グラァッ!」
獣がレイチェルに飛び掛かった。
「拒絶しろ“リジェクション”」
バチンッ!
獣がレイチェルを覆う光の防壁に弾かれる。
「あなたの牙なんて通るわけないでしょ?」
レイチェルが微笑みながら獣に近づく。
「グ…」
獣は一歩後ずさりをして、急に方向転換をした。
その先にいたのはアイリスだった。
獣はアイリスめがけて一直線に跳躍する。
「キャア!」
ザシュッ
アイリスの腕からぽたぽたと赤い血が滴る。
「アイリス!」
ロイが駆け寄った。
アイリスは腕を押さえながら苦悶の表情を浮かべていた。
「…大丈夫…」
アイリスの額に汗が浮かぶ。
「殺す…」
ロイは静かにそう言うと、殺意をむき出しにして獣を睨んだ。
獣はロイに気づくとうなり声をあげて睨み返す。
「喰らいつくせ“ヴォイド”」
どす黒い“何か”がロイの身体から出てくる。
アイリスにはそれは世界中の何よりもおぞましいように見えた。
「ガァ!」
獣はロイに飛び掛かる。
その時ロイを包み込んでいた何かが獣に纏わりついた。
少しずつ獣を飲み込んでいく。
やがて獣を完全に飲み込むとだんだんと小さくなっていった。
そして獣もろとも煙のように消えてなくなってしまった。
「……」
ロイは黙ってグランのほうに歩み寄る。
そしていまだに気絶しているグランの首を掴んで持ち上げた。
グランは苦しそうに悶えながら目を覚ます。
「…な、何だ…レオは…」
「僕が殺した」
ロイは起伏のない声でそう言う。
「殺した…?何を言ってる…レオは殺せない」
ロイの後ろで聞き覚えのある唸り声が聞こえた。
「グルル…」
レオがロイを睨みつける。
「グラァ!」
レオがロイに飛び掛かった。
「ロイ!」
ズシャッ!
辺りに鮮血が飛び散る。
しかし、それはロイの物ではない。
「アイリス…どうして…」
レオとロイの間にアイリスが手を広げて立っていた。
背中に深々と傷を負ったアイリスはゆっくりと倒れこむ。
「大丈夫…?」
弱々しい声でロイを見る。
「僕は大丈夫だ!アイリス!しっかりしろ!」
「そう…それならよかったわ…」
アイリスの身体からだんだんと力が抜けていく。
そしてそのまま目を閉じた。
「グラン…君は絶対に殺してやる…」
ロイは見たこともないような表情を浮かべてグランを見た。
「神と人の狭間に破壊と混沌を 特級“ラグナロク”」
呪文を唱えると、光の矢が針山のごとくグランに刺さる。
しかし、グランは歪に笑い、その矢を一本一本丁寧に抜いていく。
「レオだけじゃない。俺自身も強くなった」
ロイは怒り以外の感情を忘れてグランに攻撃を仕掛けた。
しかし、グランは意に介さないような顔ですべて弾く。
「はるか彼方へ吹き飛べ 第一級“シューター”」
ロイの身体に衝撃波が走る。
そしていとも簡単に吹き飛び、後ろの建物へぶつかった。
「……」
砂埃が舞う中、ロイはゆっくりと立ち上がる。
「煩い」
二人の間で誰かが言葉を発する。
聞き覚えのある声の主はいつもと雰囲気が違っていた。
「まただ…」
ロイはこぼすように言う。
「貴様らか、私の眠りを妨げるのは」
「お前はいったい…」
グランは震える声で聞いた。
「貴様は今から潰す蠅に名を名乗るのか?」
冷たい目をしたアイリスがグランのほうを見る。
そしてゆっくりとした足取りでグランに近づいていった。
脳が逃げろと言っているが、足が動かない。
まるで石になったかのように固まる脚を動かせるようになったのは、アイリスが目の前に立ってからの事だった。
「まぁ、よかろう。これもまた一興だ。名を教えてやる」
アイリスはぞっとするような声で笑った。
「私の名はトーラ。トーラ・ブラウンだ」
その場にいる誰もが耳を疑った。
大戦を終わらせた英雄の一人、トーラ・ブラウン。
今目の前に立っているのはその英雄なのだ。
この信じられないような光景はトーラの放つ異様な雰囲気によって裏付けられた。
「私は眠いんだ。手短に済まそう」
そう言ってトーラは足元の砂を少し蹴り上げた。
「“異法”『聖十字』」
呪文を唱えた瞬間、砂に火が付いた。
そして砂を火種にしてグランに引火する。
「うわぁぁぁぁっ!熱い!熱いぃぃぃ!」
グランは悲痛な叫び声を上げながら燃えていく。
その火は十字架をかたどっていた。
やがて、火の十字架が消えるとそこには炭の塊が転がっていた。
主を亡くしたレオも煙のように消え去った。
「さて、蠅もいなくなった。寝るとするか」
そう言ってトーラはその場に崩れた。
その異様な光景に誰も動くことができなかった。
「う…ん…」
アイリスが目を覚ます。
大きな傷を負ったはずの背中は不思議と痛くない。
アイリスが辺りを見渡すと、凄惨な戦いの跡こそあれど、肝心のグランの姿がなかった。
「グランはどうなったの?」
アイリスの質問にロイが黙って炭を指さす。
「何あれ…」
アイリスは恐る恐る近づいた。
とたんに嫌な臭いがした。
そして、その炭の中に人体のパーツと思われる形が見えた。
「ひどい…誰がこんなことを…」
こみ上げる吐き気を押さえて仲間たちを見る。
しかし、誰も目を合わせようとしない。
「君だよ」
ただ一人だけ、アイリスと目を合わせたものがいた。
「どういうことですか、ムドウさん」
「まぁ、座って話そうか」
ムドウはそう言ってその場に座り込む。
そして、事の全貌を話し始めた。




