ⅩLⅣ
翌日、あまり眠れなかったアイリスは目をこすりながら魔法院の入り口を見る。
まだ平和そのものといった様子だった。
果たして今日グランは来るのだろうか。
アイリスは不安で押しつぶされそうになった。
「おはよう。昨日は眠れた?」
ネジ子が後ろから声をかける。
「全然。こんなにも緊張しているのよ、眠れるわけがないじゃない」
「確かにな。でも、アイリスがしっかりしてくれないと私たちも不安になる」
ネジ子は真剣な表情で魔法院入り口を眺める。
「私には魔法は使えない。ただ、私もノーツアクトの一員だ。戦力になりたい」
その瞳には確固たる意志が見受けられた。
「そういえばロイたちは?」
アイリスはネジ子に尋ねる。
「ロイなら朝早くにここを出ていったよ。今トラズの部屋付近にいる」
アイリスは黙って頷いた。
その時、魔法院中にけたたましい警報音が鳴り響いた。
グラン襲来の合図である。
「来た!」
アイリスはネジ子と顔を見合わせて部屋の外へと飛び出した。
上手く建物の影を縫うように走る。
そしてトラズの部屋の前までやってきた。
グランが来たらここに集合するようにムドウに言われていたのだ。
「お待たせ。時間がないから急ぐよ」
ムドウは重そうな鞄を抱えてやってきた。
「我の命に従え“無邪気な天邪鬼《オートデストラクション》”」
ムドウが呪文を唱えるとカバンから二つの光が漏れる。
その二つの光はカバンから飛び出してアイリスたちの前に立った。
「ゴーレム?」
アイリスがそう言うとムドウは頷いた。
「魔法金属でできたゴーレムだ。使用者が設定したもの“以外”を壊す。こいつには君たちとトラズ、俺、魔術師、魔法院全体を登録してある。グランだけを集中的に狙うように後三体設置してくるから、ここで待機していてくれ」
ムドウの言葉にアイリスたちは頷く。
ムドウは大きなカバンを三つ抱えて走っていった。
「いよいよか…」
ネジ子は前を見据えて呟く。
アイリスの額には一筋の汗が流れた。
その時、前のほうの建物が音を立てて崩れた。
辺りに砂埃が立ち込める。
その中からゆっくりと人影が出てきた。
「グランだ!」
いつの間にか外に出てきていたトラズが人影を睨みつける。
「……」
グランはのどをやられているようで言葉を発することはなかった。
ただ、その鬼気迫る表情にアイリスは後ずさりする。
「……!」
グランは何かを必死に話しているが、言葉にならない。
「アイリス達には近づくんじゃねぇ!」
トラズがアイリスの前に出てグランに負けない気迫で怒鳴った。
グランは悲しげな眼でアイリスを見る。
何かを伝えようとするような眼。
アイリスにはグランの意図が分からなかった。
「“フェンリル”!」
トラズの懐から白い狼が飛び出す。
「……」
グランは目をつむって何もかもをあきらめたような顔をした。
「俺に用があるなら一対一で勝負しようじゃねぇか」
トラズはフェンリルと一緒にグランに近づいた。
「そういうわけだからちょっと離れていてくれ」
トラズはそう言ってアイリスたちを遠ざける。
その直後に辺りの建物を揺さぶるほどの轟音が鳴り響いた。
音の発生源はトラズとグラン。
彼らを包み込むように砂埃が舞う。
うっすらと見える影で二人が戦っている様子が見えた。
アイリスは黙ってその様子を見つめていた。
そしてしばらく続いた激闘の音は聞こえなくなり、ゆっくりと砂埃が晴れていく。
そこに立っていたのはトラズのほうだった。
「トラズさん!」
アイリスはトラズのほうに駆けよる。
「大丈夫でしたか?」
アイリスは心配そうにトラズの体を触る。
トラズは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらアイリスから離れた。
「…な…何で…」
グランがかすれた声で呻くように言った。
「あの時の俺とは違うからだよ。じゃあな、グラン」
トラズは驚くほど冷たい目をグランに向けた。
「う…ァ…」
グランは必死に何かを掴もうと腕を伸ばした。
「ア…イ…」
そう言い残してグランはばたりとその場に倒れた。
「私?」
アイリスはグランの最後の言葉が胸に引っかかった。
「何してんだアイリス、行くよ」
ロイはアイリスの腕をつかむ。
その瞬間アイリスは仲間たちがひどく恐ろしいもののように見えた。
理由はわからない。だが、この感覚は確かなものだ。
「離して!」
アイリスはロイの手を振り払う。
「一体どうした?」
トラズはそう言ってアイリスに近づいた。
しかし、アイリスは親の仇を見るような眼でトラズを睨みつけた。
そしてグランのほうへ駆けて行く。
「おい!」
ロイの制止は一歩遅く、アイリスはグランを介抱していた。
「“ウルズ”」
グランの身体に手を当てそう唱える。
見る見るうちにグランの傷が癒えていった。
「……」
グランは驚いた顔でアイリスを見る。
そして「ありがとう…」と言ってアイリスの頭を撫でた。
「うちの団長に気安く触らないでもらえるか」
ネジ子は静かに怒りの感情を出す。
「落ち着いてアイリス。彼は敵ではないの」
アイリスの唐突な言葉に仲間たちは硬直する。
「てめぇ…アイリスに何をした!」
トラズがフェンリルを呼ぶ。
いつでも殺せると言っているようだった。
「……」
アイリスは鋭い目つきでトラズを睨む。
「目を覚ませアイリス!君のすぐそばにいる男はあのグランなんだぞ!」
ロイが珍しく怒った。
「目を覚ますのはロイたちの方よ!」
アイリスも負けないほどの声量で叫んだ。
ピンと張り詰めた空気。
アイリスはゆっくりとグランの顔に手を伸ばした。
「世界を元の姿に還せ“リ・ターン”」
アイリスの魔法はグランの顔を淡い光で包み込んだ。
すると、皮を剥がすようにグランの顔が剥がれていく。
完全に剥がれきった顔の下にはトラズの顔があった。
「一体どうなって…」
ロイが後ずさりをする。
「危ない!」
アイリスの警告と同時にロイが前に倒れる。
その後ろには口の端を歪に上げて笑うトラズの姿があった。




