死神との遭遇
この世で死ぬかと思った出来事は数えきれない。
海で溺れかけたり、崖から落ちかけたり。
僕こと桜木 市江は本当に不運だ。
そしてその不運は僕を嘲笑うかのようにつきまとってくる。たぶん僕が死ぬまで。
学校へ向かう道端の途中を歩いていたら、曲がり角で人にぶつかった。僕の不運な体質上、嫌な予感はしていたが……まさか肩に刺青の入っている方にぶつかってしまったのは想定外だった。
漫画の如く「あ、折れたわ。兄さんどうしてくれんの?治療費払ってくれるよな?」などとほざき、逆に笑えてくる。
今の衝撃で肩が折れたお前の骨ってどんだけ貧弱なんだよ。などと思いながら、静かに距離をとって持ち前の瞬発力でダッシュ。
後は全力で逃げきったかと思えば、立ち止まった先で犬の尻尾を踏んでしまいスネを噛まれた。
そんなバカみたいな話が今の僕の日常だ。
ゴールデンウィーク明け、ここちよいぽかぽか陽気には、まだまだ春の雰囲気が色濃く残っている。
「とにかく変な人には気をつけよう」
誰にともなく呟いてから学校に向かって歩き出す。
◇
うちの学園は、一つの学年に18というクラス数を誇る。そんなマンモス高だったりするせいで、敷地も無駄に広い。
つまり、校門から昇降口にもそれなりの距離があるわけで…………大袈裟かもしれないが、怪我一つ負わずにクラスまでたどり着けたら運がいい。
それほど僕の運は最低なんだ。
刺青野郎との遭遇、野良犬の猛攻と肉体的にも精神的にも相当な負荷がかかっていた僕は、げんなりしながら校庭を横断していった。
数分後、やっと昇降口まで辿りつく。
幸いにして、二年四組の教室は、二階の一番手前だから、ここまでくれば後は階段を上るだけだ。
「おはよう」
教室のドアを開けて、目についた友人達と挨拶を交わしていく。
自分の席に向かおうとした所で、窓際で女子に囲まれている男子が目に入った。
清藤 海斗。
この学園きってのモテ男で、勉強、スポーツ、容姿、ともにトップクラス。そして有名な大企業の御曹司ときた。この学園でアイツに勝てる奴なんて存在しないだろうな。
「でさぁ~、親父がまた新商品を開発したんだけどそれがまた酷くて……って桜木!おーす!」
周りにたかる女子を押し退けながら僕の方へと近づいてくる。しまった……目が合ってしまった。
清藤はご覧のスペックの通り友人が多い。
だが、彼曰くこの学園での親友は、ただ一人……僕しかいないそうだ。
何故そうなったか経緯を詳しく説明すると長くなって面倒だから省略する。
清藤は極度のオカルト好きで、そっちの話題について語れるのが僕だけだったからだ。僕もオカルトには多少興味があって、よくインターネットで調べていたものだ。
だけど、コイツは話が長い……会話をすると延々とオカルト話を聞かされるハメになってしまう。
そもそもコイツの脳内には、オカルト以外の話題ってもんが存在しないのか?
「ん?な、なんだよその険しい目ツキは?」
「お前って結構メンドクサイよな……」
「えぇ!?俺お前に嫌われるようなことしたか!?」
「心当たりがあるんならそれで合ってるよ」
「もしかして……この前お前が楽しみにしていた団子をコッソリ食っちまった件か?」
「それは違……ってやはり貴様の仕業かぁ!」
ちゃっかり白状しやがった!
コイツ……!僕がどれだけあれを楽しみにしてたか……!この罪は万死に値するぞ…………!
なんだってコイツは僕を怒らせるのがこうも上手いのだろうか。
「んなことよりもさぁ……」
「オカルト関連は止めてくれよ」
清藤が言い終える前に断っておく。
…………いや、そんな捨てられた子犬みたいな顔されてもなぁ…………。
「分かった分かった……聞いてやるから泣くなよ」
「さっすがは桜木!」
自分の席に座り、清藤も前の席に、向きをこちらに向けて座る。
「んで、早速なんだが……桜木、お前昨日のニュース見たか?」
「もしかしてあれか?連続殺人事件の件」
「話が早くて助かる!」
最近、話題になっている連続殺人事件。犯人の特徴的なことは分かってはいないが、犯罪傾向としては10代後半の女性が狙われている。
そう、ちょうど僕達と同じくらいの年齢だ。
被害者の遺体は皆、口が裂け、まるで笑っているかのような表情だという。
「それで?お前のくだらないオカルト話と、そのニュースにはどんな関連性が?」
「それがだな…………これを見てくれ」
そう言って清藤が机に広げたのはある雑誌だ。それも都市伝説の。
清藤が広いたページにはどこかで聞いたことのある都市伝説の記事が載せらていた。誰でも一度は耳にするであろう有名な都市伝説の一つ。
――――口裂け女。
女性で口元まで覆い隠すようなマスクをしており、遭遇すると「ワタシ、キレイ?」と聞いてくる。
「キレイ」だと答えると「これでも!?」と言ってマスクを外し、手に刃物を持って追いかけられ、最終的には殺される。
色んな説が存在するが、大体はこんな感じだろう。
僕が小学生の頃にはよく流行ったもんだ。
ポマードなんてまじないの言葉も覚えようとしてたっけな。
「で……口裂け女がどうかしたか?」
たぶん、清藤は被害者達の遺体の状況を照らし合わせて、口裂け女の記事を僕に振ってきたのだと思う。
けど、表情を見る限りそれだけではなさそうだ。
「昔の俺なら、きっとこれは口裂け女の仕業だ!なんて豪語してただろうな。だけど、この被害者達の裂けた傷は、もしかしたら口裂け女の仕業だと思わせるための偽装工作なんじゃ……?て思ったわけよ」
「なるほど。清藤なりには考えた方なんじゃないか」
へへんと言って胸を張る清藤だが、その推理には少し疑問点がある。
もし仮にこれが犯人の偽装工作によるものなら、犯人はどうして女性にのみターゲットを絞ったんだ……?まだ女性だけなら偶然だと思えるが、被害者の年齢は全て同じ。
……どうも納得が行かない。
ただの偶然だと思うのは少し難しい。
「ま、結論を言うとあまり夜は外を出歩かないってことだなー」
「そうだな…………」
かったるそうに椅子にもたれながら結論を下す清藤に対し、僕はこの事件から一抹の不安を感じていた。
◇
学校が終わり、清藤に別れも告げずに帰宅した。
僕がここまで急いで帰宅するには大きな理由がある。
幸い学園から自宅まではさほど距離がないため、走れば数十分ほどで家に着くことが出来る。
速く……速く帰らないと。
それなりに体力が自信のある僕は、さらに走る速度を加速させる。
いつものように正門を抜け、鉄製の階段を上り、二階一番奥の部屋を目指す。
あまり綺麗なアパートではないせいか、二階はほぼ空き部屋になっていた。
空き部屋玄関を全て素通りすると、いよいよ自宅の玄関が見えてくる。
「ただいま!」
加速したまま扉を開けたせいか、勢いがついて転んでしまう。
「いってぇ…………」
そのせいで床にぶつけた額を擦りながら顔を上げると、一人の少女がエプロン姿で立っていた。
「お帰りなさい。兄さんっ」
短く、ほどよく伸ばした黒髪にまだ幼い顔立ち。
これが僕の急いで帰宅する理由――妹こと桜木 花音を安心させるためだった。
「兄さんって、いつも帰宅時って疲れてますね」
ニコッとはにかむ笑顔が眩しい。
この表情に価値をつけるのなら、100万ドルの夜景を越える笑顔――だ。
そして何よりエプロン姿という時点でキュン死してしまう。主に僕が。
「兄さん、カレーが出来てるので冷めない内に召し上がって下さい」
まだ小学生だというのに、料理も作ることができる。自慢の妹だ。
靴を脱いでそろえ、リビングのテーブルに向かう。
テーブルにはすでにカレーが置かれ、椅子に座りスプーンを手に持つ。
花音も僕と同じように座り、「いただきます」と言ってカレーを食べ始める。
いつ食べても花音の作る料理は最高だ。
朝食や夕飯は全て花音が作ってくれている。
僕達には親の顔が分からない……いや、正しく言い換えると、思い出せないんだ。
母さんは妹の出産と同時に息を引き取った。
親父に関しては一切分かっていない…………そもそも親父は、僕がこの世に生を受けたときに存在していたのだろうか。そんな疑問に苛まされてる。
どうして思い出せないのか…………いつもいつも考える。だけど、不鮮明かながらも記憶がある。
花音は……母さんに良く似てる。
だから僕は妹を溺愛しているのかもしれない……。
孤児院で12年間過ごした僕達は、生活の保護を受けながらも二人で生活することに決めた。
院長は反対をしたものの、それを押し通すくらいの意志が僕らにはあった……。
そして今の生活がある。
「どうしたの兄さん……?食べないの?」
手が止まっている僕を不思議そうに見つめる花音。
まただ……もうこんなことは考えないようにしていたのに。
「もしかして……お口に合いませんでしたか? 」
その瞳の色は次第に不安へと変わっていく。
「そんなことないよ!すごくおいしい!」
せっせとカレーを口に運ぶ。
もう彼女には心配をかけないようにしないと。
母さんの顔が思い出せなくても、父さんがいなくても僕には花音がいる。花音がいるだけで、僕は幸せなんだから。
「ごちそうさまです」
先に食べ終えた花音は、台所へと食器を持っていく。
僕も早く食べようと手を動かす。
僕も完食し、食器を台所へと持っていくと何やら花音が冷蔵庫の前で難しい顔をしている。
「どうした花音?」
「いえ、明日の朝食に使うお肉が足りなくて……ちょっと買ってきますね」
「いやいや、僕が行ってくるよ」
家を出ようとする花音の進路を塞いで、掛けてある自分の上着を掴む。
「そ、そんな!悪いです!」
「最近何かと物騒なんだからさ、花音は留守番しててよ。ね?」
「分かりました……気をつけて下さいよ?」
しぶしぶ承諾してくれた花音は、台所で食器を洗い始める。
僕は財布を手に取り、一番近くのスーパーへと向かうべく家を出た。
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肉を購入し、スーパーから家に歩いて帰宅する。
家からスーパーまでの距離は歩いて数分。
しばらく歩いていると、見覚えのある場所へとたどり着いた。テレビでも見たが、実際に来てみるとやっぱり片付けてあるよな。
僕が今いる場所は、学校でも話していた連続殺人事件、最初の被害者の殺害現場だ。
ここに二度来たことがあるが、初めは警察やら野次馬やらで騒がしかった記憶がある。ここにいた野次馬も時間が経つにつれて、事件のことも、被害者のことも忘れてしまうんだろうな……。
そう考えると何故だか涙がこぼれる。
それは決して僕が優しい人間だからじゃない。僕が死んでしまったら、花音も僕の事を忘れてしまうんじゃないかって……怖れているからだ。
所詮、僕は自分のことしか考えられないような人間なんだろうな。
さっさと帰って、花音の笑顔でも見て落ち着こう。
「あのぉ…………」
不意に声をかけられ、とっさに身構える――が、声の主が見当たらない。辺りを見渡してみるが、人の気配すら感じられない。
どこだ?一体どこに隠れてる?
警戒体制をとっていると、また声が聞こえた。
「こ、ここです…………」
次ははっきりと分かった。声の主は、僕の真上に浮いていた……。
「…………!?」
そいつは正座するようにふわふと浮いている。
浮いている時点で十分おかしいが、そいつの容姿は特に異様だ。
もう春頃だというのに真っ黒な闇をイメージさせるコートに、服の色とは対照的な金色の瞳。
そして血を浴びたかのような赤に黒がかった髪。
「お前……誰だよ……?」
僕の目の前に降りてくる。
中性的な顔つきだが、見たところ性別は女みたいだ。
「わ、私は……し、死神です……」
死神――少女の口からはそんな言葉が出てきた。
普通ならこんなこと信じるバカは清藤を除いてどこにもいないだろう。しかし、状況が状況だ。
つい先程まで浮いていたこいつが死神じゃないとは言い切れない。
「死神だからなんだよ…………?」
「それは……!た、大変言いづらいのですが……!」
僕が質問を投げかけると、手をもじもじさせながら俯き始めた。顔を見てみると、少しばかり……というかすごく赤い。
僕は彼女の意図が分からず、首を傾げる。
すると彼女は途端に俯いていた顔を上げ、何かを決心するように口を開く。
「私と正義の味方――しませんか?」
「…………へ?」
僕は呆気にとられた。
別に彼女の言っている事がおかしいからではない。
死神から放たれた言葉があまりにも似合わなかったからだ。死神には正義なんて概念があったのか。
理由はどうあれ、彼女は顔を俯かせ僕の答えを待っている。
ここはなんて答えるべきなのだろうか?
僕と一緒に悪と闘おう!などと言って手を取ればいいのか?
それとも、下らないなと言って突き放すか?
そもそも……何と戦えばいいんだ?僕のメリットは?
「どうして?どうして、正義の味方なんかになりたいんだ?」
「だってだって!カッコいいじゃないですか!」
息が荒く、興奮した様子で僕に詰め寄ってくる。
理由が適当すぎるぞこの死神…………!
「う……あ…………ごめんなさい……」
申し訳なさそうに引き下がる。
「ダメ……でしょうか?」
上目遣いで僕の顔を見てくる。
「ごめん……僕はそう言うのには興味がないんだ。他を当たってくれ」
僕は彼女を素っ気なく突き放し、自宅の方向へと歩き始める。
「あ…………」
僕の答えを予想していたのかさほど驚い様子ではなかった。
何故僕がこんな答えを出したのか?それは自分自身ですら分からなかった……。
少なくとも分かることは、今目の前にいる死神が、昔見たことがあるような……ヒーローに憧れていた、誰かの瞳によく似ていた事だ。
僕は死神と名乗る彼女の方を見向きもせず、ただ歩いた。