8話
「何だ?」
「今、から……手術、するんだよね……?」
「あぁそうだ」
こんな時こそ私がしっかりしなければ。紗也佳からどう見えるか、どう聞こえるか分からないが、出来るだけ力強く私は答える。
「この、手術ね……。成功……するかな……?」
「……っ」
鼓動が早まる。けれど、それを出すな。顔に出すな。微塵も出しちゃいけない。言うんだ。問題ないって。絶対成功するんだって。
「そんなことか。大丈夫だぞ。この手術は絶対……」
私がそこまで口にした時、紗也佳の異変に気付いた。苦しそうにしているのは変わらないが、この時初めて、目に涙を溜めていたのだ。
「お父……さん。もう、本当のこと……言って……お願い」
「紗也佳……」
「何となくだけど、分かるよ……。先生の、顔とか……、今の、お父さん見てたら……」
娘が涙を浮かべながらお願いをしている。十分だった。私にとって、それだけでもう話そうと思えた。今まで気遣って、訊いて来なかった紗也佳がお願いしているんだから。そう思ってしまった。
もともとそんなに成功率が高いわけじゃないこと。そして今、急な発作で緊急の手術だ。不安定な状態でどこまで手術に耐えられるかということを、私は話した。
「お父さん……。ようやく、自分のことが、知れた気がする……」
「で、でもな、お父さんは信じてる。この手術は絶対成功する。病気も絶対、お父さんが治してやるっ。だから、だからな……」
話したことに後悔がなかったわけじゃない。それでも、紗也佳には生きる希望を持ってほしかった。諦めてほしくなかった。だから私は……。
紗也佳が笑っていた。痛いだろうに。苦しいだろうに。辛いだろうに。それでも必死に耐えながら、僅かに笑おうとしていた。
「何……で……」
「ありがとう……お父さん」
その時、私の目にはあの頃が思い起こされた。母親である香奈枝と同じだ。無理に笑った顔も、ありがとうと言った言葉も全く同じだった。紗也佳の向こうで、あの頃の香奈枝が見えた気がした。
そしてさらにその向こう、私から香奈枝を奪った髑髏の死神が、再び姿を現した。寒気がした。胸に大きな穴が空く予感がした。たまらなく怖くなった。
「くそっ、何で、お礼なんか言うんだ。こんな時に……」
「こんな時、だもん……。言えないかも、しれないなら……、今、言っとく……」
「止めろ。言うな。後で聞く。後でしっかり聞くから。今は、生きることだけ考えてくれればいいからっ」
「諦め……た、わけじゃ、ないよ……。今、言いたい、だけだから……。もっと色々、お父さんと……してみたいことあるから。お父さんと……動物園とか、遊園地とか……行ってみたい……」
「あぁ、心配するな。何度でも連れてってやる。好きなだけ連れてってやる。これから、いくらでも行けるんだから」
「げほっ……、ごほっこほっ……」
紗也佳の咳が激しくなる。先生はまだなのか。私はもう、名前を呼び続けるしか出来なかった。
「ごめん、ごめんな。紗也佳。お父さんがもっとしっかりしてたら……、こんな、病気くらいすぐに……」
「ううん……、私……嬉しかった……。毎日、仕事頑張って、会いに来てくれて……。私の我儘も、怒らずに、聞いてくれて……だから、だからね……」
「あぁ……」
「お父さん……。私ね……。お父さんが、……お父さんで良かった……。……ありがとう……」
「……ぅ、ぅあ、あぁ、ああぁああ……!?」
その後すぐに先生がやってきた。ようやく手術の準備が出来たらしい。紗也佳の乗ったベッドが、手術室の向こうへと運ばれていく。私は、それを見ることしか出来ない。まるで紗也佳が二度と会えないところまで連れていかれるようなのに、もう何も出来ない。ただただ祈るだけだ。手術室の前にある腰掛けに座って、私は再び泣き崩れた。
紗也佳……。紗也佳……。頼む。もう連れていかないでくれ。私を、一人にしないでくれ。
香奈枝。あの娘を護ってくれ。頼む。
長い長い手術の間、私は微動だにせず、ひたすら待ち続けた。