対峙
「お、親父……」
それは父の姿だった。俺を追い回し、殺そうとしていたのは、父だったのだ。
「な、なんでこんなことを……」
なんの冗談かと思った。だが、父の顔はまるで笑ってなどいなかった。
父は俺に向かって言った。今まで心に溜めていたものを全て吐き出すように。その声は、憎悪の感情で満ち溢れていた。
「ずっと、お前のことをどうにかしたかったんだよ。医者の息子だってのに、誰に似たのか冴えないガキのお前をな!」
父の言葉は俺にそのまま突き刺さった。確かに父の期待には沿えることができなかったのは分かっていたが、ここまでの恨みのような感情を抱かれているなど、全く知らなかった。
「出来の悪い息子をもって、最悪だよ本当に。挙句、医者にはならないだなんて。親不孝もいいところだ。だから決めたのさ。始末してやろうって。息子がこんなんで、教育もまともにできない人間に、担当になってほしくないと思う人間も少なくないんだ。それにお前を殺せば、俺に同情でもしてくれるだろうしな。お前でも最期には俺の役に立てるってわけだ。よかったなあ?」
父は顔を歪ませて、醜い笑顔を見せつけた。
「お前、駅で階段から落ちたろ? あれ、俺がやったんだわ。死ななかったのは運が悪かったが、突き落した犯人が俺だってことに気づいてなくて助かったよ。バカな息子で良かったと、この時ばかりは思ったよ。しかしまあ、うちの病院に運ばれてくるんだからな。本当にラッキーだよ。これで確実に殺れる」
頭から流れている血で、思考がままならない。父の言葉もほとんど頭に入ってこなかったが、言いたいことは理解できた。
父の優しい笑顔の仮面の下に、こんなにも冷徹な顔があったということが、信じられない。恐ろしい考えが、脳裏を掠める。
「じゃあ……、まさか、一昨日の夜に俺の所に来たのって……」
「そう……。お前を殺しに行ったんだよ。だが、運悪くお前が起きていたから、断念せざるを得なかった。あそこで騒がれたら、俺が疑われるからな。今日こそはと思ったが、まったくお前という奴は、静かに寝ることも出来ないのか?」
背筋がゾッとした。あのやりとりの裏に、確かな殺意が存在していたことに。
「こ、こんなところで俺を殺したら、調べられてすぐにあんたが犯人だとわかるはずだ。そんなの、あんたの得にならないだろう?」
俺は必死で、貧しい語彙力ながらも、一言一言言葉を選んで説得した。しかし、父は呆れ果てたように言った。
「バカが。いいか、ここは病院だ。俺みたいな体裁を気にする人間が働く場所なんだよ。こんなところで殺人なんかあったら、病院にとって損しかないだろ? 揉み消すにきまってるじゃないか。人殺しが医者なんかやってた病院なんていう話になるより、噂話の霊のせい――もとい、不慮の事故で死んだってほうがいいだろ? ……それに、ばれないように、しっかり後始末してやるしな」
「もしかして、一連の幽霊話は……」
「ああ、俺の仕組んだ話さ。幽霊話自体は元々この病院にあったが、お前がここに入院すると分かって、それっぽくするために何人か患者を殺して、噂をあのお喋り好きのババアにそれとなく教えてやったんだよ。今や医師の中でも幽霊の仕業だと信じてる奴もいるくらいだからな」
俺は愕然とした。東を殺したのも尊敬する父の所業だったのだ。今まで信じていたはずの人間が、俺のことをそんな風に思っていたなんて、気持ちが追い付いていかない。脳が混乱していく。この人は本当にあの父なのか。それさえもわからなくなっていった。
「それにさあ……、気づいたんだよ。患者の悶え苦しみ死ににゆく顔を見るのが、これまで味わってきたどんなことよりも楽しいことに。おかげで、つい余計に殺しちまったよ」
およそ医師に似つかわしくない言葉だった。毒々しい邪気をはらんだ父の言葉。もしかしたら今の父は黒い影の死神に乗っ取られているのではないかとさえ思えた。
父は、唖然としている俺の首根っこを掴み、躊躇いもなく階段から突き落した。踊り場へ転げ落ちた俺は、遠ざかっていく意識の中、階上を見上げた。ぼんやりと滲んだ視界。一週間前、駅の階段から落ちた時の景色と重なった。野次馬の中に紛れた父が、蔑んだような目で見下ろしている。
父が、一歩一歩階段を降りて、近づいてくる。その手に、何かが握られていた。輪郭がハッキリしていないが、恐らくハンマーだろう。俺のそばに来た父は、それを振り上げた。