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病院の噂話  作者: 東堂柳
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予兆

 足の骨折で入院して以降、ここの病院の嫌な噂話ばかりが、耳に入ってくる。

 消灯時間に突然ストレッチャーの音や慌ただしい看護師の声がして外へ出てみたが、そこには誰もいなかったとか、午前二時に廊下に出ていると、黒い影に憑きまとわれて、捕まると死ぬとか。どれもこれも、よくある病院の怪談話。正直、そういう話は飽き飽きしていた。


 まあ、病院の中なんて、こういう事くらいしか話のタネがないんだろうが。早く足を治して、こんな場所からさっさと出ていきたい。


 今はそればかりを考えていた。



 トイレから病室に戻る途中、談話室を通りかかると、中から中年女性の少ししゃがれた声が聞こえてきた。廊下全体に響き渡るような勢いの大声で、遠慮もせずにベラベラと喋っている。嫌でも聞こえてくるのは、同じ病室の患者の噂話のようだった。

「そうなのよ! 私の隣の近藤さん! この間、急に容態が悪くなって、お亡くなりになってね。私見たのよ、その前日の夜に、近藤さんに近づく影を! あれ絶対にこの病院にいるっていう、幽霊だね。近藤さんのことは残念だけど、正直私じゃなくてよかったわ!」

 この粗野な態度。よくもまあそんなことを大声で言えるもんだと、ここまで来ると、逆に感心さえすることができる。俺はその不愉快に鼓膜を揺さぶる声から逃げるように、急いで病室に戻った。

 しかし、病室に戻っても、何もすることなどない。同年代の入院患者が少なく、話し相手もいないし、この足では運動することもできない。退屈な毎日。

 そもそもこんなことになったのは、一週間程前に駅で不注意から人にぶつかり、階段から落ちてしまったせいだ。それでも足を骨折しただけで済んだというのは、不幸中の幸いだった。医師に言わせれば、下手をすれば死んでいてもおかしくなかったらしい。しかし、どうしても思ってしまう。

 あの時、しっかり周りに気を配っていたら、今頃は大学でサークルの仲間と飲んで騒いだり遊んだりできたろうに。河原のバーベキューが病床のヘルシー料理に早変わり。せっかくの夏休みが台無しだ。



 ぼうっとベッドの上で横になっていたら、そのまま眠りに就いてしまったようだ。目が覚めると、消灯時間が過ぎてしまったのか、辺りは既に真っ暗だった。完全に頭が冴えてしまったせいで、再び寝ようと目を瞑っても全く眠気が来ない。寝返りばかりをうっていると、遠くのほうから足音が聞こえてきた。


 カツーン。カツーン。


 廊下から響いてくる冷たい音は、一定のリズムを刻みながら、徐々に大きくなる。近づいてきているのだ。他の音が一切聞こえてこない静かな病室では、その足音はまるで耳のそばで鳴っているように聞こえる。音が大きくなるたびに、心臓が強く波打つ。足音は、この病室の前で止まった。それと同時に、ドアが開く音。あまり音をたてないように、慎重に開けているようだ。足音が再び聞こえだし、より一層大きな音でこちらに近づいてくる。


 誰だ……? 看護師か? 


 しかし、俺のベッドのカーテンのそばで足音が止まっても、何も声をかけてこない。何か、嫌な予感がする。


 まさか……。


「誰だ?」


 俺のほうから声をかけると、カーテンが開いて懐中電灯の光が差し込んだ。暗さに慣れていたために目がくらみ、痛みを感じて小さな呻き声を上げた。その光源の奥に黒い影が立っている。


「まだ起きてたのか?」


 影が話しかけてくる。よく知っている声だ。


「なんだ……、父さんか。驚かさないでくれよ。何しに来たの?」


 黒い影の正体は俺の父親――真田國春だったのだ。父はここで内科の医師として働いている。

 一瞬、幽霊かもしれないと思った自分を恥じた。そういう類の話はあまり信じないほうなのだが、この病院で様々な幽霊話を耳にするうち、心のどこかにそれを真に受けてしまっている俺がいるのかもしれない。

 父は小声で言った。


「今日は俺が宿直だからな。見回りで丁度ここを通りかかったから、せっかくなんで様子を見に来ただけだよ」


「そういうことね」


「まだ見回りしないといけないから、俺はもう行くけど、早く寝ろよ」


「わーってるよ」


 寝付けなくて困っているのだが、一応そう答えておく。父は頷いて、カーテンを閉めて病室を後にした。


 父は俺がまだ幼いうちに他界した母の代わりに、俺を男手ひとつでここまで育ててくれた。父は俺のことを医者にしたいと思っていたようで、幼いころから家庭教師をつけて勉強をさせられたが、俺は父とは違って勉強は苦手だった。結局俺は、小中高と普通の公立の学校に進んだ。父のことは尊敬していたし、その期待に応えたいとも思っていたが、自分の学力では医学部は無理だと分かっていた。だから、進路を俺の学力にあった二流大学の文系に決めたとき、幻滅されるだろうと思ったので父に話すのが嫌だった。

 しかし予想に反して、それを聞いた父は、一瞬困ったような顔こそしたものの、すんなりと承諾してくれた。


「自分の人生だ。自分で決めるのが当然だ。医者の子供だからって、医者になろうとする必要はない」


 そう言ってくれたことが嬉しかった。全身にのしかかっていた重圧が、この言葉で軽くなった気がしたのだ。そういうこともあって、俺は父のことをより尊敬するようになった。


 俺は再び寝ようと努めたが、急に喉が渇いて余計に目が覚めて仕方がなくなってしまった。我慢ができず、俺は自動販売機に向かった。昼間に通りかかった、談話室のそばだ。暗い病院の廊下に松葉杖の音と、靴の擦れる音が響く。自動販売機の明かりやブーンというファンの音が妙に安心感を与えてくれる。殆どの機能が止まってしまった深夜の病院の中で、ここは外界の文明社会に戻ったような気分を味あわせてくれる。

 飲み物を購入して、部屋へ戻る。部屋の前まで来たとき、背後で何かが動く気配を感じた。同時に、誰かに見られているような感覚。一瞬だけ、背筋が凍った。振り返り、見てみても、廊下が続いているだけで誰もいないし、廊下には動くようなものは何もない。気のせいかと、俺はそのまま病室のベッドに横になって、手に入れたお茶を飲んだ。

 何度か水分を口に運ぶと、もうすっかり喉が潤った。しかし、瞼は全く重くなることはなく、最終的に眠りに就いたのは、日付も回った午前三時くらいだった。夢か現か、俺は微かにストレッチャーの音と看護師の声を聞いたような気がした。

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