真っ白な夜空
あるところに名もない少年がおりました。
髪はくすんだ茶色、瞳は夜空のような黒色でしたが、その肌の色は青白く、身にまとう服はぼろぼろで、周りの人びとは彼のことを化け物といって忌み嫌いました。
少年の住んでいた村は神さまへのいけにえを捧げるという慣わしがあり、それを守らなかったときは、ときどき化け物のこどもが人にまぎれて生まれてくると言い伝えられていたからです。
貧しく、両親を早くから失くしていた少年に村の人々は冷たく、少年の身体は日に日に不健康になり、色を失って行きました。
少年が近くの川原を真っ暗な夜にとぼとぼと歩いていたときのことです。とつぜん少年の目の前が真っ白になり、自分の身体がふわりと地面から浮きあがりました。
なにごとかと少年があたりを見回すと、少年は寝そべっており、辺り一面は真っ白ななにかが敷き詰められておりました。
その白いなにかは、少年の身体の上にもほろり、ほろりと降り落ちてきます。それは冷たくも温かくもなく、わたのようにふわふわとしていて、泥のようにぺちゃぺちゃとしていて、なんともつかみどころのない感触をしていました。
少年が不思議そうにそれを触ったり、眺めたりしていると、ふと、目の前にひとりの少女が現れました。
髪は真っ白で、まとっている服も真っ白な浴衣です。しかし、足にはなにも身につけていませんでした。その代わりに、地面の白さに負けないくらい白い少女の足がのぞいています。
少年がここはどこかと尋ねると、少女は鈴を転がすような声でくすりと笑いました。
「ここはなにもないところ。なにもなくなるところさ」
少女の美しい声に思わず少年は聞き惚れてしまいました。そんな呆けている少年の手を取って少女は真っ白な景色の中を歩き始めました。
「わたしはシロ。よろしくね」
少女の名前を聞いて、少年はぼんやりとうなづきました。なんて素敵な名前だろう、と少女の姿を見ながら思いました。
しばらく歩くと、空から降ってきていた白いなにかが降りやんでいました。その代わり、空には薄い桃色の空が広がっていました。
さらに歩くと、そこかしこに木でできた家や石でできた家、煉瓦でできた家、氷でできた家など、様々な家が見えてきました。
よく見ると少ないながらも人が歩いていました。その人々はそれぞれ髪や肌の色が違いました。そのことに少年は驚いて、シロに半ばつかみかかって尋ねました。シロはそんな少年をなだめるように、やさしい声音で教えてくれました。
「ここにはなにもないんだよ。だから、決まったものなんてひとつもないのさ」
少年にその言葉の意味はわかりませんでしたが、とても幸せな響きでした。
シロは少年にここで暮らすように言いました。家を建て、掃除をして、ご飯を食べるようにと言うと、シロは少年を置いてどこかに行ってしまいました。
少年は困ってしまいました。
シロが言っていたように、ここにはなにもないのです。
木も、水も、石も、土も。あるのは降りやまない白いなにかだけでした。
周りの家を少年が見てうなっていると、ひとりの青年が少年に向かって話しかけてきました。
金色の髪の青年は少年の姿を見ても少しも嫌がるそぶりを見せず、家の作り方を教えてくれました。
なんと、この家たちは真っ白ななにかからできたというのです。
信じられない、と少年が木の家を撫でていたところに青年が再び教えてくれます。この真っ白ななにかは自分が欲しいと思ったものになるのだと。
少年は驚きながらも、目をつむり自分の住むあばら屋を思い浮かべました。決して温かくはないけれど、少年にとっては家族との思い出が詰まった大切なものでした。
すると青年の言った通り、目の前に自分の思い浮かべたものと寸分違わぬオンボロな木の家が現れました。
少年はすっかり嬉しくなってしまい、ほうきとぞうきんも作り出して、さっそくあばら屋の掃除を始めました。
掃除をするたび、家はどんどん綺麗になって行きました。
家の全てを掃除し終えると、急にお腹がすきました。少年はなにかを思い浮かべようとしましたが、貧しく、ろくなものも食べていなかったせいなのか上手く行きませんでした。
そうして困っていると、こんどは肌の真っ黒な少女がこちらへ歩いてきました。
その手には茶色いパンを握っています。少女はそのパンを少年へと差し出してきました。少年がそれをおどおどしながら受け取ると、少女は花のような笑顔を浮かべました。
初めて口にしたパンはほろほろと口の中で崩れ、少年の中に香ばしい風味を残しました。
少年はほんの少しだけしょっぱさも感じることに気が付きました。それは少年の涙の味でしたが、少年は気が付きませんでした。
夜がきました。
少年はまだ少女と共にいました。
少女が名前を尋ねました。しかし、少年には名前がありません。そのことを口にすると、少女はそれはもったいない、と言ってヨゾラという名前をくれました。
少年が理由を尋ねると、瞳がこの空のようにきれいだからだと答えました。
空にはどこまで続くかわからない大きな暗闇が広がっており、その中を一つの星がひらりと輝きながら流れ落ちました。
少女は子猫のように笑って、少年に自分はホシゾラだと名乗りました。
月日は流れ、少年、ヨゾラはたくましく成長しました。
背丈は大きくなり、青白かった肌はほんのり赤く色づき、目は星空のように輝いています。
ヨゾラはホシゾラと恋に落ちました。
村人たちに祝福されながら結婚式をあげ、名残惜しく感じながらもあばら屋を引き払い、立派な煉瓦の家を建てました。
貧しい頃とは比べものにならない幸せな日々がおとずれ、ここに連れてきてくれたシロに感謝しなければ、とヨゾラは思いました。
ヨゾラとホシゾラが結婚してしばらくすると、ここに住む人々の間で妙なうわさが広まり始めました。
なんでも、『迎え鳥』という真っ白で大きな鳥が人をさらって行ってしまうというのです。
人々は不安で眠れぬ日々を過ごしました。それはヨゾラとホシゾラも例外ではなく、怯える生活は続きました。
ついには暴れ出す人まででてきてしまいました。人を殴る、蹴るの大騒ぎで、たくさんの人がけがをしてしまいました。その被害の中にはホシゾラも入っていました。
迎え鳥のうわさはどんどん広がっていきます。
迎え鳥のくる日は嵐がくる、迎え鳥のくる日に皆が死んでしまう、迎え鳥がこの世に災いを持ってくる。
人々の不安は日に日に募って行きました。
怯える人々、ホシゾラの姿を見て、ヨゾラは迎え鳥を退治することを心に決めました。
たくましく成長し、愛する人ができ、守るべき生活ができたヨゾラにとって、それは怖いことよりも、むしろ誇らしいことのように思えました。
ヨゾラは周囲に協力を頼もうとしましたが、迎え鳥に怯えきった人々はヨゾラのことを無謀だ、死にたがりだと言ってまったく相手にしませんでした。
それでも、ヨゾラはそんな反応に対して少しもめげず、根気強く周囲に聞いて回りました。しかし、結局ヨゾラに付いてくる者はひとりもいませんでした。
ホシゾラは最後までヨゾラを止めようとしていましたが、ヨゾラは心が痛みつつもその願いを断りました。
ヨゾラは弓と矢を作り、勇んで迎え鳥が住んでいるという山へ向かいました。
その道中で、ヨゾラはシロと出会いました。シロは初めてあったときとなんら変わることのない姿でヨゾラへ話しかけてきました。
「また会ったね。そんなものを持ってどこに行くんだい?」
ヨゾラは迎え鳥という皆を怯えさせる鳥を退治しに行くのだと意気揚々と言い放ちました。するとシロは小さく笑います。
「名前をもらったんだってね」
ヨゾラはひとつうなづきました。
「愛する人ができたんだってね」
ヨゾラはまたひとつうなづきました。
「ここでの生活は楽しかったかい?」
ヨゾラはひときわ大きくうなづきました。
それきり、シロは満足げな笑顔のままなにも喋らなくなってしまいました。
その代わりに、いつか見たように白いなにかが空から降り落ちてきていました。それはヨゾラの頭や、肩や、服の中にほろほろと入りこんでいきます。
それでも構わずヨゾラが進んでいくと、白いなにかはどんどん量を増し、やがて嵐のように吹き荒れて行きました。
ヨゾラが山の頂上に着いた頃には、白いなにかはヨゾラの身体中にびっしりとこびり付いていました。
頂上には大きな白く美しい鳥が一羽、丸くうずまってヨゾラの方を見ていました。
その瞳は夜のように暗く、いつかの夜空を思い起こさせました。
鳥の目にある夜空はヨゾラを慈しむように見つめています。
思わず固まってしまったヨゾラですが、はっと我に返ると、弓を構え、矢をつがえ、弦を引き絞ります。
迎え鳥の頭に狙いを合わせて弦を離すと、矢は吸いこまれるように鳥の目に突き刺さりました。
すると、鳥は叫び声などはなにひとつあげることはありませんでしたが、その身体はどろりと泥のように溶け、ヨゾラを呑み込んでしまいました。
ヨゾラが溺れまいともがいていると、不思議なことに、シロの声が頭の中に聞こえてきました。
「君は不幸を知っていた。ここで愛を知って、勇気を知って、幸せを知った。君はたくさん頑張った。きっと次も頑張れるね」
その声を合図にしたかのように、身体にまとわりついていた白いなにかに、溶けた迎え鳥にヨゾラの身体が溶けだしていきます。
そして、少年は思い出しました。
自分はあのとき、川に落ちて溺れ死んでしまったということ。そのときに今までに見たことのない素敵な夜空が広がっていたことを。
ここは死んだ後の世界なのだと、少年はようやく思い出すことができました。
少年は完全に溶けてなくなり、最後に一羽真っ白な鳥が残りました。
その鳥は美しく羽ばたくと、薄い桃色の空に飛び去っていきます。
その姿を真っ白な人影がひとつだけ、見送っておりました。
どこまでもどこまでも、空の彼方に鳥が消えるそのときまで。
やがて、ひとりの赤ん坊がどこかの家に生まれました。
その瞳は、夜空のような美しい黒色だったそうな。
どうも、桜谷です。
今回、初の童話ということでしたが、どうにも上手くいかないものですね。
内容、いかがだったでしょうか。
テーマは私の考える死後の世界というものでした。
人への愛と、乗り越えるだけの強さを与えてくれるところなのではないかと。私の個人的な妄想ではございますが。
来世へ向けての山籠もりと言ったところですかね。バッドエンドには解決のヒントってモノがやはり欲しいところですしね。
気になる点、感想などありましたらお待ちしております。