0(1)件目 少年にとっては事件だった:2
安芸津は決心すると華麗にターンし、目的の道に出るルートから外れて、逆方向に走り出した。正規ルートは時間を食う。危険を冒してでも、非正規ルートを通る!
全ては禁書と全財産のために。
走り進めると、右手に雑木林が見えた。小さなものだが、人は滅多に入らない。すると安芸津は、迷いなくその雑木林に突っ込んでいった。バキバキと枝を鳴らしながら、明らかに人以外が使用している道を走る。
獣道だ。いっただろ、道という道はすべて把握していると。
この林は桜通りとさっき走っていた道を両脇においている。たった数十メートル進めば___街灯が見えた。見覚えがある。桜をかたどった彫刻の中に、キレそうな電球がともっている。桜通りだ!ほとんど子供のようなテンションで雑木林を脱出。ふ、と空中に数秒浮かぶと、衝撃を受けないように上手く後輪だけで着地。一応ポーズを決めて、二つの出口を確認した瞬間、手前の出口から人影が出てきた。灯にさらされると、黒づくめのひったくり犯は安芸津を目に入れて驚き慌てふためいた。思わずにやりと口角を上げた安芸津は、そのまま右のペダルに重心をかけ___
「く、来るなあっ!」
「っ!」
安芸津は人物が取り出したものに一瞬怯む。懐から取り出したギラリと光る代物。刃渡り十センチほどのナイフだった。・・・無理があると思った。生身の人間と自転車じゃ、競り合うことが無意味だ。このまま突撃すればナイフが掠れる前にバーンでチーンだ、向こうが。続行して重心をかけると、滑らかに自転車が下りだす。相手はザックを放り出し、走り出した。途中でザックをなんなく拾って、それでも安芸津は追いかけ続ける。
その距離三十メートル、二十メートル、___
あと少しのところで思わぬことが起きた。
奥の道から、見知らぬ少女がのうのうと出てきたのだ。それはこちらに向くと、一瞬硬直し、事態を飲み込んだのか一歩後ずさりした。当たり前だ、十センチほどとはいえナイフを手にした黒づくめの男が必死の形相で自分に向かってくるのだから。
「危ねえ、よけろ!」
声はしんと静まった通りによく響いた。しかし遅い。その時にはふたつの影は重なっていて___
「・・・っ」
安芸津は次の惨劇に思わず目を閉じた。闇を切り裂く絶叫が響くと思った。
「・・・は」
しかし、そうはならなかった。
なにかが折れる音と硬いものがぶつかる音。詳細を言えば、少女があっさりとナイフをよけると、腹に一発拳を投入、そして華麗に回し蹴り。観客がいないのがもったいないくらい鮮やかな流れだった。
後は残響と、吹っ飛ばされて動かないひったくり犯に__花に霞む少女。まだ桜は散っておらず、風に乱れる余裕はあったのだ。思わず見とれた事に安芸津は驚いた。現在進行形で自転車は動いていることにも驚いた
「ってうおおおおお⁉」
時すでに遅し。体勢を立て直そうにも間に合わず、公共施設(市立図書館)の壁に正面激突。ちなみに少女は綺麗によけました。見るも無残な安芸津を傍目に、少女は夜空を見上げた。空中には、突撃したショックで破けたザックの底から飛び出した白いものが、桜と一緒に舞っている。少女はそれを左の手を伸ばしてつかみ取った。
安芸津はしばらく放心状態だった。「あー」とも「うあー」ともとれる声を上げると、痛む体にムチ打ち、ゆっくりと上半身を起こした。目の前には、背を向けた少女。黒髪をなびかせ、何かを手にしている。
それは、安芸津が最も疎み、そして命を懸けて死守しようとした禁書そのものだった。
「・・・哀れですね」
言葉と同じ意味を含む表情を安芸津に向けた少女は、何に対してそういったのであろうか。
今の安芸津か。
禁書の内容か。
それとも、これからのことを示唆しているのか。
どれにせよ、対象が安芸津だということには変わりはない。
ふう・・・長い。纏まらない。進まない。