真っ赤なあやつ
突然だが、赤、と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
ケチャップ? 血? クリスマスにやってくるおっさん? ルビー?
俺が真っ先に思い浮かべるのは、あの口に出すのも恐ろしい真っ赤な悪魔の実だ。血の如き真っ赤な丸いフォルム、申し訳程度についている緑のへた。実をかじるとくちゅっとした何とも言えない食感と共にあまずっぱいというが失礼ながら俺から言わせてもらえば生臭いというかなんというかな風味が口いっぱいに広がり……思い浮かべただけでも怖気が走る。
もはや、赤と聞いただけで条件反射的に寒気が走る。
そんな、控えめに言っても大嫌いなあやつなんだが、ここまで語るのには理由がある。それは……。
目の前にある、可愛らしい弁当箱の中に入った小さいあやつだ。
この弁当箱を渡してくれたのは、クラスでも人気があり、俺も密かに好意を抱いていた竹内真里菜さんだ。目の前で天使のようににこにこと微笑んでいる。わずかに茶色がかった髪をショートカットに切り揃えている。ぱっちりと大きい目は猫ような印象を与えるが、全体的に整っている。150㎝ちょいの小柄ながらそこそこに女の子らしい体つきで、少女らしい可憐さと女らしい色気が混在した美少女だ(絶賛)
そんな彼女がなぜ弁当を作ってきてくれたかというと、彼女の母親と俺の母親が仲良しだったらしく、一昨日から親が突然の海外旅行に出かけた際に面倒を見てくれと頼んだそうなのだ。ちなみに、俺と竹内さんの仲は普通のクラスメイト程度だ。
そういうわけで、俺の世話を買って出てくれた竹内さんは、なんと昼ごはんに弁当を作ってきてくれたのだ。クラスメイトからの視線はかなり痛かったが、俺はうれしさでそれどころではなかった。
彼女がくれたのはかわいらしいウサギがイラストされた小さい二段重ねの弁当箱だ。少し足らないかもしれないが、可愛くてしかも好きな女の子が弁当を作ってくれたというのが大事なのだ。
そうしてありがたくいただこうと弁当を開けた瞬間。目に入った光景は。
赤い。真っ赤だ。二段重ねの弁当箱、その上段。それを、すべてあのにっくき赤い奴が埋め尽くしている。血の如き鮮烈な赤だ。毒々しいほどに真っ赤だ。
「え、えっと……これは……!?」
「あのね、私料理があんまり得意じゃないの。だから、私の大好きなトマトをいれてみたの!」
そ、そういう方向ね……。あ、うん、とりあえずこの上段はおいておいて、下を見よう。さすがに下は……トマトだ。
「あの、ね。ご飯……炊き忘れちゃって……。それで、そっちも……」
おお、神よ。何たる試練を我にお与えなさったのですか。かように目にうっすら涙すらためて不安げにこちらを見る彼女に対し、私に残された選択肢など、この赤い悪魔の実を食べることしか残されてはいないではありませんか。
「あの……ごめんね。面倒見るなんて言ったくせに、こんな弁当で……。こんなのたべたくないよね……」
「いや、そんなことはないよ! 竹内さんがせっかく持ってきてくれたんだから、食べるよ!」
「ほんとに?」
「ほんとほんと! 弁当作ってきてくれてありがとうね!」
広人よ、ここは男を見せるところだ。
いかな悪魔の赤い果実とはいえ、飲み込んでしまえば味も食感もわかるまい。ふはは、吾輩の完全勝利だ。ここに至っては、よくかんで食べなさいなどの教えは無視だ。
「それじゃ、よく噛んで召し上がれ!」
なん……だと!? さらに道がふさがれた!? よくかんで味わうとか、それはどんな拷問だ!?
あやつが好きな人にとってはここまでなぜあやつを嫌うのかわからないかもしれない。だが、俺には理由があるんだ。汚い話だが、幼稚園のころにトマトを無理やり食わされて吐いた。そして、それがもとでいじめられた。まとめると単純な話だが、幼かった俺の心をえぐるには十分な事件だった。
そしてそれはそのままトラウマに昇華され、今では名前を出すのもはばかられるほどに嫌いになったのだ。飲み込むのも辛いのに、ましてや噛んでよく味わうことなどできようか。いや、できまい。
だがしかし、この目の前で微笑む天使び期待を裏切ることがどうしてできようか。なんという二律背反。なんという板挟み。
「やっぱり、こんなトマトばっかりじゃ食べたくないよね……。ごめんね」
「そんなことないよ! 食べる! 食べるよ!」
さぁどうする広人よ。たしかにこれを丸呑みして食べてしまうのはたや……すくはないがまぁ不可能ではない。だがしかし。いかにあやつを詰めただけの弁当とはいえ、これはあの竹内さんの作ってくれた弁当。味わって食べるのがそれ相応の礼儀というものではないか……?
目の前にある、ゴロゴロと入った真っ赤なあやつ。意を決して、一つを手に取り口に運ぶ。
口の中で噛むと、ぷちっと音がして果汁が口の中ではじけ、すっぱいような味が広がる。一噛みするごとに果汁があふれ、何とも言えない食感の果肉が口の中を蹂躙する。
俺は目を閉じ、無心に口を動かしていた。味など何も感じない今食べているのは断じてあやつではない別の何かだ……。
永遠とも思える長い咀嚼の後、飲み込む。そして、口に残る後味をお茶で流し込む。今の俺は悟りを開いた仏のような顔になっていることだろう。
「そそ、よくかんだらトマト美味しいよね! 残りもどうぞ!」
Oh……三途の川の向こう岸が見える……。広人、今逝きます。
永遠通り越してもう悟りが開けそうなほど長いような時間をすごしたのち、俺はどうにか弁当を完食したのであった。もう一生分のトマトは食べたな……。一周回って克服できるような気がする。
「わぁ、ちゃんと食べてもらえてうれしいなぁ! 作ったかいがあったよ!」
そう、目の前で微笑むマイ・エンジェル。彼女の笑顔が守られたなら、それでいいではないか。それ以上のことなどないだろう。
「広人くんもトマト好きだったんだね! また明日も作ってくるよ!」
!? ……どうやら、これは序曲に過ぎなかったらしいな……。本当の絶望はこれからだとでもいうのだろうか。
そして、親が帰ってくるまでの4日間、本当に毎日トマト尽くしの弁当を作ってもらった。悪いから、とも断ろうとも思ったが、好きな女の子が自分に弁当を作ってきてくれる機会など、そうあるだろうか。いや、あるまい。なれば、その褒美を享受しないわけにはいかないのだ。たとえ、それがどんなに嫌いな食べ物であったとしても。
あくまでトマト嫌いの人の視点ですので、トマトがどうという気はありません。ちなみに作者はトマトが嫌いです。
それと、可愛い女の子から弁当作ってもらってなにを文句言ってるという話ですよまったく。