シャッター越しの幻想世界
一時間程度でチャチャっと書いたやつ。
主観的文章の叩き台みたいなもの。
人が死ぬという事は、理屈では分かっていた筈なんだ。
だけど、理屈を超えた心のどこかでは「俺は死なない」って思っていたのかも知れない。
俺の名前は大橋 隆。職業は戦場カメラマン・・・兼学生だ。
日本に滞在している時期かどうかで「兼」の前後に入るモノがそっくりそのまま入れ替わる。大学にも大して出席せず、必死になってバイトを巡って小遣いを稼いじゃ、必要最低限の準備でアフリカの紛争地帯に赴き、カメラ片手に戦場を這いずり回り、シャッターを切り、その写真がたまに記事になったりもする。
なんちゃって戦場カメラマン。それが一番しっくり来る。悲しいかな、それが今の俺の位置づけだ。
元々、アフリカの野生動物を撮りたくてカメラを握ったのにな。何の因果か、今は日本に居るよりアフリカのジャングルで乾いた銃声にビビりながらカメラを構えている時間の方が長いわけで。
何でこんな事になっちまったのか、話すと少し長くなる。
事の発端は大学一年の冬、一応希望していた大学に首尾良く滑りこんだ俺は、春からずっとバイトのシフトをアホみたいに組み込んで、やっとこさ海外に滞在できるぐらいの金が貯まった所だった。そこで、俺はかねてより念願だったアフリカの野生動物を生で撮影するべく、渡航を決行したわけだ。
リュックサックには最低限の水と保存食、サバイバルキット一式、それに身分を証明するモノがいくつか。片手には爺ちゃんが昔使ってたニコンSP。
如何にもカメラマンっぽい出で立ちとなった自分を鏡で見ては興奮したものだが、今考えてみると間違いなく世界一のバカだったと断言できる。
結論から言おう。初めてのアフリカ渡航は散々だったと。
現地のガイドが制止するのも聞かず、危険地帯に足を踏み込んだ俺はゲリラ共の格好の餌食だった。気が付いた時にはもう既に、俺はジャングルの湿った土の上に顔を押し付けられこめかみに銃を突きつけられていた。しかも俺に銃を突きつけてた相手は俺より四歳も五歳も年下であろう子供だった。
知識だけでは知っていた少年兵にまさか自分が脅される事になるなんて思ってもみなかった。
いや、理屈では分かってたさ。ただ、何だかんだで大丈夫だろうという日本人特有の楽観的な考え方が地球の裏側でも通用すると勘違いしてたんだ。
その日俺は人生における一番惨めランキングを三回も更新した。
地面に這いつくばったまま必死になってガキ共に命乞いをして、こめかみに当たるひんやりとした感触にチビりそうになった。いや、今だから言える。実は少しチビった。
私物はほとんど全て……カメラも力ずくで奪われた。数日前鏡の前でポーズを取っていた勇敢な冒険者の姿は肌の黒いガキ共の手によって、一瞬で敗北者へとすりかわった。
だけど一番惨めだったのは誇りも大切なモノも奪われて、命からがら逃げ延びて、心底安堵した自分自身に対してだった。
結局は自分の命が一番可愛いもんな。情けない話だ。
帰国した後、俺は周囲の人間、親や友人にその事を話してまわった。そりゃ恥ずかしい体験だったけど喉元過ぎれば何とやら。話のネタにもなるし、何より俺にとって中学上がるか上がらないかぐらいの子供が、平然とあんな事をやるっていうのは凄く衝撃的な体験だったんだ。
でも、その事を聞いた奴らの反応は……何と言うか、俺の予想してたモノとは少し違っていた。皆俺の事を気の毒だと言ったり、茶化したり反応は色々だった。でもそんな事は良い。問題は、俺が話した人間の誰も彼も皆、俺の話をどこか自分とは関係の無い、どこか空想の世界の話でも聞くような、そんな目をしてた事だ。自分と相手との間にある、決定的な認識のズレみたいなモノを感じた。
それからしばらく、俺は一人悶々としていた。あの衝撃的な体験が頭から離れない。周囲との認識のズレに苛立つ日々、やがて俺はどうしたらこのズレを解消できるだろう?と考えるようになった。
結果、俺は再びあの地に舞い戻った。馬鹿だよな、折角拾った命なのに。それをまた捨てに行くような真似をするなんて。笑ってくれれば良い。
でも、それでも俺は伝えなくちゃいけないって思ったんだ。もっと分かり易いカタチで。
だから俺は今日もシャッターを切る、この荒唐無稽な、ファンタジーの世界で。