ボクと彼女の愛のかたち
最良のパートナー
私の好みにドンピシャの容姿をした若者の黒い瞳に見つめられた途端、私は実にあっけなく恋に落ちた。
彼も満更でもない様子だったので、すぐに独り暮らしをしている私の部屋で一緒に暮らすようになった。
陽気な彼との生活は予想以上に楽しく、それまでの無味乾燥だった私の日常はバラ色に一変した。
彼の見事な天然っぷりに全力の変顔にどれほど笑わされたことだろう。 そして救われたことだろう。
そう 彼は疲れや寂しさやストレスの沼から私を引き上げてくれる救世主だったんだ。
有頂天 という文字が大きくプリントされた翼が生えた私の心は、よどんだ淵を飛び立って春風の中を軽やかに舞い続けた。
私はいそいそと彼の好きな食べ物を用意し、常に部屋を清潔に保って彼が快適に過ごせるように心を配った。
ん? 私は気が利くタイプでもきれい好きでもないはずなのだが。
すべては恋のなせるわざ。
こんなに穏やかな気持ちで過ごせるのは何年ぶりだろう。
小さな部屋の中で二人きり。
彼は私が心を許せる唯一の存在になっていた。
仕草も表情も食欲旺盛なところも、彼の何もかもがたまらなく愛おしかった。
ありがとう うちへ来てくれて。
運動が得意でいつも身軽に動き回っていた彼に以前ほどの機敏さが感じられなくなってきたのは2年が過ぎた頃だっただろうか。
体調がすぐれず病院に行くことも度々あった。
ある程度覚悟はしていたものの彼を失うと思うと胸が潰れそうだった。
私を心配させまいと無理をする彼の姿を辛くて見ていられない。
その頃私はよんどころない事情で行き場をなくした少年を家に迎え入れることになった。
彼と同じように澄んだ目をした美しい子。
その少年を見た彼は、寂しげな、それでいてどこかほっとしたような表情を浮かべた。
彼は少年に私を託そうとしているのかもしれない。
別れの時が迫っていた。
彼は私が差し出した好物のりんごを小さくかじり、一緒に食べたことを懐かしむように私に微笑んでみせた。
そしてゆっくりと伸ばした彼の右手が私の頬に触れた瞬間、私の胸の一番深いところに彼の言葉が直に響いた。
ありがとう
大好きだよ
泣かないで
私の人生の中の陽だまりとでも言うべきにやさしい時間が儚くも終わりを告げた。
ありがとう
私も大好きだよ
忘れないから
ボクの初恋
「店長、この子どうします?」
「うーん、耳が破れてるうえにこんなに大きくなったハムスターを買おうって人はまずいないだろうなあ。 仕方ない、値下げしよう。」
兄弟とじゃれ合っている時に爪が引っかかって耳が大きく裂けてしまい売れ残ったボクのケースに ”30%off” と赤い字で書かれた札が貼られた。
ひとりぼっちで鬱々と過ごしていたボクの前に、ある日大量の光の粒をまとった女神が降臨した。
ボクと目が合うと彼女は花のようににっこり微笑んだ。
その時ぴゅんっとキューピッドが放った矢がボクのハートのド真ん中を射抜いたんだ。
「可愛い、この子にする!」
と彼女は言い、店員さんにアドバイスしてもらいながら物凄いスピードで店内を巡って必要な物を集めると、何が何だかわからなくてひまわりの種を握ったまま突っ立っているボクを彼女の部屋へ連れて行ってくれた。
もう ドキドキが止まらない。
ドキドキが・・・ あれ、ドキドキはどこ行った?
彼女はボクのことを一番に考えてくれる百点満点の飼い主だったから、その住み心地の良さにすぐ馴染んでリラックスして過ごせるようになったんだな。
床材まみれの寝ぼけまなこでのっそり巣箱から顔を出したり、カーテンを大の字でズルズル落ちたり、頬袋をパンパンにしたり、ボクが何をしても何もしなくても彼女はころころとよく笑った。
そのたびにあたり一面パステルカラーの花が咲き乱れ、ボクは花に埋もれて彼女の愛情に包まれて夢見心地で毎日暮らしていた。
ああ 一体誰がボクにこれほど幸せなハム生が送れると想像し得ただろう。
すべては彼女のおかげ。
ボクは彼女のためならどんなことでもしたいと心から思っていた。
ずっとそばにいて彼女が喜ぶ顔を見ていたかった。
だけどハムスターは人間みたいに長くは生きられないんだね。
ボクだけが年を取ってあちこち調子が悪くなって。
もう回し車でビュンビュン走ったり天井に腕だけでぶら下がったり出来なくなってしまった。
思うように体が動かせなくなったボクを彼女が切ない目をして見ている。
ごめんね 笑わせてあげられなくて。
ボクは彼女が悲しまないようにしてほしいと一心に祈ったよ。
そして、彼女の知り合いからハムスターの子どものもらい手が見つからなくて困っているという話がもたらされた時、願いが聞き届けられたことを知ったんだ。
弱い者に心を寄せる彼女が引き取り手のないハムスターを放っておけるはずないからね。
彼女はひと言も触れないけど、ボクが売れそうもなかったことが彼女がボクを選んだ理由に大きく関わっているんだってボクにはわかっていた。
チビは素直で賢くて愛嬌のある子だから、きっといい相棒になるよ。
あ りんごのいい匂い。
いつも分け合って食べたよね。
彼女の温かい手のひらの上でボクは力を振り絞って立ち上がり、思いが届くように強く念じながら右手で彼女の頬にそっと触れた。
ありがとう
大好きだよ
泣かないで
ボクはそろそろ虹の橋を渡るね
またいつか会えるといいな
ボクのたったひとりの大切な人