37話 湿地へ
道から外れ木々の多い場所を駆け始めると空は黒く塗りつぶされていた。彷徨いの森で見たような星はなく、ただただ暗い山の中を会話も無く走って行く。途中で現れた魔物も危害をくわえる気がない者は素通りし、たまに聞こえた逆再生の音と共に現れる闇落ちはぐれ魔物は容赦なくベルゼテが指を鳴らす。
先の見えなくなったそこへ向かって高く飛んだセレーネは小さな足場を蹴りながら降りると、歪な石畳の道を見付けまた走った。
「大丈夫かセレーネ」
「わぉんっ」
「お腹は空いてないか?」
「わふ…わふっ!」
「あそこの祠で休憩にしましょう。セレーネは頑張って忘れていたのに思い出させるから…」
「我慢しなくていいから!セレーネだけが俺の癒しなんだから!」
「心外だぜグラウディアスぅ~」
さっさと寝落ちて転げ落ちた奴が何を言っているんだか。
大きな木の麓にある祠の前で止まり、セレーネから降りる。滝が近いのか水が落ちる音が大きく、足場も若干水気があるように感じたが大きな木の根が飛び出している所にそれぞれが腰掛けた。
「今どの辺り?」
「だいぶ良いペースだと思うわよ。三分の一、かしら」
半日で三分の一なら明日の間に下り始めるか、明後日には下り終わっているか…。どちらにせよセレーネに負荷をかけてしまうわけだ。大きめの肉のブロックを丸ごと焼くと闇落ちしたはぐれ魔物が現れる音が集まってきた。一体や二体ではないその数に立ち上がろうとした所をダンタリオンに止められる。
「我もたまには動くとするか」
「魂半分の悪魔が戦えんのかよ?」
「…相手が不死身でなければ、な」
皮肉のつもりか。暗闇の中、逆再生の音をいくつも聞くだけで頭がおかしくなりそうだったが、ジェインがトレントの枝を増やした事で断末魔まで大きくなる。火に集まっているのかこの断末魔で集まっているのかは定かではないが、取り敢えずどちらも耳障りなのは間違いない。
何処から来るか緊張感が走る中、ふ、と後ろから風を感じ振り向けば真後ろに現れていた一体のオッサン系モンスター…改め異常変異種ゴブリンは腕を振り上げたまま固まっていた。そしてゆっくりと下半身から上がズレ落ちていく。
「ふむ…再生しないようで助かるよ」
ダンタリオンの台詞に頬が引き攣る。続いて現れたはぐれ魔物もダンタリオンの炎の渦で燃やされ、俺の目の前の影から這い出てきた魔物はダンタリオンの右手に掴まれ影の中で潰されるような音。地面に浮かぶ影はゆっくりと消えていった。
「次で最後か」
「リオさん…アンタの力だいぶ戻ってるように感じます」
「ふ、」
笑うと、自身の真後ろに現れた魔物を上へ蹴り上げて左手を翳す。炎の渦で燃えたソレは一回り以上も小さくなり降ってきた。水を含んだ土が重く飛び散り何故か俺だけ泥塗れになる。
「俺だけにかかるなんて不思議だね」
「よく狙えているだろう?」
「お前…」
服はバイコーンのお陰で自動的に修復もされるし綺麗にもなる。だが髪や肌はそうならず、失ったわけでもないのでインベントリを使っても綺麗にはならない。袖で拭いてみたが泥というのは厄介で次第に固まっていくと何処かの部族のようだとジェインに笑われた。
「クク、あは、あははっ!」
「…」
「わははぶっ!!ぺっ、口に入っただろうがぁ!」
泥を掴んでジェインの顔に塗りたくった後、セレーネはこんな状況でもお行儀良く食事をしていて…俺もドゥーロで買い溜めた軽食を摂る。再び移動を開始すると滝が見えた。
「どうせなら泥を流したらどうかしら?」
「そーする」
「水は嫌だぁ。寒くなるだろぉ」
「リオが上から炎を出してお湯にすればいいじゃない」
「我が出来るとでも?力が戻っておらんのだ、もう何も操れん…」
左手を見つめながら涼しい顔で嘘を言ったダンタリオンに、コイツ面倒臭いだけだな…と溜め息が漏れる。駄々をこねるジェインと躊躇いが出てきた俺を乗せたまま、セレーネは滝の前で止まる事はなく滝の中に飛び込み水の上を走った。
冷たく刺さるように降り注ぐ水の束にガタガタと震える俺とジェインを悪魔二人がニヤニヤと笑う。
「この…悪魔が…」
悪態の一つも言えないくらいに寒い。滝を抜けたとしてもセレーネが走る度に当たる風が体を余計に凍らせようとしているくらいに寒い。歯をガチガチと当てながら震える俺とジェインは結局そのまま放置され、セレーネは休むこと無く走り続けた。
寒くて眠いというのは生命の危機を感じるのだと生まれて初めて体験したが、意識が遠退いていく感覚は眠りに落ちる時と同じで…あぁ、でもセレーネに掴まらないとジェインのように転がるのは…嫌、だな…。
「異世界の人間…か。リオンが戻ればその味も楽しめるというのに」
「もう人を食べるのは止したら?」
「魔物の肉を喰らう人間が、己は喰われまいとする思念が理解出来ぬよ」
「じゃあ彼は食べないで。他は好きにするといいわ」
悪魔の会話が反響するように聞こえた。
「何故このガキを庇う?名を知られたわけではあるまい」
「旅の目的は知っているでしょう?私との出会いもこの世界の理も」
「確証の持てぬ絵空事だ」
「貴方なら真実だと分かるはずよね、ダンタリオン」
「…女神など… してしまえば良い」
「馬鹿すぎて になら 」
夢か現実かも分からずに話は続いた。最終的に隊長が俺の上に乗って悪魔を威嚇しているのだが、このままでは隊長が危険だと判断した俺は彼等が仲間であることを知らせようとする。しかし声が出ず、というか重すぎて…
「たい…ちょ…重…太り過ぎ…」
「?」
「1回退いて、隊長!」
「コイツは何かの部隊に所属しているのか?」
ハッと目を開けるとセレーネの上にうつ伏せで寝ている状態だった。そうだ、隊長がこの世界に居るわけがない。今頃おやつを貰って尻尾を振り回しながら部屋中駆け回っているはずだ…。
「でも重いんだけど…」
何が起きているのか、と振り向くと俺の背中の上で胡座をかいて座っているダンタリオンと目が合う。
「落ちぬように押さえてやったぞ?安心して眠れたであろう?」
「…お陰様で……」
外は明るくなっていた。
セレーネが立ち止まる時は食事を求める時だけで、それ以外は殆ど走り続けた。魔物が出ても構わず走り、次第に日が暮れ、夜になり、眠気に逆らっても気が付けば朝になり…そしてやっと……
山の向こう側の景色。ポロスやシルウェストレ森林とは異なる湿地。空気も何処か湿っており生温く感じる。
「何処から降りてもあの沼地は避けられないわね」
「沼……って通れるのか?」
シエルは確かに二つのルートを教えてくれたはずだ。船を利用するような場所ではないのは確かだし、だからといって歩いて渡ったとも考えられない。
まずは降りてみよう、というベルゼテに従ってセレーネは適度な足場を見付けて飛んでいく。途中、赤い花を見付けるとジェインが採取するためにセレーネから降りてしまったがダンタリオンに寄って連れて来られていた。
「その花に何かあるのか?」
「珍しい花なんだぜぇ」
「可愛らしい趣味があるんだな、お前にも」
「ククク、だろぉ?この花の蜜一滴で一国を滅ぼせるくらいの毒が作れるぅ」
「さっさと捨てなさい!今すぐ!」
はいよぉ~と言いながらインベントリにしまったのは見逃してないからな。
「セレーネ、気を付けて」
ベルゼテの声に地上に降りれるまであと少しという所でセレーネが止まる。口元に人差し指を置いたベルゼテに皆が静かになり、自然と辺りを見回してしまった。何も動きを見せない中で唯一動いているのは流れる雲と、地上の水面。泥をかき混ぜたように茶色いそこがゆっくりと移動している。
「何か居るのか?」
「…ハイドラね」
「なにそれ」
「目のない蛇よ。聴覚と振動に敏感な泥蛇といった所かしら」
水面の動きを見ればこの距離でも分かるほどの巨体。隠れているのか、元々の生態なのか…出てくる気配はなかった。このまま降りていけばぶち当たる事になるがベルゼテが居れば平気なようにも思え、何故立ち止まったのか問おうとした時…ハイドラと呼ばれた魔物が泥水の中から顔を出した。
「三体も居るのかよ…あんなデケェのが……」
「いいえ」
続いて二本、三本、と顔を出しキョロキョロとしている。
「八体?」
「……いいえ」
まだ居るのか、とハイドラの様子を見ていると一際大きな顔が現れた。全部で九体の巨大な魔物。かと思いきや…
「一体。ハイドラが成長しきると首が九本になるのよ。大抵そうなる前に狩っておくのがセオリーだけれど、あの大きさ…並大抵の冒険者では狩りきれないでしょうね」
人が簡単に越える事は難しそうな山と、沼地。人が寄らなければ容易に育ち、育てば強くなり、強くなれば負けない。なんとも簡単な摂理に乾いた笑いが漏れたがこちらには悪魔が二体と神獣セレーネ様が居る。しかも俺は攻撃に対しては不死身だ。九本首の蛇に足止めを喰らうわけにはいかなかった。
「いける、よな?」
「……さぁ…どうかしら?」
弱気なベルゼテの顔を見遣ればハイドラから視線を外さないまま口元には笑みを作っているが目が笑っておらず、冷や汗なのか額から落ちた雫が足元に垂れる。
ハイドラは再び泥の中に潜った後、少し泳ぐと今度はその体も現した。どれだけ深い沼なのか…腹までは沈んでいるが一番大きい頭が伸びてきた。
「私の攻撃、コレには効かないわよ」




