向き不向き
暫くの間、茫然自失であった有華だが、いつまでもそのままでは居られない。
何処かへと飛んでいったであろう魂が戻ってきたのか、目の焦点が合う。
気付けば、何時しか少女は近所のスーパーマーケットまで辿り着いていた。
辿り着いとは言え、時間だいぶ無駄にしたことに変わりはない。
その事実に、有華の眉間にギュッとシワが寄った。
『……何をやっとるんじゃ……ワシは……』
目を閉じ、両手で自分の頬を軽くピシャリと張る。
『こんな事でボケとったら、あの阿呆に好き勝手にされちまうやんけ!!』
グッと顔を上げ、息を吸い込む。
そんな正気に戻った有華を見てか、真希の顔に僅かな変化が在った。
片方の眉が少し上がり、唇は少し窄まる
『そのまんまボケとったら良かったもんを……』
真希にしてみれば、有華は茫然自失で居てくれた方が楽である。
余計な事もせず、小生意気な態度も取らない。
茫然自失の間ならば、多少邪魔な背後霊ぐらいの扱いで済んだが、正気に戻ったとあっては対応せざるを得ない。
「さぁて、何から見ようかな」
自分に付いて来た二人の裏などはつゆ知らず、呑気に買い物カゴを取る青年。
その彼の後ろでは、少女の格好をしている何かが睨み合っていた。
*
「あー、そうだなぁ、オムライスなら……玉ねぎに、彩りにピーマンも良いかなぁ」
あれやこれやと妹と幼なじみの為に考えながら商品をカゴに入れていく青年。
そんな彼の邪魔に成らぬ様に、有華と真希は互いに牽制し合う。
無論の事、何も二人は初めからこうだった訳ではなかった。
単純に、有華は青年にも女の知り合いが居るのだと思い、対して真希にしても、青年に親戚の少女がやってきた程度にしか想っていなかった。
が、何時しか二人は、互いの裏に気付く事となる。
先ず先に気付いたのは、真希の方だった。
青年に妹が出来たからといって、彼が小娘に手を出す様な輩でない事は誰よりも真希が知っている。
此処で問題なのは、寧ろ虫も殺さない様な顔をしている少女に在った。
普段で在れば、如何にも大人しい妹といった風情ではある。
が、それはあくまでも他人の目が在ればという事でしかなかった。
家族ともなれば、青年の衣服を勝手に着ることも無くはないかも知れない。
だが、それ以上に青年の義妹は真希にとってみれば問題としか思えない事を平然と行っていた。
真希が確認しているだけでも、複数在る。
青年の眠る床へと忍び込む。
知っているにも関わらず、わざとらしく青年の入浴中への乱入。
食べかけのモノを強奪し、自らの口へ放り込む。
洗濯前の衣服の吸引。
その他にも数多くの許せない所行が、有華に因って行われていた。
それらの行為は、妹が行うにしては余りに逸脱している。
対して、有華も初めて出逢ったばかりの頃は、対して真希を警戒していなかった。
時折現れはするが、御近所様ならば多少はそういった事も在るだろう、と。
自分が青年の嫁に成った暁には、付き合いもしなければならない事もある。
だが、注意深く気を張り、見ていれば気付く事も多い。
青年が家事が出来ない訳ではないが、何かと理由を付けては真希はやってくるのだ。
年末年始、季節の出来事、週末。
その頻度は【御近所様】の一言では片付けられない段階であった。
真希の行動に関しては、不可解な点が多過ぎる。
有華自身が行うが如く、直接的な行動は厳に慎んでいるらしいのだが、その分見えない何かをしている節が在った。
何とかして有華は真希の裏を確認しようとはするのだが、未だに具体的に何かをした証拠を見つけ出せずに居る。
それでも、微細な変化は常に青年の周りで起こっていた。
置いて在った筈のモノが、明らかに動かされたらしい僅かなズレ。
手直しされたかの様なモノの並び。
伝えて居ない筈なのに、青年の予定や行動を把握。
そして、必ずと言って良いほどにフラリも現れ、有華の機会を潰す。
超能力でもないのであれば【何か】をしているのは明白だろう。
其処まで分かっていてなお、真希が尻尾を掴ませる事は無かった。
ちらほらと色々とやらかしている二人。
ほぼほぼ犯罪に片足を突っ込んでいるかも知れないが、バレていなければ犯罪ではない。
有華と真希は、何時しかお互いに気付いて居た。
やり方は違えども、自分と相手は同類なのだ、と。
そして、同じ相手を想うからこそ、譲れない。
たった一回の人生に置いて、身を引くなどという愚を冒せる筈もない。
人間などは星の数ほども居り、世界中に散らばっている。
つまり、探そうとすれば別の人間は選り取り見取りだ。
と同時に、そうするという事は、負けを選ぶ事に他ならない。
そうなれば、如何に金銭が在ろうが満たされる事はない。
金では買えないモノは無いと人は云う。
が、売ってないので在れば買うことは出来ない。
満たされぬ事なく、残りの生涯を後悔という苦汁の中で溺れ続ける。
ソレが、死ぬまで続く。
そうこうする内に、二人は段々と変わって居た。 人の皮を被った何かへと。
とは言え、外から見ている分には二人は青年の妹と幼なじみに過ぎず、その二人の想い人はと言えば、買い物に集中している。
「後は鶏胸、いや……モモ肉の方が良いかなぁ……でもなぁ」
パックを手に取る青年に取って重要なのは、味を取るべきか、はたまた、少女達の身体を考慮して熱量や脂肪分を気にするかであった。
*
表向きは特に何も無く、買い物は終わった。
それも当たり前と言えば当たり前の話である。
3人は単に近場の店に買い物へ来ただけなのだから。
「よーし、じゃ、ちょっと待っててくれよな。 すぐ出来るから」
帰宅するなり、早速とばかりに調理の支度を始める青年。
そんな台所へと、先ずはとばかりに真希が動いた。
「手伝うよ」
こう云われては、有華も黙って座っては居られない。
いつもで在れば調理に熱心な兄をたっぷりと見守るのだが、ソレでは立つ瀬がない。
「わ、私だって!」
端から見れば、案外に兄と真希の二人はしっくりと来るモノが在る。
長い付き合いだからこそのソレだが、だからといって有華が黙っていられる筈も無い。
ただ、二人の声には青年の方が困惑していた。
まさか来客が手伝いを申し出るだけでなく、普段はジーッと自分を見ている妹迄もが手伝いを申し出たのだ。
「お、おい? 良いんだぞ、待っててくれればさ」
そんな青年の声に、反応は二つ。
真希は目を細めて勝ち誇り、有華は愕然としてしまう。
直接云われた訳ではないが【お前は要らん】と云われた様な気すらする。
こうなると、有華も引く訳には行かなかった。
「お願い……だめ?」
使えるモノならば、迷う事無く使用する。
【年下の妹が、如何にも困ってます】といった風情。
こうなると、青年も有華の好意を無碍に出来る性格ではない。
「あ、いやな、まぁ、じゃ、玉ねぎの皮でも剥いて貰おうかなぁ……」
妹の調理技術が皆無なのを知っている兄だからこそ、素人でも出来そうな無難な作業を与える。
対して、もはや真希は熟練の段階である。
青年があれやこれやと云わずとも、彼の邪魔に成らない程度にさり気なく、ごく自然に振る舞う。
その動きは、真希が【兄の嫁さん】を自負しているかの様であった。
こうなると、有華にとっては面白くない。
釈然としない気持ちで、玉ねぎに当たる様に爪を立てて皮を剥くというより剥ぐ。
有華の手付きに、真希は自然と笑いを漏らしていた。
熟練と未熟では動きに天と地の差が出る。
『能無しが! 貴様はその程度なのだ!』
心の声でそう勝ち誇る真希に、有華はグヌヌと唸った。
頭に血が上ったからか、有華の指先が玉ねぎにめり込みかける。
そんな所に、有華の手を別の手が覆った。
調理が得意ではない有華の背後から、それを知っている青年が手を伸ばしていたのだ。
「おいおい、力を込めりゃ良いってもんじゃないんだよ。 こうな、繊維に逆らわずにさするんだ」
繊維の云々は兎も角も、有華にしてみれば全身の力が抜ける。
まさか、自分を囲うが如く青年が手を掛けてくれたのだ。
「う、うん……わかった」
青年からは見えて居ないが、有華は何とも蕩けた様な笑みである。
「そうそう、ちゃんとやれば簡単だろ?」
「うん」
在る意味では何とも微笑ましい兄妹の風景と言えるだろう。
が、真希にすればこの世で一番見たくない光景だ。
少し前とは逆に、真希が思わず唇を噛んでいた。
小柄故に、青年の腕の中へとスッポリも収まってしまう有華。
絵図等的には実に悪くないモノに見えてしまう。
真希の場合、手練れ故に青年から直接何かを云われた事がない。
逆に言えば【下手くそ】を装う事によって得られるモノも在るという事を失念していた。
グヌヌと唸る真希に、有華の目玉がグリッと動く。
『どう? 真希さん、下手くそだって頑張れば神様は見ててくれるのよ?』
そんな声は、有華が直接発したモノではない。
が、真希には確実にソレが聞こえた気がした。
*
紆余曲折は在ったものの、無事に有華の所望したオムライスは完成。
ソレが有華と真希の二人の前に並べられる。
「「いただきま~す」」
食べる前の感謝の言葉を述べつつ、スプーンを手に取る有華と真希。
猛然と食べ始める二人を見守りながらも、青年も自分の分を持つ。
スッと半熟の卵へスプーンの先を入れた所で、青年はフフと軽く笑った。
何事かと、有華と真希の目が一カ所に集まる。
「どしたの?」
オムライスを頬張る有華に代わり真希が尋ね、ソレにに気付いたからか、青年が苦く笑った。
「いや、真希もオムライス好きだったなぁ……ってな。 昔作った頃はさ、卵なんて焦がしちゃってさ」
何の気なしに昔の失敗を思い出す青年。
ソレは、真希にしても大切な思い出話である。
まだまだ調理技術など無い頃、少年だった青年が悪戦苦闘しながらもオムライスらしきモノを拵えてくれたのは、彼女にとって掛け替えの無い過去だ。
「でもソレだって、美味しかったよ?」
過去を思い出し、恍惚と惚気る真希。
嫌な過去は人を蝕むかも知れないが、同時に素晴らしいモノならば永久に黄金の輝きを保つのが思い出だ。
先ほどとは逆に、有華が肩をいからせる。
どうせなら、この場にておっ始めたくもなるが、そんな事をすれば折角青年が用意してくれたご馳走が台無しに成ってしまう。
恋敵のノロケ話などは聴きたくないが、美味い飯を食べる事で有華は自身を抑えていた。