今と昔と
真希に一泡吹かせるつもりで、有華は敢えて自分の食べたかったモノを云った訳だが、何故に真希の反応は微妙であったか。
其処には当然だが理由が在った。
偶然の一致だが、真希がふと頭の中で考えたモノは奇しくも有華と同じであったのだ。
どうせなら、青年の一つの鍋を囲むという案も在ったのだが、有華が同伴しているとなれば無理がある。
仲が良い者同士が鍋を囲むならともかくも、互いにいがみ合う相手と同じモノをつつくなど言語道断であった。
となると、他のモノを模索さねばならないのは必然であろう。
有華と真希の胸の内がどうであれ、そんな事を青年は知るはずもない。
ポンと出された要望に、スッと立ち上がる。
「じゃあ、ちょっと買い出しに行ってくるか……」
早速とばかりに、青年が立ち上がるのだが、瞬き程の間に有香と真希も立ち上がって居た。
「さっきも行って貰っちゃったし……」
「……今度は付いてくよ」
ほぼ同時に立ち上がる有華と真希。
そんな二人に、青年は首を傾げるが、別に断る理由は無い。
「そっか、じゃあ行くか」
そう言いつつ支度を始める青年だが、意外そうな顔を覗かせた。
「でも、珍しいな、有華が付いて来るなんてさ」
「へぇ……そうなんだぁ」
何の気無しに青年は語り、真希が反応する。
その言葉に有華は愕然とさせられた。
優しい兄に甘える事はそう悪い事ではない。
だが、実のところ有華は真希の声で如何に自分が壮大な損をしていたのかを気付いた。
買い物に行く頻度に関しては、人によって違うので一概には言えない。
が、なるべく新鮮なモノをと心掛ける青年はほぼ毎日という頻度だった。
つまり、その気に成りさえすれば、有華は毎日の様に青年と関係を深める機会が巡っていたという事になる。
が、そんな事に気付けず、漂っていたモノを逃してしまうという失態。
愕然とする有華に、真希は目を細め微笑みを浮かべた。
「駄目だよぅ、有華ちゃん。 お兄さんの御手伝いぐらいは……偶にはしなきゃあねぇ」
超能力者でもない筈だが、有華は真希の裏の声が聞こえた気がした。
【馬鹿め、貴様は千載一遇のチャンスを逃したのだ!!】
有華は、そんな声が高笑いと共に聞こえた様な気がした。
*
少し後、歩道を歩く三人。
エコバッグ脇に抱えた青年を真ん中に、二人の女性が囲む。
片方は満面の笑みだが、もう片方は何故だが茫然自失と言える。
「……うーん……」
妹と買い物に行く。 その事自体は特段の問題ではない。
鼻を唸らせる青年はと言えば、いつもは自由闊達な妹に元気が無い。
そんな事を気に掛けていると、反対側からフフンと軽い笑い。
ソレに気付いた青年が顔を向けると、幼なじみは何とも言えない微笑みを浮かべていた。
「なんだよ真希、なんか、変だったか?」
自分が笑われたのかと、訝しむ青年に、真希は小さく首を横へと振る。
「……ううん、ただね、こうやって買い物なんか、久し振りかなぁ……ってさ」
まるで昔を懐かしむ様な幼なじみに、青年はまたしてもウウムと鼻を唸らせる。
青年の体感時間として、数ヶ月前には幼なじみの買い物にも付き合った記憶は在った。
「あー、そういや、そうかなぁ……」
「そうだよ……ホントに」
真希の声色に、青年はチラリと幼なじみの顔を窺う。
愉しげでは在るのだが、何処か憂いを感じさせる真希。
その理由が、青年にはわからなかった。 何故幼なじみはそんな顔を覗かせるのか。
顔にこそ出さないが、真希にしてみれば本当に久し振りであった。
時間という概念に関しては科学的に色々云われるが、感じる感覚というモノは人に委ねられる。
そして、真希に取っては青年と引き剥がされる時間の如何に長い事。
単に長いというだけでなく、その大事な筈の一分一秒が無碍に捨てられる。
その消えていく筈だった時間を、真希は噛み締めて居た。
*
当たり前だが、幼なじみという言葉にはそれなりの意味がある。
実のところ真希は有華よりも長い時間を共にしていた。
青年と真希は歳が一つ違う。
数字で見れば、僅か1だが、時にはそれが大きな意味を持つ事も在った。
時間にしてみれば、昔と言える頃の事。
幼稚園の次はと小学生へと上がる訳だが、この時、偶々御近所だったという縁もあり、真希は近くの家の少年と出逢う。
「こんにちは!」
朝の日差しにも負けぬ朗らかな挨拶に、幼かった真希は面食らう。
自分よりも頭一つ大きい少年に、一瞬たじろぎもしてしまった。
「こんど同じ学校だよね? お母さんからさ、案内してやれーってさ」
そんな声に、真希は親が気を回してくれた事を思い出す。
【真希、近くの子がね、同じ学校だから案内してくれるって】と。
とは言え、元々が引っ込み思案の少女は迷った。
如何に親から云われたとしても、見知らぬ男の子を信頼して良いものか。
なかなか近寄って来ない少女に、少年は照れを隠す様に軽く頭を描く。
「うーんとね、あ! ほら、ちこ…く、しちゃうだろ?」
妥当な理由を見つけ出した少年の声に、真希はウーと唸る。
それでも、何となく差し出される少年の手に自分のソレを重ねて居た。
出逢ったばかりの頃は、真希も大して少年を気にした事はない。
偶々家が近いだけだ。 少し経てば、お互いに別の道を行く筈。
男の子は男の子、女の子は女の子。 互いに違う。
その筈が、何処で間違ったのか、真希の予想とは違った。
幼稚園と小学生は全く違う。
完全に保育士が管理、見守る幼稚園とは違い、小学生ともなれば独自の自我を確立した少年少女達による自治体の様なモノだろう。
勿論、ある程度は教師が監督、指導もするが、専らの目的は義務教育という勉学を教える立場である。
つまり、幼稚園とは違う世界と言えた。
違うともなれば、前はこうであったというルールは通じない。
時には、理不尽その物とも言える事も多い。
何せ自治権が在る以上、それも無理はない。
生徒の数に対して、圧倒的に教師の数が足りないともなれば、全てに目を通すなど出来る筈もない。
そんな中では、時には理不尽に晒される事もある。
一つの世界である以上、当たり前の様に其処には階級が顔を覗かせる。
誰が上で、誰が下か。 そして、身体の弱い者は総じて下に分類された。
まだ法律や世界の規範などが植え付けられる前の子供ともなれば、単純である。
在る意味では猿山と大した差が無い。
そんな中で、真希の身体は余りにか細く、小さかった。
だが、そんな事は個人の都合でしかなく当たり前の様に洗礼を受ける事となる。
其処で、真希は知らない放り出される事の怖さを知った。
学校まで連れて来てくれた少年は学年が上であり一緒ではない。
その為、真希は独りで事に対処するしかなかった。
では果たして出来るのかと問われれば、実のところ難しい。
場の空気が身に合う者も居れば、そうでない者も居るだろう。
そして、真希は後者であった。
1日が終わり、下校する頃。
当たり前の様に皆が帰る訳だが、ふと、少年は後者の影に隠れる様にうずくまる何かを見つけ出す。
気になって近寄って見れば、その子は朝に自分が学年へと案内した少女だった。
「おーい、どした?」
下の学年ならば、とっくに帰ってしまったモノだと思っていた少年。
そんな声に、うずくまる少女の身体はピクリと震える。
恐る恐るといった様子で持ち上がる顔には、安堵が在った。
「……おにぃちゃん」
別に兄妹という訳ではないが、ふと、真希はそんな風に少年を呼んだ。
目を腫らし、目尻に涙かぶれを作る少女に、少年は駆け寄る。
常日頃より、酔った父から【男は女を助けてやらなければいかん!】と耳にタコが出来そうな程に聴かされて育った。
だからこそ、迷いなどは無い。
「大丈夫か?」
自分よりも大きな少年が、愛おしむが如く抱き寄せてくれる。
朝こそ大して気にしてなかった筈の少年に、真希は抱きつき泣いた。
見知らぬ世界で、見知った人に縋り付く。
少し後、一緒に帰る少年と少女。
朝は少し離れていた筈が、今ではピッタリと言える程に近い。
「ひでー事するよな……」
真希から事の顛末を聴いた少年は、普段は出さない顔を見せる。
ソレは年若くとも男の顔と言えた。
「もぅ、がっこういきたくない」
ぼそりと漏らす真希の肩に、少年は手を回して自分へと寄せた。
「大丈夫だよ真希。 明日には、なんとかしておくから」
ヤケに頼もしい声に、真希は思わず顔を上げた。
大きい相手だからこそ、見上げねば見えないが、其処には漢の目が垣間見えた。
家に着けば、別れる訳だが、真希はふと少年が見えなくなるまで見送っていた。
不安ながらも、次の日が来る。
やはり少年に伴われて学校へと行く真希なのだが、この日は違った。
校舎へと入る前に、少年が真希を軽く留める。
「な、ちょっとだけ待ってろよ?」
すっかり少年を信じる真希は、素直にその場では頷いていた。
果たして、かの少年に何が出来るのかはわからない。
待ってろよとは云われたが、実際の時間にしてみれば10分程だろうか。
先に校舎に駆け込んでいったあの少年が意気揚々と戻ってくる。
「おーい、もう大丈夫だぞ!」
言葉だけでは、果たして如何なる根拠が在るのか定かではない。
ただ、自分を慰めたくれた少年の言葉を疑う程に真希は年を経ては居なかった。
恐る恐る、行きたくない教室へ向かう訳だが、其処で、真希は空気が違う事に気付いた。
前日は猿山の賑やかさだったが、今は違う。
かの少年が果たして【何をしたのか】は不明だが、真希にちょっかいを出そうとする者は居なかった。
その理由に関しては、真希は見ていないので知らない。
安全ならば問題無しと、自分の席へと座る少女は、思わず口を手で押さえる。
信じた少年が、自分を助けてくれた事に思わず笑みを漏らしそうだったのだ。
周りの生徒はと言えば、真希を恐々と見るのみ。
彼等は知ったのだ。 普段めったに怒らない者が怒るとどうなるか、を。
それからというもの、真希は、文字通りずっと少年の側に居た。
晴れの日も、雨の日も、風の日も、雪の日も。
まるで本物の兄妹が如く。
こうなると、真希の中になにやら得体の知れない想いが募り始める。
幼い内は自覚出来なかったが、時間が経てば経つほどにソレがなんなのかを悟る。
ある程度の歳に成ってから、真希は気付いた。
初めて出逢ったあの日から、自分はかの青年に恋を抱いたのだ、と。
*
道すがら、自分の過去を思い返していた真希は、青年と共に歩く。
多少のお邪魔虫が居るのだが、この際ソレは無視をする。
「なんかさ……こうしてると」
「うん?」
「昔を思い出すよね?」
「お、あー、そうだなぁ」
自分と同じく、しみじみと昔を思い返す青年に、真希は微笑む。
例え相手が誰であれ、青年を譲る気など彼女には毛頭無かった。