怨敵
その場に二人だけならば、関係が最悪な事を隠さない有華と真希である。
だが、青年が居ると成れば話は違った。
対面上、青年の前だけは【仲の良い御近所さん】を装う事も吝かではない。
勿論、嫌いな相手と仲が良いフリをする。
それは精神衛生上すこぶる宜しい筈もないだろう。
ましてや、それが消したい程に憎い相手ならば、尚の事である。
が、かといって下手に自分達の裏を明かし、心優しい青年が悲しむのはもっと宜しくない。
なればこそ、いつの間にか有華も過去の忍びが如く【己を殺す術】を身に付けていた。
「さっきまでね、最近出来たって店の話してたの。 ね、まきさん?」
如何にも年頃な少女を演じる有華に、真希も自分の顔に仮面を被せる。
勿論、物質的なモノではなく、表情を司る筋肉を巧妙に操作してだ。
いつの頃からか、青年の幼なじみもまた、一流の諜報員の如く【自分を偽る技】を学んでいた。
「そうそう、ほら、味だけじゃなくてね、映えるって皆も云っててね」
厳密に二人語るの店が実在しているかどうかはあまり重要ではない。
重要なのは、如何に青年に自分達は仲が良いかを見せるのか、それに尽きる。
まかり間違っても、互いに【ぶっ殺してやる】などという狂った本心を明かす訳には行かないのだ。
「へぇ、やっぱりそういうのは女の子の方が詳しいんだな」
買って来たモノを渡しつつ、率直な感想を述べる。
「……ほい、真希はウーロン茶だったよな」
「うん、ありがと」
来客を優先するのが、基本的な作法ではある。
がしかし、当然ながら有華にしてみれば面白いモノではない。
どうせなら自分を優先して欲しい。
青年の視線が別の方向を向いている事もあり、露骨なまでに不機嫌さを現していた。
『兄貴!? どうしてじゃあ!? なんだってそんなアホを……ん!?』
胸の内だけでも、必死にウザイ来客を罵倒する有華。
ふと、その瞬間に思い付くが在った。
つい先ほど、兄を誤魔化す為だけに適当な話をでっち上げてしまった。
が、よくよく考えれば機会の到来と言えなくもない。
実際の店舗に関して云えば、後で幾らでも探す方法も時間もある。
幸いな事に、来客は青年が差し出す茶に意識が向いているからか無警戒であった。
青年が買ってきた茶を袋から出して来客へ手渡す。 僅か3秒間ほどの時間である。
が、有華に取っては貴重な3秒であった。
「有華はと、ミルクティだったよな。 ほい」
「ありがと、でね……」
御礼ついでに、お出掛けの誘いをしようとする有華。
が、云おうとした途端に在ることに気付いてしまう。
当たり前の話だが、この場には自分と青年以外の部外者が居るのだ。
そして、その部外者である真希が惚けて居るかと云えばそんな訳もない。
ジーッと有華凝視しつつも、口の端を釣り上げる。
言葉では言っては居ないのだが、聞こえた気がした。
『おまんの考えぐらい、ぜーんぶお見通しやで?』
以上は声ではないが、有華に取っては直接云われているのと変わらない。
奇しくも、真希も有華と同じ事を考えて居たのだ。
隙あらば青年を誘ってしまおう、と。
がしかし、やはり真希にしても有華が目障りである。
下手に今この場にて【お店行こうよ】などと云ってしまえば、確実に青年だけでなく邪魔が付いて来るのは明白であった。
「えっとな、飲みモンだけってんじゃアレだろうから、色々買ってきて見たんだ」
そんな声に、有華と真希は笑みを覗かせる。
「わーい! さっすがお兄様! 気が利いてるぅ!」
「もう、別に良いのにぃ、でもありがと」
この場で真希と有華の裏に気づいて居ないのは、気楽に袋から二人の為にと色々見繕った青年だけであった。
*
青年が居ればその場の空気は和やかであった。
有華も真希も、あたかも【自分達は仲良しです】という態度を崩さない。
とは言え、やはり表が在れば裏があるのが常である。
有華にしてみれば、一刻も早く真希を叩き出したい。
対して、真希にすれば有華と青年を二人きりになどさせられる筈もなかった。
自分より幾分か若い乳臭い小娘とは言え、時には劣情に任せて何を仕出かすかわかったモノではない。
青年の隙さえ在れば、有華は真希に、真希は有華に、互いに睨みを利かせる。
『とっとと去ねやぁ!! 邪魔臭いんじゃあボケがぁ!!』
そんな有華の心の声が届いたのかどうかは定かではない。
が、確実に同じ様に真希も負けじと念を飛ばす。
『ざけんな小娘が!! 消えんのはお前じゃちんちくりんがぁ!!』
丁度三人でゲームをしている事もあり、青年の目は画面に向いている。
「あー、うわー、駄目かー」
余りゲームが得意ではないのか、自分の負けを残念そうに云う青年。
目頭を手で抑え、負けを示す。
この間、有華と真希は互いに凄まじい視線だけの戦いを繰り広げていた。
目は見開かれてこそ居るが、光彩と瞳孔は収縮し、相手を確実に捉える。
眉間には皺が寄り、唇の端が震える。
その様を例えるならば、肉食獣が相手を威嚇するのにも似ていた。
今にも、お互いを殺さんばかりに意識だけをぶつけ合う。
殆ど画面を見ていないにも関わらず、何故に睨み合う二人が青年よりもゲームが巧いのかは人類の神秘と言えるだろう。
熱中しているからか、全く二人の視線と念を用いた戦いに気付かない青年だが、だからといって何も見えていない訳でもない。
ふと、壁に在る時計を見れば、それなりに時間が過ぎていた。
「おっと、こんな時間かぁ」何かを思い付いたらしい青年。
スッと真希の方へ顔を向けるのだが、コンマ以下の時間しか猶予が無いにも関わらず、彼女は素早く普段の顔を取り繕って居た。
「なぁ、晩飯食ってくか? なんなら用意するぞ」
青年のその言葉には特段の含みは無い。
物凄く単純に、偶々遊びに来た幼なじみの腹具合を確認しているだけである。
が、言葉は単純であっても、それを聴いた者達に取っては意味合いが違った。
位置的に丁度青年の右手側に居た有華はと云えば、青年の後頭部に向かって何とも言えない視線を向ける。
『兄貴ぃ!? いきなりなんば云いよるとですかぁ!?』
有華にしてみれば、真希は来客ではない。
せっかくの【青年と二人キリのウフフな時間】を無碍に踏み潰した極悪非道な女である。
そんな奴に対して、食事の誘いを出してしまう。
如何に敬愛する青年であっても、有華にも譲れない分は在った。
対して、青年から【お食事のお誘い合わせ】を申し出された真希はと云えば、華やぐ様な笑みを顔に浮かべる。
青年の背後に多少邪魔な何かは居るが、ソレはこの際問題ではない。
営業用の作り笑いではない微笑みを浮かべつつ、真希は頷く。
「うん、ありがと」
当然の如く、真希は感謝を示した。
もしも青年と二人ならば、或いは彼女も【え~、悪いよう】といった謙遜を示したかも知れないが、この場にてそんな余裕など無い。
僅かの隙など見せようモノなら、どんな邪魔をされるかわかったものではないからだ。
往々にして、世の中には【ツンデレ】なる距離感を用いた技術も在る。
敢えて相手を突き放し、いきなり引き寄せる事で相手の心を操ってしまう。
が、その技の使用が許されるのは、時間がたっぷり掛けられる場合に限られた。
当然だが、そんなモノを使う余裕など有華と真希には無い。
調子扱いて【押し離し】を使おうものなら、その隙に狙って相手に一気にかっさらわれる。
針鼠や海胆が如くツンツンしている相手より、にこやかに微笑んでくれる人の方が好意的なのは誰の目で見ても明らかなのだ。
それすらわからない間抜けには【引き寄せ】など使う暇すら与えられないだろう。
技を使うだけの時間も猶予も無い。
瞬き以下の時間を大事にする真剣勝負に置いては命取りである。
それらを弁える真希。
そんな彼女を見ていた青年の背後にて、激しく怒りを燃やす妹に気付かない兄は至って呑気ですら在る。
「そっかぁ、じゃあ……」
僅かの予備動作の後、青年の身体が反対へ向き始める。
人が振り返るのには大して時間は掛からない。
それでも、僅かの猶予の間に、有華も真希に負けぬ速度で顔を取り繕っていた。
瞬き程の時間にも関わらず、般若から妹へと。
「なあ有華、真希も食ってく云うからさぁ、何が良いかな?」
この質問もまた、青年からしてみれば特段の意味はない。
身近な妹に、献立の助言を求めただけである。
とは言え、やはりこの言葉もまた、聴く者に取っては違った意味合いが在った。
真希してみれば、青年から【何を食べたいのか?】を問われる事に全く問題は無い。
寧ろドンと来いである。
しかし、その聞いて欲しい事を青年は別の者に尋ねてしまった。
それも真希からすれば、一番尋ねて欲しくない相手にである。
対して、有華にしてみれば千載一遇の機会の到来と言える。
思い切り嗤いたく成るところだが、一つ問題が湧き上がった。
もしも、有華が真希の【苦手な何々】でも知っていたなら、或いはソレを存分に利用出来たかも知れない。
が、有華は怨敵を憎む余り、大事な事を失念していた。
俗に言う【相手を知り、己を知れば】という格言も在れど、そもそも相手を知らねば意味が無い。
僅かばかりに、有華の唇の端がプルプルと震えた。
『しまったぁああああ!? 何もしらねーじゃねーかぁああ!?』
悲しいかな、有華は真希の好みを全くといって良いほどに知らなかった。
もしも、敵対状態に成る前にそれを調べていれば、或いは相手の弱みに付け込めたかも知れない。
とは言え、知らぬモノは知りようがない。
胸の奥からこみ上げる【ぐうの音】を抑えつつ、チラリと窺えば、やはりと云うべきか真希は勝ち誇る笑みを浮かべている。
怨敵に対して、せめて一矢報いたかった有華。
それも出来ないのであれば、せめてモノ慰めとして兄に縋りたくなる。
「んとね……オムライスとか?」
有華が云った【献立】に関しては、彼女個人が好きなモノである。
この際は仕方ない、我慢の代償に、自分の好みを述べる。
ただ、ソレを云った有華は在ることに気付く。
青年の背後に居る真希は、嗤いを止めて何とも言えない顔を見せていた。