譲れぬ想い
当たり前だが、いきなり子分に成れと云われたならどうか。
然も、その相手が常日頃からお世辞にも友好的でない相手から。
大抵の場合、人は嫌がるだろう。
「何トチ狂った事云ってんの? とうとう頭になんか湧いちゃった?」
自分の頭に指先を向けると、それをクルクルと回して見せる。
とてもではないが、承伏を示すとは言い難いだろう。
有華の反応に、真希は目を細める。
どうせなら、力付くで無理やりにでも納得させたくなってしまう。
が、残りの生涯を思えば、無駄に禍根を残すというのも困りモノであった。
で在れば、多少は小娘の言葉を飲み下す腹は在る。
「まぁ、聴けや。 オノレもこのまんまって訳にゃあ行くまい? 其処で、良い提案を思い付いたんよ」
あくまでも停戦を促すつもりを止めない真希だが、有華の気持ちも分からないではなかった。
「へー、で? なんすか?」
やる気の無い有華。
ハッキリ言えば、両雌共に相手にはとっとと視界から出て行って欲しい。
強いて言えば、寧ろこの世から去って欲しいとすら想っている。
が、それは無理がある。
もし誰かが、何かに向かって何かを云うことは出来るだろう。
但し、その言葉にいかほどの意味が在るかは疑わしい。
蚊に向かって【血を吸うのは止めてください】と言った所で止めない。
蠅に向かって【無駄に増えないでください】と言っても聴くはずがない。
ましてや、泥棒に向かって【止めてください】というのに何の意義も無い。
何故ならば、もし何かを云って変えられるのであれば、この世はあっという間に変えられるだろう。
犯罪は無くなり、戦争は終わりを告げ、全てに平和が訪れる。
だが、そんな事が有り得ない事は真希にも分かっていた。
だからこそ、無理に自分を納得させて手打ちを持ち出している。
湧き上がる怒りを沈めんと、深く深呼吸を一つ。
未だにアドレナリンがモリモリと脳から湧き出して居るが、それを抑えようとする為か真希はスッと髪の毛を手で梳いた。
「でまぁ……アレだ、ワシがお嫁さんで、オノレは妹っつー事で、置いといたろうって思ってのう」
要約すれば【自分はお嫁、お前義妹で我慢しとけダボ】というのが真希の提案である。
多分に自分勝手な申し出かも知れないが、真希にしてみれば最大級の譲歩でもあった。
そもそも青年の幼なじみの彼女にしてみれば、有華は乱入者でしかない。
いきなり現れ、自分が居るべき場所へ陣取り、それだけに飽きたらず、自分がすべき事をやっている。
青年のシャツに身に纏うだけでなく、かの青年に匂いを付けるなど、真希にしてみれば万死に値する所行であった。
そんな許せない、どうせならぶち殺したい相手をわざわざ許し、あまつさえ【子分】にしてやろうという。
真希からすれば【なんて私は寛大なんだろう】という心持ちである。
「でぇ、どうや? ワレも妹っつー事で、兄やんのお側に居られるやろ? なぁに、ワシは関大やさかいに、摘まみ食い程度なら目ぇ瞑るつもりや」
但し、本人の気持ちがどうであれ、他人がそれを素直に受け入れるのかは別の問題であった。
来客の提案に、有華はとりあえず耳を貸しはした。
が、湧き出てくる答えは一つだけ。
「……は? あんた、頭おかしいんじゃないの?」
たった一言にて、有華は真希の申し出を切り捨てた。
来客の思惑がどうであれ、少女にしてみれば馬鹿げた話でしかない。
そもそも第一に、兄に自分以外の馬の骨が嫁に収まるなど、到底看過できる話な訳もなく、加えて気に入らない相手の舎弟に成れという。
とてもではないが、承伏できる筈もなかった。
何せ、真希の申し出には有華に何の利点も無い。
自分は嫁に成れない所か、この後の生涯全てを何もかもを奪われた苦悩の内に過ごす事など、とてもではないが受け入れられるモノではない。
有華の返答に、真希のこめかみ辺りに血管が僅かに浮かぶ。
全身が強張りに加えて、血糖値が増していく。
表面的な態度を除けば、真希の身体は既に戦闘体制に入りつつ在った。
だが、超人的な自制心を用いて飛び掛かる様な真似を真希は慎む。
「お? そらどういう意味や?」
盗っ人にも三分の利が在るという言葉通り、有華の言葉の続きを促す。
若干声を震わせる真希に比べ、今度は有華が盛大に溜め息を吐いた。
「あんさぁ、五秒考えてわかんねぇかなぁ? さっきの申し出? だかなんだかってさ、コッチに何の得が在るわけよ?」
一旦言葉を区切ると、有華は椅子の背もたれに背中を預けた。
敢えて背中を預けるという事は、余裕を現す為である。
常に背中を浮かせているという事は、何時でも飛び出せる事を意味する。
それに対して、今の有華は敢えてそれを捨てる事で自己の優位性を見せたかったのだ。
軽く片手をあげ、有華は真希を指差す。
「立場変えて考えてみぃ? どう想う?」
そんな有華の一言に、真希の脳裏には在る光景が浮かぶ。
*
唐突に見えるのは華やかな宴の場。 最も、其処は単なる宴会場ではない。
特段に何処という訳ではないが、重要なのは其処は祝う場という事だ。
そして、何かの祝いである以上、ソレは居た。
設えられた演台にて立つのは、二人の男女。
片方の真っ白な礼服を纏う誰かの顔は死に物狂いで想像しないが、その反面、傍らに立つ者の姿は見えてしまう。
台の上にて、勝ち誇る様に仁王立ちを決めるのは、純白のドレスを纏う憎い小娘。
我が世の春、所の話ではない。
全てに打ち勝ち、何もかもを手に入れた勝利者にのみ許された満面の笑み。
そして、ソレ等は【見る側】の者が居るからこそ成り立つのである。
有り得ない光景に、真希の身体は強張った。
何故ならば、見えるソレは真希にとってみれば【地球が滅んだ】のとほぼ同じ意味を持つ光景に他ならないのだから。
*
固まる真希に、有華はフンと鼻を鳴らした。
僅かな音を敏感に聞き取ったのか、真希の目に正気が戻る。
そんな来客の反応に対して、有華が笑った。
「ま、そんなこんなでさっきの話はあり得ねーわな?」
申し出を蹴っ飛ばす様な有華の声に、真希の顔から色が失せた。
「ほぅ、つまりは……交渉決裂っちゅう事かい?」
寛大な自分の申し出を蹴り飛ばした有華を、真希はジッと睨む。
対して、有華もまた真希に全力で睨みを利かせていた。
「交渉も糞もあるかぁい、どこが良い提案やねん。 交渉ってのはなぁ、受ける側にも利があるからこそ成り立つんじゃい」
有華の云うことは至極当然でもある。
だが、だからといって真希に譲れるかと言えば無理があった。
如何に青年が我慢強い質とは言え、果たしてそれは無限かと問われれば答えは難しい。
寧ろ、小娘の暴走に近い津波の様な迫り方に、いずれは決壊の憂いもある。
つまりは、一分一秒ですら安心出来る筈がない。
実際、有華という存在が現れて以来、真希はろくに眠れぬ日すら在った。
「……ほぅか、だったらしゃあないのぅ」
今までは、交渉の為と何とか自分を抑えていた真希だが、もはや手段を選んでいる場合ではなかった。
兎にも角にも、目の前のムカつく小娘を始末しようという殺意がムラムラと湧き上がる。
如何に不穏分子とて、居なくなってさえしまえば恐れるに足らない。
「出来れば、事を穏便に済ませたかったが、ソッチがそうなら……のう?」
首を軽く傾け、関節内の余分な隙間を無くす。
ソレは、来るであろう衝撃に対する対応策であった。
対して、有華がそんな殺気に脅えるのか、と言えば話は違った。
行動にて訴えるのであれば、寧ろドンと来いである。
如何に青年の幼なじみとは言え、有華にしてみれば赤の他人に過ぎない。
寧ろ、古い付き合いだからと兄に粘着する様に付きまとうのは許せなかった。
事ある毎に現れて、有華を牽制し、邪魔をしに来る。
そんな唐変木が、向こうから仕掛けて来てくれるのであれば有り難い。
ああだこうだと口で云ったところで事態は変わらない。
であれば、有華にしても、いずれは【兄の幼なじみ(笑)】を始末してやろうとすら画策していた程である。
「そーね、やっぱり……コレッきゃないわな」
軽く肩や肘を回し、違和感が無いかを確かめる。
打突に置いては、関節の僅かな軋みすら隙に成りかねない。
億が一、勝負に負けたとしても、来客が突然の乱心という事にて、法律を用いて兄の側から消し去ってやるという算段すら在った。
ゆったりと、立ち上がる有華と真希。
細身の筈だが、もし第三者がこの場に居たなら二人の体格が変わった様に感じるだろう。
時に、気力や気概は本人の物質的質量や体積すら超えて見せる時がある。
二人からは瘴気と云わんばかりの何かが揺らめく。
今や、二人は一触即発。 何か合図代わりの音が在れば、互いに飛び掛かり兼ねない。
そんな殺意が支配する修羅の場に、風が吹いた。
「おーい、ただいま! お待たせ~」
風とは、地球の回転がもたらす物理的モノではなく、帰宅を告げる声である。
そんな声に、一触即発の筈の殺意は瞬く間に霧散した。
立ち上がった筈の有華と真希は、慌てて椅子に座り直すと、自分を確認する。
着衣の乱れ、髪の毛、その他諸々。
当たり前だが、青年に自分の影を見せる訳には行かないのだ。
「ん? 冷房点けたかなぁ……ま、いっか」
全くもって呑気な声と共に、青年がトストスと足音立てながら部屋へと入る。
ほんの少し前には、まかり間違えば其処は血塗れに成っていたかも知れない。
しかしながら、偶然にもソレは未然に防がれていた。
「あれ? なんだ、二人共座って待ってたのか? 別にゲームとかなんでもやってたって良いのにさ」
青年にしてみれば、女の園で何が行われて居るのかは知るべくもない。
もしかしたら、適当に二人で遊んで居るのではと想像していた。
呑気な青年だが、それも無理はない。
何故ならば、彼は二人の裏を知らないのだから。
「「おかえりー」」
さも当然の如く、迎える言葉は朗らかであった。