今日は絶対定時で帰ります〜走れ佐藤〜
4月最初の平日。
15時45分に終業の鐘が鳴った。俺の今週のシフトは早番だ。
俺は急いだ。今日は必ず、定時で帰らなければならぬと決意した。
自分のデスクに戻りそそくさと帰り支度をしていたらグループリーダーが近づいて来た。俺に何か用だろうか? 目を合わせてはいけない。彼は話が長い。帰るのが遅れてしまう。
「佐藤君ちょっといい?」
ヤバい。やはり俺に用があるらしい。グループリーダーの眉間には皺が100本くらい刻まれている。とても悪い兆候だ。恐らく叱られる。
車の部品のネジ釘を、桁を2つも間違えて10万個発注した事か?
それとも車を塗装する機械を大爆発させてしまった事か?
BGMを「およげ!たいやきくん」にして皆のやる気を削いでしまった事か?
いずれにせよ定時で帰れなくなってしまう。
「あ! 鬼嫁!」
俺はグループリーダーの後ろを指差し、彼が背後を振り返っている隙に逃げた。危ない所だった。
「佐藤君ちょっといいかな?」
タイムカードを押していると後ろから声を掛けられた。総務部のマドンナ、花岡さんだ。
俺は彼女に入社以来7年間も片思いしている。だが今日はいくら彼女でも俺にとっては行く手を阻む壁に見える。俺が急いでいるのも構わず彼女は言った。
「今度飲みに行かない?2人で」
俺はとにかく帰りたいのだ! 総務部のマドンナとサシ飲み出来るかもしれない事などどうだっていい!
「あ! タピオカミルクティー!」
俺は花岡さんの後ろを指差し、彼女が背後に気を取られている隙に逃げた。危ない所だった。
「佐藤、ちょっとよか?」
駐輪場に停めてある愛チャリの鍵を解錠していると横から声を掛けられた。同期の村上だった。
「今から焼肉行かん? 奢るばい。この前のお礼も兼ねて。叙々苑でも牛角でもどこでも良かばい」
こいつにはこの前休日出勤を代わってやったという貸しがあった。でも高級焼肉をロハで思いっきり食べられる事が何だ! 何で皆俺の邪魔をするんだ!
「あ! 特上カルビ!」
俺は村上の後ろを指差し、彼が背後をキョロキョロしている隙に逃げた。危ない所だった。
その後も俺には数々のハードルが立ち塞がった。
荷物を持ってあげたおじいちゃんに一億円の相続を持ち掛けられたり、自転車のタイヤが何故か2つともいっぺんに外れたり、途中でひったくりや追い剥ぎにあってカバンや服を盗られたり、子供たちに虐められている馬鹿でかい海亀を助けたら亀に海中に引きずり込まれそうになったりしたが構わず走り続けた。
最終的に俺はパンツ一丁となって走り続けた。「待て! 猥褻物!」と背後で警官が怒鳴っているが脇目も振らず走り続けた。
アパートの近くの川まで来た時、俺は目を疑った。川に架かっていた橋が無いのだ。ええいままよ! 俺はザンブと濁流に飛び込んだ。
俺は何とか対岸の木の幹にすがりつき無事渡り終えた。お陰で警官も巻く事が出来た。
今日はどうしても観たい番組があるのだ。現在録画が出来ない状況なので、リアルタイムで観なければならない。
この前盗人に入られて、録画の機械だけをピンポイントで盗まれたのだ。「自分で捨てたのを忘れてるんじゃないですか?」と言われそうで警察にも相談しにくかった。
後少し!
俺はセリヌンティウスの元へ急ぐメロスのように一心に駆けた。
アパートの部屋に転がり込みテレビのスイッチを押した。16時19分! 何とか間に合った!
今日はNHA教育「おかあちゃんといっしょ」の新しいたいそうのおにいさんとおねえさんのお披露目の日なのだ。こんな記念すべき放送を見逃す手がありますか? いや、無い!!
カラフルなオープニングが流れ、始まった。新しいたいそうのおにいさんとおねえさんだ!
俺は彼らのイケメンイケジョっぷりを堪能し悦に入った。
新しいたいそうのおにいさんはちょっと緊張しているのかスマイルがぎこちないのが初々しくて良いし、上腕の袖からさり気なく覗くムキムキ筋肉とぎこちなさとのギャップがたまらない。
おねえさんの方は幼さと落ち着きと美貌と可愛さとが同居した顔が実にキラキラ輝いていて、側転を軽やかに決める様は見ていてとても気持ちが良い。
それから一緒に新しい体操「にっこにこ☆プンプンたいそう」を見よう見まねで踊った。たいそうのおにいさんとおねえさんが優しく誘導してくれるので初めてでも分かりやすい。途中でパンツを脱ぎ捨て全裸になって脚をドスドスと床に叩きつけている内にストレスが全て弾け飛んだ。
今夜は枕を高くして眠れそうだ。明日も頑張ろう。俺は満足した。
ありがとうございました。