(9)新たなる旅立ち
翌日、エリカとシュテファンは町の人たちと話し合い、自分たちが相続した遺産のすべてを町に寄贈すると申し出た。これに対して町の人たちは、シュテファンにハーゼンフェルト組合商会の幹部職員になることを強く要請した。シュテファンは最初は性に合わないと言って断っていたが、エリカの将来のことも考えてしぶしぶ受諾し、二人はルドルフじいさんの残した家に住むことになった。
それから二日後の朝、ハインリヒとアルベルトゥスは金獅子亭の女将さんに別れを告げて宿をあとにすると、ハーゼンフェルトの町の門の前にやって来た。目の前を西へと続く街道には、春の太陽の光が降り注いでいる。
「いろいろあったけど、楽しかったな。僕も吟遊詩人としての生きがいを感じたよ」
「私ももっと医学の道を究めようという気になりました。シュテファン君もエリカさんも、この町で幸せに暮らしていけるでしょう」
「そうだね。それに近所には親切なエディタさんもいてくれるから安心だよ。さあ、出発しようか」
「待ってくれ。おれも一緒にいくぜ」
後ろから若い男の声がした。驚いて振り返ると、そこには旅支度をしたシュテファンが立っていた。
「シュテファン、きみは町の商会で幹部職員として働くことになったんじゃないのかい?」
「ああ、そうだよ。これから商用の旅に出るんだ」
「商用の旅って、いったい何をするんだい?」
「各地を歩いて視察し、新しく商売になりそうなものを調査するのさ。行き先はおれが自由に選んでいいんだ。せっかくだから、おまえらと一緒に旅をしようと思ってな」
商会の人たちがそんな都合のいい出張を認めるはずがない。おそらく書き置きでもして勝手に出てきたのだろう。ハインリヒはそう思った。シュテファンはいかにもうれしそうな顔をして立っている。
「しょうがないやつだなあ。わかったよ。一緒に行こう」
「そう来なくっちゃ!」
「でもエリカを一人置いてきて、大丈夫かい。まあ、エディタさんがいるから、心配ないとは思うけど」
すると物陰から、同じく旅支度をした少女の姿が現れた。
「えへへ、あたしも一緒だよ」
「まあ、おれたちにはいなくなった親父を探すという目的もあるし。それにあんな狭い町にずっと閉じこもっていたら息が詰まっちまうぜ。おれはもっと広い世界を見てみたいんだ」
「あたしは将来ハインリヒのお嫁さんになるって決めたんだ。だからいっしょに旅をするの。浮気でもされたらイヤだからね」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ。そんなこと勝手に決めないでくれよ」
「いいの。あたしがそう決めたんだから、それでいいの」
「まあいいじゃありませんか、ハインリヒ君。エリカさんの気の済むようにさせるしかありませんね」
ハインリヒは脱力して溜息をついた。エリカはそんなハインリヒに抱きついて、頬にキスをした。動揺するハインリヒの背中をエリカがバシッと叩く。
「ほら、かわいい女の子と一緒に旅ができるんだから、もっとうれしそうな顔をしなさいよ!」
「そうですよ、ハインリヒ君。芸の道は長いけれど、人生は短いんですから、楽しく生きないと損ですよ」
「ハインリヒ、アルベルトゥスの言うとおりだ。さあ、ガウデアームスを一緒に歌おうぜ!」
ハインリヒは気を取り直して、仲間たちの顔を見た。みんな心から楽しそうな表情をしている。エリカの本当に無邪気であどけない笑顔を見て、ハインリヒはふと、この少女を守ってあげたいと思った。
「ようし、それじゃあ歌うか!」
ハインリヒはリュートを取り出して伴奏を弾き始めた。みんなは一斉に歌い出す。
楽しく生きようぜ
まだ若いうちに……
(第1部 完)