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(7)ウサギのペンダント

 ルドルフじいさんはウサギのペンダントを手に取ると、しばらく感慨深そうに眺めていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「このペンダントは、たしかにわしが若い頃にルイーゼに贈ったものじゃ」

「ルイーゼおばあさんは亡くなるとき、それを形見として母に渡したのです。何か困ったことがあったら、ハーゼンフェルトのルドルフという人を訪ねるようにと言い遺して」

「そうか。ルイーゼはもう亡くなってしまったのか……」


 ルドルフの目には涙が浮かんできて、手で目のあたりを拭った。


「その母も二年ほど前に亡くなりましたので、ペンダントはあたしが祖母と母の形見として持っているんです」

「シャルロッテも……亡くなったのか……何ということだ……」

「おふくろのことを知ってるんですか!」


 それまで黙っていたシュテファンが、驚きの声を上げた。その間、アルベルトゥスはなぜか冷静な表情で、シュテファンとエリカとルドルフじいさんの顔を交互に何度も見比べていた。


「あ、ああ、ルイーゼに女の子が生まれて、シャルロッテという名前が付けられたということは、風の噂に聞いて、知っておった。そうか、あんたたちがシャルロッテの子どもたちなんじゃな」

「そうです。ルイーゼおばあさんはガブリエルおじいさんが破産して亡くなったあと、貧しい生活の中で苦労してシャルロッテおかあさんを育てました」

「ああ、それも知っとる。わしはその頃にはこの町で事業を始めておって、金銭的には余裕があったから、ルイーゼに援助を申し出た。だが断られたよ。それからしばらくして、連絡が取れなくなった……」


 ルドルフじいさんはそう言ってうつむいた。エリカはしばらく何か言いかけてはためらっていたが、やがて思い切って尋ねた。


「ルドルフさんは、ルイーゼおばあさんのことを、愛してらしたんですか」

「ああ、愛していたよ。ルイーゼは生涯でわしが愛したただ一人の女性だ」

「じゃ、じゃあ、どうして結婚しなかったんですか!」

「できなかったんじゃよ。いや……わしに勇気がなかったんじゃ……」


 老人は少しずつ自分の過去を語り始めた。


 ルドルフは孤児院で育てられ、ルイーゼの父親が営む羊毛を扱う商会に見習い店員として引き取られた。ルドルフは真面目に働いたので、主人からも目をかけられた。ルイーゼはわがままなお嬢様だったらしいが、その気まぐれな言いつけにも快く応じてくれるルドルフのことを次第に好きになっていった。ルドルフは身分をわきまえて、最初は距離をおくようにしていたが、やがてルイーゼに惹かれるようになった。


「ルイーゼの十六歳の誕生日に、わしはこの銀のウサギのペンダントをプレゼントした。友人に金細工師の徒弟がいて、材料費分だけでいいと言って作ってくれたよ。見習い店員のわしにとっては、それが精一杯だった。それでもルイーゼはとてもよろこんでくれて、初めてわしに抱きついて、口づけをしてくれた。わしは本当にうれしかった……」


 ルドルフじいさんは幸福そうな顔をした。しかしすぐに、その表情は曇り始めた。


「それからルイーゼとわしは密かに愛の言葉を交わすようになった。じゃが、二人の仲に気づいた主人はルイーゼを金持ちの許婚とすぐに結婚させようとした。ルイーゼはある日わしをこっそり呼び出し、いっしょに町から逃げようと言ったんじゃ……」


 エリカとシュテファンは老人の話を真剣な表情で聴いている。老人は話を続けた。


「だが、わしにはできなかった。孤児院からわしを引き取って目をかけてくれた店の主人への恩義もあったし、それに何より、駆け落ちしてよその土地に行っても、貧乏生活で苦労をかけるのは目に見えていた。何不自由なく育ってきたお嬢様のルイーゼを幸せにしてやれる自信がなかったんじゃ。そう答えたときのルイーゼの悲しそうな顔は、今でも忘れられんよ」

「ルドルフさんのお気持ちはよくわかります。だれもあなたを責めることはできませんよ」


 それまで黙っていたアルベルトゥスがルドルフを慰めた。だが老人は頭を振った。


「いや、今ではわしはそのことを深く後悔しとる。わしは勇気がなかった。意気地なしだったんじゃ。ルイーゼが婚約者のガブリエルと結婚したあと、わしは店を辞めて町を出た。それからは行商をしてひたすら働いた。やがてウサギの肉と毛皮の商売を思いつき、資金を貯めてこの町に戻って、自分の店を始めた。そのときにはすでに、ルイーゼの実家も破産して、主人一家の行方もわからなくなっておった……」


 ルドルフじいさんはそこで一息つき、運ばれてきたビールを一口飲んだ。エリカは哀しげな顔をして、老人の顔を見つめている。


「ルイーゼがいなくなってから、わしにとって人生は何の喜びもない、墓場のようなものじゃった。ただ仕事に励んでいると、寂しさや悲しさを忘れることができた。だからわしは死んだように、ひたすら仕事に精を出した。年を取って身体を壊し、引退してからは、この酒場に来て一人で静かに酒を飲むことだけが、ささやかな楽しみじゃった。そんなときにたまたま、吟遊詩人のヴァルターさんの歌を聴いたんじゃ……」

 

 ヴァルター師匠の名前が出てきて、ハインリヒは目を輝かせた。


「それで、ヴァルター先生はどんな歌を歌ったのですか」

「若い男女の悲恋の歌じゃった。わしはルイーゼのことを想い出して、涙が止まらなかった。すると歌い終えたヴァルターさんがわしのところまでやってきてくれて、あなたに捧げますと言って、別の歌を歌ってくれた。人生を楽しもうという内容の歌で、ちょうどあんたが昨日歌ったガウデアームスとかいうのと、よく似た歌詞じゃった」

「ああ、<人生を楽しめ はまだともっている バラを愛でよ しぼむ前に>という歌ですね」

「そう、それじゃ。ヴァルターさんに促されて、わしはいっしょに歌った。他にも陽気な歌、哀しい歌、滑稽な歌。歌っているうちに、わしは数十年ぶりに明るく楽しい気分になった。長いこと忘れていた人生の喜びを再び見つけたような気がした……」


 ルドルフ老人の話を聞いて、ハインリヒは昨夜の酒場で客たちと一緒に楽しく歌を歌ったことを思いだした。


「わしはヴァルターさんに、歌を教えてくれるように頼んだ。彼は快く引き受けて、翌日から毎日わしの家に来てくれるようになった。わしはヴァルターさんに教えてもらって、一緒に歌をうたった。本当に楽しい一週間じゃった。わしは本当に久しぶりに友人というものを持ったんじゃ」

「でも一週間後にヴァルター先生は町を出て行かれたのですね」

「ああ。吟遊詩人だから同じ町にあまり長く滞在することはできないとおっしゃってな。どこの町へ行くかは訊かなかったが、西の方へ向かうとのことじゃった」

「西の方ですね。わかりました。それだけの情報でも助かります」


 ハインリヒが礼を言い終えると、アルベルトゥスが真面目な顔をして尋ねた。


「ところでルドルフさん。あなたは心臓に持病があるそうですね」

「ああ、もう医者にも見放されておる。先は長くないと自分でもわかっとるさ」

「私に一度、診察させていただけないでしょうか。これでもサレルノの医学校で最新の医学を学んできておりますので」

「そうか。わしはもういつ死んでもいいと思っとったが、ヴァルターさんやあんたたちに会ったら、なんだかもう少し長く生きてみたくなってきたな」

「そうですよ。できるだけ長く生きて、人生を楽しみましょうよ」

「ありがとう。では明日の昼に、みなさんでわしの家に来てもらえるかな。昼食をごちそうして差し上げよう。それに……ほかにも少し、話したいことがあるんじゃ」

「わかりました。では明日のお昼に伺います」


 ハインリヒたちは老人のテーブルを辞去したが、すぐに客たちにつかまり、せがまれて歌を歌うことになった。ステファンもジャグリングの芸を披露した。こうしてその夜も更けていった。


※ <人生を楽しめ 灯はまだともっている バラを愛でよ しぼむ前に>という歌は実在する歌です。


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