(5)大道芸人の兄妹
◎ 新しい登場人物
・シュテファン:大道芸人の若者。いなくなった父親を探して旅をしている。
・エリカ:その妹。14歳。
・ルドルフじいさん:ルドルフ・キルシュナー。エリカたちの祖母ルイーゼの元恋人だったらしい。ウサギの肉と毛皮の商売で大成功するが、引退して孤独に暮らしている。
・ルイーゼ:エリカとシュテファンの祖母。恋人だったルドルフからウサギのペンダントをもらうが、金持ちの許婚ガブリエルと結婚する。
・シャルロッテ:ルイーゼの一人娘でエリカたちの母親。
昼時の中央広場は人でにぎわっていた。広場の隅では、あの大道芸人の若者がまたジャグリングをしていたので、ハインリヒたちは近づいて行った。若者はハインリヒと目が合うと、一瞬笑みを見せて、玉を操り続けた。しばらく群衆に交じって演技を眺めていると、脇の方からおずおずと話しかける声がした。
「あっ、あのう……」
ふと見ろと、短い亜麻色の髪の小柄な少女が立っていた。大道芸人の妹である。よくみると、本当にまだあどけない顔をしている。ハインリヒは少女に向かって微笑みながら返事をした。
「やあ、君だったのか」
「きっ、昨日は……どうも、ありがとうございましたっ」
少女はぺこりと頭を下げた。そしてゆっくりと布製の巾着を取り出して、ハインリヒの前に両手で差し出した。少女が昨日ハインリヒからスリ取った銅貨の入った巾着だった。
「こっ、これ、お返しします。ごめんなさい」
「あっ、ああ……、いや、いいんだよ。これは君にあげたんだから」
「でっ、でも、やっぱりもらうわけにはいかないから……」
少女は決然とした真剣な眼差しでハインリヒの目を見つめた。ハインリヒは少しの間考えていたが、少女の手から巾着を受け取った。
「わかった。それじゃあ返してもらうことにするよ。ところで、君は名前は何ていうの?」
「エリカです。兄はシュテファンといいます」
「年はいくつなの?」
「十四歳。兄は十八です」
ハインリヒは驚いて、エリカの顔をしげしげと見た。まだ子供っぽく、せいぜい十二歳ぐらいにしか見えない。逆に兄の大道芸人の若者の方は大人びていて、二十歳過ぎだと思っていたが、実際にはハインリヒたちと同い年だったので、意外に思った。今度はアルベルトゥスがエリカに訊いた。
「もう長いこと、お兄さんと放浪しながら生活してるのですか?」
「二年ぐらいになります」
「お兄さんのジャクリングの腕前は本当にすばらしいですね」
「ありがとう……」
エリカははにかみながら礼を言った。するとハインリヒはふと何かを思いついたように、ジャクリングをしているシュテファンの方へ向かっていき、前に置かれた帽子の中に巾着の銅貨をじゃらじゃらと落とした。再びエリカのところへ戻ると、エリカは目に涙を浮かべて、ハインリヒをじっと見つめた。ハインリヒはエリカの肩に手を置いて言った。
「シュテファンの芸はあのくらいの見物料には十分に値するよ」
「本当にその通りですよ」
アルベルトゥスも同意すると、自分の銭入れから銅貨を取り出して、芸をしているシュテファンの方に近づいていき、前に置かれた帽子の中に投げ入れた。すると見物人たちが次々とそれに倣い始め、やがて帽子の中は銅貨でいっぱいになった。中には銀貨も混じっている。一通り演技を終えると、シュテファンは観客たちに深々とお辞儀をした。大きな拍手と歓声が沸き起こった。エリカも涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、観客に混じって手を叩いていた。
そのあとハインリヒたちは、エリカとシュテファンを誘って、近くの食堂で昼食をとることにした。ウサギの看板の「ウサギ亭」という店で、名前の通りウサギ料理が名物らしい。目の前に出されたウサギのロースト肉を見て、アルベルトゥスがうんざりしたように言った。
「やれやれ、この町の名物はウサギしかないのでしょうかね」
「町の名前の通り、昔からこのあたりにはウサギがたくさんいたというし、今ではウサギを飼育してるらしいよ」
「あたしが母からもらった形見のペンダントもウサギなんです。もともとは祖母のものだったらしいんだけど、祖母はこの町の生まれだって聞きました」
エリカはそう言うと、首からかけたペンダントを取り出して見せた。小さくて素朴な感じの丸いペンダントで、銀製だがそれほど高価なものには見えない。表面にはウサギの姿が彫金されていて、裏面には「愛するルイーゼへ」と彫られている。そしてその下には小さく「ルドルフ」という文字が見えた。ハインリヒははっとした。
「ルイーゼというのは祖母の名前です。でも、祖父はガブリエルで、ルドルフではありません」
「おれたちもこのルドルフっていうのがどういう人なのか、よく知らないんだ」
シュテファンがウサギの肉を頬張りながら口を挟んだ。エリカは話を続ける。
「ルイーゼおばあさんはおじいさんと結婚したあとも、ずっとこのルドルフさんのことを密かに愛し続けていたんじゃないかと、あたし思うんです」
「おふくろに聞いた話では、ガブリエルじいさんというのは金持ちの商人だったんだけど、女癖が悪くて、女中にも手を出すし、愛人もこしらえてたらしいんだ」
「シャルロッテ母さんが生まれてからは、家にもあんまり寄りつかなくなって、愛人のところに入り浸ってたそうなの。そのうち事業もうまくいかなくなって、そのショックのせいで病気になって急死したんだって」
ハインリヒはエリカたちの話を聞きながら、ルイーゼとルドルフ、ガブリエルという三人の人物の人間関係をいろいろと想像していた。
「それからルイーゼおばあさんは針仕事なんかをしながら、苦労して一人娘のシャルロッテ母さんを育てたんだけど、母さんが十六歳のときに病気で亡くなったの。そのときにこのペンダントを渡して、困ったときにはハーゼンフェルトの町のルドルフさんという方を訪ねて行きなさいって言ったんだそうです」
「おふくろは結局、ハーゼンフェルトへは行くことはなかった。同じ町の靴職人と結婚しておれたちが生まれた。だけど親父はお袋を捨てて、どこかへいなくなってしまった。それからおふくろは針仕事をしながら、おれたち二人をなんとか育ててくれたんだ」
「そのシャルロッテ母さんも二年前に亡くなったんだけど、そのときにこのペンダントを私にくれたのよ」
「そのペンダント、ちょっとよく見せてくれませんか?」
アルベルトゥスはウサギのペンダントを受け取ると、回したりひっくり返したりしながらじっくり観察した。
「うん、これはたしかに銀製ですが、それほど純度は高くないようですから、たいした値段はしなかったでしょう。彫金の方も一人前の職人ではなく、徒弟ぐらいの人が彫ったものだと思います」
「ルドルフさんがルイーゼさんにそのペンダントを贈ったときは、かなり貧しかったんだろうな」
「そのルドルフさんというのは、あのルドルフじいさんのことなのではないでしょうか……」
ハインリヒもアルベルトゥスとまったく同じことを考えていたのだった。