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(2)ハーゼンフェルトの中央広場

 石造りの門を通り抜けて町の中に入ると、ハインリヒは近くにいた人に薬種屋の場所を尋ねた。薬種屋は町の中央広場にあった。広場には立派な教会も建っている。小さいながらも活気があり、けっこう裕福な町のようだ。ハインリヒは薬種屋へ入り、しばらくすると手に持った巾着をじゃらじゃらと振りながら出てきた。顔には満足げな笑みが浮かんでいる。


「例の強壮剤の原料が銀貨十枚で売れたよ。大店の旦那さんたちに人気があるんだってさ。他の薬草はたいした額にはならなくって、全部で銅貨五十枚だったけど、まあまあってとこかな」

「それはよかったですね。ではそろそろ今夜の宿でも探すとしましょうか」


 そのとき、中央広場の端の方から拍手と歓声が聞こえてきた。なにやら人だかりができている。ハインリヒたちが近づいていくと、一人の体格のいい大道芸人の若者がジャグリングをしていた。五色の玉が素早い速度で宙を舞う。若者は身をくねらせて、脇の下や股の下から玉を投げたり受けたり、あるいは足の甲や踵で弾いたり、長い腕の上を転がしたりした。あまりに見事な芸にハインリヒも思わず拍手をした。そして銅貨を投げてやろうと腰に手を伸ばしたが、下げておいたはずの布製の巾着がなくなっていることに気がついた。


「ハインリヒ君、これは君の巾着だろう」

「はなせ、はなせってば」


 アルベルトゥスが小さな女の子の手首を掴み上げていた。その手には巾着がしっかりと握られている。女の子は泣きそうな声を上げながら、手を振りほどこうと必死にもがいている。ハインリヒは女の子の顔をしばらくじっと見つめたあとで、ゆっくりと言った。


「アルベルトゥス、はなしてあげていいよ」

「えっ、で、でも、こいつスリですよ」

「いいんだ。それはこの子にあげたんだ」


 アルベルトゥスの手が一瞬ゆるんだすきに、少女は手を振りほどくと、巾着をもったまますばやく走り去った。途中でいったん立ち止まって振り向いたかと思うと、一瞬ハインリヒの方を何か訴えかけるような目で見つめたが、すぐにまた走り出し、やがて角を曲がって姿が見えなくなった。髪の短い、少年のような感じの少女だった。


「相手が子供だからといって簡単に許してやると、クセになりますよ、ハインリヒ君」

「うん、それはそうなんだけど、なんだかそんなに悪い子には見えなかったんだ。きっと何か深い事情があるんだよ。それにあの巾着に入っていたのは銅貨五十枚だけで、銀貨の方は別の袋に入れてあるんだ」


 ハインリヒはそう言うと、懐から革製の巾着を取り出して、じゃらじゃらと鳴らした。アルベルトゥスは両手を開いて掌を上に向け、やれやれという表情をした。


「まあいいじゃないか。気を取り直して、今夜の宿をさがそう」

「そうですね。ああ、あそこにちょうどいい感じの宿屋がありますよ。金色のライオンの看板が掛かってるところです。一階は酒場になってるし、ちょうどいいんじゃないですか」

「なるほど、金獅子亭か。ヴァルターさんが好みそうな名前の宿屋だな。何か情報が得られるかもしれない。そこにしよう」


 二人は金獅子亭に泊まることにした。宿賃は朝食付きで一人銀貨一枚とやや高めだが、この町の宿屋はどこもだいたいそのくらいするらしい。案内された部屋は三階で、わりと広くこぎれいだった。アルベルトゥスはさっそくベッドの上に寝転がった。


「ああ、なかなかいい部屋ですね。私の実家はハンブルクという北の港町にあるのですが、ちょうどこんな感じの部屋で少年時代を過ごしたのですよ」

「そうか、ハンブルクの生まれか。だから色白で金髪で蒼い目をしてるんだね」

「ええ、父も母も金髪碧眼です。父は商人なのですが、先祖はノルマン人のバイキングだったようです。私は三歳の時から家庭教師をつけて勉強させられて、ラテン語とギリシア語とヘブライ語は読み書きに不自由しなくなりました」

「それはすごいや」


 ハインリヒは感嘆の声を上げた。しかしアルベルトゥスはちょっと複雑そうな顔をしている。


「運動に関しても、乗馬と剣術を先生について練習し、それなりの腕前になりました。でも外を自由に出歩くことが許されなかったので、窮屈でしかたなかったのです。自分の知らない外の世界に対する憧憬の念を抑えきれなくなり、十二才になったときに強引に頼み込んで、パリの大学へ行かせてもらったのです」

「へえ、僕は十二歳の時にはヒルデばあさんの薬作りの手伝いをやったり、ヴァルター先生に歌を教えてもらったりしてたな」

「パリの大学で二年ほど哲学と神学を学んだのですが、もっと人の役に立つ医学をやりたくなったので、サレルノの医学校へ移って四年ほど勉強しました。そこで一通りの医学の知識と技術を習得したので、もっと広く知識を求めて各地を遍歴することにしたのですよ」


 ハインリヒはアルベルトゥスが自分と同じ十八歳だと知って驚いた。ずいぶん落ち着いていてしっかりした大人の感じのするアルベルトゥスと比べると、ハインリヒは自分がひどく幼稚に思えてきて、恥ずかしくなった。


「さあてと、ちょっと横になってたら疲れも取れましたから、下へ降りていって夕食でも食べましょうか」

「うん、そうだね」


 窓の外はもう暗くなっている。二人は階段を降りていき、一階の酒場へ入った。酒場の中は客でいっぱいで、二人はカウンターの席に並んで座り、さっそくビールを注文して、二人の友情に乾杯した。

※ ハーゼンフェルト(Hasenfeld)は架空の町ですが、実際にありそうな名前です。

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