(1)遍歴学生アルベルトゥス
<前書き>
中世ヨーロッパを舞台にした冒険ファンタジーを書こうと思います。時代としては15世紀頃のドイツを想定しています。主人公は自称吟遊詩人の少年ハインリヒ。
森の外れで薬草作りをするヒルデばあさんに孤児としてとして育てられますが、父と母の素性は不明。ヒルデばあさんの息子で吟遊詩人のヴァルターに師事し、吟遊詩人として生きていく決意をします。
ヴァルター師匠はあちこち放浪しているのですが、あるときヒルデばあさんが亡くなったので、ハインリヒは師匠を探して旅に出ます。そこで旅の途中に泊まった宿屋で、医学を学ぶ遍歴学生アルベルトゥスと知り合い、旅の道連れとなります。そうして二人はハーゼンフェルト(兎野)という町を訪れるのですが、そこである事件と遭遇するのです。
◎登場人物(現時点で4名)
・ハインリヒ:自称吟遊詩人。師匠のヴァルターを探して旅に出る。
・アルベルティウス:遍歴学生。サレルノの医学校で医学を学んだ。ハインリヒの旅に同行する。
・ヒルデばあさん(ヒルデガルト):ハインリヒの育ての親。薬草を作って生活していた。
・ヴァルター:ヒルデばあさんの息子。吟遊詩人でハインリヒの歌の師匠。あちこち放浪している。
楽しく生きようぜ
まだ若いうちに
楽しく生きようぜ
まだ若いうちに
若者もすぐに
老いぼれてしまい
土に帰るのさ
土に帰るのさ
人生はとても
短いものさ
人生はとても
短いものさ
死が訪れれば
この世とおさらばさ
誰も逃れられない
誰も逃れられない
自称吟遊詩人ハインリヒは、宿屋で知り合った遍歴学生アルベルトゥスから教わった学生歌を朗らかに口ずさみながら、真っ直ぐに伸びた街道をてくてくと歩いていた。春の陽光を浴びて道ばたには草が伸び始め、ところどころに白や青や黄色のの小さい花が群れをなして咲いている。並んで歩くアルベルトゥスはハインリヒの歌声を感心したように聴いていた。
「へえ、うまいものですね、ハインリヒ君。ドイツ語の『ガウデアームス(楽しく生きようぜ)』は初めて聴きましたよ」
「僕もいちおう吟遊詩人だからね。とはいっても、宮廷で王侯貴族の前で歌えるような身分じゃないし、市場や酒場に来る人たちを相手にするんだから、ラテン語のままだと歌詞をわかってもらえないんだよ」
ハインリヒは手に持ったリュートをかき鳴らして伴奏をつけながら、「ガウデアームス」を最初はラテン語で、続けてまたドイツ語で歌った。
「うん、聴いているとたしかにドイツ語の方がしっくりきますね。私もサレルノの医学校ではラテン語しか使いませんでしたが、やっぱりドイツ語の響きはいいものです」
「僕はヒルデばあさんからラテン語を習ったんだ。ばあさんは他にアラビア語もできたみたいで、イブン・シーナとかいう人の古い医学書の写本をもってた」
ヒルデばあさんというのはハインリヒの育ての親で、正式な名前はヒルデガルトという。人里離れた森の近くに小屋を建てて住み、森や野原で薬草を集めては様々な薬を作り、町へ出かけて売っていた。魔女と見なされて迫害されそうになったこともあったが、あるとき司教様の病気を密かに治してやったことにより、魔女ではないとのお墨付きをもらって、営業も許可されたという。噂によると、その司教様は男性器が腫れ上がる病気で、誰にも相談できずに悩んでいたらしい。
「なるほど、ヒルデばあさんという方はアラビア医学の知識もあったのですね」
「うん。僕もばあさんの薬草作りの手伝いをやりながら、いろんなことを教えてもらったよ。でも先月、急に亡くなってしまったんだ。その息子のヴァルターさんが僕の歌の師匠だったんだけど、去年の秋からずっとあちこちを放浪して回ってるんで、探し出して知らせないといけないんだよ。それに渡さなければならないものもあるし……」
ハインリヒは首からぶら下げた袋の中から、封筒のようなものを取り出した。封筒の表には、中央と右下に見たこともない文字が書かれている。ドイツ語でもラテン語でもないし、アラビア語ともちょっと違う。アルベルトゥスは封筒を手に取ると、表に書いてある文字をしばらくじっと眺めていたが、はっと蒼い目を輝かせた。
「ああ、これはアラビアのさらに東にあるインドのあたりで使われている文字のようですね。ふむふむ、中央の文字は、わが息子ヴァルターへ、と書かれています。うん、右下の方のは……母ヒルデガルトより、ですね」
「えっ、アルベルトゥス、きみはインドの文字が読めるのかい?」
「ほんの少しだけです。サレルノの医学校にはインドから来た学生もいましたので」
「中に手紙が入っているようなんだけど……」
アルベルトゥスは封筒をひっくり返したり透かしたりながら考えていたが、やがてそっとハインリヒに返した。
「いや、封を開けてみたところで、私には文章まで理解する力はありません。やはりヴァルターさんを早く探し出して、お渡しした方がいいでしょう。そうだ、ハインリヒ君。私はこれからケルンの大学へ行くつもりだったのですが、急ぐ旅でもないから、しばらく君の師匠探しを手伝わせてくれませんか。その代わりといては何ですが、ヒルデばあさんの薬草の知識を教えてください」
「そうかい、そうしてもらえたら、僕の方も助かるよ。じゃあとりあえず次のハーゼンフェルトという町へ入って、情報を集めることにしよう。一月ほど前に先生らしい吟遊詩人をそこで見かけたという噂を耳にしたんだ」
それからアルベルトゥスとハインリヒは一緒に陽気な歌を歌いながら、街道を歩き続けた。ハインリヒはときどき立ち止まると、道ばたや近くの野原で薬や食用になりそうな草を摘んで集めた。町で売って旅の資金にするためである。
「ハインリヒ君、その草はあまり見たことがないのですが、いったい何の薬になるのですか?」
「ああ、これは一種の強壮剤で、根っこを乾燥させて粉末にするんだ。年配の男性が飲むと、下半身に元気が出るというので、お金持ちの人たちが高値で買ってくれるんだよ。病気が治ったあとの司教様のところへも、よくお届けしたものさ」
「しかし、司教様にはそんな薬は必要ない、というよりむしろ害悪だと思うのですが……」
「そこが世の中の不思議なところさ。他にも飲むと気持ちが良くなる薬とか、頭がすっきりする薬とかもあるんだけど、ヒルデばあさんはあんまり作りたがらなかったな」
そんなことを話しながら、二人は町へ続く街道をのんびりと歩いていった。そしてどうにか日が沈む前に、ハーゼンフェルトの町の門の前に辿り着いた。
※「ガウデアームス」(Gaudeamus)は実際に存在する中世のラテン語の学生歌です。