2. ぼっちタイム
「おかしい」
歩き出してからどのくらいの時間が経ったのか。
時計がないから正確な時間はわからないが、体感時間で数時間は歩いている気がする。見上げると眩しい太陽はちょうど真上にある。太陽は地球上のものと同じようだ。
太陽だけでなく、青く雲ひとつない空も、歩く土道も、まるで地球同様だ。
この世界がどういう世界かはまだ不明だが、なんとなくほっとした。
視界に入る木々のように空や地面まで不可思議であったなら、さすがに頭がどうにかなりそうだからだ。
それにしても、おかしい。
「なんで人がいないの…」
正確には人だけではない。動物も、いや昆虫ですらここ数時間、1匹として見ていない。目に入るのは、不可思議な植物だけ。およそ動くものが見当たらず、そよ風すら吹いていないため、あたりの風景はまるで写真を見ているかのようだ。
見渡す限りに広がる不思議な植物の森。
人家どころか田畑のようなものもないから、人里から遠く離れているのかもしれない。この世界に人そのものがいないという可能性ももちろんあるが、考えたくはなかった。
しかし、動物どころか昆虫も見えない、というのは…。
なんとなくいやな予感がして思わず顔をしかめた。
この予感。
この予感がある時はたいてい碌なことが起こらないのだ。
前世以前からずっとそうだった。ああ、最後にこの予感があったのは、前世で事故にあう直前だったか。思い出して思わず身を震わす。
「とりあえず、食事かな」
考えていても仕方ないので、さっさと思考を切り替える。
この切り替えの早さは、悲しい人生の積み重ねで作られた才能の一つといえよう。
なんせ禄でもない人生ばかりだったのだ。悩んだり迷ったりするだけ損だというもの。
幸い、まだ五体満足で疲れは少ない。この先どうなるかはわからないし、今のうちに腹ごしらえしておくにこしたことはない。ただ、そうはいっても自分は今、森の中っぽいところにいるわけで、当然、レストランやスーパーなど洒落たものはないし、食べ物もない。さてどうしようかと考えたところで、アイテムボックスに入れた物を思い出した。
「『アイテムボックス』」
念じるだけでいいのだが、やはり声に出した方がしっくりくる気がする。
出現したトランクからパールポルンの実を一つ取り出した。
「…食べられるのかな、これ」
真珠色した輝くような実。つるつるとした肌触りと美しい外見のソレは、芸術品と言われても疑うことなき逸品であろうが、食べ物としてはわからない。そっと鼻を近づけてみるが、特に悪臭はない。むしろ、木の実とは思えないほど無臭に近い。そのことからも食用にはならない気がした。とにかく中を見てみよう。そう決心して、つるりとした表面に爪を立てる。すると、見た目とは裏腹に、意外なくらい呆気なくずぶりと指が刺さった。
「わ!」
みかんを剥く要領であっという間に皮が剥けた。と、中に入っていたのは目が覚めるような橙色をした実だった。外見からは想像もつかない汁気たっぷりの果実。みかんのような、また桃のような、非常に美味しそうな芳香が漂い、思わずこくりと喉をならしてしまった。考えてみれば、この世に生まれて既に半日以上は時間が経過しているようだ。あくまで体感時間ではあるが、それだけの間飲まず食わずでいれば腹も空くはずだ。
食欲を誘う香りに誘われ、おそるおそる実に口付ける。
「―美味しい!」
一口だけと思ったのも束の間、あっという間に丸々食べつくしてしまった。毒があるかも、と考えないではなかったが、空腹には勝てなかった。残ったのは真珠色の皮と、小さな黒い種らしきもののみ。思った以上に空腹だったようだ。一つだけでは足りなかったので、トランクの中からもう一つ取り出して食べる。瑞々しい果実は、空腹と喉の渇きをあっという間に満たしてくれた。
「ふう…美味しかった」
心から満たされた気分で呟く。そういえば前世では、菓子パンを買おうとしていたところで、なけなしのお金を落としてトラックにはねられて死んだっけ。前世からの欲望が、違う形ではあるが、ようやく満たされたのだ、幸せでないわけがない。結局3つほど平らげた上で、アイテムボックスをしまおうとして―ふと首を傾げた。
「あれ?残り6個?」
アイテムボックスには6個の実。食べたのは3つだから、全部で9個あったことになる。
実は、確か10個入れたはずではなかったか。しかし残数は6個で間違いない。
不思議に思うもおそらく数え間違ったのだろうと納得して立ち上がる。
パールポルンの木はここにも幾つかある。
数時間前とは違い、多様な種類の木が増える一方、パールポルンの木は少なくなっているようだ。花がついている木はあるものの、実がついている木は一見したところ他にはない。この先まだ道は続いているし、人里までどのくらいかかるかわからない。できる限りの実を持っていくべきだろう。そう考え、複数の木から合計100個ほど実をもぎとってアイテムボックスに収めた。アイテムボックスは、大き目のトランクといった形だが、どういうわけかいくら入れても問題なく収納できた。どこまで収納できるのかと夢中になったが、さすがにこれ以上の実を入れるのは躊躇われた。それに、これだけあれば暫くはもつだろう。
少しだけ休憩した後、また歩き出した。
異世界でぼっち飯。