12. 異世界の料理
さっき、カウンター席に座っていた人だ。両腕で受け止めたアーロンを、そっと床におろして、チンピラAに向き直った。
(わぁ…)
綺麗な人だった。ポニーテールの燃えるような赤い髪。
そして、その髪に合う緋色の瞳が印象的だった。
「…なんだてめぇ」
「こども相手にみっともないよ」
「ああ!?」
「それ、この子のでしょ。返してあげなよ」
「うるせぇっ!」
唾を撒き散らしながら脅すように詰め寄ったチンピラに、その人は怯む様子もなく正面からチンピラAを見つめた。そのまっすぐな眼差しが気に障ったのか、次の瞬間、チンピラAがその人に掴みかかった。
「うおっ!?」
(おお!)
その人を捕らえようとした男の腕が、そのまま空を切った。まるで風のようにさらりと身をかわして、次の瞬間男の背後に立つ。バランスを崩した男が無様に転がった。
「はい、これ」
「あ―ありがとうございます」
印象的な緋色の瞳を瞬かせて、その人はいつの間にか手に持っていた頭陀袋を凛に手渡してくれた。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「どういたしまして」
アーロンが恩人に礼を述べると、その女性は軽く頷いた。カウンターで一人、静かに飲んでいたその人は女性だった。むさい男どもが集うこの場所で一人、異質な雰囲気を纏っていた女性。落ち着いた雰囲気から年上だと思ったが、改めて見ると若い。見た目では、自分と同じくらいだろうか。
「て、てめぇ…」
女性に制されたチンピラAが、赤を通り越してどす黒い顔で立ち上がった。よほど屈辱的なのだろう、こめかみに大きく張った血管がぴくぴくしている。
「もうやめときなよ。みっともないだけだよ?」
「うるせぇっ!クソアマがっ!!」
「…ふう。仕方ないなぁ」
拳を振り上げて女性に向かっていったチンピラAを身軽な感じでひょいひょいとかわす女性。素晴らしい反射神経だ。男は何度も女性を捕らえようとするが、見事空振りしている。
「はぁっはぁっ、てめぇクソアマっ、ちょろちょろ避けてんじゃねぇっ!」
「はいはいっと」
息を荒げているのは男だけで、最小限の動作で身をかわす女性は疲れた様子は見せない。涼しい顔で相手を軽くいなしていく。その姿はまるで忍者のようだ。紛れもないヨーロピアンフェイスだけど。
「ぜぇっぜぇっ」
とうとう動きが止まってしまった男に、女性は涼しい顔のまま止まった。
「もう終わり?それじゃ、」
ひょいっと肩をすくめると、女性が片手を挙げた。いつの間にやら、その手にはなにやら小さな布袋のようなものが。
「―これ、貰っていくね」
「あん?―って、てめぇ、それ―」
「手数料だよ、お兄さん♪」
にやっと笑った女性が布袋を軽く振るうと、チャリチャリと金属音のようなものがした。ふところに手を入れた男が慌てているところを見ると、男の大事な物らしい。女性の言葉からそれが財布であろうことが予想できた。
(…いつの間に…!)
「てめっ返しやがれ!!」
「ば~い♪」
軽い口調で手を振ると、まるで猫のように男の間をするりと抜けて入り口から出て行った。
「待ちやがれっ!!」
慌てて男も後を追っていった。あっという間の出来事だった。まるで嵐のように去っていった二人に呆然とする。
「お姉ちゃん!」
「アーロン、大丈夫?」
アーロンが駆け寄って凛に飛び込んでくる。両腕で受け止めると、幼い顔が笑みを浮かべて頷いた。
「ぼくは大丈夫だよ!お姉ちゃんは大丈夫?」
「大丈夫。ありがとう」
「あのお姉ちゃん、大丈夫かな?」
「うん…」
彼女達が出て行った扉を見た。助けてもらったのにお礼も言えなかった。無事逃げることができただろうか。彼女の身のこなしは只者ではないようだったから、大丈夫だと信じたい。
心配そうに入り口を見つめるアーロンの頭を撫でていると、大きな影と荒々しい足音が入ってきた。
「なんだなんだ、騒がしいな」
「あっ!アダムスさんっ!」
「おう、坊主。急に悪かったな」
入ってきた大柄な男性を見て、アーロンが声をあげる。どうやら彼が探していた人物らしい。顎鬚を生やした強面を崩すように笑って、アーロンの頭をぐりぐりと撫でた。…本人はきっと撫でたつもりなのだろう、アーロンの頭ぐらぐら揺れてるけど。
「これが商品だよ!」
「おう、確かに。坊主、喉かわいてねぇか?ジュースくらい出すから飲んでいきな」
「ありがとう!」
ごっつい身体のその人は、豪快に笑ってそう言った。そしてふと気付いたように凛に視線を向けると、珍しいものを見たような顔になった。
「黒髪とは珍しいな。アーロンの知り合いか?」
「うん!ローレンさんの代わりに一緒に来てくれたんだよ!」
なるほど、と頷いて、アダムスは凛に右手を差し出した。ぶっとい右手をとると、見かけどおりの力強さで握られた。
「俺はアダムスだ。この店を経営してる。よかったら嬢ちゃんもジュース飲んでいくかい?」
「はや、…リン=ハヤセです。頂きます」
「ははっ、いい返事だ」
ここまで結構歩いたのと、その後のドタバタ劇で結構喉が渇いている。即答するとアダムスはにかっと笑ってカウンターに手招いた。また酔っ払いに邪魔されるかと思ったが、アダムスが来たあたりから、酔っ払いは大人しく席についている。さすがは店主の威厳といったところだろうか。
先ほど赤髪の女性が座っていた席に座ると、アダムスはすぐジュースを用意してくれた。オレンジ色の綺麗な液体がグラスに注がれて手渡される。ふわっと香ったそれは、紛れもない柑橘系のもの。遠慮なく口をつけて一気に流し込んだ。隣りではアーロンも嬉しそうに飲んでいる。
「美味しい…」
「わっはっは、そうか!良かったらコレも食ってけ!」
ぐううううう。
相も変わらず正直な身体だった。目の前に置かれた美味しそうな食べ物を見た途端に自己主張を始める。考えてみれば、今朝のパールポルンの実以外何も食べていない。
ふと、左手首を見た。そこには、出掛けにアイリスが渡してくれた腕時計がある。時刻はとっくに昼時を回っている。時間がわからないと困るだろうと渡してくれた腕時計は、前世でのそれと大差ない。皮でできたバンドに、繊細なガラス細工で作られた盤面。ただ、動力は電池ではなく小さな魔石であり、その盤面に刻まれた数字は見たことのない形であることが、異世界を意識させた。不思議なのは、なぜか凛にはその数字が何を表しているのかすぐにわかったことだが、考えて見ればこの世界の言語も通じているし、そういうものなのだろう。
「がはははっ!いい返事だ!」
「でも私、御代を持っていませんので…」
今更ながら気付く。凛はこの世界の貨幣を持っていない。
文字通りすっぽんぽんでこの世界に投げ出され、これまで貨幣を使用する機会もなかった。
「大丈夫、ぼく持ってるよ!」
「…ありがとう、アーロン」
嬉しいが、自分の半分以下の年齢の子供に借りるわけにも行かない。情けない気分になりながら、アーロンの頭を撫でる。
「がはははっ、安心しろ、今回は俺のおごりだ!」
「アダムスさんっ、ありがとう!」
「ありがたく頂きます」
「おうっ!」
強面とは裏腹に気のよいアダムスに、凛は両手を合わせた。
(サンドイッチだ…!)
この世界で見ることができた、初めての“料理”。
前世ではありふれたものだったが、異世界で見られるのは感動物だった。
香ばしく厚いパンに挟まれたたっぷりの具材。レタスやトマト、ターキーの肉のようなものが挟まれている。付け合せにピクルスとポテトらしきものが山と積まれ、見ているだけで涎が出てしまいそうだった。食欲をそそる匂いに思わず手を伸ばしそうになり、凛ははっとして手を引っ込めた。
「どうした?」
「あの…よかったらこれ、持ち帰らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「うん?」
「教会で待っている友達も、お腹をすかせていると思うので」
「そうか。包んでやるからちょっと待ってな!」
「ありがとうございます。アーロンはゆっくり食べて」
「うん!」
美味しそうにサンドイッチにかぶりつくアーロンの頭を撫でていると、アダムスがサンドイッチを包み、布袋に入れて渡してくれた。
「こいつはおまけだ。アーロンが食ってる間につまんでな」
「あ、ありがとうございます」
気前良く振舞ってくれたのは、豆のようなものだった。フライパンのような鍋で目の前で炒ったものを、小皿に盛ってくれる。大きさはピーナッツくらいだが、茶色や黄色、赤色や緑色、果ては黒いものまで色とりどりだ。香ばしい匂いに誘われて手を伸ばす。茶色の粒をつまんで口に入れると、思った以上に香ばしく、塩味が効いているそれは、アーモンドのような味だったが、前世で食べたものよりも格段に美味しい。ついつい手が伸び、次々に凛の口へと放り込まれていく。
赤い色はカシューナッツ、緑色はピスタチオ、黒色はヘーゼルナッツ、白色はピーナッツと、前世で食べたことのあるナッツ類に良く似た懐かしい味に思わず目を細める。中には、食べたことのない味のものもあった。黄色の実は、ナッツのような歯ざわりと、まるで果実のような甘さでやみつきになりそうだ。塩気のある他のナッツ類の中にあるこの甘みが食欲を増進させ、夢中で食べてしまった。
それを見たアダムスが凛の前に水の入ったグラスを置いてくれる。本当に良い人だ。遠慮なく頂いてゆっくりと飲む。隣りを見ると、アーロンもお腹が空いていたのか、ボリュームのある食事をあっという間に食べつくしていた。
「ぷはっ!ご馳走様!」
「ご馳走様です」
「がはははっ!二人とも気持ちの良い食いっぷりだな!」
「だってすっごく美味しかったもん!アダムスさん、ありがとう!」
「ありがとうございます。とても美味しかったです」
「そうか!よかったらまた食いに来な!今度は金を持ってな!」
茶目っ気たっぷりにウインクしたアダムスにもう一度礼を言うと、凛とアーロンは店を出た。再び表通りへと向かいながら、凛はアーロンに尋ねた。
「アーロン、この後はどうするの?」
「まだいっぱい配達があるから行かないと!もう大丈夫だよ、お姉ちゃん、ありがとう!」
「でも…」
「いつもしていることだもん!大丈夫!」
元気いっぱいにそう答えたアーロンに、凛は眉を下げた。
だが、アーロンにとっては本当にいつものことなのだろう。
気にした様子もなく笑いかける少年に、複雑な気持ちになる。
この世界のことは、来て2日目の凛にはまだわからないことばかりだ。
だが、年端もいかない子供が、たとえ理由があるとはいえ、こんな風に危険な場所にまで足を踏み入れなければいけないというのは、前世で平均的―にはかけ離れているが―平和に日本で暮らしていた凛には痛ましいことのように思える。
しかし考えてみれば、先進国の一つであった日本でこそ法で守られていた子供の権利は、後進国では守られていないことも多かった。アイリスに聞いた限りでは、ハートランド王国はこの世界の中でも豊かな方だというが、豊かさの中にも影はあるということか。
いずれにせよ、アーロンにとってはこれが日常なのだ。
そして、これからも日常は続いていく。
それはきっと、アーロンだけではないのだろう。
ただ一度、アーロンの傍にいた凛ができることは何もないのだ。
結局、凛に今できることは、ただ声をかけることだけだった。
「…気をつけて。危ない所へ行く時は、また教会を頼ってね」
「わかってる!ありがとう、お姉ちゃん、またね!」
表通りに着くと、元気いっぱいに手を振って、アーロンは走っていった。あっという間に人ごみに紛れ、後姿が小さくなっていく。走り去っていくアーロンを最後まで見届けると、凛はきびすを返した。
――そういえば、店で会った女性の名前を聞くのを忘れたな。
またどこかで逢えるだろうか。ふとそう思った。
食事は大事




