異なる道理
数時間クォリティ…。
「ねぇ、聖女様。貴方、物の道理、という言葉をご存知?」
鼻息荒く自身を糾弾してきた兄達を無視して、ラキアは彼らに守られている儚げな少女に冷ややかに問いかける。
白銀の髪に灰褐色の瞳、白磁の肌をした第一王女ラキア・フェルジィニア・ドゥルディアヌスは、『銀細工』と称されるその美貌にあからさまな侮蔑を込めた笑みを浮かべていた。
事は、半年前にさかのぼる。
魔族の生息域に接するドゥルディアヌス王国は、数百年に一度、異世界から聖女を召喚し生息域の瘴気を浄化してもらっていた。
浄化することにより魔族を弱体化させ、人間の手で討伐するのだ。
このことに関して、王国側は聖女に対して多くの保証を行うことが法で決まっている。
衣食住の提供はもちろん、叶えられる限りの要望は叶え、瘴気の浄化後は本人の希望にのっとって帰還させる事。
主にはこれらで、希望があれば王宮外で暮らすことも、帰還せずにこの世界で暮らすことも、それに対する準備や保証も請け負うこともする。それらを前提として、諸々の下準備は国王近辺の重鎮達は召喚前に整えていた。
そうして、聖女召喚が成された。
召喚された聖女は、十代の少女。
輝くような美貌も長けた話術も優れた外交感覚も特筆した才能もない、平凡な少女だ。
不可思議なデザインの衣服を身にまとい、突然の事に泣いて引きこもる。その様に、頭の足りない貴族は憤り、ラキアを初めとした国王近辺の重鎮達は罪悪感と同情から慰め宥めた。
同年代のラキアも女官達もダメだったが、王太子の慰めには反応を示した。
ラキア達は、結局女ということか、で納得した。王太子は稀にみる美男子だ。
その後は、しばらくなだめようとして放置しつつも様子を伺ってみていれば、何故か、王太子以下その側近達が聖女にのぼせ上がり、仕事を放り出して愛を囁いて侍ってしまう始末。
それに対して、鷹揚な国王は眉を顰め、国母たる王妃は微笑みながら無言で扇を掌に打ち付け、ラキアの生母たる側妃(王妃の元護衛騎士)は長年の相棒である剣の手入れを無表情に始めた。彼ら三人の様子を見たラキアは、怒りを通り越して呆れていたのだが、一気に冷めて青ざめた。
ドゥルディアヌスの国王は温和鷹揚、和平主義、で知られているが、即位以前、戦斧片手に生息域間際で魔族を狩っていたりした武闘派である。
王妃は武器の扱いは素人だが、魔法に関しては国随一で知られ、聖女固有の神聖魔法以外の魔法を網羅した、と言われるほどである。
側妃は魔力は低いが、近衛騎士団長と国軍元帥に全戦全勝を誇った無双の騎士で知られ、王妃が嫁いでくるまでは魔族の討伐記録は全騎士中随一である。ちなみに、討伐記録は未だに抜かれていない。
そんな三人が怒りによって動けば、皇宮は瓦礫の山と化す。馬鹿でもわかる結論である。
ラキアはそれを危惧し、自分が動いて諌めるから、と説得して三人から、動かない、という言質を取った上で動いた。
王太子達には責任と仕事の重要さ、聖女には悪意も意図もないという事を前提として王太子達が仕事でこれからは毎日来れないと説明した。
結果。
「本人が望んで得たわけでもない地位で縛って、責任を押し付けて自由を奪うなんて、酷いですっ」
阿保なことを言って泣き出した聖女に、バカなの、と呟いてしまったラキアは悪くない。
その姿に王太子達は駆け寄って聖女を抱きしめ慰め、ラキアを睨みつけてくる。再び、バカなの、と呟いてしまったラキアだが今度はわざと口にした。
バカ以外の何物でもない。この時点で、関わることは面倒な事だ、とラキアは理解したのだが親達に明言してしまった以上、一介の接触で放り出すわけにはいかない。というか、仕事はしてもらわないと困るのだ。
以後、いくら言っても聖女の論点ずれまくりの反論は治らず、王太子達の仕事放棄も改善されなかった。
仕事に関しては、すでに後任が決められ滞りなく進んでいる(王太子達がしていたころよりもスムーズだ)。
だが、聖女の頭のほうだけはどうにもならない。ぶっちゃけ、どんな花畑だろうと瘴気の浄化さえしてくれればそれでいいのだが、怖い怖いと言って王宮の自室から出ようとすらしないので、結局、生息域の接点にある町や村に騎士団を派遣して常駐させている(莫大な国費がかかっている)。
しかも、ラキアが口にする常識と道理は、王太子達にとって聖女を詰り貶め蔑む暴言で、聖女にとっては王太子達を束縛し自由を奪い苦痛を強いているということになるらしい。
いい加減、キレそうになったラキアよりも先に国王がキレた。武力的にではなく、政治的に。
その結果が、現在である。
「貴方様は仰いましたね。スラムの方々に炊き出しをしたらどうか、軍はこんなに大きくなくていいんじゃないか、一般人の武器流通を制限した方が治安に良いのでは、子供達を働かせずに最低限を学ばせてあげるべき、どんな身分の人でも娯楽は必要で学ぶ権利がある、とか。道理を理解していないお花畑の頭で」
はっきりとした嘲りを称えた言葉に、聖女は頬を赤らめて思わずと言った体で口を開く。
「酷いですっ! 仕事も家もなくて苦しんでいる方にご飯を上げてなにがいけないんですかっ!」
「そのご飯は税金で賄われるのですけれど? 民が血と汗と涙を注いで納めた税金で、ですけれど? そもそも、学が無くて仕事につけなかったり様々な理由でスラムに流れ着いた方々の為に、8年前から保養院を開設し、部屋を与え三食食べさせた上で勉強を教えております。もちろん、手に職を、という方の為に技術も。最大利用期間は三年ですけれど」
「…っ。さ、三年しか使えないなんて」
「スラムの方々が何人いらっしゃると思っておられます? ましてや、ずっと甘えられては困ります。先も言った通り、民が治めた税金で保養院は運営されているのですから。もちろん、努力をした結果、三年経っても職に就けなかった場合は延長も可能ですが、努力が見受けられないだらけた方には出てもらいます。当たり前でしょう。働かず者食うべからず、と言いますもの」
「…ぐ、軍に関してだって、あんまり大きいと近くの国の人達が不安に」
「つまり、近くの国の方達を魔族の脅威から守っているわたくし達は、武器を放棄して魔族の餌になりながらも脅威を防ぐべきである、と。まぁ、何と慈悲深い聖女様。では、貴方様が率先して、鎧を捨て、武器を捨て、魔法を捨てて、魔族に立ち向かい脅威を退けてくださる、ということですわね?」
「そんなこと出来るわけがありません! どうしてそんなひどいことっ」
「我が国の民にその酷いことをしろと申されたのは貴方様ですわ、聖女様。結果として、無抵抗に魔族の餌となって死ねと貴方様は申されたのです。わたくし達を含めた、罪なき善良なる我が国の民に」
「・・・・・・たくさんの人が武器をもつのは危険です。些細な喧嘩で持ち出したら」
「都合が悪くなると逃げられるとは、情けないですわね、聖女様。まぁ、それはよろしいわ。それで、武器制限ですけれど、貴方様は我が国の民がそれほど浅慮で良識を持たぬ野蛮人だとでも? というか、貴方様のお国では護身のために何らかの簡易武器を持つことをなさいませんの?」
「それは・・・」
「なさるのでしたら、理由はお分かりですわね? 治安云々の問題ではありませんわ。人災、天災、それらは時期問わず人問わず場所問わず降りかかってくるものですもの。それに備え、抗い身を守る術を手にすることを戒めることなど、できませんわ。その為には、軍の増強が必須となりますわ。お分かりいただけます? 貴方様のお言葉は、矛盾しておられます」
「……」
ただ沈黙する聖女に、ラキアは心底からの呆れを含ませて息をついた。
「聖女様。貴方様を呼んだのは完全にこちらの都合。心から申し訳ないと思っております。えぇ、本当ですわ。ですが、貴方様の言動にはもはや我慢がなりません。貴方様は向こうで学生でいらっしゃったというのに、一欠片の常識もご存じでない」
一拍。
「向こうにも数多の国があると仰っておられましたわね。では、その国々は、同じ法と道理、秩序のもとに統治されているのでしょうか?」
「・・・いいえ」
「なら、お分かりいただけますわよね? 世界が異なる我が国に、貴方様の道理を押し付けられては無用な混乱と無秩序を生むのだ、ということぐらい」
それすらわからないようなら、もはや強行手段しかない、と物騒な考えを巡らせるラキアに、聖女は顔を覆って泣き崩れた。
その姿に同情するものはいない。籠絡された王太子達を除いて。
ラキアを睨み、罵声を浴びせる王太子達は気づいていない。この場においての自分達の立場を。
それを冷めた眼差しで見やりながら、ラキアは扇を開いて閉じる。
「貴方様は仰いました。子供を働かすなんてかわいそうだ、と。最低限の学びを、と。唯一、その点に関しては同意いたします。ですが、一日を通して働かなくてはならないようになったのは、貴方様のせいですわ」
それは、確かな糾弾だった。
「子供は重要な労働力です。けれど、文盲であることは、数字を知らないことは、世間で生きていくのに難しいでしょう。さらに、才ある者を埋もれさせる最たる要因となりかねません。ですから、我が国では朝10時から12時までの2時間、文字と計算の基礎を教えるために学校を開いています。それ以降は子供達は働き、学校は低価格の病院になります。ですが、貴方様にそこの殿方達が国庫から貢がれ、王や議会の承認も得ていないにも関わらず、勝手に触れをだして増税し、増税分で貴方様の願いを叶えんとされておられる。その増税分を納めるために、子供達は一時の学びを捨てざるを得なくなりました。そんな彼らが、彼らの親が、貴方様の道理による施しを受けて、考えを知って、感謝するとお思いでいらっしゃる?」
何も知らなかったのか、キョトンとする聖女に対して、王太子達は青ざめる。彼らの行いは、れっきとした反逆罪に適応されると今さらに理解したのか、もしくは、知られていると思わなかったのか。どちらにしても、救いようのないバカである。
「兄上、貴方の目は耳はとんだがらくたでいらっしゃる。さらに、民をバカにしすぎですわ。彼らはわかっています。全ての元凶が貴方方の浮わついた恋情であると。責務から逃げるのは楽しかったですか? 甘い愚言に酔うのは気持ち良かったですか? 被害者ぶって恩を仇で返すのは心地よかったですか? 呆れ果てましたわ、兄上。これが英邁足る王妃様のお子であるとは、王妃様に心からご同情申し上げます」
「王家に生まれたくて生まれたのではない!」
「そんなこと知っておりますわ。誰もがそうです。ご自分だけだと思わないでくださいな」
王太子の叫びを煩わしそうに一刀両断したラキアは、一歩近付き、聖女に寄り添って座り込んでいる王太子を無感情に見下ろす。
「生まれたくて生まれたのではない。事実ですわね。生まれながらに、自らが望まずと背負わされた一国の重荷、察するにあまりある重圧でしょう。理解はできずとも、逃げたくなるお気持ちは納得できます。不満に思うことも、投げ捨てたくなる気持ちも、否定はいたしません。けれど、兄上、貴方は民の血税に養われ、多くの騎士の血によって守られ、多くの先達の教鞭によって現在があることを理解すべきです。彼らによって生かされ、守られておきながら、なんの返礼も孝行もせずに搾取するだけなど言語道断。恩返しと思って国に尽くそうとはお思いになられなかったのですか」
この国で、王太子の重荷を理解できるものは国王とラキアの二人だけだ。だからこそ、理解だけを向ける。王太子の言動は、理解以外の情を向けるにはあまりにもひどかった。
「貴方は最早、我が国の先を託すに足る者ではないと判断されました。せめて、最期ぐらいは国に報いよ、とそれが陛下の御決断です」
「…最期、だと?」
まさか、と言いたげに視線を転じる王太子に、その先にいた国王は人形でも見るような無感情な眼差しを向ける。慈愛と情をもって厳しくも甘く接していた父親の姿は、そこにはない。
「王太子以下5名、聖女の護衛として浄化の儀に参加せよ。聖女はこれより精進潔斎の後、即刻旅立ってもらう。総員、儀が終了するまで帰城することを許さん。これは王命である」
ひきつった悲鳴を上げて怖いと再び泣き出す聖女に煩わしそうな視線を向けて、国王は言葉をつづける。
「死地に赴く者を次期国王たる位に就けておくは不安である。王太子を廃し、新王太子としてラキアを据える。幸い、婚約者は隣国の王弟殿下だ。婿に来てもらうのに不都合はなく、あちらからも快諾の返事をもらった。……愚行と不品行の汚名を雪ぐくらいの功を立てて死ね」
言うべきは言ったと席を立つ国王に続き、王妃も側妃も元王太子達を冷たく一瞥して去っていき、宰相達は動き出す。国王の命令は事前に行き渡ってり、全ては要諦調和であったことを示している。
「…ご存知ですか、兄上」
どこか悲しみを帯びた声で、ラキアは疑問符のつかない問いを向ける。知らない、と分かっているからだ。
「聖女様が引きこもっている間、生息域との境を守っていたのは国の騎士達です。浄化されねば攻勢は強まるだけ。その中で、彼らは懸命に務めを果たしました。命を懸けて」
聖女がラキアを見上げて、え、と間抜けな声を零した。
ラキアの数歩後ろで成り行きを見守っていた女官達の内、一人がこらえきれないというように顔を覆い、無作法にも駆け去っていった。それを咎める者はなく、幾人かが頭を下げると足早に追っていった。
年かさの者達は彼女達に憐れみの目を、聖女達に怒りの目を向ける。
「先ほどの彼女は、ある騎士の婚約者でした。騎士は、境に近い村の警備にあたっており、深夜の強襲によって戦死しました。村人が避難する時間を稼ぐ為に、です。一部隊の指揮官として宰相閣下のご次男殿が赴かれました。部下の半数を失われ、ご自身は利き腕を失われました。女官長の甥御殿は援助物資の輸送隊を任されておられましたが、到着して半日後に襲撃を受け、退避を命じられながらも騎士方と共に街を護る為の戦線に加わり、お亡くなりになられました」
とうとう、と語られる戦死者達の名前と、当時の状況。勇敢にも、上に立つ者としての姿を見せ、力ある者としての責務を果たした彼らの名を、ラキアはつかえることなく音にしていく。
「…聖女様。貴方様が引きこもり、贅沢に耽溺し、兄上方との恋情に溺れている間、命を賭して戦ってきた勇敢な方々への弔いの言葉も、悲しみの涙も、貴方はお示しになられなかった。悲しみに喘ぎ、絶望に涙する方々を慰めるより、貴方様は自らの安寧と欲望を優先された。そのような方の為に、もうこれ以上、我が国の珠玉を失わせるわけにはまいりません。どれだけ泣こうが、喚こうが、貴方様には浄化の儀を行っていただきます。ええ、縄をかけ、引きずってでも」
早口になっていくのは、激情を押さえる為であることを、ラキアの乳母は知っている。乳母の息子も、警備にあたり、両足を失って帰って来た。
「自らの安寧の為に、貴方様は他者は死ぬべきであると示されたのです。護る者などおりません。兄上方以外には。どうぞ、皆様で仲良くなさって」
仲良く死んで行け、と濁された言葉の真意を察せられたかどうかは分からない。
これ以上は無理だ、とラキアは背を向ける。
去っていく背中に、残っていた女官達が続く。
代わりというかのように女官長が進み出て、聖女達を見下ろす。その瞳にあるのは、殺意と見紛うほどの憎悪だ。
「とっととお立ちなさい、淫売。外見だけでも清楚に見えるように磨いてあげましょう。そちらの愚か者達も、騎士団長直々に稽古をつけてくれるそうです。とっととお行きなさい」
あまりな態度に怒声を挙げようとした側近の一人だが、控えていた騎士に蹴り倒されて顔面から床にぶつかる。悲鳴を上げる聖女に、騎士は羽虫に向けるがごとくの視線を一瞬だけ寄越した。
「…妹の涙と甥の両足の分くらいは、働いてほしいものね」
女官長の暗い声音に、聖女達は震え、何も言えずに固まる。
ぞんざいな扱いで引きずられるようにして聖女達は連れていかれ、今までの生活を思えば彼らにとって苦痛に感じるであろうほどに厳しく戒められることになる。
その先に待ち構えているものが地獄など生ぬるい、ということに彼らはきっと気付いていない。
5年後、浄化の儀が終了し、聖女が元の世界に帰還、新王太子ラキア・フェルジィニア・ドゥルディアヌスが即位。
廃王太子らによって疲弊した国力を取り戻し、さらなる繁栄へと導いたラキアは王女時代からの呼び名を受け継ぎ『銀細工』と称され、国内外にて慕われるようになる。
後に、魔族生息域と人間の領域を隔てる結界石を開発することにより、聖女召喚を不要の物としたことでも知られる。
国を疲弊させた張本人達がどうなったのか、後の人々は知らない。
当時の人々は、誰一人として口にしようとしなかった為に…。
主人公以外の名前は最初から考えてません。
中世ヨーロッパ風の文化社会形態の国に、現代日本の常識を持ってきたら、混乱しか生まないのでは? と思ったことから一気書きしました。