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涙眼


 変眼の兆候――というよりは、変眼している実感を幾らか持てるようになっていた。眼球が熱を帯びているような感覚。熱くはなく、どちらかといえば暖かな感覚。心地が良く、それが返って違和感に繋がる。妙な感覚。

 天井の梁を起点に(はや)し立てるようにして広がる黒シミが微睡みの見せる幻覚でないことを悟った時、両目に感じる違和感に向かって息を吐き出した。


「今日はまた、一日中あそこにいないといけないんだ」


 変眼した際には絶対に守らなくてはならない約束事がふたつある。

 ひとつは誰とも眼を合わせてはいけない。もうひとつは物置に閉じ籠っていなくてはいけない。

 どちらも守ることは簡単にできる。でも、それには物凄い我慢が強いられる。世界でたったひとりになってしまったような、どうしようもない孤独感と戦わなくてはならない。


「まあ、幾らか慣れたけどね……」


 布団から這い出て、部屋の畳を踏み歩いて、襖を開ける前に両眼を固く瞑る。


「お父さん、いる?」






 薄暗い物置での唯一の光源はランタンだけ。中に蝋燭を立てるタイプのやつ。それと、スマホの青白い画面。

 もっと小さかった頃に比べると、今はだいぶマシな方になった。仮初めだろうと、外との繋がりを幾ばくか感じさせてくれる物を与えられているんだから。

 でも、今日はそうでもない。


「連絡、し辛いな……」


 SNSアプリを開いたまま、昨日のやり取りが残されている画面だけを見詰める。


 ――ありがと。


 いつまでも更新されない屋代さんからのメッセージ。ここには電波が届いてないだけでは、なんて勘違いは過去の経験が許してくれない。

 時刻は十一時を少し回ったところ。

 私が学校に来ていないことを屋代さんは充分に知ってるハズで、仮に彼女が休んでいたのだとしても連絡が来ないのは変。つまり、屋代さんは故意に私との連絡を絶っている。

 どうして今日なんだろう。どうしてこんなタイミングで変わってしまったのだろう。


「……こんな眼、なくなっちゃえばいいのに」


 口では何とでも言える。けど、ランプの中で揺らいで見えるこの灯りを断つことを私はできない。

 ここまで生きてきて、今更に光を失うのは嫌だ。怖い。

 それならいっそ、この湿気の漂う暗がりで一生を終えた方がマシ、なのかもしれない。臆病な私はいつもここで、そんな自問自答を繰り返して一日が終わるのを待っている気がする。

 前回も、前々回の変眼の日も。繰り返していた気がする。


「……死んでしまおうかな」


 そうだ。中途半端な喪失だからこそ恐怖するんだ。

 全てを。見山(みやま)視織(しおり)の全てを失ってしまえばいいんだ。そうすれば楽になる。孤独に怯えることもなくなるんだ。

 けど、方法が見当たらない。


 遠い記憶の中のある日、私は鏡の中の自分と眼を合わせたことがあった。勿論、変眼を患っている最中のこと。

 黒目諸共、虹彩が真っ赤に染まっていた。白目の部分は血走ったような微細な赤い線が無数に浮き出ていて、自分とは思えない程の悍ましい様相だった。

 そんな自分と暫し睨み合っていたけど、何の変化もなかった。

 母や父は取り乱した様子で駆け寄ってきたけど、私の命がこの眼に奪われることは、とうとうなかった。


 だから自殺ともなると、他人が躊躇してしまう方法を取る必要がある。首吊り、飛び降り、焼身、服毒、その他にも色々と。

 私のカラダは普通でなくとも心は、私自身の自我は普通の人間で、死ぬを本能的に嫌っている。だからこそ自殺は難儀なこと。普通の人がそうであるように。

 こんな時、他人を羨ましいと思う。

 私が眼を合わせれば簡単に死ねるんだから。私に比べてどんなに楽か。志願者がいれば私は喜んでこの眼でその他人を見詰めてあげる。

 けど、それは決して自分では行えない。ジレンマだ。


 ――ポン。


 揺らぐ火を眺めていると、それなで真っ黒だったスマホの画面が音を立てて明るくなった。


 ――様子見で連絡遅れちゃったけど、


 屋代さんからのメッセージだった。

 そして続け様にポン、と。


 ――もしかして女の子の日?(笑)


 情緒が不安定になっていたからか、それとも私が過度な笑い上戸だったからか。次第に屋代さんのくれたメッセージが歪んでいってしまう。返信を打ちたいのに、スマホを持つ手が震える。


「屋代、さん……ごめんね、ごめんなさい」


 聞こえる訳のない謝罪を吐き続けたところで、この想いは決して屋代さんへは届かない。

 そんな当たり前のことを分かってはいたけど、そうせざるを得ない。いえ、そうしたかった。そうやって、悲哀に満ちている自分に酔いたかっただけかもしれない。

 けれど、そんなことを咎める人間など私の世界には存在しない。この暗がりに浮かぶ蝋台の灯火だけが揺らぐ、孤独な世界には誰も、いない。

 声を上げて泣くことをいつ以来から絶ってきたのだろう。それすらも忘れてしまっていた。当然、止め方も忘れてしまった私はひとり、たったひとりで嗚咽を捻り出し続けた。

 眼の温かさが潜んだ頃、ようやく私は屋代さんへの返事を送ることができた。


 ――ありがと。

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